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第五十二話 日暮れ

 練武場で仲間に槍の稽古をつけていた唄太は、一息吐いて汗を拭った。

 一旦休憩と言い残し、水を飲みに自分の荷物まで移動した所で、ふと視線を感じて顔を上げる。

 川向こうでは、ある意味予想通りの少女が、腰を下ろしてこちらを眺めていた。

 唄太が自分に気付いた事が嬉しいのか、ニコッと笑って手を振る。

 仲間に見られてるかなと、少し気になったが、唄太も軽く手を挙げ応えた。

 それに満足したらしく、小鞠は軽く勢いを付けて立ち上がると、川下の方へ向かって歩き出した。


 そう言えば、山津に行くと言っていたな。


 昨夜の事を思い出す。

 確か、北の方からの依頼と言っていた。

 山津はそう遠く無い、だが、女が一人で向かうの不用心な気がする。


 ぴょこぴょこと弾むように歩く小鞠を、唄太は暫く眺めていた。


「伍長。あれ、こないだの娘ですよね、赤飯の」

「ああ」


 背後から声が掛けられたが、視線はそのままにして答える。


「結局付き合ってんですか?」

「ああ、そうなりそうだな」


 振り返りつつ、苦笑する。


「えぇーっ、マジっすか」

「へぇ、おめでとうございます」

「なに? 何の話?」


 いつの間にか、仲間が集まってきていた。


「何だよ、お前らまで」

「いやいや、伍長こそ何ですか。詳しく聞かせてくださいよ」

「今の子って、誰です? みんな知ってんですか?」

「あー、こないだね、伍長に赤飯渡してたんっすよ」

「マジかっ!?」


 騒がしくなってきた。

 唄太はとりあえず、一番騒がしい男の頭をガシッと掴む。


「元気そうだな、休憩はいらんか」

「うぇぇ、ちょっと、なにするんっすか」


 唄太は笑顔で言い渡す。


「休憩終了。続きをやるぞっ、全員、槍を持って整列っ!」


 今日はこの季節には珍しい好天で、風も穏やかだ。

 体を動かすには丁度良い。

 唄太は自分の槍を取り上げると、一度だけ小鞠が去っていた方に目をやったが、もう既にその姿は無かった。




 術札の形式は色々あるが、現在、皇儀が使っているのは、祈祷の形を札に込めた物である。


 札の上方に祈祷対象の神名と神璽、中程に祈祷内容を表す言葉、主に術の名前が記され、一番下に祈祷者の名と印が押される。

 それは、どういう神霊に、どのような内容を、誰が祈祷しているかを現しており、神霊の前で記された通りの祈祷を行って、札に”祈祷そのもの”を込めている。


 これにより、術の発動を願った時に、時間を掛ける事無く、祭壇や供え物、神器すら無い状態で、超常の現象が引き起こされる。


 隠密の秘技の内、最も多様性があり、最も多用される技術である。


 しかし、欠点もある。

 第一に、全ての術札は一度切りの物で、紙札木札は使用すると塵となる。

 銀器、青銅器を術札として使用した場合、器は残るが、再度術を込めなければならない事には変わりない。


 第二に、術の威力は、神霊の力よりも祈祷者の霊力に依存する。

 つまり、力の強い神霊に祈っても、強い術札が出来るとは限らない。


 第三に、使うのは一瞬でも、実際には制作時に時間を掛けて祈祷を行っている訳で、祈祷の準備等も考えれば、簡単に補充はでき無い。


 第四に、器の質に因って、込められる霊力の限界があり、それが術の威力の限界となっている。


 他にも、札を破損してしまうと発動しないなど、細々とした問題もあるが、今回の実験では第二、第四の問題に挑む事になる。


 第二の問題に関しては、複数人で同じ祈祷を行う事により、大きな力を込める事も出来るが、第四の問題により、結局は限界に突き当たる。

 勿論、様々な実験が繰り返されてきたが、現在は銀の杖に十六人拝みが最高となっていった。


 そこで、その記録を塗り替えるであろう、人体術札の実験である。


 用意された実験体の胸元に神霊の名が記され、神璽が押される。

 腹に術名が記され、下腹部から神祇官たちが各々の名と印を記していく。

 その数三十名。

 下腹部だけでは収まらず、若い神祇官は太股の辺りにまで書き込んでいた。


 それは、供え物でもあり、依り代でもある。


 八咫鏡と呼ばれる大鏡と実験体を並べ、その前に米、酒、餅を始め、海産物や野菜果物などが供えられる。

 清められた供え物の霊力と、祈祷者たちの霊力を神器に押し込み、心太(ところてん)式に神霊の霊力を術札に注ぎ込んで、その中に”祈祷している状態”を作り込む。


 研究所の総力を結集した大実験ではあるが、術式自体は難しくも無い。


 日が暮れる前には、初めての人体術札が二体、完成していた。


「さて、どんなものかな」


 術札の技術官、雲雀の父はその術札を前に呟いた。

 ここまでは予定通り。

 問題はどの程度の威力で術が発動するか、札に使った実験体にどれほどの負担が掛かるか、そして、再利用は出来るのか、だ。


