第四十話 天狗
杖の頭を軽く捻ると、カチリと音がして留めが外れる。
御大はそれを刀の柄のように握り、神気の通った杖の中身を、引き出すように振り抜いた。
道から一気に飛び掛かった明光を、迎え撃つよう銀閃が走る。
明光は一瞬、当たらないと思ってしまった。明らかに、間合いの外であった為に。
しかし、その銀閃は竿に仕掛けられた釣り糸のように、スウッと広がるように伸びた。
「くっ!」
既に爪を振り下ろそうとしていた明光に、避けられる物では無い。
そもそも、良くて刺し違えのつもりだったのだ、攻撃を避ける考えは無かった。
自らの腹に易々と斬り込んでくるそれを感じながら、明光は腕を伸ばす。
届けっ!
振り抜いた姿勢の老人の、せめて、肩か腕にでも。
だがその老人はしっかりと明光を見つめたまま、ほんの半歩退いた。
伸ばした爪は空を斬り、ドシャリと、二つ斬りにされた明光が地に落ちた。
「あ、明光さんっ」
先に行けと言われたにも関わらず、一匹の鬼が声を上げ立ち止まる。
その声に釣られ、その場に居た鬼が一斉に足を止めて、御大と、その足下に倒れ伏した明光を見た。
ズドッ!
声を上げた鬼の前に、三匹ほど先行していた者が居たが、彼らも振り向いてしまっていた。
先頭を行く鬼の、全く隙だらけの背中に、金色に輝く槍が吸い込まれるように突き刺さった。
「……あぅっ!」
小さな声を上げ、体を仰け反らせる。
衛士長は即座に槍を引き抜き、その鬼を叩き伏せた。
二匹目が前を向くより早く、脇腹を突き刺し、一度引き抜いて再び刺す。
そのまま横に投げ捨てるように振り払い、三匹目は正面から胸を突いた。
立ち止まり、声を上げてしまった鬼が、再び逃げようと前を向いた時には、そこに居たはずの仲間は倒れ、代わりに一人の男が槍を構えていた。
咄嗟に伸ばした腕を、槍の穂先が払う。
まるで粘土細工を竹ベラで切るように、その腕がするりと断ち斬られる。穂先はその動きのまま、流れるように鬼の腹へと突き刺さった。
道を塞がれた事に気付いた鬼たちが、慌てて右の住居跡へ駆け上がる。
その背後からスイッと銀閃が伸び、同時に二つの首がズルリと落ちた。
明光も含め、殆ど声も出さずに次々と鬼が倒されていく。
続く鬼たちは、この方向に逃げるべきではなかったかと背後を振り返るが、元いた広場の方も凄惨たる有り様で、戻る気にはなれない。
思わず足を止めてしまった鬼たちを、御大と衛士長は端から片付けに掛かる。
一番後ろに居た鬼が石垣に手を突き南東に向け駆け出したが、それは芹菜が放った雷が打ち抜いた。
「うおおおぉっ!」
立て続けに鬼を屠る衛士長の前に、妙にずんぐりとした鬼が、うなり声を上げて立ち塞がった。
「中級……土性鬼か」
確認するように衛士長が呟く。
手足も人のそれよりかなり大きいが、何より胴と頭が丸々として、非常に不格好な鬼だった。
だがそれは、土性鬼が操る土であり、鎧でもある。
槍で突き殺すには不向きな相手だ。
衛士長が土性鬼と向き合った頃、御大の前にも一匹の鬼が現れ、仲間を庇うように両手を広げていた。
「これ以上好きにはさせんっ!」
白銀に輝く金性鬼。
親方との違いは鎧の形を取らず、肉体そのものが金属化している様に見える所か。
光沢のある胸を張り、真っ直ぐ睨み付ける鬼に、御大は右手に持った剣を向けた。
「糸……では無い?」
先ほどの攻撃を、糸状の何かだと考えていたのだろう。その手に握られている物が、剣の形をしている事に疑問を持った。
その言葉に御大は、ニヤリと笑って答える。
「これは、水銀だ」
水銀は常温では液体である。しかし、御大の右手のそれは、確かに剣の形で固まっていた。
金性鬼は僅かに眉を顰めたが、すぐに理解した。
そういう力なのだ。
相手も金属を操る能力を持っている。
恐らく、剣の形をしていても、自在に変形して、それこそ糸のように伸びて斬り付けてくるのだと。
ご丁寧に種明かしをしてくれた老人の、その余裕と傲慢さに感謝する。
「水銀の糸でこの鋼の肉体が斬れるのか?」
「さあ、どうだろうな」
御大は釣り竿を引き上げるように、ツイッと柄を動かす。
途端に、銀の剣は形を崩して上に飛び散り、直後に六本の串に変化した。
「避ければ後ろに当たるぞ」
悪意ある言葉を添えながら柄を振り下ろすと、それに合わせて串が放たれる。
「ふんっ!」
金性鬼は元より避けるつもりなど無い。
ガカカッ!
