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第七十一話 渦

 大地がひび割れ、窪むその場所に、しかし、二匹の鬼は健在だった。

 いや、健では無かったかも知れない。

 一匹は腰を屈めて膝に手を着き、もう一匹は、ゆっくりと倒れていった。


「やっ……たか?」


 神祇官たちは息を呑み、その姿を見つめていた。

 戦闘経験が豊富な隠密であれば、そんな事は無かっただろう。

 形が残っている事を見て取って、即座に(とど)めの攻撃を加えたはずだ。

 しかし、残念ながら、彼らの半数以上は研究者である技術官で、残りは祭祀を主にする者達だった。


 ドサリと、一匹の鬼が倒れ伏すと、膝に手を着いていた鬼がバッと顔を上げた。


 かなり弱っているはずだ。

 にも拘わらず、素早く倒れた鬼の傍に移動すると、抱きかかえるようにして斜面を駆け下りて行った。


 愚かな事に、神祇官たちは、ただそれを観察していた。


「……くっ」


 攻撃の余波で大地に転がされていた運び屋は、軽く頭を振って顔を上げる。

 気付いた時はもう遅かった。

 自分たちの居る場所から少し降りた、まだ蕩々と続いている液状の負気溜りの中に、二匹の鬼がドプリと飛び込んで行くのが見えた。


 (まず)い。

 倒しきれなかったのか。


 神祇官たちの被害を確認しようとして体を起こした時に、同じように起き上がる二人に気が付いた。

 両者とも運び屋の隠密だ。

 本隊とはまだ距離が離れていると思っていたが、先行してくれる者が居たのか。


 改めて神祇官たちを見れば、傷を受けた様子は無い。

 彼らが防いでくれたのだろう。


 一瞬、安堵の息を吐き、慌てて立ち上がる。


 鬼の力は負気に因る物。

 負気を以て体を構成し、様々な攻撃を仕掛けて、傷を癒やす。

 つまり、負気の物質化で形作られた鬼の体は、負気がある限りいくらでも修復される。

 通常であれば、それで負気を消耗させるのだが、今ここには、果てしない量の負気が流れていた。


 ズズズズズッと、今までに無い音が響く。

 黒い川のようであった負気溜りは、ゆっくりと、大きな渦へと形を変え始めた。




 隊長の指示を受けて、兵士たちが再び門から出てきた。

 ただ、先ほどのように坂の正面に並ぶ事はせず、広場を馬蹄形に囲むように、門前から川沿い、山津方面へと、広く、薄く(はい)された。

 隊長自身は中央に立ち、指揮が執れるよう全体に目を(くば)っている。

 そこは猪鬼が川に突っ込んで行った場所であり、また鬼が駆け下りてきたなら非常に危険に思えたが、今は間に皇儀隠密が立っているお陰で、逆に一番安全かも知れない。


 門前を任された唄太は、先ほどの隊長の言葉を思い出しながら、隊の陣容と隠密の立ち位置を眺めていた。


「左右の藪を警戒しつつ、先ずは暗い道を山津へ向かう町民たちを安心させてやって欲しい」


 唄太が見ていた限り、隠密は鬼が近付いてくる前にその存在を認識している。

 藪を警戒するは、建前だ。

 町から出てきた町人たちは、隊の列の前を通って山津に向かう事になるが、果たして、それで安心を与えられる事が出来るのだろうか。

 一組でも、護衛に付けるのなら解る。

 鬼が出ると説明した上で、ただ見送って、安心して呉れは無理がある様な気がした。


 だとすると、広く薄く並べた事に意味があるかも知れない。

 鬼と戦うには、なるべく集中した方が良いはずだが、集中しても(なお)勝てないのならば、被害を少なくする為に、拡散するのも一つの手、だろうか。

 だが、山吹は「無駄死にするから」と兵を下げさせた。

 再び並べられたからには、無駄ではない何かがあるはずだと、そう思いたいのだが。