 技術官付きの女官が、二人を大きな白布で(くる)みだした。

 ここから先、身分の低い雑使が関わる事は無い。

 包み終わった術札は輿(こし)に載せられ、外へ運び出された。

 一旦、神社の本殿内に納め、今夜中に北の湯山を目指して出発する予定になっている。


 発動実験に参加する者達は、急ぎ準備に取りかかっていた。




 日が西に傾く頃、小鞠は山津に着いた。

 そこは勝手知ったる故郷(ふるさと)だ。

 だが、変わってしまった事もある。


 かつて小鞠の住まいしていた家は、お椀などの木製品を扱う店に成っていた。

 恐らく、近隣の木地師の元を回って商品を仕入れ、店で売ったり、国府や他方へ卸しているのだろう。


 知らない顔だけど、丙種か、丁種の隠密かな。


 目が合った店主に軽く頭を下げて通り過ぎる。

 まだ若い。向こうも小鞠の顔は知らないようだ。


 何とも言えない、寂しさとも違う、悲しみとも違う、奇妙な感情が胸に淀んだが、それを振り払うように、足早に今日の宿へと向かった。

 明日には運び屋が追い付いてくる。

 今日中に町付きの隠密に顔を通して、依頼の件を伝えておいた方が良いだろう。

 あと、時間があれば、舟屋の高峯の所にも顔を出しておきたい。


 そう考えていると、ふと、唄太の顔が思い出された。

 訳も無く口元がほころび、ちょっとだけ足が軽くなった。




 勝手な言い分だが、雲雀はミヤとミクの部屋が空になったのを、ミヨたちには知られたくなかった。

 他の雑使からも同意が得られ、暫くは、手前の部屋に二人がいるかのように振る舞う事になった。

 勿論、いつかは知られる事だと、解ってはいる。


「焼き魚は美味しかったですか?」

「ん、まぁ」


 切り身とは言え、鯛の塩焼きなど普段は食べる事が出来ない。

 実験体と言われているが、食事に関しては雑使よりもかなり優遇されている。

 それでも今日程の日は今まで無かった。


「ミヤとミクは、どう?」


 ミヨが二人の事を聞いてくるのは、初めてかも知れない。

 経験上、そろそろかと考えているのだろうか。


「意識は戻ったけど、心は戻って無いわ」


 この答えは雑使の間で統一している。

 意識は戻っているのだが、一切の反応はない。それ自体は嘘ではない。


「……そう」


 ミヨは一旦視線を落とし、ゆっくりと、睨み返すように雲雀を見た。


「頼みたいんだけど」


 ミヨが頼み事など、珍しい。

 小さな驚きを覚えつつ、雲雀は聞き返す。


「なに?」

「私もいつか、そうなるかもだけど、そうなったら、出来ればすぐに殺して欲しい」

「どうして!?」


 雲雀は思わず声を大きくする。

 部屋の隅で膝を抱えていたミナも、ガバッと顔を上げた。


「助からないなら、いっそ楽にして欲しい、そう思う。お願い出来る?」


 雲雀は息を飲んだ。

 返事が出来ない。


「やだ……、そんなのやだ」


 ミナが四つん這いになって、ミヨに近付く。


「ミヨちゃんまでいなくなったら、私やだ」


 縋り付くように、ミヨの手を取る。


「うん、解ってる。もしそうなったらの話」


 でも、二人とも、自分もいずれそうなるのだと思っているのだ。


 ミナはミヨの胸に顔を埋めて、グウゥッと呻くように泣き出した。


 結局、雲雀は返事が出来なかった。

 夕食の片付けを終えると、いつものように声を掛け、部屋を出る。


「もし、私が実験を成功させたら、一緒にここを出よう」


 ミヨは優しくミナの頭を撫でた。

 かつてこの部屋にいたお姉さんたちが、自分にしてくれたように。


「私は、諦めてない。私は、私たちは生きてここから出るんだ」


 小さく拳を握りしめ、自分自身に言い聞かせるように言葉にした。

 その胸の中で、ミナは別の言葉を呟いた。


「最初から、ずっと、私たちだけ、誰にも見つからずに居られたら良かったのに」




 蕎麦掻きという料理は、粉にした蕎麦を湯で練って食べる物だが、この村ではそれを団子状にして、鍋に入れる。

 中には牛蒡と人参が練り込まれており、今となってはご馳走の部類だ。


 クツクツと音を立てる鍋を囲み、男たちは顔を突き合わせていた。

 一部の者は、何時に無くギラついた目を見せている。


「余計な事はせん方が良い。今は、やっと生活が出来るようになっただけでも感謝するべきだろう」


 だがその言葉に賛同の声は上がらない。


「お前は、今の暮らしで満足か? 昔みたいに戻りたいとは思わんか」

「いやあ、満足はしとらん。だがな、お社から物を盗んで、この村を捨てて割に合うんか?」


 皆の懸念する所は、そこだろう。


「死にはしない程度の暮らし向きだが、追われて死ぬよりかはマシだろう」


 誰しもが、身に()みてそう思っている。


「で、銀が余るほどあるってのは、確実なのかい?」


 一人が守貴に向かって訊いたが、答えたのは重蔵だった。


