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第六十七話 決意

 時子は大きく息を吐いて、手に持っていた布を置いた。


「清彦。ちょっと外の様子を見てくるから、暫くお願い」

「はい」


 応えた清彦の表情は暗い。

 薬師をやっていれば、患者を助けられない事は幾度もある。

 親しい人の死にも、何度も向き合わなくてはいけない。

 たとえそうであっても、僅かな時間に多くの死に直面するのは、堪えるだろう。

 ましてや、清彦が怪我人の治療に当たるのはこれが初めてだ。


 十年前ならいざ知らず、これも良い経験とは、とても言えない。


 溜め息を呑み込み、時子は窓を閉める。

 そして部屋の隅に立て掛けていた大太刀を手に取ると、襖を開き、奥で湯を沸かしている和歌子に声を掛けた。


「和歌子、あとお願い」

「あ、はい。……出ますか?」

「ええ。紙は置いてくから、あとで窓から出しといて」

「はい。お気を付けて」

「貴方もね。……もしもの時は、清彦をお願い」

「勿論です」


 和歌子は自分の胸を叩いて応えた。

 その姿に、時子は僅かに苦笑して、背を向けて歩き出す。


一度(ひとたび)、皇儀に誓いを立てし者は、土に還るまで皇儀、か」


 左手に大太刀をぶら下げて、廊下を歩きながら懐に入れた包みを取り出す。

 弟の鷹利から手渡された物。

 それは、長い時を共に過ごしてきた、愛用の鏡だった。




「と……朱鷺か!?」


 多少、上擦(うわず)った声で、宗泰がその名を呼んだ。

 それは、長らく呼ばれる事の無かった、隠密名だ。


「十年以上も経つのに、相変わらず弱いのね」

「くっ……」


 その遣り取りを、山吹は半ば呆然としたように眺めていた。


「え……、弱い?」


 山津では最強の甲種隠密を指して。

 あまりにもあまりな物言いに、思わず声を漏らしてしまった山吹に、朱鷺はニッと笑いかける。

 顔を隠す事すらしていないが、間違い無く、皇儀の隠密。


「って言うか、誰?」

「会った事あるでしょう?」


 町に一つしか無い薬屋を、知らない筈は無い。


「あ……」


 飴釜屋の、と言いかけて、言葉を飲み込む。

 距離は離れているが、兵士たちに聞かれてはいけない。


「お、隠密だったの、……だったんですか?」


 いやしかし、町付きの乙種がそれを知らないはずは無い。


「昔ね。もう、十年以上昔。貴方のお母さんが亡くなった頃だから、流石に覚えてないでしょうけど」


 少し寂しげな表情を見せ、朱鷺は再び鬼の方へ視線を向けた。

 その横に宗泰が並び、大刀を下段に構えたまま、問い掛ける。


「どう見る?」

「どう、と言われても。術を使うよりも、細かく切り刻んだ方が良い、でしょうか」


 先ほど切り飛ばした両足は、既に元に戻っていた。

 見ている内に、右腕の付け根もゴボリと肉が波打ち、溢れるようにして新しく生えてくる。


「えっと、山吹さん? 隙を見て、足や腕の祓いをお願い」


 力の強い鬼は、斬り落とされた体の一部分だけでも、かなりの負気を持っている。

