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第五十六話 隠密

 小鞠の両親、宗泰と絢音が赤壁亭に着いた時、既に運び屋の集団は出発の準備を整えていた。


「ああ、旦那。一寸(ちよつと)行ってきますよ」


 見知った顔に、一人の男が片手を上げつつ、声を掛ける。

 軽い口調だが、その表情には緊張感が隠せていない。


「大丈夫か?」


 問い掛けた宗泰自身、何が大丈夫なのか、大丈夫で無いのか解ってはいない。


「ええ、問題ありません。後を頼みます」


 その言葉に、宗泰は顔を顰めた。

 単なる俗説だが、「後を頼む」と言い残して旅に出た者は、二度と帰って来ないとも言われている。

 何か言い返そうとしたが、言葉が出ない。


「事の詳細はまだ判ってません。俺たちは街道を上がって行くつもりですが、もし、山を越えて何かが来た場合、行き違いになるかもしれんません」

「解った。町は俺たちが護る」


 グッと握った拳を突き出す運び屋に、宗泰も拳を握ってゴツンとぶつける。


「では、行ってきます」


 他の運び屋たちも装備を(まと)い、並んでこちらを眺めていた。

 宗泰と絢音は一礼して見送る。

 皆、軽く頷く様にして応えると、足早に道を下りていった。


 刀を差して歩く事は禁止されていない。

 旅人なら槍を持っていてもおかしくは無い世の中だ。

 しかし、こんな真夜中に武装集団が街道に出ようとすれば、門前で呼び止められるだろう。

 勿論、術を使えば何とでも成る。

 だがいつもなら、赤壁亭から裏の山を越えて行く。

 敢えて表の道を行くのは、時間が無い、つまり危機が差し迫っている証拠だ。


「急ごう」


 宗泰は絢音に声を掛け、玄関を入った。

 待ち構えていたように、茜が出迎える。


「宗泰さん。奥の間へお願いします」

「ああ」


 勝手知ったる場所だ。

 草履を脱ぎ捨て、まかり通る。


「入るぞ」


 珍しく襖が開けられたままの部屋へ、声を掛けつつ入り込む。

 だが、そこに居たのは山吹だけだった。

 祭壇の片付けをしているらしく、祭器具を次の間に運びながら応える。


「ご苦労様です。父はすぐに来ます、どうぞ、腰を下ろしてください」


 落ち着いて座る気分にはなれないが、まず、話を聞かない事には何にもならない。

 宗泰は大きく息を吐き、作業の邪魔をしないように端へ座る。

 絢音が座布団を掴んで持って来た所で、弁柄が姿を現した。


「待たせてすまん。よく来てくれた」

「当然だ。何があった?」


 通常有り得ないような、異様な気配を感じた。

 呼ばれるまで待ってなど居られない。


「実のところ、何があったかはまだ判っていない。ただ、運び屋によれば、研究所に封じ込められていた負気が、解き放たれたのではないか、という話だ」

「研究所に?」


 宗泰には、銀の社や負気を封じる計画は知らされていない。

 弁柄にもだ。

 唯一知っていたのは、運び屋たち、その内の、甲種の隠密だけだった。


「先ほど聞いたばかりなのだが、研究所では全国の負気を集めて、封じる実験が行われていたらしい」

「それが、失敗したか」


 弁柄は、頷いて続ける。


「もう一度言うが、正確な所は判らない。恐らくは、と付け足されたが、巨大な負気溜りが出来ているのではないか、というのが運び屋立ちの見解だ」

「なる、ほど」


 一応は理解した。

 理解は出来たが、宗泰は呻く事しか出来ない。


「それで、対応は?」

「今夜、研究所は大規模な実験を行う為に、神祇官が出払っているらしい」


 珍しい事もある物だ。しかも、選りに選ってこんな時に。

 いや、逆にそれが原因となっている可能性も有るか?