「あの女はそう言っていた。隠し立てするようでも無く、騙そうとしている風でもなかった」

「そりゃあ、そんな嘘を吐いても得するこたぁねえからなぁ」


 寧ろ、悪い連中に目を付けられかねない。


「ただ、何にどれだけ使って、どれほど余ったかは見当が付かん」

「雲雀さんは、五粒持ってたけど、あれで全部だと思う」


 粒銀五つでは、小判一両の一割程度の価値にしか成らない。

 それは、命を掛ける程の金額では無いだろう。


「他の連中も同じだけ持ってたなら、結構な量だろ」

「いや、普通に考えりゃあ、他の者はもっと貰ってるはずだ」


 それは希望的観測だが、そう見当違いでは無い。

 身分的に見て雲雀は最下層であり、受け取る手当も他よりは少ない。


「まあ待て」


 村長が声を上げ皆を静める。


「目当ては配られた銀では無い」


 居並ぶ男たちの表情を確認するようにしながら、言葉を続ける。


「銀五粒だとして、五十人居れば二百五十匁だ。つまり小判なら五枚分に成る」


 一人のコソ泥が狙うなら、十分な金額だが、やはり村の命運をかける額では無い。


「重要なのは、それが余った量だという事だ」


 重蔵は黙って頷き、その他大勢は騒めいた。


「雲雀さんからは何を作っていたのか聞き出せませんでしたが、作った銀製品は神社に納められているはずです」


 そうで無ければ、態々こんな山奥に銀を作り替えてまで運び込む必要は無い。

 何の目的で、何を作ったかは判らないが、軽く二百五十匁の銀が余るほどの物であるのは間違いない。


「それに、銀を大量に運び込んでいたって言っていました。見て判るほどの量が持ち込まれていたのでしょう」


 騒めきは収まらず、そこかしこで小声が交わせる。


「せめて、何が作られたか、どれほどの物があるかだけでも確認できないか?」

「色々と、とは言っていたけど、たぶん雲雀さんが知らないのは本当だと思いますよ。そうなると忍び込むか、他の誰かに確認するか」

「いや、それは駄目だ」


 重蔵は異を唱える。


「お社の連中だけなら或いは、だが。今は例の祭りの為に運び屋連中が来ている。昼過ぎに半分ほどが帰ったようだが、残りはまだ上に居るはずだ」


 先日、村人全員に言い渡されたように、あの連中には気を付けなければならない。

 重蔵自身も、残念ながら相手の方が上手(うわて)であると自覚している。

 とても忍び込める状況では無いし、聞き込みも出来ない。


「なら……」 


 コンコンコンコン。


 誰かが意見を述べようとしたその時、窓が鳴らされた。

 素早く重蔵が立ち上がる。


「なにか?」

「明かりが……かなりの数、既に十を超える数が見えます。まだ増えてます、恐らく行列が来ます」

「解った、すぐ中に入れ」


 指示を出してから、村長の元に駆け寄り、報告する。


「それは……、問題の運び屋どもがお帰りか?」

「そう思われますが、しかし、何故この時間なのか」


 到着が日没後に成る事はあり得る。

 立春を過ぎたとは言え、まだ日は短く、予定通りに村にたどり着けない事はよくあった。

 だが、日没後に出発するのは、通常有り得ない。


「ともかく、まずは様子を見よう」


 そして先日のように、料理を椀に装い、遅い夕食が始まった。

 それぞれに蕎麦掻きを口にしながら、外の音に聞き耳を立てる。


「……!」


 重蔵はすぐに異変に気が付いた。

 村長に目配せすると、視線を返される。

 互いに、気付いていると頷き合った。


 最初はザワザワと乱れた足音が、最後の方はザッザッザッザッと規則正しい足音が、街道の方にでは無く、村を横切り西へと向かって行った。


 足音が完全に聞こえなくなってから、村長は自ら立ち上がり、窓を開けて行列を確認した。

 恐らく、こちらが見ている事に向こうも気付くだろうが、構わない、寧ろ覗き見ない方が怪しいだろう。


「おかしいですね」


 背後から重蔵が声を掛ける。


「数が多すぎます」

「前半は、お社の奴らだったな」

「はい」


 足並みを揃える事のしない、普通の集団だった。

 逆に、後半は一定の速度、一定の歩幅で歩いていた。

 複数人で荷物を担ぐと、歩みが乱れると荷が揺れて余分な力が掛かる。だから、運び屋は速度だけでは無く、歩みを合わせる。


 遠くに明かりが見える。それは特に、列の前半に多い。


「後ろの運び屋は、恐らく昨夜から来ていた残りです。ただ、前半分、お社の連中でしょうが、……やはり、多いですね」


 お社と、その周辺に住んでいる関係者、全員合わせたぐらい、下手すればもっと多いかも知れない。


「どこからあんな人数が……。それに、あれも祭りの続きなのか?」


 詳しくは判らない。

 だがしかし。


「何にしろ、これは好機かもしれん」

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