第四十二話 拠点
「今すぐ小鬼が湧くような事はなさそうだな」
御大は辺りを見回しながら言った。
非常に多くの負気が広範囲に蟠っているが、所謂負気溜り状態には、まだ成っていない。
力を残したままの中級鬼がそれなりの数居たはずだが、天狗のお陰で負気は大分散っている。
「今は、ですが、明日の朝までとなると判りません」
芹菜は自分の意見を述べる。
負気溜りは、普通の人にも黒い靄のように見える。
その状態には至ってないが、負気を肌で感じられる程度には、濃い。
これほど多くの負気があれば、いずれ纏まって、小鬼を生み出すようになるのは間違いない。
「もう少し散らすか? 祓い札は幾つある?」
「……七枚です」
「こちらは十枚ですね」
芹菜に続き、小鞠も答える。
術札を持っているのは、後は御大だけだ。
「儂も十枚だな。これだけあれば充分時間稼ぎにはなるが、どうする?」
祓いは、負気を拡散させるだけで、消す訳ではない。
ここで全てを使ったとしても、広範囲に広がる事で、一時的に薄くなるだけだ。
「出来れば残しておきたい、ですが……」
中途半端に使っても無駄になりかねない。祓いを行うなら確実に効果が出せる数の札を使用するべきだ。
しかし、この後、何が起こるか予想が付かない上に、今日は体力も霊力もかなり消耗してしまった。
少ない霊力で、高い効果を発揮する術札は、非常時にこそ重宝する。
特に汎用性が高い祓い札は、使い切りたくない。
「私たちの札で祓いますので、芹菜さんの手持ちは温存しておいては如何でしょうか」
芹菜の考えを見越し、小鞠が提案した。
特級鬼と接触した時、最も生き残る可能性が高いのはやはり芹菜で、その手元に札を残しておきたいと考えての事だろう。
「そうさせて頂いてもよろしいですか?」
「構わんよ。儂は国府まで戻れば備えがある。術の発動も儂がやろう。恐らく、最も余力があるはずだ」
「お願いします」
一礼して、息を吐く。
小鞠や花梨に比べ、御大と衛士長、清人は、あまり術を使っていない。力の余裕はあるだろう。
ただ、衛士長は霊力の土台が小さく、清人は初めての降神で、この後、強い疲労感に襲われる事になるはずだ。
祓い札は、御大に任せるのが良いだろう。
「私たちは一旦離れましょう。ここは負気が強すぎるので、生身では負担になります」
この場で降神を解けば、負気の影響を受ける。
「南へ行くと良い。ここの真南に拠点がある」
御大の言葉に、一瞬小鞠が目を見開き、問い掛ける。
「どういう事ですか?」
「昔の拠点を、今も使える様にしてある。泊まれるように布団も置いてある」
芹菜にとって、それは好都合。
そこで一旦休息し、今後の行動を決めようと考えた。
しかし、疑問も湧き起こる。
なぜ、こんな場所に、皇儀隠密の拠点があるのか。
芹菜の思いとは別に、小鞠が声を上げた。
「あそこは、閉鎖された筈ですが。布団がある、泊まれるとはどういう事ですか?」
声に、僅かな怒気が含まれている。
「運び出す物があるのでな、色々対応できるように取り計らった」
「はっ、運び出す? あれを!?」
「他にも色々、だ。膨大な研究資料と素材が放置されたままになっておる、勿体ないと思わんか?」
芹菜には会話が見えない。
ただ、二人の間では、あれと言う言葉で通じる物があるらしい。
「思いませんっ! あれの所為で、どれほどの被害が出たと思っているんですかっ!」
小鞠の両手が、微かに震えているのが見えた。
意味は解らないままであるが、どれほどの被害がという一言に、ピンッと閃く物があった。
咄嗟に、芹菜は会話に割って入る。
「ちょっと、良いですか」
「ああ」
興奮気味の小鞠に対し、御大は実に落ち着いている。
落ち着いて見せている様にも思える。
「何があったかは解りませんが、とりあえず、使える拠点があるんですね」
「ああ、問題ない。先に行って、休んでくれて構わんよ」
「助かります」
このまま、この話題を続けるのは、良くない気がした。
芹菜は話を打ち切らせ、拠点へ向かうよう、皆を促す。
「行きましょう。そろそろ降神を解かないと、霊力の消耗が大きくなり過ぎます」
小鞠の背中に、衛士長がそっと手を添える。
一旦視線を合わせるが、言葉は交わさず、小鞠は下を向いた。
そのまま、札束を取り出し、祓い札を選り分けると、御大ではなく、芹菜に手渡した。
それを受け取りながら芹菜は、小鞠と衛士長、それと、花梨と清人の表情を窺う。
今まで、小鞠と御大に確執があるようには見受けられなかった。
この先にある拠点、あれと呼ばれる何かが、小鞠にとって非常に重大な意味を持っているのだろう。
衛士長は小鞠に同情的。
清人は不安げで、少し戸惑って見える。
花梨は……無表情、だが、今までの感情が感じられないそれとは違い、少し、怒りが滲んでいるような気がした。
僅かに、殺気を孕んでいる?
