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第六十八話 黒い鬼

「?」


 僅かに、朱鷺の表情が陰った。


「はっ!」


 縦に割った鬼の頭を、即座に斬り飛ばす。

 力を無くし倒れ伏す鬼を見ながら、眉を寄せて言った。


「頭は飾りみたいね」

「!?」


 倒したと、思い込んでいた宗泰は、驚きの表情を見せた。

 通常、人型の鬼は首を()ねるか、心臓を貫けば倒す事が出来る。

 極まれに、非常に強い力を持っていて、胸に大穴が()いても動き続ける鬼がいたが、頭を失い動き続けた例を、宗泰は知らない。


 だがしかし、朱鷺の言葉を裏付けるように、倒れたはずの鬼はググッと体を起こし始める。

 同時に、首の在った場所から肉が湧き出て、グネグネと(うごめ)きだした。

 両足も肉が溢れて元の形に纏まっていく。


「祓い、急いでね」

「はいっ」


 声を掛けられ、山吹が応える。

 言われるまでも無く、先ほどから祓い札を使って、斬り離された足首を祓おうとしているのだが、異様に時間が掛かっている。

 (たか)が切れ端に、とんでもない量の負気が籠もっていた。


 これじゃあ、私程度の技は効かないはずだわ。


 山吹一人では、この足首と戦っても勝てるかどうか判らない。

 それ程の相手だった。


「ふっ!」


 朱鷺は軽く息を吐きながら、鬼の両肩から腕を斬り落とす。

 続いて、何とか顔の形になりそうだったそれを、再び斬り飛ばした。

 ズズンッと倒れた体の横に回り込み、胴に斬り込みを入れ、左太股を切断し、回り込んで右太股を切断する。


「……なに、これ」


 反対方向からも斬り込みを入れて、胴を二分しようとしたが、既に先に斬り込んだ分が繋がりかけていた。

 いくら何でも再生が速すぎる。


「詳しくは判らない。研究所に封じられていた、全国から集めた負気が溢れ出たらしいとは聞いている。恐らく、その大量の負気を取り込んでいるんだろう」

「負気を? 封じる、……あれか」


 予想外の反応に、宗泰は驚きを隠さなかった。


「知っているのか!?」


 自分たちでも知らされていなかった事を。


「いや、私も詳しくは知らないけど。ただ、そんな研究やら実験やらがあったのだけは覚えてる。十五年くらい前かな?」


 思い返すように視線を上げながら、斬り離した腕を蹴り転がして遠ざける。


 それは鬼や亡者の数が増え、負気の量が増大した時期だ。

 人同士が(いが)み合っている場合では無いと、言いつつも、そこから戦乱の終結まで更に十余年が掛かっている。


「実用化しようとして、失敗した、か」


 朱鷺が記憶の中で何を見ているのか、宗泰には判らない。

 より腕の立つ彼女の方が、より機密性の高い任務にも就いていた、恐らくその辺りの差なのだろう。


 会話を続けながら、朱鷺は生えてくる腕や足、首を、その都度斬り落として、蹴り飛ばした。


「すみませんっ、私一人じゃ祓いきれません」


 朱鷺の動きを眺めていた宗泰は、山吹の悲鳴に似た声にハッとなる。


「すまん、手を貸そう」


 先ほどの戦いでは、あまり役に立ったとは言いがたい。

 負気を祓うぐらいはしないと面目が立たないだろう。

 宗泰も懐から祓い札を取り出した。


「それで、朱鷺から見て、これはどの程度に思えた? 特級鬼か?」

「え? 私一人でも倒せますよ」


 それはそうだろう。

 だが、そうでは無い。


「朱鷺なら倒せるかもしれんが、普通の甲種隠密でも難しいんじゃ無いのか」