「その実験隊にも運び屋が付いている。両方合わせればかなりの戦力になるだろう」

「ああ」


 運び屋は甲種と丙種の隠密が多く含まれる。

 言い換えれば、強い戦力を動かしやすくする為、普段から運び屋として複数国に出入りさせているのだ。

 彼らはこの近辺の主力と呼べる戦闘力を有している。


「それでも、小鬼が抜けてくる、また、鬼が発生して湯川の町まで来る可能性が高いそうだ」

「高い?」


 可能性がある、では無く、可能性が高い。


「そうだ。研究所の神祇官や、近辺の運び屋の総力を結集しても、浄化は不可能だそうだ」

「……馬鹿な」


 彼らですら不可能。

 それは、一国に配置された隠密全てを以てしても、対処出来ないと言われているに等しい。


「研究所に集められていたのは、戦乱末期、全国に在った負気溜りを集めた物らしい」

「なんて……厄介な物を」


 宗泰は吐き捨てるように言った。


「救援の依頼は出されましたか?」


 隣で黙っていた絢音が質問した。


「勿論だ。今し方、出してきた。……山津に出た小鞠にも、帰ってきて貰うよう書き添えておいた」


 現在、湯川付きの隠密の内、甲種は宗泰と小鞠のみ。

 乙種は絢音と弁柄、山吹の三人だけだった。


「この距離でこれだけ感じるのだ。相当な負気溜りであるのは間違いなかろう。早ければ明朝にでも小鬼が湯川に現れるやも知れん。……どうする、泊まっていくか?」


 明朝とは言っても、もう数刻しかない。


「いや、一旦帰ろう。装備を整えてくる」


 上級鬼相手でも、今の装備で倒せる自信はある。

 だが、大規模な負気溜りから湧き出る小鬼となると、単に力だけではどうにもならない。


「解った。よろしく頼む」

「失礼致します」


 弁柄が応えた所で、数人の男たちが姿を現した。

 町に配置されている丙種の隠密で、その内一人は、親の世代から郷司に使えている者だ。


「宗泰殿、いらっしゃってましたか」

「ああ、どうやら大変な事に成っているようだ。後でまた来る」

「はっ」


 恭しく応え、宗泰の退出を待って部屋に入る。


 宗泰はその姿を確認するように眺めた後、軽く目を閉じると、赤壁亭の玄関へ向かって歩き出した。




 彼らは非常に良く戦った。

 絶望的な状況にあって、途方も無い量の負気を打ち消した。

 だが、その実感は、(まつた)く得られなかった。


 溢れ出した負気は大きく広がり、辺り一面、濃い靄に覆われている。

 藤枝の予想した通り、液状化した物には重さがあり、ドロリと流れて斜面を下っていく。

 しかし、それを気にする余裕は、残されていなかった。


 技術官たちが作り出した強力な術札も、使用者の魂を崩壊させる禁断の神霊同化術も、研究所で開発されていた有りと有らゆる技術が投入され、そして、それら全てが尽き果てた。

 藤枝は一人、負気の川となった境内から離れ、住居の在る方へと逃れる。

 共にいた仲間たちは皆倒れ、その流れに呑まれてしまった。


「ここまでか……」


 藤枝自身、もう限界が近い。

 攻撃する力は既に無く、神霊の力で辛うじて耐えているに過ぎない。

 最早(もはや)諦め、生き残る手段を執るべきなのだが、自分の指示で戦い、そして力尽きていった者達の事を思うと、逃げるという選択肢は選べない。


 再び、強く太刀を握り直す。


 小鬼のように形作られた物なら、太刀で斬れる。

 そうやってバラす事により、祓いを行う事が出来るのだが、単純な負気に対しては、太刀を振るった所で意味は無い。

 そんな事は解っている。

 解っていてなお、太刀を構える。 


 その耳に、子供の泣き声が聞こえた気がした。


「なん……」


 ハッと振り向いたその先、黒い靄に覆われた中で、小さな男の子が一人、蹲っていた。


 なぜ、子供が残っている? 戦えない者は逃げたのではなかったのか?

