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第四話 異変

 朝一番、露天風呂を堪能した芹菜が部屋に戻ると、小鞠が待ち構えていた。


「芹菜さん。何ですかあれは?」


 口調が素である。

 あれ、とはあれの事であろう。

 昨夜はバレなかったのに、どうやら気付かれたらしい。


塞ノ神(さいのかみ)を使ってまで、温泉を独り占めするとはどういうことですか」


 とっさに辺りを見回すが、もちろん部屋には二人しか居ない。


「いや、男の人が入ってくると困るので……」


 その言い訳が通用しない事は知っている。混浴は、嫌なら入るなが鉄則である。


 神々の力を自分のために使う事は認められている。厳密に言えば、黙認されている。

 ただ、本来は鬼や(まが)()()などの(きよう)()に対抗する(すべ)であるのも、判っている。


「申し訳ありません」


 そう言うしかない。

 朝日を眺めながら温泉につかるという事を、やってみたかった。だが、男と一緒に入りたくは無い。

 裸を見られるのが嫌だというよりも、性的な目で見られるのが気持ち悪いのである。

 その意味では服を着ていても、気持ち悪いと感じる時は気持ち悪い。

 (しゆん)(てい)(かく)のお歴々には笑われたが、彼女たちとは感覚が違うのである。


 ふうっと、小鞠が息を吐く。


「次にやりましたら、人除け札を人寄せ札に換えますよ」


 どんな嫌がらせだ。


「まこと、申し訳ありません。もう二度といたしません」


 人寄せ札というのは見た事が無い、何の神様の力を借りるのだろうか。

 興味はあるが、藪をつつくと蛇が出そうな気がして、黙っておく。


「ではでは、お食事を用意させていただきますねぇ」


 いつもの口調に戻るが、これが演技なのは判ってる。

 朝食の用意をしつつ、すぐに真面目な声音に変わる。


「町の人の話では、昨日小鬼が出たそうです」

「あ、私も見かけました。六匹ですが狩っておきました」


 小鞠がわずかに首をかしげる。


「こちらが聞いた話では、町の近くで衛士が五匹退治したと」


 合計十一匹、少し気になる数だが、これですべてなら問題ない。


 目の前に並べられた、これはホントに朝食かと疑いたくなるほど豪勢な料理を眺めつつ、今日の予定を考える。

 まず、材木問屋と飴釜屋、どちらを先に行くべきか。

 飴釜屋で木こりの村の話を聞いたという事にして材木問屋へ行き、そして材木問屋の紹介で村へ向かう。

 材木問屋で断られれば問題かもしれないが、断られても押しかければ良いだろう。

 大まかな流れとしてはこんなところ、後は村に入ってから決める。


 いつも行き当たりばったりな仕事であるので、計画は大雑把。綿密に組んでその通りに行った事は一度も無い。

 何より、数居る仲間の内で自分が選ばれたという事は、いざとなれば(ちから)(わざ)という心づもりがあるはずだ。

 無いと困る。


 関係無いが、味噌汁がすごく美味しい。


「これのおかわりはありますか」

「はい、もちろんですぅ」


 朝から食べ過ぎだという気持ちと、今日も歩くから良いだろうと気持ちと、互角の戦いを繰り広げる感情に、料理が美味しいという強烈な一撃が加わり、無事決着が付いた。




 朝起きて、清次が居ない事には清人もすぐ気が付いたが、特に何をするという事も無く、いつも通りの朝の準備を進める。

 昨日の縁談に関して、向こうから話をいただき、こちらがお受けするという形を取るので、父が大浦屋に(おもむ)く事になっている。

 ただ、旅の薬師の件もあり、朝一番にお邪魔するのは避けておいた。


 もちろん、軒を並べる隣家である。店先から顔を覗かせれば、店番に立つ柘榴にはすぐ会えるし、花梨もいるかもしれない。

 ()(かつ)に表へ出れば大浦屋の主人と鉢合わせるかもしれない。

 誰に会っても、どんな顔をすれば良いのか判らない。

 そもそも、自分は何を言うべきか。たとえ形式的でも、まず父が縁談を受けると答えてからの方が良いだろう。


 午前中は父も兄も奥の部屋に引き籠もっている事が多い。

 もちろん二人でなければできない仕事をしているだけで、呼べばすぐに出てきてくれる。


 この時間帯は出立する湯治客が、飴を求めてぱらぱらと来店してくる事が多い。

 街道に出る為にこの店の前を通る客が、飴の文字に惹かれて店に入ってくるので、そこへすかさず試食の飴を提供する。

 試食をして買わない客は殆どいない。店番としてはこの時間が一番忙しい。


 しばらくいつもの通りの商売をしていると、大きな箱を背負った少女が顔を覗かせた。


「おはようございます。今、大丈夫ですか」

「いらっしゃい、お待ちしてました」


 清人が奥に向かって「おやじさーん」と声を掛けると「おーう」という返事が聞こえた。

 芹菜は上がり(がまち)に腰を下ろし、そのまま薬箱を降ろす。

 そこへ飴釜屋の主人が姿を見せた。


「おう、いらっしゃい。昨日は失礼したね」

「いえ、こちらこそ。突然お邪魔してすみません。山都から参りました、芹菜といいます」


 話しながら薬箱の掛け金を外し、がばっと両開きに広げる。

 あっという間にたくさんの引き出しを備える薬棚に変わった。

 更に風呂敷を広げ、その上に(かい)()を何枚か置く。


 「まず、何か入り用の物、不足の物はありませんか」

 