 自分一人では無理だったかも知れない。

 撤退を繰り返しながら、何度も戦ってやっと何とかなるかどうか。

 そんな相手に思えた。


「宗泰が弱いんじゃ」

「甲種の平均程度の実力はある」


 言わないが、平均よりは上だと思っている。


「その前提ならそうかも知れないけど、迂闊に特級とは言いたくないわね」

「それもそうだ」


 鬼の再生速度は、かなり落ちてきた。

 それでも尚、頭が生えてこようとしている。


「すぅー……、裂空斬っ!」


 突如、朱鷺が斬り上げた大太刀が衝撃波を放ち、鬼の胴体を縦に割った。

 突き抜けた衝撃波は地面を削りつつ、林に突っ込み木々を薙ぎ倒した。


「大分柔らかくなったわね。これなら宗泰でも楽々でしょう」


 鬼はひたすら斬り刻まれ、かなり弱体化した。

 もしもこのまま元の形に戻っても、倒すのは難しくない。


 それよりも、宗泰は衝撃波が走り抜けた向こう、林の方が気になった。


「救援は呼んでくれたのか? 弁柄は?」


 林には火災が広がっている。

 何の事は無い、宗泰が放った技による物だ。

 水を使う弁柄が来てくれれば簡単に消して貰えると思っていたが。


「え? はい、飛火は上げました。ですが、父の場所からは見えなかったかも知れません」


 山吹が助けを呼ぶ為の信号をあげて、大分時が経ったはずだが、未だに誰も姿を現さない。

 弁柄がいるのは町の一番奥、北口だ。考えてみれば見えない可能性も有る。


「絢音も来ないな」


 乙種であり、普段は戦闘に参加しないが、攻撃に特化した宗泰よりも多彩な術札を持っている。

 消火に使える術も、何種類か持っていたはずだ。


 来てくれると助かるが、それよりも、来ない事が心配になる。

 直前に布を届けたので、何かと戦っている可能性が高いが、無事だろうか。


「火事は、どうするの?」


 燃える林に目を向けた宗泰に気付き、今更のように朱鷺が問い掛ける。


「うむ、土に飲み込んで消す方法もあるが、霊力の無駄遣いの様な気がする」

「言ってられないでしょう? 日が昇ったら、風が吹き始めるわよ」


 そうだ、燃え広がると町にも被害が及びかねない。

 山火事は初期の消火こそが重要だった。


「仕方ない。行ってくる」


 言い残して、宗泰は林に向かって跳んだ。

 その後ろ姿を見送りながら、朱鷺はサクサクと鬼を斬り分ける。

 既に、再生はしなくなっていた。

 ブワッと、全体から負気が上がり始める。


「ん。やっと死んだかな」


 負気が纏まらなくなったのは、鬼が核としての能力を失ったからだ。

 このまま体を離れた負気は、新たに負気溜りになって小鬼を生み出す。


「祓いが、追い付きませんっ!」


 大量に用意していた筈の祓い札が、既に尽きようとしていた。


「頑張って」


 朱鷺は他人事のように言って、肩に大太刀を掛ける。

 手伝う意思はまるでないようだ。


 そもそも、現役では無い朱鷺は、術札を持っていない、祓い札もだ。

 神気をぶつけて清める事は出来るだろうが、それは今はやらない方が良い。


 朱鷺はゆっくりと、坂の下に足を進める。

 そして、目を細め、その先を見つめた。

 勿論、何も見えはしない。

 だが、感じるのだ。


 この先に、まだ強い負気がある。




 音も無く、波打った負気は大きく盛り上がり、沈むと同時に四方へ広がった。


 ゾクリとする悪寒に、数名の神祇官が振り返る。


「来るっ! 来たぞっ!」


