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第四十四話 七年前

「儂が思うに、天狗の音が鬼の村まで届いているのは間違いない。戦いがあった事に、逃げた仲間が殺された事に気が付いたのなら、残った鬼の対応も変わってこよう」

「そうですね……。もし、鬼の親方が言った通り、非常に弱い鬼が一匹だけしか残っておらず、他が小鬼と負気溜りだとしたら、逃げられても気が付かないかも知れません」


 聞いた通りであるなら、その一匹の負気は誤差程度でしかない。


「たしか、善良で、何の力も無い、でしたか?」


 小鞠が思い出すよう言葉にする。


「本当にそうなら、もし湯川の町に現れても、弁柄が対処できるでしょう。逆方向、八坂道の方へ逃げたのだとしたら、山の中ですね」


 八坂道は美湯国の西側、八坂川に沿って出来た道で、八坂国の国府を経て北へ抜けている。

 そこへ至るには険しい山を抜け、大きな川を渡る必要があり、鬼であっても簡単では無いだろう。

 今晩中に街道へ出て、八坂国へ入るのは難しいと思われる。


「山の中に(ひそ)まれると、追うのも面倒ですねぇ」

「銀の管を持って逃げられると厄介ですが、それでも、危険度は、特級鬼の方が上だと思います」

「ではやはり、そちらが優先か」

「はい」


 御大の言葉に、しっかりと答える。


 実際の所、特級鬼自身には敵意も害意も無かった。

 だが、あれは人を鬼に変える。しかも、善意で。

 放置すれば鬼が増えるのは鬼の村も同じだが、特級鬼は普通の隠密では対処できないほど強い。


「しかし、報告通りなら、姿を消す上に、負気まで感じられんのだろう? どうやって探す?」


 その問い掛けに、沈黙が答える。

 事実、あの特級鬼を見つけ出すのは非常に困難だ。

 更に、発見できても、逃げられれば追跡する事はほぼ不可能で、戦っても倒せない可能性が高い。

 実のところ、どうする事も出来ないのだ。

 それでも、黙って見過ごす訳にはかない。


「現状では対処は難しいかも知れませんが、情報だけでも集めたいと思います」


 探す方法には答えられない。

 芹菜の発言は、出来ればやりたい事、だ。


「唯一見つけられそうなのは、一緒にいるはずの、清彦ちゃんと柘榴ちゃんですね」


 俯き加減の小鞠が、誰へとも無く言った。


「それも、町を出られると捜索は難しいぞ」


 御大の言は、ごもっとも。

 だからこそ芹菜は、今夜はなるべく町を離れたくなかった。

 しかし、それは今更だ。


「できる事は、なるべく早く戻って、町と街道を調べるぐらいでしょうか」


 芹菜の言葉に、今まで黙っていた衛士長が応える。


「だろうな。後は、各所へ報告と……、結局、頭数が増えるのを待ってからか」


 先ほどの戦いの後始末、鬼の村への対応、特級鬼の捜索、どれも人手があった方が良い。

 結局、これが結論か。


「コマさん、今の内に報告を飛ばせますか」

「はい、出しておきましょう。少し遅れても、更に人を回してもらえるかも知れません」


 小鞠は懐から札束を、腰袋から矢立と折った紙を取り出した。


 そちらは小鞠に任せておけば良いだろう。

 芹菜は改めて御大に問い掛けた。


「川崎屋さんには、幾つか訊いておきたい事があるのですが」

「ああ、構わんよ。答えられる範囲で良ければな」


 体は前に向けたまま、視線だけを芹菜に移す。

 顔には僅かに笑みがあった。


「穢れた銀を運び出し始めたのは、いつ頃からですか?」


 予想していた質問とは違ったのだろう。

 問われた御大は、軽く瞬きをする。


「まだ運び出してはおらんよ。小さく分けて、この奥の蔵に隠してある」


 チラリと、小鞠がこちらを窺ったが、すぐに視線を戻して文を書き続ける。


「武具や道具もあると聞きましたが」

「それも、それぞれ隠してある」


 互いに視線を合わせ、探り合う。


「銀の社は負気に(まみ)れていました。あの部屋から出せば、私には感じ取れるはずですが」

「ほう?」


 まるで面白い事が起こった様に、御大が声を上げる。


「成る程、すると、清らかな銀も負気を通さんのだな」

「え?」


 またしても、芹菜の知らない言葉が、知らない物が出てきた。


「それは……」

「基本的には同じ考えによる物だ。神気を含んだ銀の箱になら、神気を溜めておけるのでは無いかという事だな。その考えで作られたのが、清らかな銀だ」


 思わず小鞠の方を見る。

 小鞠と衛士長も驚きの表情でこちらを見ていた。


「穢れた銀と違い、まだ実験段階だったのでな、その実験施設、清らかな銀の蔵が作られた所だった」


 皆が驚いた事が嬉しいのか、御大は、悪戯っ子の様に笑みを浮かべて説明する。


「穢れた銀の蔵の中にはまだ負気が残っている。長時間の作業には向かんので、穢れた銀を(たがね)で割って、そちらに運んで加工しておるんだよ」

「なる、ほど」


 幾つか分かれ道もあった、小鞠も知らない施設があってもおかしくは無い。


「では、穢れた銀が、鬼の手に渡った可能性は、無いでしょうか?」


 芹菜は、核心の質問をする。


(くだん)の、鬼が持つ銀の管。それは、穢れた銀ではないですか?」


 芹菜の言葉に、小鞠と衛士長は息を飲む。

 御大は睨むように目を細め、暫し考えに(ふけ)った。


「……ない、とは思うが」


 自問するように、言葉にする。


「七年前、事が片付いた後、蔵を閉じたのは儂だ」


 御大は視線を畳に落とし、ゆっくりと確かめながら話し始めた。


「穢れた銀の蔵も、清らかな銀の蔵も、(かんぬき)(おと)しが掛かっているが、実は鍵穴から鍵を差し込んでも、動かせん。金属を動かせる術者でないと、開ける事は出来んのだ。無論、無理矢理こじ開けられた痕跡は無かった、が」