 置いて行かれたのか、はぐれたのか。


 疑問を抱きつつ駆け寄り、太刀を置いて抱きかかえた。


「君は、木寅?」


 確かそんな名前だったような気がする。

 術札の技術官の息子で、そして、雲雀の弟。


「……そうか。一人きりだったのか」


 両親は実験の為、湯山に出向いている。

 そして、姉の雲雀は、夜番として、実験体の小屋がある洞窟の最奥に居たはずだ。

 そう、藤枝が居たよりも、更に奥の、銀の蔵に近い辺りに。


 藤枝はきつく目を瞑る。


 何が最良であったか、何が最良であるのか、今も判らない。

 それでも、自分たちのやってきた事の結果、自分が生きてきた結果が今、出ようとしている。


 きっと間違いが多かったに違いない。

 情けない事に、そう思ってしまう。


 でも、最後に一つ、正しい事をしたい。


「我が大神、科長戸辺命……どうか、私の、最後の願いを聞こし召してくださいますよう……」


 この辺りの負気も、どんどんと濃さを増している。

 時間は無い。


「昇神」


 藤枝の体から神気が溢れ出し、その右手に青銅鏡が現れる。

 それを即座に木寅へ押し当てた。


「降神」


 本人の意思を無視し、他者へ行う降神。

 非常に難しく、また、不測の事態が起こりやすく、皇儀では禁止されている。

 出来るという事すら、殆どの隠密は知らないだろう。


 鏡から風が吹き出し、木寅を包む。

 それは、藤枝が降神した時よりも遙かに弱い。

 神霊自体が既に、かなり弱体化している。


「どうか、どうか、お助けください」


 祈りを込めて、藤枝が呟く。

 風が収まり、木寅がゆっくりと瞼を開いた。

 その左目に、銀の光が宿っている。


「ふ、じ、え」


 途切れ途切れに、木寅が言葉を紡ぐ。


「ま……さか」


 驚愕の表情を浮かべる藤枝を、木寅は優しく抱き寄せた。

 そのまま何かを呟き、手を離すと、一目散に山の上を目掛けて駆け出した。


 見送る藤枝の頬に、一筋の涙が伝う。


「ありがとうございます。我が大神」


 神霊の加護を失った体が、急激に負気に蝕まれていく。

 しかし、それすら気にも留めず、藤枝は太刀を拾い上げると、負気の塊に向かって斬り掛かっていった。


 効果は無い。

 意味は無い。

 それでも、藤枝は黒い濁流に太刀を振り下ろし、斬り続けた。


 彼女もまた、自分がいつ力尽きたのか気が付かないうちに、倒れ伏した。

 その亡骸も、負気溜りに飲み込まれる。


 敵対する者が居なくなったのが判るのか、溶岩の様にドロドロと流れていた負気は、急激に膨張し、流れを速める。

 吹き出す黒い靄も勢いを増し、風を巻き起こしながら、森に広がっていった。




 山という空間には、道が無いように見えて、道は在る。

 常人が見ても道の有無どころか、どちらへ進めば良いのかすら判らないような場所であっても、山の民はまるで平地のように歩を進める。


 神祇官や技術官たちは、残念ながら運び屋たちに付いていく事すら出来なかった。

 だが今は、足の遅い者に合わせる余裕は無い。

 道案内に一人だけ残し、運び屋は先行する事にした。


 見る見る遠ざかっていく運び屋を見て、神祇官たちに焦りが湧く。

 それを見て取って、最年長の神祇官が注意を促した。


「焦るな。我々は神霊の力を借りて鬼と戦うが、体が動かなければそれも(まま)ならん。辿り着いたは良いが立ち上がれないというなら意味は無い。彼らを信じ、余力を持って進むのだ」


