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第四十七話 雲雀

 雲雀はそろそろ良い歳なのだが、男性に声を掛けられた事は無い。……無かった。


 身近に居るのは研究所の若手だが、彼らの殆どは中央の神祇官や地方の大社の子弟である。

 ここで研究を手伝いながら、知識と経験を身に付け、いずれ本来居るべき場所へ帰っていく。

 当然、妻になるべき人物も、そちらで探すのだろう。

 あとは雑使や、他方からの使いとしてくる者、依頼を受けてくれる近隣の隠密たちくらいだ。


 雑使の仕事は、基本的に汚れ仕事が多い。

 神祇官や技術官の身の回りの世話、炊事やお茶出しは、まだある程度、身綺麗な者が行う。

 一般的な掃除、洗濯、(ごみ)や汚物の処理の他、荷物の運搬や実験の準備、片付け、そして実験体の扱いなども仕事の内である。

 中でも、雲雀たちの主任務である、実験体と称される子供たちの世話は、非常に嫌われる仕事だった。

 とても、恋愛対象として見られそうに無い。


「三十八番と三十九番は、やっぱり駄目(だめ)みたい」


 申し送りの際、同僚の咲子がそう言った。


「意識は戻りませんでしたか?」


 雲雀の問い掛けに、悲しそうに首を振る。


「目は開いたんだけど、中身が……」


 魂の破損に()ると思われる、精神崩壊。


「動く物にも反応しないし、あうあうあーとも言わないし、食事も無理、とりあえず今は御湿(おしめ)を付けて寝かせてるだけの状態、だね」


 雲雀も眉を顰める。

 今まででも、一番状態が悪い。


重湯(おもゆ)も無理でしたか」

「流し込んでみたけど、入ってんだか入って無いんだか、殆ど零れるし、たぶん、()せる事も出来ないんじゃ無いかなぁ」


 つまり、もう時間の問題だ。


「また、二人だけになりますね」

「ああ、三十七番もだけど、三十四番は辛いだろうな」


 息を吐き、二人して俯くが、何時までもそうしている訳にはいかない。


「三十七番は奥の部屋に移ってもらって、今は三十八番と三十九番を手前に寝かせてる。御湿はさっき換えたとこ、奥の御虎子(おまる)も洗っといたから、あとはよろしく」

「はい。ありがとうございました」


 向かい合って一礼。

 咲子は大きく伸びをしながら去って行った。

 この後、報告書をまとめ、非番に入るのだろう。

 雲雀は改めて、手前の部屋へと向かった。


 ここへ来ると、恋愛などに(うつつ)を抜かす、そんな余裕は無くなってしまう。


 実験体の部屋は、所謂(いわゆる)座敷牢に似ていた。

 洞窟の奥深くなので窓が無いのは当然だが、板戸を開けて中に入ると、木の格子で区切られている。

 中に明かりは無く、雲雀が持つ小さな灯火が、その格子の影を部屋の奥へと映し出した。

 二人が眠っているはずだが、寝息すら聞こえない。

 雲雀は手持ち行灯(あんどん)を床に置き、錠前を外して中へ入った。


「入りますよ」


 格子戸を潜りながら声を掛ける。勿論、返事が無いのは解っている。

 二人とも暗闇の中でも目は開いたままの状態で、ただ、ぼうっと天井を見つめていた。


三八(みや)ちゃん、三九(みく)ちゃん」


 名を呼びながら顔を覗き込んでも、ピクリとも動かない。

 聞いた通り、ということだ。


 部屋は畳の六畳間と、二畳の板間。

 板間になっている右奥に、小さな流しと水瓶が置いてある。

 左奥には衝立があり、その先が厠、と言っても床に穴が空いているだけで、その下に御虎子が置いてある。

 一応、蓋が付いてはいるが、匂いの籠もった部屋は、決して良い環境とは言えない。