 腰ほどの高さの負気の波が、列を成す彼らに迫っていた。


「火炎!」

「烈風!」

「雷陣!」


 数名の神祇官が、咄嗟に術札を取って放った。

 炎が、風が、雷が、負気に叩き込まれるが、スッとその力を失い消し去られる。


「なっ! さ、下がれ。皆下がれ!」


 効果が無かった訳では無い。

 術で打ち消した負気の量が、全体に比べると余りにも少なかっただけだ。


「降神しろっ! 降神できる者は全員降神! 祓い札をバラ撒けっ!」


 普通の水のように蕩々と流れていた負気は、今や重力に逆らい坂を登り迫ってくる。

 まるで意思を持っているかのように。


 自分の神器を持つ神祇官は即座に降神を始め、術札を持つ者はそれを放つ。

 軽く数十枚の祓い札が、言葉通り負気に向かってバラ撒かれた。


 ザアァァーッと音を立てながら、負気が散らされる。

 そして、それらは再び負気溜りへと融けていった。


「しまったっ! 祓いでは駄目だ。清めなければ意味は無い」


 拡散させ薄める方法は、高濃度の負気溜りの前に意味を成さない。

 一時的に押し戻されたように見えた負気は、再び波打つようにして持ち上がった。


 ただ、先ほどとは違い、大きな固まりが卵状になって一旦動きを止める。

 そして、神祇官たちが見つめる前で、ドポリと崩れて落ちた跡に、人影が現れた。


 背丈は人のそれと大差無い。

 全身が黒尽(くろず)くめで、当然の様にその額には大きな角が生えている。

 それが、負気溜りの水面に立つようにして、ゆっくりと顔を上げた。

 顔面も真っ黒で、目や鼻も、口も無い。

 いや、一瞬後に、ニタリと笑うように口が現れた。

 口内だけが異様に赤く、それを見る事が出来た者達は、恐ろしさと気持ち悪さに身を震わせた。


 この一団にも、鬼の強さを目で見て判断出来る者はいない。

 いないが、ほぼ全員が同じ判断に至った。


 これが、特級鬼か。


「はああぁっ! 天崩轟雷陣(てんほうごうらいじん)っ!」


 皆が鬼に目を奪われる中、降神を終えた最年長の神祇官が、不意を突くように技を放った。

 その名が示すように、轟音を上げながら天を貫く雷が、鬼を飲み込み負気溜りを穿つ。


 液状の負気溜りに大穴を開けるほどの攻撃を受け、しかし、鬼はその場に浮かんでいた。

 傷を負った風もなく、足場など必要が無いかのように、ゆっくりと(くう)を歩き出す。


「下がるぞ! 運び屋と合流する!」


 自分の技が効かなかった事に、神祇官はさして驚かなかった。

 神気の扱いには()けているが、隠密に例えればぎりぎり甲種に入るかどうかの力しか持ってはいない。

 これが特級鬼であれば、全ての力を注ぎ込んでも倒せはしないだろうと思っていた。


 若い者たちを先に行かせ、再び神気を集中する。

 内在する霊力の総量は上の下でも、それを操る(すべ)は上の上だ。

 戦闘専門の隠密たちのように、効率よくなどとは考えず、持てる全ての力を集中していく。


「天崩轟雷陣っ!」


 放ったのは先ほどと同じ技。

 込められた力も同程度。

 それが全力だった。


 鬼は再び神気を含む雷の直撃を受けたが、案の定、足止めにもなりはしない。


「行けっ!」


 振り返った者がいたのを見つけ、再び指示を出す。

 そして、自身は元来た道、湯山の斜面に向かって跳び下がった。


 ゆらりと、鬼の右手が胸元に持ち上げられる。

 黒い靄を放ち、その輪郭も定かでは無い。


 黒い鬼と思っていたが、黒い靄、負気に覆われているだけか?