 唄太が門前を任された理由は、鬼に攻撃する力を有しているからだろう。

 町への侵入を防ぐ最後の守り、それだけは理解出来た。


 山吹から借り受けた、槍の穂先に目を落とす。

 乱雑な扱いになってしまったが、刃毀(はこぼ)れ一つしていない。


 多々、不安はあるが、今は自分ができる事に、やるべき事に集中しよう。


 前方に視線を向けると、隠密たち三人は、鬼に蹴り壊された柵の向こうに立ち、じっと坂の上の方を見つめていた。

 その大分後ろで、隊長は一人、足下に転がる鬼の肉片を気にしているようだった。




 丁種隠密は、それなりの数が居る。

 情報提供者、協力者という事に成っているが、隠密の存在を知っている一般人は、大体が丁種扱いされる事に成っていた。

 勿論、意味があって任命された者も居る。

 例えば、湯川の温泉旅館などで客を取っている遊女や、もう少し格の低い湯女(ゆな)など、他に下級役人、衛士などにも少数だが含まれていた。

 ただ、中にはある程度霊力の強い人間もいるが、殆どの者は何の力も持たない。

 それは、時子も知ってはいるはずだ。

 それでも尚集めてくれと言ったからには、恐らく、それ程手が足りないのだろう。


 茜は簡単に一筆書き込み、次々と文を飛ばした。

 文を飛ばす術は、多少変形的ではあるが術札と同じように、祈祷された紙を使って行使される。

 予め用意しておけば、内容を書き込んだだけで、降神も必要なく最小限の霊力で鳥に変えて飛ばす事が出来る。


 有って当然の物(ゆえ)、使い切ってしまうと拠点運用に拘わってくる程の問題になるが、即座に補充が出来ないのが難点だ。

 今夜は多く消費しすぎた。

 まあ、だとしても、明日の事は明日考えれば良いだろう。


 既に何人かが、赤壁亭に向かう小道を登ってきている。

 連絡に必要な紙と筆箱、自分用の札束、その他必要な物を風呂敷に放り込み、茜は玄関先に移動する事にした。

 三階の方が見晴らしが利くが、丁種たちに態態(わざわざ)上ってきて貰うのは時間の無駄だ。

 彼らには、すぐに外回りに出ていただかなくてはならない。

 戦闘能力が無い事を、前提とした上で。




「現在、湯川の町は非常に危険な状態にある」


 主政は集まった町人に向かって、簡単に現状を説明していた。

 更に鬼が出る事、守り切れない可能性がある事、その為、町人には一時的に山津まで避難して貰う事。

 淡々とした話し口調だが、これは命令であり、拒否する事は出来ない旨を明確に申しつけた。


「お前も家族を連れて先に行け。向こうの郷司様にお願い申し上げ、避難民の休める場所と、我々が政務を執り行える場所をお借り出来るよう話を付けておいてくれ」

「はっ。承りました」


 比較的若い役人が、緊張と共に応えて頭を下げる。

 彼は町の外から来た人間で、一緒に住まいする家族は妻だけだった。

 先行させるには、丁度良い。


「鬼は北から降りて来ている、町から南の街道は安全だ」


 と言う事にしておいた。

 護衛の兵士が付けられないので、そう言うしかない。

 勿論、主政自身は安全とは思っていない、北から来る鬼以外にも、鬼や化け物は出る可能性がある。

 それを素知らぬ顔で、後ろにいる町人たちにも聞こえるよう大きな声で言ってのけた。


「儂も次の組ですぐに追いかける。よろしく頼んだぞ。……では、お前たちも、この者に付いて山津へ向かってくれ」


 若い役人の肩をポンと叩き、出立を促す。

 命令を出す時に「よろしく頼む」と言うのは、父、郷司の口癖のような物だ。

 これまでは立場が上の物が「頼む」などと馬鹿馬鹿しいと思っていたが、今は解る気がした。

 そう言えば、多少無茶な命令でも出しやすいのだろう。

 後ろめたさも併せて、そう言ってしまうのだ。

