表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/92

第七話 烈火

 清次は駆けていた。

 速い、速い。

 まったく疲れも感じない。

 これほどの力が得られるなら、なるほど、人間などに価値は無い。




 花梨の手を引き歩き出した清人は、意を決して問いかけた。


「えー、あの返事は、聞いてくれた?」

「うん」

「俺は、すごく嬉しかった。正直、花梨とは結婚できないと思ってたから」


 薬師の三男坊。跡取りとして考えれば予備の予備であり、養子に出されるか、他に働きに出るか、(ちよう)()の元で一生下働きとして過ごすか、それが一般的である。

 自分の望む相手のところに婿に入れるのは、奇跡的幸運にも思えた。

 花梨の手を、少し強く握りしめる。


「俺がんばるから、立派に跡を継いで、花梨を幸せにするから」


 清人の熱のこもった言葉に、しかし花梨は応えない。

 様子を伺うように、花梨の横顔を覗き込む。

 まさか、花梨は喜んでくれて無かったのか、そんな不安が胸をよぎる。

 しかし、花梨はただ、鋭い視線を前に向けていた。


「花梨?」

「うん」

「なにか、いる?」


 花梨はちらりと、一瞬だけ清人を見る。


「芹菜さんが何か感じたみたいで、町の奥の方? を見たような気がして」

 