堅い音を立て、串はほんの僅かに突き刺さるが、負気を集中し、胸を覆う鋼の板でそれを受け止めた。
「ふははっ、この程度か? なら、次はこちらの番だっ」
攻撃を防ぎきった金性鬼が間合いを詰める。
その拳に金属の棘が幾つも生えた。
打撃戦に持ち込もうとする金性鬼に、しかし御大は何事もないように応えた。
「いや、まだ儂の番だよ」
ズルリと、まるで吸い込まれるように、水銀の串が金性鬼の中に消えた。
「蚊の刺したほどの穴があれば、充分だ」
「おごぉおおぅっ!」
御大が呟くように言うと同時に、金性鬼が悲鳴とも呻き声とも言えない声を上げて、胸を押さえ体を捻る。
肩口から地面に倒れ伏した、その口から、水を吐き出すように水銀が飛び出した。
「避けられなかった時点で、貴様の負けだ」
水銀は再び柄に集まり、剣の形に整った。
「うおおぉりゃあぁぁっ!」
雄叫びを上げて向かってくる土性鬼に対し、衛士長は左手と脇で槍を支えつつ、跳び下がる。
そして、空いた右手で腰袋から何かをバラ撒いた。
「ぬおっ」
不用意にそれを浴びた土性鬼が、足を止めて顔を拭う。
「つっ、何だこれはっ!?」
「種だよ」
僅かに口に入った物を吐き出しながら言った土性鬼に、予想外な答えが返る。
「なん、だと?」
「種だよ、種。花の種。木に成る奴もあるけどな」
戦いの場には不似合いな、冗談めかした顔で衛士長が笑う。
「ふざけるなっ」
怒りにまかせた拳を、衛士長は槍で受ける。
土性鬼は間合いを詰めようと、その穂先を外へ弾くが、クルリと小さな円を描いて再び腹先へ突きつけられる。
更に叩き落とそうとするも、叩かれた衝撃すら利用するかのように、またしても穂先はクルリと帰ってくる。
「このっ」
土で覆った手で掴もうとすれば、スッと引かれて捕らえられない。
ならば、石垣の石を投げつけるかと考えた時に、土性鬼は、ゾクリと寒気のような物を感じた。
「な、なんだ」
ザワザワと、体の表面を何かが這うような感触。
しかし、実際には生物が這っていた訳では無い。
「く、草が!? 草が生えてる!?」
土性鬼の上半身、顔から腰にかけて、その言葉通り草が生えていた。
「生ふれ生ふれ、弥生い弥生い」
囃すように、衛士長が呟く。
それに応えて、一層草は伸び、土性鬼はそれに埋もれていった。
「なんだこれはっ、草が、くそぅ」
「いやぁ、良い土だな、感心するよ」
そう言いながら、更に一粒、鬼の腹に種を蒔く。
「生ふれ生ふれ、弥栄弥栄」
ポッと小さく芽吹くと、それは瞬く間に幹を伸ばす。
土性鬼は必死に自分に生えた草を引き抜こうとしていたが、それより早く、草は伸びていく。
その手が、腹に生えた小さな松を掴んだ。
「うごごごぉ」
その辺り木なら、片手で引き抜けるはずの土性鬼は、腹に生えたまだ細い木を、折る事さえ出来ず、膝を突く。
霊力では、芹菜や花梨は元より、清人にすら及ばない衛士長だが、中級の鬼に一対一で負けるほど、弱くは無い。
神気の込められた草木は、その根を深く深く下ろしていった。
衛士長は既に土性鬼には目もくれず、後ろに隠れていた鬼に槍を向けていた。
ドオッと音を立て、広場の真ん中に水柱が上がったのはその時だ。
性格上、芹菜はついつい前へ出て戦う事が多い。
だが本来、集団で活動する時は、前線で情報分析を行いながら指揮を執る役どころであり、一歩下がって術や技による遠距離攻撃をすべきである。
目の前にいた鬼たちが、戦闘不能、もしくは戦意喪失状態になり、改めて全体を見渡した芹菜は、当初の予想より狭い範囲に敵を押し込める事が出来ている事に気が付いた。
特に北側斜面を防ぐ花梨が、恐ろしい程に火球を連発し、迂回する事すら許していない。
倒れて動かない鬼も多く、まさに死屍累々と言った有り様である。
ただ、やはり死亡した鬼は少ない。
寧ろ、二人で二十少々を相手にしている御大と衛士長の方が、確実に数を減らしていっている。
正面の小鞠はその姿すらよく見えないが、今も土で出来た槍か杭のような物が三本、北西方向に放たれて鬼を貫いている。
包囲を抜ける者が居るなら、雷撃しようかと身構えていたが、どうやら必要が無いらしい。
それよりも、全体的に弱らせる為に広範囲攻撃を放つべきか。
そんな事を考えていた芹菜の背後から、チリチリと小さな気配が首筋をつつく。
振り向いた先、十八夜の月がゆっくりと上って行く、その上に、赤く輝く星がチカチカと瞬いて見えた。