 しかし、液状の負気溜りに穴を穿つほどの雷撃でも、それは消えなかった。

 その靄まで含めて、特級鬼なのだろうか。


 ブンッと、鬼が手を振り下ろす。

 それを見て神祇官は咄嗟に右へ跳んだ。

 降神して辛うじて見えるほどの黒い刃が、音も無く飛来して元いた場所を通り過ぎる。


 避ける事は出来たが、それが靄のままだったのか、液体だったのか、それとも他の何かになっていたのか、目で見ても判らなかった。

 だからといって試しに当たってみる訳にはいかないが、あの攻撃に込められた負気が強ければ強いほど、敵は消耗するはずだ。


 神祇官は脇差しに手を添え、ジリジリと右へ動く。

 ほんの僅かであっても、仲間から離れた場所に。そして、負気溜りから離れた場所に。


 そんな思惑に気が付かないように、鬼は神祇官を狙って歩を進める。


 どうやら、それ程賢くは無い、か。

 大技を二つ放って、殆どの霊力を使い果たしてしまっている。

 こんな残り(かす)相手に、時間と負気を使ってくれるのだから、実にありがたい。

 嬉しくて、笑みが零れる。

 たとえ特級鬼であっても、自分の部下が運び屋たちと力を合わせれば、討伐は可能なはずだ。


 チラリと、離れていく隊列に目を送り、札束を取り出した。

 彼が移動する時は護衛が付く事が多く、戦闘用の術札は余り持ち合わせていない。

 だが、それで丁度良いかも知れない。


「余らせると、勿体ないからな」


 楽しげに呟くと、束から札を抜き出した。




 衛士長が門を開き、広場の方へと向かってくる。

 振り返り、それを確認した朱鷺は、軽く片手を上げた。


「ありがとう」

「いえいえ、こちらこそ。私ではこんな事くらいしか出来ませんので」


 言いながら、胸元に抱えた紙を少し持ち上げてみせる。

 和歌子に、窓の外へ出しておいてと頼んだ物だ。


 現在の衛士長は丙種隠密。

 義弟たちと同じく、戦闘には余り適さない。

 勿論、ただの人としては強い部類に入るのだが、(もと)の霊力が少なく、負気を使った攻撃には対応が難しい。


「あなたは、祓い札は持ってない?」

「一応あります。お手伝いしましょうか」


 しかし、町の衛士長が術を使う所を、兵士たちに見られる訳にはいかない。

 そもそも、こうして皇儀の隠密と親しげに話している事も、この後、問い詰められる可能性がある。


「札だけあの()に渡してくれればそれで。……あなたは、避難の準備を急いでください」


 衛士長の目が、スッと鋭くなる。


「避難が、必要ですか」

「ええ、アレと同程度が一体ずつならば何とかするど、錆び付いた私の勘ですが、この先にいるのは、あんなに弱くは無い、若しくは、一匹や二匹では無いです」

「それは……。貴方と宗泰さんがいても、止められませんか」


 その問い掛けに、朱鷺は口を噤んで答えない。

 止められないとは言いたくない。

 止められるとは言い切れない。


「……祓い札が足りないと思う。丙でも丁でも良いから、祓いを、出来れば清めが出来る隠密を集めて。このままでは、倒した鬼から小鬼が湧き続ける事になりかねない」


 祓いは、あくまで拡散させて薄めるだけでしかない。

 先ほどの鬼の他、猪鬼や鹿鬼から出た負気も在り、この辺りは全体的に負気が濃くなってきている。


「……承りました。避難の件も、郷司と相談して参ります」

「お願いします」


 言って、朱鷺は再び視線を北へ向けた。




 黒い鬼は、攻撃を避けようとはしなかった。

 立て続けに放たれる術が、次々と直撃する。

 そして当然の様に、小揺るぎすらしない。


 スタスタと、人が歩く速度で近付くので、同じ早さで逃げながら、飛び来る負気の刃を回避する。

 狙って来ると判っているなら、放たれた瞬間に左右に動けば当たりはしない。

 それでも、もし見落とせば直撃は免れず、当たれば恐らく即死であろう。

 意識を集中し、攻撃が来れば避け、隙があれば術を放つ。

 そんな単純な作業を繰り返していると、思っていたよりも早く術札が尽きてしまった。


 時間稼ぎが目的であったはずなのに、自分も存外間抜けなものだ。 


 こちらが攻撃の手を止めれば、敵はどう動くか。

 同じ攻撃を繰り返すか、一気に間を詰めてくるか、将又(はたまた)、こちらは放置して本隊を追いかけるか。

 敵が馬鹿だとありがたいが、馬鹿である事を前提に策を練るべきでは無い。


 神祇官は短刀を抜いた。

 これはあくまで護身用であり、小鬼すら斬った事は無い。

 それを(もつと)もらしく構えて、(なお)も下がり続ける。


 最初に居た場所からは大分離れることができた。

 神祇官は、遠く黒い鬼の背後の、黒い水面に目を向ける。

 その時、負気の川が再び盛り上がるのが見えた。


 一匹だけでは無かったか!?


 それは、考えれば当然の事だ。

 これだけの負気が余っているのならば、もっと多くの鬼が湧いてもおかしくは無い。


 動揺しながら見つめる先で、同じように負気の固まりが崩れて、黒い鬼が現れた。


 神祇官は体を前に向けたまま、部下の行方を目で探す。

 小走りで移動している彼らの方が、鬼からは離れていた。


 (うま)くやれば、新たに現れた鬼もこちらに引きつける事が出来る。

 しかし、既に霊力は残り少なく、攻撃用の術札も無い。

 チラリと視線を落とした札束に、明かりの術があった。


「光輪っ!」


 自分の頭上に光の輪を浮かべる、夜に作業するには便利な術だ。

 パァッと光を放つそれに気付いたか、新たな鬼が顔を上げたように見えた。


 成功か。

 喜んだのも一瞬。


 新たな鬼は負気の水面を蹴り飛ばし、高々と舞い上がった。

 ほんの一歩で、神祇官の眼前に迫る。


 これは、強い。

 負気が、力が、では無い。

 戦いが強い。

 そう思えた。


 ほぼ無意識に短刀で受ける構えを取ったが、鬼はそれを意にも介さず右手を薙ぎ払う。

 当然の様に青銅の短刀は二つに折れ、神祇官の上半身は軽々と舞い上がった。


 恐るべし。

 しかし、自分を斬る為にここに来た、その時間の分だけ若い者たちが助かったはずだ。


 ニヤリと笑いながら、神祇官は地面に叩き付けられた。

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