 ふと、顔を上げる。


「金性鬼なら、開ける事が出来たかもしれんな」


 そう言われて思い当たったのは、親方と呼ばれた鬼の事。

 しかし。


「親方は、他の鬼から銀の管をもらって、それで鬼に成ったと言ってませんでしたか」


 木こりの村で戦った、火性鬼の言葉を思い出して芹菜が言った。


「その、元の持ち主が金性鬼なら(ある)いは、ですが」

「いや、待て。そもそも、彼奴(あやつ)が鬼に成ったのは戦乱の続いた時期、十年以上前では無いのか?」


 御大の言葉に、皆が考えに耽る。


「いつ、とは聞いていない、でしょうか。ただ、七年前は近すぎる気がしますね」


 小鞠は首を傾げ、天井を見るように呟く。

 芹菜も、銀の管をいつ手に入れたか、聞いていないように思う。


「思い過ごし、か」


 銀の槍で鬼を突けば、血が噴き出したかの様に負気が散る。

 恐らく普通の銀の管を小鬼に突き刺したら、同じように負気が散るはずだ。

 だが、穢れた銀で作った管なら、負気を漏らさず吸う事も出来るのではないか、と思ったのだが、考え過ぎだっただろうか。


「もっと、前、か」


 今度は御大が天井を見上げた。


「……心当たりが?」

「いや、心当たりなどは無いが、そもそも、ここの施設は戦の頃よりもっと前からある。穢れた銀の実験がいつから始まったのか、儂も知らんのだよ」

「つまり、戦乱の時代には、穢れた銀自体は既に存在しており、誰かが持ち出した可能性もある、と」

「あくまで可能性だが、無きにしも非ずだな」


 一瞬の沈黙の後、芹菜と御大は(そろ)って溜息を吐いた。


 まあ、考えても仕方の無い事だったかもしれない。

 物のついでに、質問してみる。


「それで、その穢れた銀は、持ち出して大丈夫なんですか? ここに封じておいた方が良かったのでは」

「それを判断するのは儂らではないよ。お偉方の考える事だ」


 それはそうだろうと、思ってはいた。


「また、負気を封じる実験を?」

「いや、恐らく武具だろう。特に鎧と楯だ」


 楯は手に持つ物では無く、戦場(いくさば)で棒などに立て掛け、矢を防ぐ物である。


「上級鬼の放つ術は、神霊の術と同じように、負気が物質化、現象化する物だ。負気を通さない穢れた銀なら、普通の銀より効率よく防げるかも知れん、という所だろう」

「なるほど」


 納得ができる答えだ。

 実際に効果が発揮されるなら、助けになるかも知れない。


「武器の方も、負気を通さないなら効率よく断ち斬れる、という判断らしいが、こちらはなんとも、だな」


 それはあくまで推測である。


「銀の鎧で、鬼と戦えるとは思えんなぁ」


 衛士長はぼやくように言った。

 確かに、いくら防御力が高くとも、動きを制限する重い鎧は使いたくない。


「武器も、清らかな銀の方が斬れそうな気がするんだが」


 現状、鬼に対して最も効果が高いのは、神気を纏った攻撃だとされている。

 単純に考えれば、衛士長の言う通り、清らかな銀の方が斬れそうに思えた。


「さっきも言った通り、清らかな銀に関しては、まだ研究も始まっていない。当初の目的の、神気の貯留が本当に出来るのかすら分かっていない段階だ」


 芹菜は、その言葉に引っかかりを覚えた。


「穢れた銀で、負気を封じる事は出来なかったんですよね?」


 なら、清らかな銀で神気を溜め込む事も出来ないはずだ。


「いや、それは出来ていた」


 御大は()も当然のように応える。


「七年前、その実験が失敗したのではないんですか?」


 小鞠から聞いた話とは違うと、つい強い口調になる。

 だが、御大は落ち着いて応えた。


「勘違いしているようだが、あれは当時、既に実用化されていた。実験の失敗などではなかったのだよ」


 再び、視線が天井を泳ぐ。


「尤も、儂もその場にいた訳ではない。知らない事の方が多いが……」






 凡そ、七年前。

 同所、皇儀隠密湯山研究施設。


「実験は失敗だっ!」


 技術官の叫びと共に、全員が一斉に動き出す。


「あああああぁっ!!」


 奇声を発し、釣り上げられた魚のように飛び跳ねていたた少女は、失禁し、口から泡を吹きながら動きを止めた。