 黒い靄を放ち、形を崩していくそれは、すぐにでも小鬼が湧き出しかねない負気溜りになるに違いない。


 逆に言えば、それだけの量の負気が、鬼から切り離されたのだ。


「どれほど強くとも、バラしてしまえばただの負気溜り、でしょう?」


 事も無げに言う朱鷺に、宗泰は苦笑いを浮かべて応える。


「解った。何とかしよう」


 年齢は僅かに宗泰の方が上だが、その昔、「年上に対する態度が」と注意して、「年齢しか誇る物が無いのか」と言い返された事があった。

 以来、二人を含む、同年代の仲間内限定で、実力序列主義となっている。

 つまり、朱鷺には頭が上がらない。


「斬れないなら、援護をお願い」

(おう)。だが、斬って見せる」


 朱鷺が引退して十数年、その間ずっと現役で、最前線で鬼や霊獣と戦ってきたのだ。

 これ以上恥ずかしい所は見せられない。


 宗泰は向かって右に駆け出した。

 囮ではあるが、宣言通り、あわよくば斬るつもりだ。

 少し遅れて、朱鷺が左に回り込むように動く。


 鬼は知性が無いような表情はそのままに、しかし、宗泰には目も呉れず、朱鷺だけを追う。

 より恐ろしい相手が誰なのか、それぐらいの事は理解が出来るのか、右手を大きく振り上げて襲いかかった。


 鎖で繋がれていた右手を失って、新たに生えたそれは、やや大きくなりはしたが、今のところただの腕の形をしている。

 大ぶりのその攻撃を、朱鷺は難無く避け、そのまま背後へ回り込む。


「せやっ!」


 隙だらけの鬼の左足に、宗泰の薙ぎ払いが入る。

 文字通り、渾身の一撃。


 ガッ!


 しかし、それは僅かに食い込んだに過ぎない。


「んんっ!」


 更に力を込めようとする宗泰に、鬼が鉈状の左腕を振り上げる。


「せっ!」


 朱鷺が鋭いかけ声と共に薙ぎ払うと、再び鬼の右脚は容易(たやす)く切断された。


「おぅおーっ!!」


 鬼は叫びを上げ、大きく体勢を崩す。

 その背を逆袈裟(さかげさ)に斬り付けながら、朱鷺はポンッと距離を取った。

 宗泰は何とか大刀を引き抜き、反対方向に跳ぶ。


「力任せじゃ無くて、断ち斬るという意思を持って! 斬とか、断とか言いながら斬ってみて!」


 鬼を挟んだ向こうから、朱鷺の声が聞こえる。

 この歳になって、未だ助言を受けるとは。

 だがしかし、その言は一考の価値がある。

 剣技と同じく、言葉にする事で働きが明確になり、威力は上がるはず。


「はあああぁーっ!!」


 何度も何度も繰り返してきたように、強い意志を持って神気を刀に集中させる。

 こうやって、実戦の中で修行が出来るというのは、凄く恵まれているのだろう。


 鬼は右手を突いて体を支えながら、宗泰には完全に背を向けている。

 当然だろう、どう考えても朱鷺の方が危険だ。


 囮になるつもりで先に駆け出したのに、頼まれた援護すらまともに出来ていない自分に失笑する。

 同時に、隠密になったばかりの頃を思い出した。

 確か、こんな感じだったような気がする。

 それは、過酷ではあったが、懐かしき日々。


「……斬っ!」


 斬り通す。

 明確な意思を持ち、線を引き、そこをなぞるように。


 ズバッ!