 芹菜の言葉で商談が始まったようなので、清人は二人に向かって一礼し、店番に戻った。

 昨日までなら、勉強のために横で見させて欲しいと思っただろうが、いや、実は先ほども少し思ったが、これから自分が勉強すべき事は、もうこれでは無いのだ。

 何というか、奇妙な寂しさを覚えつつ、店に出る。


 そうだ、この店番すらも、もうすることは無くなるのだろう。

 花梨と一緒に大浦屋の店先に立つ自分を想像する。

 いや、違う、自分がやるべき事は、旦那さんに付いて仕入れや卸の現場を見る事だ。

 未だ行った事の無い美湯の国府や、大浦屋の屋号の元となった大浦の国へ、商談に行くのだろう。

 そんな大きな仕事が自分にできるのか、単に花梨と結婚するというだけでは無い、大浦屋の若旦那としての責任と重圧を感じ、少し怖くなった。

 大浦屋が取引する店や人の多さ、金額。

 何より、大浦屋が潰れれば、湯川の人たちは昆布や鰹節を手に入れる事すら苦労する。


 がんばらなくては、今以上に。

 清人は覚悟を決めた。

 何より、花梨に失望されたくない。




 今更ながら、芹菜の薬売りという職業は偽装である。

 もちろん、本業の薬師相手に取引をするし、怪我や病気にも対応するので、本職と同じだけの知識を身につけている。

 経験だけはすぐに身につかないが、年の割にはしっかりしていると評判を得ている。

 手持ちの薬草や薬を売り、そこでしか手に入らない薬を仕入れる。

 この飴釜屋においては、もちろん飴である。


「桶飴は、桶のままじゃ箱に入らんだろう」

「確かに」


 桶飴は、溶けた飴を桶に流し込んで固め、食べる時は少しずつ割って食べる。


「割って、紙に包みましょうか」

「いや、紙だと溶けてくっついてしまう」

「割って、竹筒に入れると」

「竹筒の中で溶けて取れなくなりそうだな」


 いくつかの案が却下される。

 いっそ引き出しの一つに流し込んで貰おうか。そんな無茶な事すら考えてしまう。


「水飴の方なら、もっと小さい瓶に入れれば引き出しに収まるんじゃないか」


 そう言われてみれば、水飴は味見をしていない。

 ただ、水飴は山都や嬉野でも手に入る。

 実のところ、桶飴は仕入れというより、春庭閣の仲間への土産のつもりで、無理を言えば二つ三つ欲しい。

 ちなみに、山都の本所への土産は考えていない。


 薬箱の下にぶら下げるか。

 しかし、本業の都合でとっさに薬箱を降ろす事は多い。

 上に置く、横に吊す、どれもイマイチだ。


「うーん、もうちょっと考えてみます。もうしばらくこの辺りにいる予定なので」

「そうかい。じゃあ、それはまた今度で」


 うちの方でも考えておくよ、という言葉は無かった。

 散々考えた結果、上手い方法が無かったのだろう。


「あとは……、この辺りに他の薬師さんはいらっしゃいませんか」

「いや、うちだけだよ」

「山村にも?」


 普通、山村に薬師はいない。判っていて聞いている。


「そうだね。行ってみる気かい」

「はい、ご迷惑で無ければ」

「ああ、むしろ助かるよ。こっちから出向くことはあまりなくてね、特に奥の方は。たまにまとめて買っていくけど、果たして間に合っているかどうか」


 それは好都合。


「木こりが多い村だと、傷薬は不足しませんか」

「木こりは薬草にも詳しいから、すりつぶして傷口に当てるぐらいは自分たちでするよ。殆どがそれで間に合うんだが、ダメな時はダメだな。それと()(やり)(やまい)にはめっぽう弱い」