 彼は自分なりに、父の言葉を理解したつもりになっていた。


 町の門が開けられ、取り敢えず三十人少々が山津へ向かって歩き出した。


 このままここに留まっていても、鬼が出るのが確実であるのなら、なるべく早くに山津へ向かった方が良いのは間違い無い。 

 だが、もし、山津までの経路で鬼が出るなら、先頭である彼らが襲われるはずだろう。

 きっと、二番目の集団が一番安全であるに違いない。

 更に念の為に、次の組は大人数にしようと考えた。

 いざとなれば、町人を楯にして逃げるのも仕方が無い。


 衛士に促され、町人町の者達が、次々と集まりだしていた。


「おい、お前。儂と他の連中は先に行って、向こうで受け入れの準備を整えておく。お前は順次、町人を集めて山津へ向かわせろ。細かい事は任せる、頼んだぞ」

「はい。お任せください」


 その返事に満足し、主政は妻と子の所へ向かった。

 間もなく出立すると伝える為に。




 宗泰の元に、一羽の白鳥が舞い降りてきた。

 それは手に留まると同時に小さな文に変わる。


「なに?」

「ちょっとまて」


 朱鷺の問いかけを制しつつ、紙を開くと僅かに眉を寄せた。


「なに?」


 同じ質問が繰り返される。


「んー、北山の山頂付近、小屋の辺りで戦っている者が居るのを絢音が確認したらしい」

「小屋?」


 言われて、朱鷺がそちらを振り仰ぐが、当然、その位置からは木々が邪魔でまったく見えない。


「……烏?」


 だが、敏感な彼女の耳は、集中する事でその音を拾った。


「確かに、戦ってる……っぽい、けど、絢音さんじゃない?」


 宗泰も耳を(そばだ)てるが微かに烏の叫びが聞こえる程度だ。

 誰が戦っているかなど、見当も付かない。


「確かか?」

「多分としか。……? 終わったみたい」


 烏の声は途絶えた。

 その直前に、風鳴りがあったような気がするが、それも宗泰にはただの風音と区別が付かない。


「なんだろう。絢音さんなら飛んでいけるだろうけど、……助けに行ったという事は、助けが必要に見えたのかな」


 長距離移動の技は霊力を無駄に消耗するが、絢音の技は基本的に浮かぶ技で、少ない負担で飛ぶ事が出来る。

 行って帰ってくるぐらいは出来るだろうと、朱鷺も考えた。


「研究所の人間だろうか。だとしても、何故、山頂に?」

「さあ、後で聞いて見るしか無いわね。何にしろ、救援に来られなかった理由は解ったわ」

「ああ、確かに」

「それと、移動経路に他の鬼は居なさそうね」


 絢音は地面や木々の梢を蹴って加速する。

 少なくとも、その移動線上には鬼が居なかったのだろう。


「山頂越えはやはり無かったか」

「その分、街道へ来てるかもね」

「それならそれで良いさ」


 いっその事、全ての鬼がここに来るなら話が早い。


「絢音さんが戻ってくるまで、戦力の補充は無しね」


 絢音が町を離れているなら、町の中に配置された戦力と呼べる隠密は弁柄だけだ。

 非常時で無い限り、こちらに呼び寄せる訳にはいかない。


「そうなるな」


 自分に確認するように宗泰が呟く。

 その後ろで、町の門が開かれ町人たちが姿を現した。

 朱鷺はそれを横目で確認しながら、楽しげに笑う。


「まあ、もう少し二人で頑張りましょうか」


 まったく戦力に数えられていない事に山吹は驚いたが、敢えて口は開かなかった。




 案内をしていた運び屋は神祇官たちに駆け寄り、まず状況の確認を行った。

 二人の若い運び屋も集まり、話に加わる。


「切り札に成り得ると言われ、人体術札を運んで参りました」


 その言葉に、一部の技術官が反応を見せた。

 何にしても、このままここに居るのは良くないと思えたので、すぐに人体術札の回収に向かい、そのまま斜面を少し登る。