 三度目の正直。

 今度こそ、確実に、宗泰は鬼の左足を切断した。


「おがぁあっ!」


 右膝を突いていた鬼は、そのまま前のめりに倒れ、鉈状になった左手も地に突いた。


「お見事」


 小さく呟き、フワリと浮かんだ朱鷺は、すぐ目の前まで下がっていた鬼の頭を、縦に斬り割った。




「烏の鬼は全て倒しましたが、いずれ他の鬼が来るでしょう」


 絢音の言葉に、一同の顔が引き()る。

 しばしの沈黙の後、一人が呟くように問い掛けた。


「どうなるの?」


 守ってくれないの、とは言わない。


「私は湯川の町を守らなければいけません。あなた方は、身を隠していてください」


 驚きが、騒めきになった。


「か、隠れるって、どこへ!?」


 戸は閉め寄せたが、落とされた蔀戸は今すぐにはどうにも出来ない。

 それに、この場所は血の臭いが強すぎる。


「少し下がった所に、洞窟があります、そこに入っていただいて、術で入り口を塞ぎます」


 術を使って出入口を塞げば、そう簡単には侵入出来ない。

 隠れるには良い方法ではある。

 しかし。


「動けない人はどうするんですか?」


 動けない、動かす事すら出来ない人間がいる。


「……運ぶ事が出来そうなら、連れて行きましょう。無理そうなら、諦めます」


 その言葉に、誰もが息を呑んだ。

 こうも真っ正直に、見捨てると言われようとは、誰も思っていなかった。


「時間がありません。この血の臭いに釣られて、何時、何が来るか判りません。……さあ、立って」


 言わんとする事は解る。

 だが、咄嗟に立ち上がった者は少ない。


「来ない人は置いていきます」


 非情な言葉が追い打ちを掛けた。

 のろのろと、数人が腰を上げる。


「待って。待って、誰か、この子たちを、せめてこの子たちだけでも」


 子供を庇い重傷を負った女性が、横になったまま声を上げた。


「お母さん……」


 その胸元に、二人の少女がしがみついていた。

 三歳か四歳か、まだ幼くとも、その言葉の意味は解るのだろう。

 イヤイヤをするように首を振る。


「私がお預かりします」


 傍に居た女性が声を上げ、手を伸ばしたが、子供たちは母から離れようとしない。

 他の場所でも、何人かが声を掛け合い、行く者と、留まる者に別れていった。


「阿刀ちゃん、阿子ちゃん、ここに居ては駄目なの。お願いだから、皆と一緒に行って」

「いやっ! お母さんと一緒じゃなきゃ、いや!」

「お母さん、一緒に行こう。ねえ」


 離れようとしない子供たちに、母親は困ったような表情を浮かべる。


「ごめんなさい。お母さんはもう行けないの。だからお願い。お父さんが待ってるから」


 絢音はその光景を眺めながら、思い悩んでいた。

 そして、すぐに、思い悩む事自体が間違いだと結論づけた。

 悩む事に費やした時間が、誰かの死に繋がる。


「行きましょう」


 絢音に向けられた視線は、一様に暗く重たい。

 助けて貰った感謝すら感じられないほどだ。


「お願いします」


 阿刀と阿子の母親は、改めて手を差し伸べてくれた女性に声を掛けた。


「はい」


 覚悟を決めたように応えたその女性は、子供を掴んで引き離す。


「あっ……お母さんっ!」


 母の服をきつく握りしめていたその手を、母親自身がゆっくりと解き放す。

 一人を脇に抱え、もう一人を抱き寄せた女性に、母は簪を引き抜いて手渡した。


「こんな物しかありませんが、よろしくお願いします」


 普段使いの、鶴と亀の意匠が施された一対のそれを、まじまじと見つめた後、女性は受け取り、懐へと入れた。


「お預かりします」


 貰うつもりは無い。

 子供たちを抱え、引き摺るようにして背を向けた。

 既に他の者は小屋を出始めている。


「ありがとう」

「お母さんっ!」

「お母さんっ!」


 叫ぶ娘たちに、母はできる限りの笑顔を向けて、手を振った。


 他にも数名が、この場所に留まった。

 行きたくても行けない者。

 足手まといに成る事を自覚した者。

 既に息絶えた子供と運命を共にする者。


 彼女たちを残し、戸は閉め寄せられた。




 できるだけ多くの人を助けたいと思った。

 弱き者を助けるべきと言う人もいるし、助けるべき人を見極めろとも言われた事もある。

 実際の所、何が正しいのかなど未だに判らない。

 そもそも、時と場合によって判断は変わるのでは無いだろうか。


 絢音は戸を閉め寄せながら、たぶん、自分は間違ってるのでは無いかと感じていた。


 洞窟が有るのは砦の西斜面で、そう遠くは無い。

 砦があった頃から貯蔵庫として利用されていた場所で、研究所の洞窟とは比べものにならないくらい狭い。

