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第七十話 準備

「な、なんと……」


 驚きの声を上げる主政に、郷司は半ば冷たく言い放つ。


「時間が無い。すぐに取りかかれ。……衛士長殿、こちらの兵は()けそうもない、人手を貸していただけるか」

「はっ。衛士は既に町中に配しております。如何様にでも対応致しましょう」

「避難者の誘導をお願いしたい。主政に従い、よろしく頼む。……では、主政に大領の全権を委任する、そちらは任せるぞ。解っておると思うが、町人と湯治客、同時に逃がそうと思えば混乱は必至だ、良いように取り計らってくれ」

「お、お待ちください。夜の街道は危険です。護衛の兵士は……」

「出せん」


 当然の事だ、解っているだろうとばかりに言い放つ。


「もう一度言うが、時間が無いのだ、人手も無い。よく考えて動いてくれ」

「ははっ」


 命令である、従うしか無い。

 しかし、鬼が出るという夜に、街道を行くのは馬鹿げている。

 日の出まで待つべきだと思うが、それでは間に合わないかも知れないと郷司は言った。


 顔を上げ、東の空と星を確認する。

 夜明けまで、もう半時ほどでは無いか?

 それが待てないほどに、事態は切迫しているのだろうか。


 小走りに兵舎へ向かいつつ、段取りを考える。


 個人の移動と、集団の移動は、所要時間の計算が違う。

 特に人数と道幅が重要になってくる。

 同時に何人が歩けるかによって、一番手の出発から最後の一人が出発するまでの時間を推測し、一番足の遅い者を基準に、到着時間を想定する。


 湯川道は小街道とは言え、基本は二間、細い所でも一間幅は確保されている。

 七、八人から、最低四人は歩けるだろう。

 だが、歩く速さの個人差により、必ず(とどこお)る。

 足腰の弱い湯治客を前に行かせると、混乱を招きかねない。

 町の下手(しもて)から、町人町の人間から順に声を掛け、そのまま出発させるのが最良か。

 だが……。


 再び、空を見る。


 日の出までに全員を町から出すのは不可能だ。

 それに、避難民が鬼に襲われたら、対処の仕様が無い。


「衛士長殿。護衛に衛士をお貸しいただけませんか。せめて、最初の一団だけにでも」

「一人や二人であれば可能ですが、鬼を撃退出来る数をお貸しする事は叶いません」

「そうか……」


 俯きながら兵舎の戸を開けると、他の文官たちが土間で出迎えてくれた。


「主政殿、何かありましたか」


 ここには情報が入ってこない、彼らもまた、不安で仕方が無いのだろう。


「うむ。夜明けを待たず、山津へ向かう事になった。各員、妻子を集めてこい」

「は、はい」


 逃げる事が出来ると聞いて、部下たちは安堵を含んだ息を吐く。

 だが、護衛が付けられない事を、如何に説明するか。