 雲雀は水瓶の水を替え、二人の御湿を確認しただけで部屋を出る。


 陰鬱な気持ちが、重く伸し掛かる。

 深い溜め息を吐き、もう一つの部屋へと向かった。




三七(みな)ちゃん、三四(みよ)ちゃん」


 こちらの部屋には明かりが灯されていた。

 雲雀が入るとミヨは顔を上げたが、ミナはミヨの膝に顔を埋めたまま動かない。


 雲雀は一度目を閉じ、自分を落ち着かせてから格子戸を潜る。


「どうしたの、ミナちゃん」


 勿論、どうしたのかなど、解っている。

 だが、他の言葉が思い付かなかった。

 ゆっくりと顔を上げたミナは、涙でぐちゃぐちゃになった顔で、雲雀を睨み付ける。


「どうして……っ」


 縋り付くように、雲雀の裾を掴む。


「どうしてっ、ミヤちゃんとミクちゃんが……っ」


 言いながら、俯き、泣き崩れる。


 ミナにとって、ミヤとミクは初めての妹分だった。

 無関心だったミヨとは対照的に、積極的に世話を焼き、遊んであげていた。

 その結果がこれだ。


「大丈夫よ、二人とも、まだ大丈夫」

「嘘だよっ!」


 ミナは顔を上げ、ギッと睨み付けてくる。


 ああ、嘘だ。

 多少の違いはあれども、人が魂の破損から復帰する事は無い。

 その実験も、何度も繰り返されてきた。

 咲子の言う通り、あの二人は、じきに衰弱して死に至るだろう。

 その前に、何かしらの実験に使われるかも知れない。


「大丈夫。本当に、二人とも、まだ生きてるから……」


 そんな言葉を口にする雲雀を、ミヨが黙って見つめている。

 彼女は何も言わない。

 よく解っているからだろう。

 ミヨがここに来た頃には、まだ二十番台の実験体が生きていた。

 そう考えれば、ミヨが見送った人数は、もう十人近い。


「ミヤちゃん……、ミクちゃん……」


 雲雀の服から手を離し、ミナ二人の名前を呼びながら床に蹲った。

 その肩にそっと手を置くが、バッと振り払われる。


「いやだ……あんなの、いやだ」

「ミナちゃん……」

「ミコちゃんも、ミムちゃんも……、あぁぁっ!」


 腕を振り回し暴れ始めたミナをなんとか抱き竦めようとするが、必死に抵抗して、雲雀を叩き、蹴る。

 少し距離を取っていたミヨが、呆れたような溜息を吐き、冷めた目で口を開いた。


「だから言ったじゃん。結局こうなるんだって。私も、あんたも、最後は気が狂って死ぬんだよ」


 ビクリと震えたミナが、ゆっくりと振り返る。

 その視線から、ミヨは目を逸らした。


「いやだっ! いやだよ、どうして……」


 再び、ミナが雲雀に縋り付く。


「どうして、こんなぁ、うわぁあああーん」


 泣き叫ぶ少女に、掛ける言葉は無い。

 雲雀はその場に座り込み、ただ、抱きしめていた。




「ご飯、ちゃんと食べてね」


 随分長い時間泣いていたミナは、疲れて果てて眠ってしまった。

 部屋の脇には、手付かずの朝食が、そのまま残っている。

 食べる気になれなかったのだろう、それは解るが、食べなければ生きていけない。


 雲雀の言葉に、ミヨはぽつりと応える。


「どうして、私はまだ生きているの?」


 なぜ、一人、生き残っているのか。

 なぜ、後から来た子供たちの方が、先に死んでいくのか。


「私は研究者じゃないから解らないわ」


 試されている実験の内容に因るのかも知れないし、相性が良い神霊に当たっているのかも知れない。


「生きて、ここから出られる可能性は有るの?」


 その言葉に、ミナへ向けていた視線を上げる。

 何時も無表情なミヨの顔に、明らかに不安が浮かんでいる。


 雲雀は目を閉じ、ゆっくりと考える。

 そんな可能性は、あるのだろうか?