 清人も正面、町の奥を見つめる。

 川と道は緩やかに右に曲がっていて、奥の方は見えないが。


「見えるの?」

「今は、なにも」


 花梨は森の木々や壁の数枚なら、透かして鬼を見つける事ができる。

 厳密には鬼の負気を感じ取り、それを視覚として認識している。

 だが、距離が離れると見えなくなるのだ。単純に認識できる距離だけならば、芹菜の嗅覚の方が遙かに長い。

 奥に見える山の斜面や、たまに町並みの裏の山を探りつつ、二人はゆっくりと、大浦屋に向かった。




 飴釜の主人がいないので詳細まで話し込まれる事は無く、その後、お互いの気持ちや考えを確認して、柘榴と清彦は席を立った。


「では、また」


 そう言って照れ笑いをうかべ、大浦屋の店の方へ出る清彦を、柘榴も微笑みながら送り出した。


「あれ? 花梨ちゃんは?」


 その言葉で、初めて妹がいない事に気付く。店内を見回しても、隠れている風もない。


「飴釜屋さんかな」


 柘榴が予想を口にする。清人に会いに行っているのかもしれない。


「かもしれない。居たら、帰ってもらおうか」

「いえ、構いません。二人でゆっくりしてもらってください」


 あの二人も話したい事があるだろう。たぶん、私たち以上に。


 店先に出て清彦を見送る。

 清彦はぺこりと頭を下げ、飴釜屋に入っていった。


 空は青く、先ほどの雷鳴は気のせいではないかと思わせる。

 山の天気は急変するが、今日は雨が降りそうには無い。


 中に戻ると、奥から母か顔を覗かせた。


「あれ、花梨は?」

「出かけたようです」


 視線を飴釜屋の方に走らせる。


「ああ。どうしようか。大部屋の方の用意をしたいんだけど」

「今日はだれか?」


 大浦屋に来客は多い、宿泊する事もよくある。


「川崎さんのところがいらっしゃるので、人夫は十人くらい。川崎さんは客間に泊まってもらうから」


 川崎屋は川を使った運び屋で、湯川の少し下流にある(やま)()の町から、海までの間を下りは船に乗って、上りは岸から船を引っ張って荷物を運んでいる。

 そして山津と湯川の間は牛に(だい)(はち)を引かせて往復する、湯川の物流を(にな)う重要な人物である。


 今日は御大(おんだい)もいらっしゃると言う事で、何かの商談があるのかもしれない。

 食事は仕出しを頼むが、客間と大部屋、それと牛舎の用意が要る。


 牛舎は片付いている、客間の掃除はできている。そう考えて柘榴は応える。


「では、私が行きますから、母さんはしばらく店をお願いします」


 花梨たちには先ほど、ゆっくりしてもらって、と(こと)(づけ)けたばかりだ、すぐに呼びに行くのは忍びない。


 たすきを掛けながら店の裏手に回り、井戸で水を汲む。

 それをタライに移して雑巾を放り込み、上がり口の外に置いておく。

 次に座敷箒(ざしきぼうき)とハタキを片手に持って、渡り廊下の通用口から大部屋に入った。

 窓を開けて、ハタキをかけて、と考えながら人夫用の玄関のつっかえ棒を外して、ガタガタと戸を開けた。


 すると、先ほどは誰も居なかった中庭に、人が立っていた。

 柘榴は目を見開く。


「清次……さん?」


 それは、清次のようであり、そうでは無いようにも見えた。


 上半身の着物をはだけ、茶色く汚れた肌が露出している。

 胸から肩にかけての筋肉が張って不自然な逆三角形を形作り、腕がだらんと長く伸びていた。

 更に、膝上まで(まく)りあげられた裾からは、妙に太くなった脚が見える。

 そして、小さいが、その頭部からは確かに二本の角が伸びていた。

 