「息が止まっています!」


 駆けつけた女性が叫び、胸の上に置かれた巨大な青銅鏡をどける。


「出来れば蘇生させろ。生きていれば他の実験にも使えるだろうからな」


 技術官は、あくまで実験体として、その少女の扱いを指示した。

 女性は一瞬嫌な顔をしたが、すぐに「はい」と応えて人工呼吸を始める。

 儀式を執り行っていた神祇官たちは、無言のまま控え室へと下がり。その他の者は、周りの祭器具の確認と、片付けに取りかかっていた。


 強力な神霊を利用する実験で、人が壊れるのはよくある事だ。

 いつの間にか、殆どの者がそれに慣れていっていた。


「失敗ではあったが、年若い方が馴染みやすいという仮説は否定できたんじゃないのか」

「ああ。それはそうかもしれん。結局、実験体の資質なんだろうなぁ」


 実験結果について話す二人の技術官も、本来は神祇官である。

 才能と運に恵まれ、皇儀の裏側、隠密として、新しい技術の開発に勤しんでいた。

 しかし、結果は芳しくない。


「資質と言えば、あれは()(ごと)無い辺りの血を引いてるって話じゃなかったのか」

「血筋じゃないんだろう、資質ってのは。もしくは、話が嘘だったかだ」


 御杖代、人を神の依り代である”杖”とする実験は、失敗が多い。


 現在、皇儀の者が行う降神は、自身の霊魂の上へ神霊を載せるもので、その力を自在に使える様にはなるのだが、計算上、もっと強い力が出せるはずだった。

 昔ながらの、原始的な降神の方が、明らかに強い。

 だが、人の中に神を降ろした場合、その霊魂には大穴が空き、ボロボロになってしまう。


 この研究所では、より強く、より安定的な降神の研究、試案、実験が繰り返されていた。


「理論上は、どんな人間でも柱に成り得る筈なんだけどなぁ」


 勿論それは机上の空論なのだが、彼らはそう思っていない。


「俺としては、霊獣の研究も進めてみたいな」

「霊獣?」

「ああ。あれは野の獣が神霊と一体化した物である可能性が高い。その研究から、人と神霊の合一に関しても、新しい観点が見つかるかも知れん」

「おお、面白いな」

「だろ?」


 楽しげに話す二人に、少女の救命作業を続けていた女性が声を掛ける。


「息っ、吹き返しました!」

「おお、ご苦労。誰か力のある者、あれを運んで、洗ってやってくれ」


 雑使(ざつし)に指示を出し、二人は今後の実験について話しながら、部屋を後にした。


 救命処置を行っていた女性、雲雀(ひばり)は、手ぬぐいで自分の口元を拭った後、泡を吹いていた少女の口元も、そっと拭いながら呟いた。


「まだこんな、小さな子供なのに」


 恐らく、六つか七つくらいの、非常に痩せ細った少女。

 ここに来てからは良い食事が与えられた筈だが、肉が付く前に実験に使われる事になった。

 それでも、息を吹き返しただけ、まだマシだったのだろうか。


 雑使の男性に抱え上げられ、運び出されるその少女を、雲雀は無言で見送った。


 雲雀の両親はこの研究所に務めており、ここで出会い、結婚し、家庭を持った。

 だから雲雀は、産まれた時からずっとこの施設に居る。

 世が乱れ、戦で荒廃していた時代にあっても、直接それを見る事はなかった。


 一応、医学薬学の勉強は(おさ)めたが、特に能力がある訳ではない彼女は、ここでは雑使、つまり雑用係として、主に実験用の少女たちの管理を任されていた。

 そして数年、同年代だった者は既に居なくなり、いつの間にか、自分より随分と年下の少女たちの世話をする様になっていた。


 先ほど脇に除けた、神霊の依り代である大きな鏡を祭器係の雑使に渡し、机の上、少女が漏らした跡を雑巾で拭く。

 他の掃除はそれぞれ担当がいるので、簡単に片付けを済ませると、さっさと部屋を出た。

 次に向かうのは湯殿である。


 まだ幼い子供だから大丈夫だろうとは思うが、意識のない少女を男に任せると、嫌らしい悪戯をされる事が偶にある。

 全ての人間が、志を持って研究に勤しんでいる訳では無いのだ。


 雲雀はいつの間にか小走りになり、洞窟の入り口へと向かった。

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