「そうですか。では木こりの多い村か、その村と取引してるような、材木問屋さんを紹介していただけませんか」

「それだったら、少し下手(しもて)の橋を渡った先に……」


 これで目的達成、桶飴以外は。

 あとは、水飴の試食ができるか訊いてみよう。




 父と芹菜の会話を背中で聞きながら、清人も考えていた。


 桶飴の小分けは難しい。何に入れても、溶けてくっつく可能性が残る。

 小さな桶を作ることも考えたが、割に合わなくなる。


 とりあえずと言って水飴を試食した芹菜は、踊るように軽やかな足取りで帰って行った。

 昨日出会った時の、小鬼を一刀で斬り飛ばした、神秘的な面持ちはまったく感じられなかった。

 いや、あの大きな薬箱を背負っての軽やかな足取りは、別の意味で神秘的かもしれない。


「さて、では行ってくるか」


 芹菜を見送った父が、そう言ってひとつ伸びをした。


「その格好で?」


 清人は思わず問いかける。

 割烹着に手ぬぐい巻きの頭、薬師としては間違っていないが、縁談の返答に行く姿ではない。


「正式なやりとりはまた別にするよ、仲人も立てんとならんし」


 つまり今日は、二人とも了解したという、それを伝えて、今後の予定、正式な婚約、結納について話をするらしい。

 清人にしてみれば、とりあえず自分が受けたという話だけでも早くしてくれればありがたい。

 そうで無いと、花梨に会いたくても会えない。


「行ってらっしゃいませ」


 一礼して送り出す、直後に大浦屋の方で挨拶する声が聞こえた。


 ふうっと、ため息を吐く。

 どんな顔をしたら良いか判らないと思いつつも、早く花梨の顔を見たい。

 なんと声を掛けたら良いか判らないが、花梨が何というか聞いてみたい。

 そわそわとしながら、店先から大浦屋の方を窺う。

 その清人の前を、槍を持った衛士が五人、街道の方へ向かって走り抜けた。


 その時になってやっと思い出す。小鬼に出会ったこと、では無く、他にも居るのでは無いかと考えていたことを。


 ゴクリと唾を飲み込む。

 衛士は基本的に走らないと聞いた。衛士が走っているとそれを見た人が不安になるからだそうだ。

 それに、町の入り口と、公衆浴場の近くの二カ所に詰め所があり、さらに温泉旅館の裏手にある郷司の館に本所があるため、あまり走り回る必要が無いのである。


 上手の詰め所の衛士は槍を持っていない、今のは本所の非番の衛士だろうか。

 大急ぎで、下手の詰め所に増員を送らなくてはいけない事態が起こったらしい。

 見れば町人や湯治客が、衛士の走り去った方を指してなにやら話している。

 衛士を追いかけて何があったか確かめたい気分に駆られるが、それはしてはいけないだろう。

 自分が行けば邪魔になりかねない。


 清人は店から半歩身を乗り出し、街道の方を眺める。

 川に沿って蛇行した道のせいで、町の入り口が見えることは無かった。




 材木問屋は飴釜屋から下手に下った所の橋を渡って、対岸の町人町の一番下手。

 非常にわかりやすい場所でありがたい。

 なにより、水飴が美味しかったことが、芹菜の気分を良くしていた。

 水飴は産地と制作者によって、かなり味が違う。飴釜屋は大当たりだった。

 弾むような足取りで歩き始め、わずか数歩で立ち止まる。


 匂う。


 睨むように道の先を見つめる。もちろん特に変わった物は見えない。

 今は町を出立する旅人が、(しも)へ下へとくだっている。異変は無い。

 だが、確かに匂う。

