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第六十四話 予想

 対象の大きさが変化していると、距離感がおかしくなる事がある。

 赤い隠密は橋の欄干の上に立ち、目を細め、慎重に烏鬼たちを窺っていた。


「まだ、山頂辺りを周回してますね。大きさは(たたみ)一畳(いちじよう)ほどでしょうか」


 降神状態では五感が研ぎ澄まされ、闇夜を見通す事も出来る。

 しかし、流石に距離が離れており、何をしているのかまでは判らない。

 ただ、予想に反して烏が町に襲いかかってくる事は無いようだ。

 少なくとも、今は。


 山頂には焼け落ちた砦の跡がある。

 砦と言うより、見張り台に近いのだが、重要拠点らしく何度も建て増しがされていた。

 現在は御禁地の一部として朝廷の管理となっており、下からは見えないが、小屋が建てられている。

 その辺りで、小さな明かりが煌めいた。


「あれは……」


 誰か、居る?


 掌を翳し、更に集中しようとした視界の端に、人影が飛び込んできた。


「お届けですよぉ」


 ズシャッと重い音を立てて、大荷物を抱えた茜が、軽い声を発しつつ着地した。


「ありがとう、そこに降ろしておいてください」


 茜は赤壁亭のお仕着せである中紅花の小袖を着ていたが、降神により少し青みがかった色に変わっている。

 不器用に顔に巻き付けた布は、元が白かったのか、綺麗な青色に染まっていた。


「はい、ではここに」


 ずしっと大きな包みが二つ、橋の袂に降ろされた。


「ついでに連絡を頼みます。甲の字に、山頂で誰かが戦っているかも知れないと」


 その言葉に、茜は眉を顰めて山頂を見上げる。


「……あれは、烏?」

「ええ、騒ぎ声が聞こえたので、こちらに来るかと警戒していたんですが、あそこで誰かを襲っているようです」


 誰か、と言っても、あの場所に入り込む人間はそう多くない。

 それに、光が見えたという事は、術を使える者がいる可能性が高い。

 普通に考えれば、研究所の関係者だろう。


「お伝えしましても、今は()ける人員がいませんよ」

「そうね。解っているけど、一応お願い」

「はい。承りました」


 そう応え、茜は大地を蹴って、道を挟んだ反対側の建物へ飛び乗ると、殆ど音も無く、軽快な足取りでその向こうへと姿を消していった。


「今のが、仲間か。何を持って来たんだ」


 少し離れた所で様子を見ていた校尉が、興味半分、不審半分で問い掛ける。


「布を少々」

「布?」


 隠密の答えも、これまたおかしい。

 少々という量では無い。

 それ以前に、何故、今、布が届けられたのかが解らない。


 疑問を孕んだ目を向ける校尉はそのままに、隠密は山を見つめていた。


 烏たちは相変わらず大きく旋回しているようで、反撃の光が見えたのは一度切りだ。


 研究所の人間なら、あの程度は何とか出来る筈だが、一方的に襲われているとなると、戦えない者だけが山頂に逃げたのだろうか?