 自分も含め、皆、逃げる事を前提に、家族を伴って来ている。

 女子供を連れて、夜の街道を行くのは出来れば避けたい。


「衛士長殿。混乱を避ける為、下手の者から順に出そうと思う。先ず、町人町本通りに声を掛けていただけますか。荷物は持たず、即座に門前に集まるように、お願い致します」

「相判った。すぐに行こう」

「それと、出来れば兵士には場所を空けていただきたいのだが、可能だろうか」


 現在、門の内側には軍の一隊が屯している。

 可能ならば、あの場所に集めて順次出発させたい。


「解った。相談してみよう」


 応えて、早足で立ち去る衛士長を見送りつつ、主政は考えていた。

 自分と、自分の家族たちが、無事に山津へ逃れられる方法を。




 幸永たち運び屋からも、神祇官が放つ攻撃が見えた。

 咄嗟に、二つの可能性を考える。

 神祇官たちがこちらに気付いているのは間違い無い、その上で、先に負気溜りを攻撃し始めたか、何者かから攻撃を受けたか。


 こんな時は、当然ながら悪い可能性を前提に対処するものだ。


「全員、急ぐぞ!」


 神気を足に込め、跳ぶように駆け出した。




 同時に、別の場所から神祇官たちを見ていた者もいた。

 人体術札を預かった二人だ。


 彼らは神祇官たちと合流する為、斜面を登っていた。

 ところが、予想に反して、神祇官たちの一隊は山を回り込むようななだらかな道を選び、かなり低い位置に姿を見せた。

 その明かりに気付いたのは、西に向かって流れる負気溜りの川の辺りだ。

 慌てて駆け下りるその先で、黒い鬼が姿を現し、神祇官たちは戦いつつも、運び屋の本隊の方へと逃げ出した。


 神祇官と技術官が無事であってこそ、もう一つの切り札が使える。

 ある程度近付くと、二人は人体術札をその場に降ろし、鬼に向かって躍り掛かった。


火焔流星脚かえんりゆうせいきやくっ!」


 二匹いる鬼の片方に、案内役の隠密が斬り付けたのを見て、もう一匹へと狙いを定める。


 ドカァッ!


 上空からの滑空するような蹴り技を、鬼は腕で受け止めた。


「なにっ!」


 彼も甲種隠密だ。

 かつて、上級鬼を含む多くの鬼を、この技で蹴り殺してきた。

 しかし、絶対の自信を持つのその攻撃を受け、鬼はピタリと動きを止める。

 渦巻く炎が鬼の体を包んだが、一瞬で消え去った。


 膠着した鬼と隠密の脇に、もう一人の隠密が降り立ち、身を屈める。


光輪拳(こうりんけん)っ!」


 がら空きの鬼の腹部に、光を放つ拳が叩き込まれる。

 直前、鬼が右手の平でそれを受け止めた。


 パパパッと、拳から光の輪が放たれる、が、鬼は微動だにしない。


 驚愕の表情を浮かべつつ、二人の隠密は同時に跳び下がった。


 狙っていた訳では無いが、丁度そこへ神祇官たちの技が叩き込まれた。


 ゴオォォォォオオッ!!