今回、味方に水を使う術者はいない。
故に、これを合図に使うと打ち合わせしておいた。
芹菜は札束から術札を抜き取り、広場の真ん中に向けて翳す。
「水柱」
少し多めに力を注ぎ込み、術を放つ。
特に鬼を巻き込む事も無く、消火用の水柱が立ち上がった。
清人に比べて、強力な鬼というのは居なかった。
慣れない戦いに自然と息は上がるが、不思議と恐怖感はない。
岩性鬼の後、手近にいた鬼を数匹斬り倒したが、すぐに鬼の方から距離を取るように成った。
そして、清人から離れた鬼には容赦なく火球が叩き込まれる。
清人は、まだ息のある鬼に止めを刺していくべきか、それより見逃しは無いかと考え、斜面全体を見渡した。
その時、中心の広場に水柱が上がった。
「花梨っ!」
振り向き、声を掛ける。
花梨も清人に向けて頷いて見せ、バッと三、四間を跳んでくる。
驚く清人の前に着地すると、片手を背に回し、足を掬うようにして抱きあげた。
清人は慌てて、花梨に刃が触れないように刀を外に向けるが、当の花梨は気にする風もない。
清人が何か言葉を発するより早く、北へ向かって駆け出した、と言うより跳んだ。
北斜面の段々畑の一番上、村の外側に、土砂止めか何かの空掘がある。
石垣を崩すかのような強力な跳躍により、僅か数歩でそれを跳び越えるた花梨は、清人を抱きかかえたまま、その中へ滑り込んだ。
名を呼ばれたような気がして振り返った衛士長の前に、小鞠が飛び出てくる。
地面から、ポンッと。
「小鞠!?」
西を守っていると思っていたら、いつの間にこちらへ来たのか。
「こっち」
言いながら衛士長の袖を引き、小鞠は再びズブズブと土に沈んでいく。
相手が知らない誰かであれば非常に恐ろしい状況だが、衛士長は抵抗する事無く、同じく土に呑まれていく。
「爺さんは?」
振り返るように仰ぎ見ると、トントントーンっと軽い足取りで、上の林の中へ駆け込む所だった。
「あなたが一番遅いんですよぉ」
「そうか」
決まりが悪そうな顔をしながら、頭を掻いた衛士長は、小鞠と抱き合うようにして土の中に消えていった。
ピョンピョンと跳びはねながら、土塊や土槍を放っていた土偶が、はたと動きを止めた。
村へ戻ろうとした鬼は当初三十匹ほどは居たはずだが、今、動ける者は十もいない。
頭を庇うように蹲っていた鬼が、恐る恐る顔をあげる。
急に、辺りが静まりかえっていた。
虫の音すら聞こえない。
俯せに倒れていた親方も、肘を突いて体を起こす。
たまたま偶然、その視界に、空掘へ飛び込む花梨たちが映った。
「なんだ……」
なぜ逃げた?
それは、逃げて、隠れたように見えた。
嫌な予感しかしない。
何がある?
何が起こる?
ゆっくりと、すり鉢状になった村跡を振り返った。
多くの鬼が、仲間が倒れ伏しているのが見える。
そして、その仲間たちに背を向けて立っていた芹菜が、チラリとこちらを確認し、大地を蹴って飛び立った。
金色の翼をその背から伸ばし、数度地面を蹴りながら滑空するように東の峠に向かい、消えていった。
その先、東の空に、赤く大きな星が、爛々と輝いていた。
古に伝えられる所に依れば、天狗は轟音を上げながら、天を駆け抜けるらしい。
しかしそれは、全くの無音で現れた。
少なくとも、現れた時は無音だった。
すれ違った一瞬後に、それは凄まじい爆音と衝撃を発し、滑空していた芹菜を地面に叩き落とした。
飛翔していた勢いと、地にめり込むほどの圧力が合わさり、地面を削って、更に吹き飛ばされる。
運の悪い事に下り坂だった。
芹菜は顔を庇いながら、坂の下まで転がり落ちていった。
その中で、成る程、確かに轟音が響いた。
ゴッゴゴオオオォーッ!!
天空から飛来した赤い火の玉は、狙い違わず広場の中心に着弾した。
瞬間、大地が赤熱し、放射状に衝撃波が走る。
ゆっくり、非常にゆっくり、鬼たちがふわりと浮かび上がり吹き飛ばされる様子を、親方は呆然と見つめていた。
だが、実際にはそれは刹那の出来事。
親方自身も衝撃波に巻き込まれ、高く、遠くに、吹き飛ばされていった。
言葉では表現できないような轟音を発し、爆風が空掘の上を走り抜ける。
併せて、一抱え以上あるような岩や、様々な物が吹き飛ばされていった。
花梨に抱き上げられていた清人は刀を捨て、今度は逆に花梨に覆い被さる。
目を閉じて耐える清人をチラリと盗み見て、花梨は嬉しそうに微笑んでいた。