 なぜ、山を下りずに登ったのか、疑問はあるが、そうせざるを得ない事態になっていたのだろう。


 町から直接山頂に向かう道も、在るには在るが、裏山を登って幾つかの峠を越えて行く必要があり、徒歩で向かうには時間が掛かりすぎる。

 それに、茜の言った通り、こちらも人手不足だ。

 今の自分なら空を飛び、行って戻る事は造作も無いが、当然その分の霊力を消費する。

 あの場所で戦えば、町へ来る鬼を減らせるかも知れないが、他の強い鬼と遭遇した場合、孤立して戦う事になってしまう。


 反面、現在動き回っているのは活動的な、行動範囲の広い鬼だけの筈だ。

 当初伝えられた予測では、小鬼が明朝に現れる可能性があると言われていた。

 ならば、小鬼よりも移動速度が遅い鬼たちは、真っ直ぐ向かってきても、到着は明け方以降だろう。

 助けに行くなら、今の内とも思える。


「どうした? どうなっている?」


 焦れたように校尉が問い掛けてきた。

 彼には烏の姿はおろか、鳴き声も聞こえないらしい。

 つまりは、それ程離れているのだ。


「……ちょっと、行ってきます」


 持ち場を離れるのは好ましい事では無い。

 解ってはいるが、やはり、見えているのに見捨てるなど、出来ようはずも無い。

 研究所には、戦えない女性や小さな子供たちもいるのだ。


「行く、というのは、烏の鬼がいるという場所へか」

「はい。暫く離れますが、よろしくお願いします」


 可能であれば、”次”が来るまでに戻ってきたい。


「解った。よろしく頼む」


 校尉は、自分たちの為、町の為に出向いてくれるだと思い込んでいた。

 それを否定する必要は無い。

 隠密は布包みを開き、怪訝な目で見つめる校尉と兵士たちに背を向けて、折り畳まれた反物に神気を通していく。

 そして、その内の一枚を手に取ると、ぽーんっと空へ放り投げた。


「飛天羽衣」


 その言葉に応えて、フワリと浮かんだ布に両腕を絡め、残りの布包みを掴むと、隠密は大地を蹴って飛び立った。




 幸永たちは西の峠を越えた所で、足下に(わだかま)り、流れゆく負気溜りを確認した。

 同時に、右前方、湯山南山麓の端に明かりを見つけた。


「来た。研究所の神祇官たちだ」


 待ちに待った増援。

 目の前に広がる負気は甚大だが、彼らと力を合わせれば、対処できないことも無い。

 このまま挟み撃ちにするべきか、迂回してでも先に合流するべきか。


 そこで、ふと思い至った、向こうからはこちらが見えていないのでは無いだろうか。

 必要も無いので、提灯は捨て置いてきてしまった。

 もう一点、先に合流を目指して人体術札を運んでくれた仲間が、今どこにいるのか見当たらない。

 恐らく、自分たちが見つけたように、神祇官たちの持つ明かりに気付き、そこを目指しているはずだ。

 ならば……。


「大技を使うぞ。目の前の負気溜りに叩き込んで、術札で削りながら移動し、神祇官たちとの合流を目指す」

「はい」


 自分たちの存在を、仲間に知らせ、意思を持っているであろう負気の注意をこちらに引きつける。


「いくぞっ!」


 幸永は刀に神気を集めつつ、負気溜りに向かって駆け下りた。


「はあぁぁーーーっ! 豪炎地裂斬(ごうえんちれつざん)っ!」


 叩き付けるように振り下ろされた刀から炎の刃が放たれ、地面を削りながら負気溜りを切り裂いていく。

 それを追う様にして、幸永は更に剣技を放つ。


烈火襲爪斬(れつかしゆうそうざん)!」


 足下に切っ先を付け、振り上げると同時に三本の炎の爪が負気溜りに放たれた。

 負気溜りを吹き飛ばすそれは、しかし、負気の総量からすれば極々僅かに削ったに過ぎない。


天覇暴風陣(てんはぼうふうじん)!」

豪砲爆炎掌ごうほうばくえんしよう!」

極大砂流槍きよくだいさりゆうそう!」


 それぞれが、自分の使い得る中で最大の威力、範囲を誇る技を放っていく。

 人が相手であれば、普通の鬼が相手であっても、数百数千を屠って余る力が、そう広くは無い谷間に荒れ狂う。

 切り裂かれ、吹き飛ばされ舞い上がる濃厚な負気の中で、幸永は目を凝らし鬼を探す。

 負気溜りの核と成る何か、特級鬼がいるはずだ。

 しかし、少なくとも見える範囲にそれらしき物は姿を現さない。


 向かってくる可能性も考えていた。

 だが、その気配は無い。

 敵は、逃げている。


「側面から削りつつ、合流を目指すぞ! 続けっ!」


 ひとつ、確信を得た。

 向かってこない、逃げるという事は、相手は勝てないと判断していると言う事だ。

 未だ負気の総量は莫大だが、対応を間違えなければ、処理出来るはずだ。


 特級鬼が、場合によっては数匹隠れている。

 直接戦闘の為に霊力を残し、手持ちの術札を放ちながら、斜面を斜めに上がりつつ、神祇官たちの方へと向かった。




 その少し前、神祇官たちも負気溜りの川に行き当たっていた。


「なんだ、これは」


 今まで観測された事の無かった、液状の負気溜り。

 しかも、有り得ないほどの量が、西へと向かって流れていた。


「文で知らされてはいたが、自分の目で見てしまうと逆に信じられんな」


 このような事になっていると、説明されれば成る程と納得できるが、目の前の風景はあまりにも馬鹿げていている。


「これは、この量は、祓えるのか?」

「やるしかあるまい」


 研究所には非常に強力な術札がたくさん有る。

 それを使っても良いなら何とかなるかも知れないが、今の手持ちでは心許ない。

 それでも、やるしか無い。