 様々な神霊の働きが、その場に集中する。

 風が荒れ狂い、炎が渦巻き、大地が突き立ち、雷が降り注ぐ。

 跳び退いた二人の隠密も、先に斬り掛かっていた案内役の隠密も、その衝撃に煽られるように吹き飛ばされた。




 町の入り口に戻った衛士長は、すぐに自分の部下へ指示を出す。

 続いて、まだそこに居た隊長に声を掛けた。


「隠密殿の提案を受け、町人を逃がす事に成った。取り敢えず、下手の者から順に山津へ送り出す」

「ああ、解った」


 当然、異論は無い。


「この件は一の主政が全権を預かる事になった。それで、ここを空けて欲しいそうだ」


 主政は郷に複数人いる、一の主政はその筆頭と言う意味で、ここでは郷司の次男だ。


「空けてくれ、とは」

「バラバラと山津へ向かわれても困るからな、ある程度纏めて、集団で移動するのだろう」


 それは判る。見当が付く。


「我々は……」

「持ち場は柵の外だろう?」


 衛士長は当然の様に言い放った。

 だが、隊長の言わんとする事も判らなくも無い。

 鬼と戦う為に配置されたが、役に立たないから下がってきたのだ。

 そして、この後、より強力な鬼が来ると聞かされている。

 柵の外に出ろは、死んでこいと言うような物だ。


「郷司様に指示を仰ぐか、あの隠密殿に意見を求めてはどうかな。何にしても、ここに屯していても役に立たんぞ」


 それならいっそ、逃げる町人の護衛に付けた方がマシだろう。


「そうだな……」


 隊長は伝令を呼びつけておいて、暫く考え、先に隠密に相談すべく、門を開けさせ柵の外に出た。


 まあ、先ほどの戦いを見ていたのなら、やる気が削がれるのも無理はない。

 森を焼くような溶岩の剣山に、それを物ともしない鋼の鬼。

 (つい)でに、隠密から「無駄死にするだけ」とのお墨付きだ。


 その後ろ姿を横目で見送り、衛士長は再び番所へ向かった。




 時間が惜しいので、鷹利は赤壁亭の前から、開け放たれている三階の窓へ向かって声を掛けた。


「茜さん、居るか?」

「はぁい」


 柔らかい返事と共に、茜が顔を覗かせる。

 頭巾代わりの布は取ってしまったらしく、今は素顔のまま、青く変わった髪をフワリと揺らし、そのままひょいと窓枠を越えて、一気に玄関前まで飛び降りた。


「茜さんは、うちの姉さんはご存じかな」

「話ぐらいは」


 茜が弁柄に引き取られたのは、時子が引退した後だ。

 それでも、仲間内の話には度々その名前が上がっていた。

 紙屋の鷹利の姉であるとか、実はまだ町に住んでいるとか、最近の者は知らない場合が多いが、弁柄に付き従っている茜は、その辺りもちゃんと把握していたらしい。


「うん。その姉さんと宗泰さんでも、どうやら防げないっぽい」

「ふぅん」


 返事は軽いが、視線は鋭さを増した。


「それで?」

「先ず、祓いが追い付かないらしい。丙丁でも良いから、祓いか、出来れば清めが出来る者を集めて欲しいと。それと、徐々に町の人を逃がす事に成りそうだ」

「丙丁……、と言っても」


 残る丙種は茜本人だけ。

 丁種は紙屋の父親を含め、術札を持っている者は居ないはずだ。

 そして、先ほどまで祓い札作りをしていた鷹利は、祓い札にもう余裕がない事を知っている。


「報告に上げておきます。戦闘向きではない乙丙も、できるだけ派遣して貰えるように」

「お願いします」


 そうは言っても、直近の拠点は山津のみ。

 北の八坂の国からは、来てはくれるだろうが、恐らく極楽谷か、下手をすれば国境(くにざかい)の関で鬼と戦う事になるだろう。

 頼るべきは、やはり国府か。


「あと、乙のお二方は今どうしています?」

「弁柄さんは存じ上げません。絢音さんは烏鬼を迎え撃とうとしていらっしゃいましたが……」


 視線を北西に向ける。

 この場所からは温泉旅館が邪魔になり、その辺りは見えないが、今のところ烏鬼が来ている風はない。


「救援の合図を出したが、誰も来てくれなかったとか」

「そうですか。今も必要ですか?」

「多分」


 戦力を集中させると、他が危うい。

 だが、時子の判断が正しいのなら、最も強い敵は、間もなく街道から現れる。

 そして、その戦いで鷹利は役には立たない。


「自分で行って、直接話してみるか」

「そうしてください。どうしてもと言う場合は、私も動きます」


 情報伝達要員は、最低一人は置いておくべきだ。

 解ってはいるが、その余裕はなくなるかも知れない。


「判断は、弁柄さんにしていただこう」

「ですねぇ」


 こう離れていると、移動時間が気に掛かる。

 意思疎通が難しく、仲間の危機に即座に駆けつける事が出来ないし、場合によっては気付かないかも知れない。

 守るべき対象が居なければ、全戦力を集中出来るのにと、茜は町を眺めた。


 混乱が起こったとしても、まず最初に町人を逃がすべきだったんではないだろうか。

 そう思うが、今更言った所で仕方が無い。


「では、後を頼む」

「はい、頼まれました」


 駆け出す鷹利を暫く見送り、茜は地面を蹴って二階の屋根に飛び乗った。




 皇儀隠密を名乗った者達は、奇妙な出で立ちをしていたが、その女は特に奇妙だった。

 他の二人は細袖の着物に山袴、その袖口と足首を布で縛ってより細く密着させている。

 そして、顔を隠す頭巾。

 隠密と言うからには、顔を見られる訳にはいかないのだろう、それは判る。

 しかし、最後に現れた朱鷺色の髪の女性は、その顔に一枚の紙を貼り付けていた。

 奇妙、と言うよりも、何か言い知れぬ怖さを感じる。


 あれで前が見えているのか?


