第四十八話 粒銀
「結構な距離、離れてたはずだ。尋常じゃねえよ」
胡座をかいた男が、吐き捨てるように言った。
「特に、あの機織機の組み立てをしてた奴、彼奴が一番気持ち悪い。何やってても、ずっとこっちを睨み付けてるみたいだった」
「考え過ぎじゃあねえのか。そんな風にゃあ見えなかったけどなあ」
隣りに座った男が、囲炉裏に掛かった鍋をかき混ぜながら、自分の感じたままを述べる。
村に新しく導入された機織機の、組み立てを指揮していたのは、顔立ちの美しい女性だった。
作業を見つめるフリをしながら、その姿を盗み見していた男は、彼女が殆どよそ見などしていなかった事を知っている。
「お前にゃ判らんだろう。目の向いている方だけ見てるって訳じゃねえんだ。意識がどこ向いてるかが問題なんだよ」
「そんなもんかね」
言われても、意識の向きなど、判るはずも無い。
普通なら戯言と聞き流す所だ。
だが、同席していた男たちは、先の男の意見を重く受け止める。
「重蔵が言うんならそうなんだろう。お社の連中はともかく、そこに出入りしてる……運び屋、か? 彼奴らは気ぃ付けた方が良い。堅気の人間じゃない可能性もある」
上座に座った男が、眼光鋭く一同を見回し注意を促す。
「堅気、ねぇ」
「寧ろ、堅い所の連中じゃねえですか?」
囲炉裏を車座に囲んだ他の男たちが、顔を見合わせそんな事を呟く。
お堅い所、つまり朝廷に関係する何かではないかと思ったのだ。
「お社は、神祇官の直接管理だろう。十分有り得る」
一同が沈黙し、ただ、芋の煮られるグツグツという音だけが暫く辺りを支配する。
皆、同じ事を考えているのだろう。
沈黙に耐えかねた、先ほど鍋をかき混ぜていた男が口を開く。
「俺たちの事、感付かれたか?」
「いや、ない」
隣の男、重蔵が否定する。
「いつも来る運び屋は、こちらが何処に潜んでいても、真っ直ぐ睨んでくる。忍びを見つめ返すってぇのは、気付いているという意思表示だ。もしこちらを観察するつもりなら、全く気付かないフリをするはずだ」
「ああ、そういうもんか」
「少なくとも、今んところ彼奴らがこちらを調べている様子は無い。寧ろ向こうが、自分たちの事を詮索するんじゃねえぞって、意思表示をしているんだ」
ふうっと、上座の男が息を吐いた。
「解った。ならばこそ、だ。彼奴らを探るのは止めた方が良かろう。藪を突くと蛇が出る。儂の直感も込みだが、まず間違いなく碌な事にゃならん」
その判断に異論は無い。
向こうが、ちょっと調べてみようと言う気に成っただけで、自分たちの命運が尽きる可能性もある。
「重蔵、すまんが暫く大人しくしといてくれ。なるべく村を通る奴とも顔を合わせるな。儂も気を付ける」
「はっ」
重蔵は居住まいを正し、頭を下げる。
コンコンコンコンッ。
再び静まりかえった部屋に、素早く四回、壁を叩く音が聞こえた。
即座に上座の男と重蔵が視線を絡ませる。
小さく頷いた重蔵は、音も無く立ち上がり窓辺に動いた。
「なにか?」
閉ざされたままの窓に向かって問い掛ける。
返答は聞き取れるギリギリの声で返された。
「明かりが見えます。お社の方から、誰かが下りて来ているようです」
重蔵は僅かに首を傾げ、上座に移動して事の次第を報告する。
「明かり? こんな時間に?」
日没から既に一時、こんな時間帯にお社から人が来るのは初めてだ。
「明かりを点けて、という事は、隠れて探りに来た訳じゃあ無いでしょう」
「だな。……おい、芋を器に盛って配れ、飯にしよう。外の者も中へ入れろ、普通にするんだ」
「はい」
応えて重蔵は窓辺へ向かう。
囲炉裏端に積まれていた椀に芋煮が装われ、下から手渡しで配られる。
戸が開かれ、外で見張りをしていた若い者も中へと入ってきた。
「ご苦労。そこへ座れ。皆、折角の食事だ、もう少し楽しそうにしろ」
急にそう言われても、話題に困る。
互いに顔を見合わせる。
「まあ、食え」
「はっ」
「頂きます」
「頂戴します」
各々に応えて、器を取った。
「ああ、味噌があるのは良いねえ」
「まったく、味噌と醤油は本当に助かります」
「今年は梅酢も作れるだろうし、梅肉も手に入るだろう」
「おお、それだ、瓶を買って来にゃならん」
食事に対する一言から、急に話題が広がった。
最初は芋を焼いただけ、それだけでもご馳走だったのだ。
昔のような、毎日米を食える生活には程遠いが、底は過ぎたのだと実感できる。
笑い声が一つ起こった所で、戸が小さく叩かれた。
「……どなたかな?」
一番近くに座っていた男が、腰を起こしながら問い掛ける。
「あの、夜分に恐れ入ります。上の社に務めている雲雀と申します。守貴さんは……あの……」
「守貴?」
男が応えながら振り返る。
その視線の先、上座の男の隣りに居た若者が、軽く驚いたような顔をして立ち上がる。
「守貴はおるよ。ちょっと待て」
引き戸が開けられると、小さな明かりを持った若い女が、不安げな表情でそこにいた。
一同が僅かに騒めく。
失礼だとは解っていても、騒かずにはいられない。
「雲雀さん? どうしたの?」
守貴は草履を引っかけるようにして表に出ると、立ち止まって後ろを確認する。