芹菜は無言で札を御大に手渡し、視線を南へと向ける。
「目印はありますか?」
「真っ正面の道を登っていけば良い。その突き当たりだ、迷う事は無いだろう」
……?
隠密の拠点が、道の真正面、突き当たり?
「この村は、隠密の、皇儀の関係する村だったんですか?」
「いや。ここは余所者の、戦で追われた流れ者の村だよ。ただ、それが出来る前から、あちらに皇儀の施設があってな、それに付随して人も暮らしていた。結果、まあ、色々あったようだ」
拠点、では無く、施設?
しかも、隠していないのだろうか。
いや、ここは御禁地なのだから、本来隠してあったはずだ。
腑に落ちない、が、問いただすような場面では無い。
「分かりました。では、後ほど」
「ああ」
芹菜は後ろの四人に視線を送り、坂を下り始めた。
広場だった所から南に道が延びていたのは確認している。
山に入る為の道だと思っていたが、先ほどの話通りなら、拠点か施設かに向かう道だ。
歩きながら、四人が付いてきている事を確認する。
会話は無い。
行きすがら、天狗の着弾点を確認し、木々の薙ぎ倒された山へと向かった。
「北東、炭小屋の方に反応がありました」
阿子が天井を見上げるように呟いた。
弁柄は近くの卓の上に置いていた地図を引っ張って、畳の上に広げる。
「北東……これか」
炭焼き小屋は村の四方に点在している。
その内の一つ、飴釜屋に近い場所を指さした。
「出て行ったのか、入ってきたのか……」
鬼の探索の為に急遽張った術で、最低限、町を取り囲むのが精一杯だった。
そこを通過した事は判るが、どちらへ向かって移動したかまでは判らない。
弁柄の指した所に添うように、阿子も指を置く。
「位置的には、小屋の向こう側です。もし、炭小屋に隠れていたなら、外に移動した事になると思いますが」
もしそうであるなら、だ。
目当ては特級鬼と、鬼に成ったかも知れない柘榴だが、他の鬼や小鬼が掛からないとも限らない。
そちらの場合は、村へ向かって侵入してきてる事になるだろう。
「何にしても、確認しない訳にはいかん。……阿刀、留守を頼む」
「はい」
一人で行った場合、自分が死ねば後が無くなる。かといって、二人とも連れて行けば、赤壁亭に何らかの連絡が来た場合、対応できない。
弁柄は阿子だけを連れて、裏山へ向かう事にした。
「炭焼き小屋なら、隠れるには丁度良いな」
炭焼きの時期は冬だ。
奥地の小屋なら、山に入った折の休憩に使う事もあるだろうが、町に近い小屋に立ち寄る者は、あまり居ない。
そこに隠れて夜を待ち、動き出したのだろうか。
阿子の言う通り、町から離れて行っているのだとして、柘榴が既に鬼に成ったのか、それとも、鬼に変える為にどこかへ移動したのか、現段階では判断が付かない。
どちらにせよ、弁柄の任務は情報収集だ。
「なるべくなら、見つからずに見つけたいものだ」
姿を消す事が出来る鬼を相手に、多少無茶な気もするが、もし出会ってしまって、戦いになると、まず勝ち目は無い。
最悪、見つかってしまった場合、生きて帰るには、見逃してもらうか、説得するかだろう。
術で霧を放ち、それを目の代わりにしながら、弁柄は阿子の手を引き、暗い山へと入り込んだ。
木々の倒れた林を進むとすぐに階段が現れた。
太さ三寸ほどの枝を横に寝かし、杭で止めただけの簡単な作りだが、一定の間隔できちんと整備されている。
朽ちた所も無く、しっかりとしており、まだ新しい。
小鞠に聞いてみたい事があるが、花梨や清人の前では控えた方が良いかもしれない。
やがて、階段の先に鳥居が見えてきた。
「コマさん、まさか、あそこですか」
「ええ、あそこです」
神社を隠密の拠点にするのは、あり得る。
だが、このような人の立ち入らない場所に神社があるのは、流石におかしい。
「境内に建物がありますが、皇儀の研究施設や実験施設は、社の奥の洞窟の中です」
「洞窟?」
「この辺りには多いんですよ」
洞窟に隠すくらいなら、神社を建てる意味は無い。
なら、神社が、神を祀る施設が必要なのだろうか。
ふと思い出したのは、天狗の術札。
あれはここで作られ、術の発動実験も、湯山山麓で行われたのかも知れない。
だが、小鞠の反応からして、ここではもっと他の実験も行われていたはずだ。
鳥居をくぐり境内に入ると、正面に拝殿が見える。
左右に建物もあるが、どれも半ば朽ちかけていた。
「休めるというのは、その、奥の洞窟の中でしょうか」
「……やはり、そのようですね」
疑問に答えた小鞠の声は、嫌悪感を含んでいるようだった。
拝殿も屋根はかなり傷んでおり、戸は外されている。