 負気の渦は、明らかに大きくなっていた。

 川のように西へ向かっていた流れは完全に止まり、全てが渦に吸い寄せられているように見える。

 だが、負気が集まって盛り上がるような事はなく、そこに穴でも空いているかのように、ただ一カ所に吸い込まれていく。


 事実、吸い込まれているのだろう。


 それを見下ろし、案内役は歯噛みする。

 取り逃がしたあの二匹に、負気が取り込まれているのは、考えるまでもない。

 恐らく、既に傷は癒やされ、それどころか、先ほどよりも強い力を得ている可能性が高い。


 負気の状態ですら、祓えるかどうか判らなかった物が、今、鬼の姿で纏まろうとしている。


「すぐに本隊と合流致しましょう」


 負気に攻撃を仕掛けたいが、反撃されると防ぎきれない。


「異論は無い。運び屋と合流した上で、術の用意に取り掛かろう」


 人体術札……既に術札としての能力は無いが、それを依り代として利用した強力な攻撃手段が、確かにあるらしい。

 ならばこそ、これ以上、神祇官と技術官を失う訳にはいかない。


 急ぎ足で移動を始めたその先に、運び屋たちの姿が見えてきた。

 先頭の幸永が片手を挙げる。

 案内役も片手を挙げて応え、速度を上げて駆け寄った。


 それぞれ損耗し、時間も掛けてしまったが、近隣最強の戦力をやっと揃える事が出来た。


「状況は?」

「あれを」


 目線で促され、幸永も負気の渦に目を向ける。


「先ほどまで、負気溜りから現れた二匹の黒い鬼と戦っておりました。かなりの傷を負わせたと思われますが、負気溜りに逃げ込まれ、直後にあのような状態に」

「成る程」


 渦の中心に、鬼が居るのは間違い無い。

 幸永は自分の推測が正しかったと改めて考えた。

 恐らく、その二匹の内のどちらか、若しくは両方が、この負気溜りの核だろう。


「纏まってくれると清めやすくて良いが、総量で負けるか?」

「恐らく」


 その質問には神祇官が答えた。

 負気を神気で打ち消す清めでは、当たり前ではあるが、総量の少ない方が先に力尽きる。

 ある程度は祓いで散らさなくてはいけない。


「技術官殿は、あれを使える様にしてください」

「心得た」

「手空きの神祇官は、攻撃に加わって貰って宜しいかな」

「いや、出来れば余力を残して欲しい。難しいか?」


 例の術に力を注いだ方が、効率が良いというのならそうすべきだろう。


「解った。では我々だけで暫く頑張らせていただこう」


 幸永は、不敵に笑う。


「全員注目。これより総力戦に入る。先ず、渦の中心と、流れ込む液状負気の分断を試みる。その後、中心部、恐らく特級鬼に対して攻撃、ただし、回避優先でじっくり時間を掛けて削り込む」

「はいっ」

「他の場所からまだ鬼が湧き出てくる可能性は有るが、恐らく最大最強はアレだ。周囲の負気までは無理かもしれんが、アレの討伐、消滅を最低限の目標とする。良いな!」

「はいっ!」

「では大まかに担当を決めていくぞ」


 ゆっくりと歩を進めながら、各員の配置と攻撃手順を、それこそ大まかに決めていく。

 究極的には臨機応変に対応するしかないのだが、流れ込む負気の分断だけはやっておかなくてはいけない。


「二匹というのは、好都合かもしれんな」


 一匹に全ての負気が集中したのなら、手が付けられない可能性も有る。

 それが、二匹居る事で半減される。

 勿論、敵の手数も、攻撃の種類も二倍に増える上、それぞれに対応しなければいけないので、一概に良しとは言えないのだが。


「先ずは負気の分断、吸収と回復を阻害する。掛かるぞ!」

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