全員の視線が向けられているのを理解すると、顔を逸らし、そっと戸を閉めた。
「……なんじゃあれは、守貴は、いつの間にあんな、お社の女と?」
質問を向けられた上座の男、村長にして守貴の父でもある人物は、首を左右に振った。
「いやいや、儂も知らん。……いや、なんと言うか、いつの間に、上手い事やった、のか?」
その言葉には、感心と驚きが込められている。
村に、お社の女に声を掛ける者がいるとは思わなかった。
なんと言っても、こちらはお社の助けを得て、何とか自給しているところなのだ。
「お社の女に手ぇ出して、大丈夫なのか?」
当然の疑問が起こる。
「どう、だろうかな。何とも言えん」
村長は椀を床に置き、考え込む。
「……何とも言えん。そもそも、何の用事があって来たかも判らん、早合点は良くなかろう。暫く様子を見よう」
何とも言えんを繰り返した村長に、他の者たちも何とも言えなかった。
「夜分遅くにすみません。お願いしたい事があって……」
言いながら、声が小さくなる。
日が暮れてから女が男の家を訪ねるのは、あまり良いことでは無い。
雲雀もそれは解っている。
「大丈夫だよ。どうしたの? なにかあった?」
「あの、急ぐような事じゃなかったのですけど……、昨日いただいた飴を、私も買いたいなと思って、もし良ければ、一緒に、あの、湯川まで……」
俯きながら、そして時々小声になりながら、話す雲雀自身、本当に急いで会いに来るような用事では無かったと後悔する。
「飴を、買いに?」
ほら、守貴も呆れている。
心の中で呟いて、雲雀は赤面し、言葉に詰まる。
ミヤとミクは、いつどうなるか解らないが、それはこちらの都合だ。
だからといって、夜中に押しかけるのはどうかしている。
「僕の方はいつでも大丈夫だけど。雲雀さんは、お社の方は良いの?」
予想に反し、雲雀の不躾な願いに対して、守貴は柔らかな応えを返す。
夜分、突然訪ねた事を責める風も無い。
「良いんですか?」
「え? 何が?」
「あの、夜中に急に来て、こんな事、失礼だったかと思ったんですが」
雲雀の心配を、守貴は笑って飛ばす。
「そんな事ないよ、頼ってくれて嬉しい。流石に、ちょっとびっくりはしたけどね」
「……ありがとうございます」
雲雀は深く頭を下げ、話し始めた。
「お社の方に、小さな女の子たちがいるのですが、中に、もう長くない子がいるんです」
「へぇ」
守貴は僅かに驚きの表情を見せる。
ただ、俯きながら喋っていた雲雀は、その事には気が付かない。
「その子たちの事を考えていたら、ふと、あの飴の味を思い出して、それで……」
雲雀がふと顔を上げると、守貴は視線を逸らし物思いに耽っているようだった。
そのままの姿勢で言葉を紡ぐ。
「それは、こんな時間に来たって事は、本当にもう急ぐ必要があるって事だね」
守貴は雲雀に向き直り、真っ直ぐ見つめ返した。
「ちょっと待ってて」
返事を待たず、踵を返して屋敷へ向かった。
戸を開けた瞬間、中から声が上がったが、守貴はそれを制して、すぐに戻ってきた。
その手には、見覚えのある小さな桶が有った。
「これを、持って行って。食べかけだけど、そこは許して欲しい」
「ええ? でも、これは、守貴さんの、……貴重な物なんじゃ無いですか」
思いもしなかった申し出に、驚いて問い掛ける。
桶飴が幾らするのか、雲雀は知らない。
だが、今の村の情勢では、おいそれと買える物では無く、丸ごと人に譲るような物でも無い事ぐらいは判断できる。
それはただの甘味では無く、風邪を引いた時などにいただく、栄養食品であり、薬でもある。
「大丈夫、僕はまた買ってくるから」
また、買ってくる、程のお金があるのだろうか。
守貴は優しげに微笑んで、雲雀の手にそっと飴桶を載せた。
「急ぐんだろ? ここは遠慮しないで。雲雀さんにはいつもお世話になってるしね」
「では、せめてお金を……」
雲雀は飴桶と手持ち行灯を足下に置き、巾着を開く。
「ああ、いいよ。開封済みの飴でお金をもらう訳にはいかないだろ」
「そんな、流石にそれは」
お金に困っているのでしょう? とは言えない。
しかし、事実、困っているはずだ。
「せめて、せめて半分の代金だけでも受け取ってください」
巾着の中には、もう一回り小さい巾着が入っている。
それを開いて、中身を右手の平に転がした。
「ええっと、あの、お幾らなのか分からないのですが、足りますか?」
その銀色の輝きを見て、守貴は一瞬息を飲む。
「銀?」
「ええ、すみません、普段、あまりお金を持って無くって、手持ちがこれしか無かったんです」
普段は、そもそも買い物などしない。
必要な時に、必要な分だけ銭を受け取っている。
「銀なら、一粒で十分だよ。半額を超えてる。お釣りをだそうか?」
「そんなっ! 納めておいてください」
驚いた雲雀に、守貴は戯けたような笑みを浮かべる。
「ふふっ、冗談だよ。解った、今回はこれで」
言いながら、銀を一粒つまみ上げる。
その笑顔を見ても、雲雀はまだ不安そうだった。
「本当にそれで良いんですか?」
本当はもっと高価なのでは無いか?