 だが、隠れるには打って付けで、何より、そこ以外の場所を絢音は思い付かなかった。


「平坦な場所を抜けて、西側の少し下がった所を目指します」


 絢音が振り返って皆に声を掛けた時、その向こうの坂の下から、何かが駆け上がってきた。

 咄嗟に腰の短刀に手を伸ばし、身構える。

 しかし、飛び出すように姿を見せたのは、まだ幼い子供だった。


「!? 誰?」


 本人にと言うより、その場にいた大人たちに問い掛ける。 


「木寅……君? 研究所の技術官の息子さんです」


 傍にいた一人が疑問交じりに答えてくれた。

 困惑の原因は、その子の髪の色と瞳の輝きか。

 とても子供とは思えない速さで駆けて来た、その子は明らかに降神状態にあった。

 驚きつつも、絢音は声を掛ける。


「木寅君? 降神しているの?」


 通常、心の弱い子供の頃に、神を降ろす事は無い。

 そもそも、降神の仕方を教えないし、自分の神霊を持っていないはずだ。

 ()しかすると、研究所の特別な存在なのだろうか。


「……」


 木寅は、にこりと微笑み、軽く首を傾げる。

 奇妙な違和感。

 絢音は先ほど木寅の名前を教えてくれた女性に問い掛ける。


「この子は、降神できるの?」


 事実、出来ている。

 それを目の当たりにして、なお、疑問を持った。


「いえ、知りません。出来るとは聞いた事が無いですし、木寅君のご両親は、術札関係の研究者です」


 その言葉を受けて、再び木寅に目を向ける。


「木寅君?」

「……」 


 返事は無い。


「解りました。木寅君、とお呼びしますね。移動しますので一緒に来てください」


 木寅は無言で、ただ少しだけ笑顔で頷いた。


「どういう事ですか?」


 先ほどの女性に、逆に質問を受ける。

 やはり、異状なのは判るのだろう。


「恐らく、ですが。誰かがこの子を助ける為に、どうにかして神を降ろしたんでしょう。その結果、本人の意識は無くなっているようです」


 皆の視線を集めながら絢音の傍までやってきた、その少年の目には迷いは無い。

 何の恐れも感じさせなかった。


 元に、戻るのだろうか?

 一抹の不安が(よぎ)ったが、絢音にはどうする事も出来ない。


「さあ、鬼が来る前に行きましょう」


 後ろを気にしつつ、それでもやや早歩きになってしまう。

 今、何かに襲われれば、守りながら戦える自信は無い。

 ()かしたい気持ちを押さえながら、自分自身にも焦らないようにと、心の中で言い聞かせる。


 移動距離は自体はそう長くない。

 ほぼ平坦な山頂部を横切り、最後に掘のような窪みに降りていく。

 そして振り返った所に、記憶に違わない、小さな洞窟が開いていた。


「ここです。皆、入って」


 返事は無い。

 先頭にいた者だけが軽く会釈して、のろのろと入ってく。


 絢音はそれを横目に見つつ、懐から札束を取り出した。

 明かりと、水を呼び出す札。

 そして、入り口を塞ぐ岩を退()ける術札。


「……」


 暫く考え、攻撃用の札も何枚か加えた。

 それを、一番しっかりしていそうな女性に託す。


「私がもう一度ここに来られるかどうか判りません。もし、誰も来なかった場合、いつ外に出るかは皆で話し合って決めてください」

「そんな……」

「これが岩を退ける為の術札。明かりと、水。それと、念の為に攻撃用の術札です」


 暗闇の中に腰を下ろした、皆の目は一様に不安に曇っていた。

 一人、木寅だけが屈託の無い顔をしている。


「私が生きていれば、必ず迎えに来ます」


 そう言って、相手の両手を握る。


「もし、……もしもの時、それでも生き残るよう、頑張ってください」


 絢音はこれから鬼と戦う為に、町へ向かうのだ。

 皆、それは解っている。


「では、閉じますよ?」


 やはり返事は無かったが、構わず、絢音は術を放った。


道返(ちがえし)


 ズオォッと地面から湧き出るように大岩が現れ、さして大きくない洞窟の入り口を閉ざした。

 この術は神気が抜けても崩れる事は無い。

 岩を割るほどの何かが現れれば、逆に一溜まりも無いが、それ以外なら長時間遮る事が出来るだろう。


 そっと岩に手を着き、何か言おうとして、何も言葉が出ずに絢音は背を向けた。


 手元に残った布は、反物を包んでいた二枚の内、片方だけだったが、それでも一応は飛べる。


「飛天羽衣」


 フワリと浮かんだそれに腕を絡めて、勢いよく滑空する。

 術の性質上、来た時よりも早く戻れるはずだ。

 まず、赤壁亭に寄って、装備の補充をしよう。

 そう考えながら、遠く眼下の町を見下ろした。

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