「小鬼の大軍で無いのは、ある意味(さいわ)いだな。反撃される恐れは無さそうだ」

「それでも、運び屋と合流した方が良いのではないでしょうか」


 祓いは、数が物を言う。

 だが、目の前のこれを見逃して良い物か。

 最年長の神祇官は若い者達の意見を聞きつつ、案内をしてくれた運び屋へ目を向ける。


「どう思う?」

「……今のところ、鬼も小鬼も見えませんが、いないとは限りません。身を守る為にも、合流を目指すべきかと思います」


 神祇官は防御や回避の技術は高くない。

 技術官に至っては、殆どの者が実戦経験が無かった。

 一方的に攻撃するならば良いが、上級鬼に反撃されると損害は免れない。


「解った。そうしよう」


 見逃した負気が、何処でどうなるかは判らない。

 だが、無謀な戦いで仲間を減らす訳にはいかなかった。


「研究所は、もう近いな」


 流石にここまで来れば判る。

 昼間なら研究所の鳥居が見えるだろう。

 そう思い顔を向けた先で、小さな火柱が上がり、負気溜りに斬り込んでいった。

 勿論、離れているから小さく見えるだけで、それは柱と言うより一抱えの丸太の如き大きさを誇っている。

 その技に、見覚えがある者もいた。


「幸永殿か」


 続け様に炎が走り、轟音が鳴り響いた。

 よくは見えないが、溢れる神気から猛烈な技が放たれているのが感じられる。


「あそこだっ、()くぞ!」

「はいっ」


 強行軍で疲労は限界に近い、だが、皆いつの間にか早足になっていた。

 一刻も早く運び屋と合流し、この負気を祓って研究所に戻らなくては成らない。

 現状と、何が起こったかを確認する必要があるが、それ以上に、残った仲間たちと家族の無事を確認したい。


 気が()き、運び屋たちが放つ術に意識を取られていたその時、負気溜りの水面が大きく波打った。




「失礼します」


 そう言って入ってきた二人に、時子は驚きの表情を向けた。


「鷹利、和歌子。どうしてこっちに?」

「手伝おうと思ってね。それと、これを」


 鷹利は右手に持った大太刀を軽く掲げて見せた。


「あちらはいいの?」

「ああ、残念ながら、私たちでは役者不足だそうだ」


 その言葉に、時子の視線が厳しくなる。


「紙も持って来ました」


 和歌子は抱えていた紙束を降ろした。

 それが何を意味するかを、時子は理解している。


「はい、姉さん」


 鷹利が差し出した布包みを、片手で受け取って懐に入れる。


「今のところ、梟の鬼と猪の鬼と戦った怪我人です。先ほど鹿の鬼がでたそうですけど、そちらは怪我人無し」


 視線で示すようにしながら、現状を説明する。

 部屋の中にいるのは重傷者。

 怪我の軽い者や、逆に重い者は外に寝かされている。


「遺体は衛士さんが運んでくださっています」

「解った。何から手伝おう?」

「……鷹利は清彦と代わってくれると嬉しい。外でお腹をやられた兵士さんに痛み止めを処方してるの」

「ああ、行ってくる。清彦には中に入って貰えば良いか?」

「ええ。それと、和歌子は御湯をできるだけたくさん湧かして」

「はい。すぐに」


 二人とも、飴釜屋との付き合いは長い。

 やるべき事はすぐに理解してくれた。


 時子は和歌子の持って来た紙束を戸口の脇に置き直し、部屋の窓を開ける。


 少し先に柵が見え、その向こうに兵士たちと、山吹色の装束に身を包んだ怪しげな女性が並んでる。


「……丙種では役に立たないのに、兵士を並べるの?」


 誰へとも無く、疑問が口から漏れる。


 人を、兵士を楯にして戦おうとしている。

 その結果がこれか。


 外の様子を窺う為、窓は開けたままにして、時子は次に備える為に薬と湿布の用意を始めた。




 その問い掛けに、山吹は振り返って確認した。

 番所の窓が開けられ、その中で人が立ち去る姿が微かに見えた。


「どうしました?」

「いえ、別に」


 唄太の言葉に、曖昧に答える。


 今のは、誰?


 山吹にしか聞き取れない声で発せられた、それが意図的なのかどうか、そもそも山吹に向けられたのかも判らない問い掛け。

 だが、丙種と言っていた。


 心に引っかかる物言いだったが、それを疑問に思うなら、現状を知らない人間だ。

 町に居る隠密には、全て申し送られているはず。

 それ以外の人間となると、湯川付きである山吹にとっても、心当たりが無い。


 気にはなるが、今は目の前に集中しなくてはいけない。

 山吹は再び坂の上へと視線を向けた。


「もうすぐ、空が(しら)み始めるわね」

「もうそんな時間ですか」


 唄太には判らないだろうが、降神状態の山吹には、ほんの少し空が明るくなってきているように感じられる。

 夜明けは、本来なら小鬼の到着予想時間だ。

 もし、普通の鬼が小鬼と変わらない早さで顕れるなら、そろそろ、来る。

 勿論、普段ならそんな事は有り得ないが、今回だけは極めて短時間で人が鬼に成る可能性があると伝えられていた。

 事実、滅多に見る事が無い獣鬼が、すでに発生して町に至っている。


 白み始めてから、実際の夜明けまでの時間どの程度だっただろうか。

 いや、そもそも夜明け丁度に現れるという訳では無し。

 早くなるか遅くなるか、ひょっとしたら来ない可能性だって有る。


「だったら良いんだけどな」


 山吹は、唄太にも聞こえないように、ボソリと呟いた。

 だが、言葉とは裏腹に、ザラリとした嫌な気配を、坂の向こう側に感じていた。

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