 普通の人が感じることの無い、匂いではない匂い。


「こんな町の中で」


 方角は大体判るが、距離と数、鬼の強さは正確には判らない。

 距離が近いと強く、数が多いと強く、鬼が強いと強く感じるため、近くに弱い鬼が居るか、遠くに強い鬼が居るかの判別が難しいのである。

 しばらく立ち止まったまま様子を伺っていると、左手側から視線を感じた。

 とっさに視線の元を探る。

 乾物屋らしき店の中、一人の少女がじっとこちらを見つめていた。


 昨日の見鬼(けんき)

 そうかこの家、飴釜の隣家だったか。


 一歩下がって看板を見れば、たしかに大浦屋と書いてある。

 その時、飴釜屋の店先から「行ってらっしゃいませ」の声が聞こえた。ほぼ同時に飴釜の旦那が顔見せる。

 芹菜は気づかないふりをして、即座に歩き出した。


 今回の任務には関係が無いが、鬼斬りは我々の役目である。

 特に小鬼は増える。狩れる時に狩っておきたい。


 足早に歩く芹菜を後ろから追い越すように、槍を持った衛士が駆けていった。

 衛士が対応しているなら、場所は町の出入り口付近だろうか。

 だとすると昨日と同じ程度の小鬼たちか、鬼だとしても最弱級、今の五人で片が付く。


 ……いや、おかしい。


 昨日、町の入り口には五人の衛士が居たはずだ。衛士が十人で対応する、それほどの事があるだろうか。

 芹菜は速度を落とさず、衛士の後を追う。


 町の入り口には柵があり、一応(もん)()も付いている。

 そこで二人の衛士が出て行こうとする旅人を引き留めていた。

 下りてきた五人の衛士は柵の外、一人の衛士と話をしている。

 更にその向こう、二人の衛士がしゃがみ込み、顔から血を流した男性を介抱していた。


「すみません、薬師です。通してください」


 声を掛け、返事を待たずに手前の衛士の横をすり抜ける。

 話をしていた衛士が反応し、一人が手を広げて止めようとするが、続けて「薬師です」と呼びかけると、身を引いてくれた。

 薬箱を下ろし、怪我人の傍らに膝をつく。

 横目で見ながら、水と清潔な布を取り出した。


 一目見て判る、小鬼の爪による傷。

 かすかに負気が漂っている、傷を見るふりをしながら手のひらをかざして祓いを行う。

 頭部の出血が激しいが、傷自体は浅い。

 あとは左肩から背中に掛けてと、両足。

 両足の傷が一番深いが、致命傷は無い。


 傷口の洗浄、止血と治療を進めながら、鬼の匂いを探る。

 少しずつ、離れて行ってるような気がする。

 弱い鬼の小さな集団は、遠くなると判らなくなる。

 柵の中からは「小鬼が出た」との噂話が聞こえる。治療を終えたとして、追跡しようとすれば引き留められるだろう。

 本来の任務に戻るか、町の中から里山に入り、そこから追跡するか。

 悩みながらも手は動く。とりあえずの止血は完了した。

 安静にできる場所へ移し、意識が戻るのを待って、その後の対応を決めるべきだろう。そこは飴釜さんに丸投げだ。


「担架を作っていただけますか。できれば詰め所に場所をお借りして……」


 横で見守っていた衛士に話しかけていると、男性が急にビクッと飛び跳ね、くわっと目を見開いた。


「大丈夫ですか。まだ横になって……」


 芹菜の言葉を遮るように、男性が悲痛な声を上げた。


「嫁がっ、俺の嫁がっ、鬼どもに連れて行かれたっ!」

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