そう思っていた。
「んー、そうだね。今度、一緒に湯川に行こうか」
「え?」
「さっき誘ってくれただろ? 飴屋さんも案内するよ。僕はいつでも良いから、時間が出来たら教えて欲しい」
「あ、はい。よろしくお願いします」
巾着を持った手をギュッと握り、雲雀は頭を下げた。
守貴は一旦屋敷に戻って提灯を持ちだし、お社の近くまで雲雀を送っていった。
帰ってくるまで随分と時間が経っていたが、最初に集まっていた男たちは、そのままの座で待っていた。
「守貴ぁ、あれは一体どういう事だ? 付き合っとるんか?」
詰め寄る小父を片手で制し、まずは父の隣に座る。
「その前にこれを見てくれ」
銀の粒を、村長の手の上に載せる。
「これは……?」
一見すると、小さな金属の塊。
村長は囲炉裏の火に翳すようにして、それを確かめる。
「食いかけの飴の代金にもらった」
「銀……か?」
囲炉裏を囲んでいた全員が響めく。
まるで綱に引かれたかのように、一斉に体を村長の方に傾けた。
「銀だと?」
「どれ、ちょっと見せてみろ」
「まあ待て」
村長は言葉だけで皆を押さえ、初老の男に声を掛ける。
「おい、長治」
「はい」
「見てくれ」
「はい。失礼します」
長治は丁寧に両手でそれを受け取ると、手の甲を床に付けるようにして観察する。
更に左手の平の上に置き、右手の人差し指で衝いて転がす。
「新しいですな。見た事の無い刻印が打たれてる事からして、ごく最近の物に間違い有りません。重さは一匁ですな」
銀はすぐに黒ずむ。銀本来の光沢を放っているこれは、作られてまだ日が経っていない。
粒銀は正式な硬貨では無く、略式貨幣。
本来の銀貨は四角く鋳造されているが、粒銀は溶かした銀を板の上に落し、刻印を打っただけの簡単な物である。
戦が終わった後、今の皇帝が急遽作らせた物だろうと考えられた。
「そうか」
確認してもらいはしたが、村長も同じ見解だった。
返された銀を片手で受け取り、それをもう一度翳してみてから、守貴に返した。
「良いんですか?」
思わず守貴が聞き返す。
「お前が受け取ったんだろ、お前の物で構わん」
それ自体は問題では無い。
「最近は、銀も流通しているのか?」
村長は再び長治に問い掛ける。
「いやぁ、どうでしょう? 町に出る機会が少ないので何とも申せませんが、少なくと、湯川や山津辺りでは全く見かけませんでしたな」
「山津でもか」
つまり、この辺りには流通していない。
「皇都山都では判りませんが、貨幣として使う物ではなく、取引や、銀そのものを動かす為に作ったのでは無いでしょうか」
「と、言うと?」
「銀は基本的に関税が掛かりますが、個人が財布に入れてる分は目溢しされます。それで、何人かに手分けして、関所を脱けさせる手立てがあります」
「成る程、解った」
朝廷は、銀貨では無く、銀そのものを流通させたいのだろう。
実際には貨幣として使われないから、庶民の手には届かない。
「そうすると、あの娘が持っていたのは、……お社に納められているのか?」
「神社に銀を供える事自体はおかしくありませんが、あの銀は不自然ですな。それに、物の対価として普通に差し出した事も奇妙です」
村長と長治は共に考え込む。
先ほどまでそわそわしていた一同も、黙ってその光景を見守っていた。
「一度、お社に物を渡す時、米や塩じゃなく、銀が貰えないか聞いてみるか?」
「それは止めておきましょう。銅ならともかく、銀と言うとこちらが怪しまれます。それに、銭でいただくより、物でいただいた方が割が良いように思います」
お社は、本来の価値より高く麻製品を引き取ってくれている。
物々交換では無く、銭での取引となると、正規の金額になるかも知れない。
「そうか、気には成るが……、そうだ、守貴。結局のところどうなんだ? あの女はどういう関係だ?」
再び自分に話題が戻ってきて、守貴は溜息まじりに苦笑すると、雲雀の事と、先ほどの遣り取りを話し始めた。