 少なくとも、前例は無い、筈だ。


「もし……、実験が成功したら、もし、神霊がミヨちゃんの中で安定して存在できるなら、出してもらえるかも知れないわね」


 答えた雲雀に、ミヨは暗い目をしたまま、更に問い掛ける。


「私が成功したら、他の子も、その子も助けて貰える?」


 実験はもう必要無くなるのか?

 実験体は解放されるのか。

 答えは、否だ。

 一つの実験が成功しても、また他の実験が行われる。


「そう……ね。実験が、完全に成功したら」


 しかし、雲雀は嘘を()いた。

 そもそも、実験の完全な成功が、一体どういう物か雲雀には解らない。

 有り得ない希望を示してみせるのは、酷な事だろうか。


「……そう」


 小さく応えたミヨは、そっと俯いた。




「雲雀。前にも言ったが、あれらを名前で呼ぶのは止めた方が良い」


 泣き声が煩かったと、他部署から苦情が入ったらしい。

 雲雀は上官に呼び出され、叱責を受けていた。

 そうは言っても、形だけの叱責で、上官に雲雀を責めるつもりは全く無い。

 寧ろ、少し心配している部分もある。


「同情も過ぎると、自分を傷つける」

「解っては、いるのですが……」


 雲雀の上官に当たる藤枝(ふじえ)は、女性雑使だけではなく女官全体の取りまとめをしている。

 本来はただの雑使にまで気を遣う身分では無いのだが、性分なのだろう、つい一人一人に声を掛け、話を聞き込んでしまう。

 彼女の言う、同情しすぎると自分を傷つけるは、自身の体験談かもしれない。


「あの、降神の実験は、どうする事も出来ないのでしょうか」

「うん? かわいそうだから、止めてくれとでも言ってみるか?」


 それは無理だろう。

 研究を取り仕切る技術官は、人的犠牲が出る事を前提に実験を進めており、上はそれを認めている。


「あの実験は、どうしても必要なんですね」

「……色々あるんだよ、外の世界には」


 ずっとここに居る雲雀には、判らない事が。


 戦乱期。

 各陣営に雇われた術者たちは、野良の呪い師だったり、神祇官崩れだったりが殆どだったが、中には皇儀からの裏切り者や、古い術式の流れを汲んだ者もいた。

 その、ごく一部の異常な強者が末期には猛威を振るっており、中には皇儀の隠密でさえ、一人では対処が難しい者も居た。


 それらの経験を元に今求められているのは、一般の隠密に対しても秘密とされる、より強い力である。

 いずれ訪れる、次の戦乱を収める為に、何時現れないとも限らない、恐るべき裏切り者に対する為に。

 何十人という犠牲を払ってでも、新しい術が必要だった。


「……だと、してもか」


 四十人近い数の犠牲を出して、成果は無い。

 藤枝も、この実験には疑問を感じていた。


 ふうと息を吐き、藤枝は首を振る。


「先の、三十八番と三十九番の件だが、術札の技術官から、使わせて欲しいとの要請があった」

「お父様の?」

「そうだな」


 雲雀の父は、術札の研究を進めている技術官だ。

 特に、戦用と呼ばれる高威力の術札を、さらに強化する方法を日々模索している。


「何に使うつもりですか」

「さあ、知らん」


 藤枝が知る事では無い。

 だが、確かに、一体何の実験を行うつもりなのか。


「傷を治す類いか、……まさか、魂の修復なんて出来やしないだろうしな」

「魂の、修復?」

「いや、すまん、思い付いて言っただけだ。……すまん、期待するな」


 余計な希望を与えるのは、酷な事だ。

 藤枝は常々そう思っている。


「実験の内容は私の範疇外だから、聞く事は出来ん。気になるなら、親父さんに直接聞いてみる事だな」

「……はい」


 話はそれだけだと、藤枝は雲雀を下がらせた。

 彼女の仕事は事務が多い。

 一人になって息を吐き、自ら茶を淹れる為に席を立った。


「難儀な事だな、誰も彼も」


 雲雀が去って行った後を見ながら、何とも無しに呟く。