 気には成るが、広場に出た隊長を一瞥、したのだと思うが、その後は背を向けて街道の北を警戒しているらしく、声を掛けづらい。

 最初からいた山吹色の隠密は、鬼の死骸に向かって何やら必死に札を放っている。

 祓いを行っているのだろうとは推測出来るが、猪鬼の時は一瞬で終わったはずだ。

 苦労している所を見ると、先ほどの鬼は、猪の何倍も強い負気を持っていたのだろうか?


 声を掛けて良い物か、少し思い悩んでいた所に、紫紺の隠密が林の方から戻ってきた。

 立ち尽くすようにしていた隊長に、すぐに気付き、ゆっくりと歩み寄ってくる。


「何か?」

「あ、いや。……この後の配置について、ご意見をいただければ思うのだが」

「ふむ」


 戸惑いながら応えると、隠密の方も少し考える仕草をする。


「正直申し上げると、弱い鬼を受け持っていただきたい所なのだが、本当に強い鬼が来た場合、あなた方は瞬殺されかねない」

「瞬殺……」


 嫌な言葉だ。

 だが、二つの隊が猪鬼によって壊滅している。

 あれこそ瞬殺と言っても良いだろう。


「だが、他の場所にも同じように強い鬼が現れる可能性は有る。その場合は私はそちらに向かうので、やはりここはお任せせねばならんでしょう」

「そうか」


 瞬殺覚悟で、守らなければならないか。


「おーい、紫紺の。ちょっといい?」

「ああ、どうした」


 隊長が視線を落とした一瞬の隙に、朱鷺色の隠密がすぐそばまで来ていた。


「隊長さん、町人の避難はどうなりました?」

「ああ、はい。下手の者から順次山津へ向かわせるそうです」


 応えつつ、ふと思う。

 この女性、覚えがある。


「余計な事は考えない方が良いですよ?」

「!?」


 ゾクリと悪寒が走った。


 心を読まれたか!?


「それで、配置ですね」

「う、あ、はい」

「郷司様はどのように?」

「まだ新たな指示は出ておりません。ただ、避難者の集合にあの場所を使うので、我が隊を再び元の位置に戻すべきかどうか、まず隠密殿の見解を伺いたいと」

「ふむ」


 紫紺と同じ反応をする。

 だが、やはり、この女性を知っている。

 いやいや、知っていると考えてはいけない、詮索してはいけない。

 思いを巡らす事が、危険であると本能が告げている。

 もし、思い当たってしまったら、取り返しが付かない事になるかも知れない。


「私はこのままここに留まりましょう。あなた方は左右の藪を警戒していただきつつ、避難民を安心させてあげてください」

「あ、はい。解りました」


 思いのほか、優しい返事がもたらされた。


「では、郷司様にもそのように進言させていただきます」


 ほっと息を吐き、深々と頭を下げて隊長は駆け出した。


「すまん、世話を掛ける」

「何を今更」


 白い紙の向こうで、朱鷺が笑う。


「怪我人を治療するより、怪我人を出さない方が良いでしょう」

「ああ。だが、怪我人がいないと商売にならないんじゃないのか」


 ガッ!


 鋭い音と共に、足刀が宗泰の(すね)に入る。


「薬師は薬売りが商売。治療は務め。解る?」

「くっ……、足がもげたかと思ったぞ」

「手加減しました」


 本気であれば、実際に足刀で脚を斬り飛ばされているかも知れない。

 相変わらず、恐ろしい。


巫山戯(ふざけ)てないで、早く祓いを手伝って。出来れば、次が来る前に片付けてください」

「了解した」


 衛士長から貰った札も有り、すでに山吹が粗方片付けてくれている。

 宗泰は懐の札束を再度確認しながら、その傍へと向かった。


 だが、この規模の負気をもう一度祓ったら、祓い札が尽きる。

 その次は、どうするべきか。

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