「柘榴。迎えに来た」


 (かす)れてはいるが、確かに清次の声で、清次の顔で、それが喋りかけてきた。


「迎え?」


 何の迎えだというのか。

 清次は両手を広げながら、ゆっくりと近づいてくる。


「俺は鬼になったんだ。お前もなれる。一緒に行こう」


 鬼に。

 その言葉の通り、それは鬼になった清次だった。


「どうして」


 どうして鬼になったのか。どうして迎えに来たのか。

 訊きながら、一つの言葉が、やっと頭に届く。


「私も、鬼に?」

「そうだ、鬼は良いぞ。すごい力だ、何だってできる。それに、もうすぐみんな鬼になるんだ。そうすればみんな幸せになれる。柘榴も一緒に行こう」


 興奮したように清次が叫ぶ。

 しかし、柘榴にはその意味が判らない。

 鬼は、人を襲い町を荒らす。

 幼い頃、一緒に見たではないか。あの日、「逃げよう」と手を引いてくれたのは、清次ではなかったのか。


「どうして、鬼になったの?」


 清次はもう、すぐ目の前まで来ていた。

 怖くは無い、だが、言い知れない気持ち悪さが全身に絡みつく。


「鬼になればすごい力が手に入るんだ。本当に、何だってできるくらいに」


 先ほどと同じような事を口走り、笑った口元から、牙が見えた。


「誰でも鬼になれるんだ、その方法がある。人間でいるなんて馬鹿らしいんだよ。さあ、行こう。俺と一緒にっ」


 手を差し出すが、柘榴はそれを拒み、首を振る。

 まるで予想外な事が起こったように、清次が叫んだ。


「どうしてっ!」

「私は、鬼になんかなりたくない」

「どうして……」


 呆然としたように、つぶやく。

 それは、断られるとは夢にも思っていなかったような反応だった。


「私は人として、人と生きていくの。家族と、清彦さんたちと一緒に」


 先ほどまでの興奮とは(うら)(はら)に、清次は泣きそうな表情を見せた。


「ごめんね」

「……くっ」


 清次は呻いて俯き、ギリリっと歯噛みする。

 そして、バッと顔を上げると、激情のまま、柘榴の頬を叩いた。




 町人町を抜け、大浦屋の前までついた。

 ここまで鬼は見当たらない。もっと奥の方にいるのだろうか。

 それとも、裏山に。


「どうしようか」


 清人が町の奥を眺めながらつぶやく。

 探しに行った方が良いのは間違いない。


「あ、店番」


 大浦屋の店先を見て、花梨は自分が店番中だった事を思い出した。


「あっ、しまった、俺もだ」


 二人は、顔を見合わせる。


「とりあえず、断りを入れてこよう」

「うん」


 手を離し飴釜屋に駆け込む清人を見送って、花梨も大浦屋に入る。

 店先には誰も居ない。

 まだ奥で話し中なのだろうか。草履を履いたまま、上がり框に膝をつき中を覗き込む。

 その時、ドタッと、何かが倒れるような音が聞こえた。


「母さん?」


 返答は無い。

 草履を脱いで、屋敷の方へと入る。誰も居ない。

 音が聞こえたのは、右奥の客間の方か。

 進もうとして、それに気が付いた。

 何枚かの壁を隔てて、黒いもやが見える。


 客間のもっと向こう、大部屋の辺りに大きな黒いもやが(わだかま)っていた。


 鬼だ。


 花梨は声を飲み込み、辺りを窺う。

 少なくとも、自分の見える範囲に鬼は一匹しか居ない。

 清人を呼びに行くべきか。芹菜に知らせるべきか。

 それよりも、家族が居ない事が気に掛かる。


 大きく息を吸い、ふうっと吐く。

 懐に収めた、芹菜に借りた青銅鏡を服の上からつかむと、足音を殺し、鬼に近づきすぎないように奥へと進む。

 廊下の先から、ズルッズルッと何かを引きずるような音が聞こえ、大部屋へ向かう廊下の角から、不意に母が姿を現した。


「母さんっ」


 思わず大声を出してしまう。

 母は両肘をついて這うように進み、花梨の前で(うずくま)った。

 髪は乱れ、その背中から大量の血を流している。


「母さんっ、母さんっ!」


 鬼が近くに居る事も忘れ、駆け寄ると声を掛けて肩を揺さぶった。


「花梨……」


 わずかに顔を上げ、母が言葉を発する。


「逃げて……」


 がくりと、糸が切れたように頭を垂れると、そのまま崩れ落ちた。


 花梨には見える。

 ゆっくりと、母の体から、その魂が抜け出してゆくのが。


 花梨はどうする事もできず、ただ呆然と、その亡骸を抱きかかえていた。



 そのまましばらく、何も考える事のできない時間が過ぎたが、ぽっと、灯がともるように思い出した。

 父と、姉の事を。


 顔を上げて鬼の居場所を探る。

 最初の位置から動いていない。

 母を手に掛けたのは、鬼で間違いない。では、父と姉はどこに居るのか。


 心の奥で鳴り響く警鐘は、しかしどこか遠く、危機感を(しよう)じさせない。


 母を横たえ、静かに歩き出す。

 廊下には母の血の跡が続いていた。

 その先、一間ほどの渡り廊下の向こうに、大部屋の戸が開け放たれている。

 そこに、大きな血だまりがあり、倒れた父の脚が見えた。


 まるで警戒などしていないように、まっすぐ父の元へ向かう。

 大部屋に入ればすぐ左に、鬼がいるのが判る。

 渡り廊下の上、通用口の前で立ち止まるが、すぐそこにいる父はピクリとも動かない。

 壁の向こう、鬼もまったく動かない。

 ただ、かすかに声が聞こえた。


「……柘榴」


 鬼がその名を呼んだ。


 弾かれたように、花梨は部屋へ飛び込み、中を確かめる。

 すぐ右下に袈裟斬りに爪で切り裂かれ、苦悶の表情で絶命している父が、左に、姉と同じ服を着た、首の無い遺体が、仰向けに転がっていた。


 呼吸が止まり、ぐらりと世界が大きく揺らぐ。

 頭の中で何だか判らない音がガンガンと鳴り響き、吐き気がして口元を押さえる。

 ふらつき、倒れそうになりながら、柱を掴んでなんとか留まった。それでも上下が逆さまになったような感覚は収まらない。


 ぐるぐると回転する世界の中で、大部屋の上がり口に蹲る鬼を見る。

 それは清次の顔をしていて、ボロボロと泣きながら、髪の長い人の頭部を、胸に抱きかかえていた。


「あっ……あああーっ!」


 花梨の意思とは関係無く、言葉にならない言葉がほとばしる。

 自分の鼓動とは別に、懐の鏡が、ドクンと脈打った。


「……花梨?」


 呆然とした表情で、目の前の鬼が自分の名を呼んだ。


「わあーっ!」


 花梨は叫ぶ。

 それに合わせて懐から炎が湧き上がった。

 ぼうっと音を立て懐を焼き尽くし、鏡が露出する。そのまま炎は花梨の体を駆け巡り、着物を焼き始めた。

 しかし花梨はそれを気にも留めず、狂気の形相で赤熱する鏡を鷲掴みにする。


 それは、光り輝く火の神霊。


 花梨を中心に炎が渦を巻き、それに煽られるように、立ち上がった鬼が後ずさる。

 花梨は、芹菜がやって見せたように、高々と右手を掲げた。


()()……」


 鏡を掴んだ花梨の右手が、光に呑まれる。


「……迦具土命(かぐつちのみこと)ぉーっ!」


 振り下ろした手から火球が放たれ、鬼の足下に叩き付けられた。


「がああーっ!」


 爆風が広がり、炎に包まれた鬼が吹き飛ばされて、中庭に転がった。

 膨れ上がった熱風は、まだ閉じられたままだった部屋の建具も吹き飛ばし、窓から炎が溢れ出す。

 花梨から立ち上る炎の渦は、天井を舐め、畳に広がり、父と姉の遺骸を巻き込むが、しかし花梨はそれに気付かない。


 呼吸ができないはずの烈火の中心で、花梨はただ泣き続けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