小鞠は先に立ち、土足のままそこへ上がり込んだ。
少し気は引けたが、芹菜もそのまま後へ続く。
本殿の扉も開け放たれている、と言うより、失われている。
「こちらです」
振り返らず言った小鞠が、本殿の中へと進む。
そこは空っぽで、奥の壁は入り口と同じ大きさの穴が空いている。
よく見れば、元は扉があったようだが、こちらも今は見当たらない。
「洞窟の中は、降神を解くと見えなくなりますね」
「明かりは、あるんですか」
提灯の類いは持ってこなかった。
「札がありますよ。奥に進む前に昇神しましょうか」
「そうですね」
本殿をくぐり抜けた先、洞窟の入り口付近はかなり広い。
芹菜は振り返って、花梨たちに声を掛ける。
「さて、昇神しましょう。強い疲労感が出ると思いますから、みんな気を付けて」
小鞠と衛士長は大丈夫だろう。
芹菜は清人と花梨に意識を向けながら、まず自分の降神を解いた。
「昇神」
全身から沸き立った金色の粒子が、顔の前に翳した右手に向かって集まっていく。
同時に、ゴッソリと霊力が抜けていくのが判る。
掌に現れた青銅鏡を掴んで、軽く目を閉じ息を吐く。
それを見てから、小鞠と衛士長が降神を解くと、花梨と清人もそれに続いた。
「光輪」
小鞠の言葉に応え、術が放たれる。
御大が使った物に比べ、半分ほどの大きさの光の輪が、小鞠の上にふわりと浮かんだ。
「みんな、大丈夫?」
「ん……大丈夫です」
「はい」
膝の上に手を突いた清人と、その脇に立つ花梨が応える。
やはり、初めて降神を行った清人が、一番疲れているように見える。
ただ、消耗した霊力の量は、花梨の方が遙かに多いはずだ。
「とりあえず、休める場所へ参りましょうか」
小鞠に促されて、洞窟の奥へと目を向ける。
目に見える範囲にも、幾つか小屋のような物が建っていた。
それは屋根が無く、部屋が直接、洞窟の中に置かれているようにも見えた。
「少し、寒いですね」
ほんの数歩進んだだけで、気温が下がった気がする。
「洞窟の中は、一年中同じくらいの気温なんですよぉ」
そう言いながら小鞠は、一番手前の部屋の板戸を開ける。
中はすぐに襖があり、それを開けると半間の板間が続き、障子が見えた。
小鞠はその板間を、そっと手で撫でる。
埃や汚れが無い。
後ろから見ていた芹菜にも判った。手入れが行き届いている。
「ここに、布団もありますね。皆さん、上がってください」
小鞠に促され部屋に上がる。
中は六畳、全員が眠るには少し狭いだろうか。
「そうですね、花梨ちゃんと清人君はここで休んでくれる? 私たちは奥の方を確認して、他の部屋で休むから」
「え? 二人で?」
「え? ええ」
驚いたように応えた清人に、芹菜もやや驚いたように返す。
……男女二人きりは良くないだろうか?
でも、二人は婚約しているはず。
芹菜はチラリと小鞠を窺う。
それを見返し、小鞠は立ち上がった。
「私が行くと明かりが無くなるので、先に布団を敷いてしまいますよぉ」
そう言うと部屋の隅に積まれていた布団を広げる。
花梨も立ち上がると、もう一組の布団をすぐ横に敷き並べた。
「袴は脱いで、刀は枕元に置いておけ」
衛士長は邪魔にならないよう戸口に下がりながら、清人に声を掛ける。
「あ、はい」
清人は慌てて鞘を外し、袴の紐を解く。
向かい合うように、花梨も紐を解き始めた。
俯いた清人が顔を赤らめているのを見て、そんなものかと思いながら、芹菜も戸口へ向かう。
「では、私も出ますよ、良いですかぁ」
小鞠の問い掛けに、清人と花梨はそれぞれの布団に入り込む。
それを嬉しそうに見つめながら、小鞠はゆっくりと部屋を出て、障子を閉めた。
「何かありましたらすぐに起こしますので、ゆっくり休んでくださいねぇ」
軽い口調で襖と戸板を閉めた小鞠が、芹菜の方へ向き直った時には、真剣な眼差しに変わっていた。
芹菜は無言で頷き、洞窟の奥へと歩を進める。
洞窟の中は時々枝分かれし、幾つか部屋があった。
また、門らしき物もあったが、それらは開かれたままになっていた。
充分な距離を歩いてから、芹菜は二人に問い掛ける。
「それで、ここには何がある、……あったんですか?」
「まだあるはずですよ、あの人の言う事が本当なら」
御大は、運び出す物があると言っていた、つまり、まだ運び出していないはずだ。
「それは安全なんですか」
「それ自体は。……もうすぐです、見ながら話をしましょう」
正面には他よりも一回り大きい門の、枠だけが残っている。
そこをくぐって少し進んだ辺りで、人一人が通れる程度の、金属の扉が目を引いた。
「あれ? これ、銀?」