 藤枝はここ数年、研究所内の息苦しさが増しているように感じていた。




 世の為、人の為、この研究所は新しい技術を開発している。

 そう教えられてきた。

 だが、本当に、人の為になっているのだろうか。


 生まれ育ちに恵まれており、そうである事にすら気付かない者は、聞かされる世の不幸には実感が伴わない。

 技術官たちが、そして皇儀が、より強い力を求め続ける理由が、戦乱を知らない雲雀には、想像し得なかった。

 それよりも、目の前の、泣いている少女を助けたいと思ってしまう。

 これは悪い事なのだろうか。


 非常に、心が疲れた。

 ふと、あの優しい飴の味を思い出す。

 あれを、あの子たち、ミナとミヨにも食べさせてあげたい。

 もう、味も分からないのかも知れないが、ミヤとミクにも。


 雲雀は、今度は二人で会いたいと言ってくれた、守貴に思いを馳せる。


 あの言葉は、男女の交際的な、そんな誘いだろう。

 ただ、二人きりで会って、何をしたら良いのか、雲雀には考えつかなかった。

 そもそも交際経験が無く、他人のそういう話も、あまり聞いた事が無い。


 湯山に行きたいと、誘ってみても良いものだろうか?

 彼が飴を買ったという、そのお店を案内して欲しいという理由で。


 雲雀は覚悟を決めかねて、また溜息を吐いた。


 まず、やるべきとをやろう。

 この後は、ミナとミヨの夕食の用意と、ミヤとミクの様子の確認に行かなくてはいけない。

 特にミヤとミクは、水すらちゃんと飲んでくれているのか判らない。

 雲雀はパンッと自分の両頬叩くと、足早に歩き出した。




 その日の夜。

 雲雀は父に、術札の研究について質問してみた。

 特に実験体の事とは言わなかったが、察してくれたようだった。


「木で作った札でも、十人拝みが最大だった。今までの結果、それ以上祈祷者を増やしても、効果の上昇は起こらない」


 木寅は既に寝ている。

 母は気を遣ってくれたのか、そっと席を外した。


「結局は神器と同じで、その器に収まる分しか入らない。まぁ、当たり前だな」


 そう言って、父はフッと笑う。

 雲雀は術札について勉強した事は無いが、幼い頃からある程度話を聞いていて、理解している。

 器の限界に関しては、昔からの懸案だった。


「あくまで、実験として、人一人分の魂が入る器で、術札を作ってみてはどうかと言う案が、以前からあったんだ」


 雲雀は目を見開く。


「まさか、それは……」

「強大な神霊を降ろした御杖代は、魂が溢れ出して戻らないとか、魂が穴だらけになっているとか、言われているな」

「あの子たちを、術札にするつもりなんですか、お父様」


 耳を疑いたくなるような話だった。


「まぁ、そういう事だ。……理論上、神霊をそのまま納めたかのような強力な術札になると推測されている。今まで発動しなかった術が、使えるかもしれないんだ」


 言っている事は解る。


「それで、あの子たちに負担は?」


 それが、雲雀にとって最も重要な事だった。


「無いとは、言い切れない。だからこそ、もう助からないのが確実な実験体を使う事になったんだ」


 もう、助からない。

 それも解っている。


「……」


 雲雀は言葉も無く俯いた。

 父もそれ以上何も話さない。

 そもそも、雲雀の仕事は実験体の世話であり、その使用方法に意見を言う権利は無い。


 雲雀は黙ったまま一礼し、そのまま部屋を出た。




 技術官たちは、自分のやっている事に正当性を感じているのだろうか。

 だとしたら、羨ましい。

 雲雀は、自分が正しいとはどうしても思えなかった。


 水を一杯飲み、息を吐く。

 その冷たさが、頭の奥にスウッと染み込んでいった。

 目も冴えていた、このまま眠れそうも無い。


 暫くの逡巡のあと、巾着を手に取って、雲雀は麓の村を目指し歩き出した。

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