 その言葉に全員が頷くが、やはり気は逸る。

 先行した者達は、強い。

 だが、鬼と戦う事には馴れているが、大量の負気に対するなら、術者の人数が物を言う。


 先導を務める運び屋は、後ろに続く者たちの焦りを感じ取りながらも、一番早い道では無く、歩きやすい道を選んで、速さも調節する。

 歩きながら、研究所に辿り着くであろう時間差を推し量った。

 文を受けた湯川の仲間も来てくれるはず。

 このまま行けば、湯川組と自分たち、どちらかが早いか判らないくらいだろうか。


 全員が揃う、そこが勝負所だ。

 先行した者達が無理をしない事を祈りながら、足を速めそうなる自分を押し留める。

 術に長けた神祇官たちを、万全の状態で送り届ける事が自分の使命なのだ。




「郷司様」


 声は部屋の中から掛けられた。

 有り得ない事だ。

 郷司は目を開き、ガバリと起き上がる。


「何者か!?」


 闇に向かって問い質す。

 それに、意外なほど静かな声が応えた。


忠好(ただよし)にございます」

「忠好?」


 声は確かに忠好だ。

 だが、郷の主帳(さかん)である忠好が夜間に来訪する時は、先ず、取り次ぎの者が声を掛けてくるはずだ。


「火急の、隠密の事でございましたので、外の者には眠っていただいてございます」

「なんだと?」


 それは、どういう事だ。

 理解できない事柄が、幾つかある。あるが、それより先に聞かなくてはいけない。


「火急、とは何か。何か事が起こったか」

「はっ。北方、湯山の麓にて、大量の負気が沸き起こってございます。程なく、前例の無いほどの小鬼が発生する物と考えられます」

「なんだと!?」


 暗闇に目が慣れてきた。

 忠好と思しき男は、部屋に入ってすぐの所に平伏している。


「貴様、その知らせは誰から受けた?」


 国軍や近隣の村からの連絡なら、ちゃんと手順通りに伝わってくるはずだ。

 それを飛び越えて、主帳がいきなり部屋に現れるのはおかしい。


「皇儀の隠密にございます」

「は、……なんとっ!?」


 ひれ伏した忠好は、更に頭を低くして言葉を続ける。


「父の代より、郷司様にはご恩を賜り、本日に至るまで御前に奉仕する事をお許しいただきました。ですが、我が忠義は皇の字にございます」

「貴様……皇儀の犬か」

「はい」


 親の代から使えてくれた部下が、朝廷から送り込まれた内通者だったとは。

 驚きと共に、悲しみに似た感情が沸き起こる。

 だが、今、重要なのはそこでは無い。


「その正体を明かしてまで、伝えねばならぬ事態なのだな」

「はっ」


 正体を伏せてこその隠密。

 今後、彼はここには居られなくなる。

 それを覚悟の上で、伝えに来たのだ。


「解った。貴様の忠義、感謝する」


 それは自分に向けての物では無いという、だが、郷を護る為、その忠義は発揮されたのだ。


「詳細を聞こう、近う寄れ。それで、儂に今、何が出来る」


 郷司は居住まいを正し、忠好を呼び寄せる。

 事は、郷の存続に関わるかも知れない。

 だが、どう対応するべきか、情報が無ければ判断が付かない。

 忠好が自分に声を掛けたという事は、やって欲しい事があるのだろう。先ずはそれを訊く。


「仲間の隠密が既に対処に向かっておりますが、勝ち目は無いとの事でございました」

「うむ」


 仲間の隠密が居たのか。

 勿論、それを問い質すつもりは無い。

 それよりも、彼らの手助けが必要だった。


「勝てない、と」

「はい。小鬼は、早ければ明朝には湯川に現れます。郷司様には、一刻も早く軍を動かしていただきたく、こうしてご無礼を(つかまつ)りました」

「解った、すぐに動こう」


 応えて腰を起こす。


「町にも隠密の術者を配置してございます。近隣からも駆けつけるよう、既に手配が為されてございます」

「それはありがたい」


 鬼を相手にする時、皇儀の術者ほどありがたい助力は無い。


「それでも尚、防ぎきれないやも知れません」

「なん……だと?」


 立ち上がった郷司は、そのまま立ちすくむ。


「前例の無いほどの小鬼、その数、万は下らないであろう、との事でございます」

「なっ、馬鹿な!」

「更に、強大な負気溜りにより、鬼が発生する可能性が高く、場所柄、獣鬼(けものおに)が出るとの推測を受けてございます」


 普段、獣は鬼に成りにくいと言われている。

 鬼に成るには、何らかの強い意志、執着が必要になる。

 故に、鬼は人型が圧倒的に多い。

 反面、極まれに姿を見せる獣鬼は、獣本来の身体能力と本能を以て人に襲いかかる。

 それは通常の鬼を上回る驚異だった。


「取り急ぎ、国司様にご助力をお求めください。皇儀の隠密からの言であると、明かしてくださって構いません」

「相分かった」


 息を飲み、改めて事の重大さを噛み締める。


「郷司様」

「まだあるのか」


 ひれ伏した忠好は顔を上げて訴える。


「本日までのご恩、この命に代えて返させていただきとう存じます。もしお許し頂けますなら、今暫く、御身の傍に奉仕する事をお許しください」

「……願ってもない。よろしく頼む」

「はっ」


 忠好は今一度深く頭を下げると、立ち上がり背後の襖を開けた。


「解」


 廊下で寝てしまっていた不寝番が、ハッと目を覚ます。

 そこへ郷司が声を掛けた。


「火急である。軍の校尉と隊長、それと衛士長を呼んでくれ」

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