第三十八話 待ち伏せ
先に書いておきます。
天狗は、テングでは無く、テンク。
「降神、大地主命」
その言葉に応えて、鏡から光り輝く粒子が溢れ出す。
砂を入れた桶をひっくり返したように、金銀に煌めく神気が小鞠の顔から体に掛けて降り注いでいく。
それは、触れた所に溶け込むように、髪に、衣服に吸い込まれて、輝きを与えていった。
結い上げていた黒髪が、バサリと解けて広がり、金の光を帯びる。風に煽られたようにはためいていた袴も、砂をまぶしたように黄土色へと変わっていった。
余韻のように、キラキラと輝く砂粒が小鞠の周りをクルクル回り、ゆっくりと消えていく。
溢れ出す神気で浮かび上がっていた小鞠が、ふわりと舞い降り、静かに瞼を開くと、その左目には金の輝きが宿っていた。
「うふふ、どうです? 可愛いですかぁ?」
小鞠は袴の脇を摘まみ、裾を広げるようにしながら、清人に問い掛ける。
「え……、き、綺麗だと思います」
半ば呆然としながら清人が答えたが、小鞠はやや不満らしい。
態とらしく、頬を膨らませてみせる。
「あ、いえ、可愛いです」
慌てて清人が言い直すと、にっこりと微笑んだ。
「何が違うんですか?」
それを見ていた芹菜が、思わず問い掛ける。
「可愛い方が良いじゃないですか」
可愛いも綺麗も、どちらでも良いように思うのだが、小鞠には拘りがあるらしい。
芹菜は、そんな物かと納得して、清人に説明を始める。
「これが降神。鏡に宿っていた神霊を、自分の上に降ろす、降りて来ていただくことで、その力を自在に使える様にします」
「それは……それが、俺にも出来る、という事ですか」
ちゃんと手順さえ踏んでいれば、降神自体は誰にでも出来る。
「その神様の方に、話はしておきました。名は火雷命。鏡を翳して降神と呼び掛けた後、その名を呼べば降りて来てくださいます」
「へぇ……」
そう呟き、清人は懐の鏡に手をやる。
「いきなり実戦で申し訳ないけど、現地に着いたらまずやってみましょう。恐らく、普通の鬼を軽く上回る力が得られるはずです」
あくまで、恐らく、はず、である。
甲種隠密に相当する力を発揮できるかどうかは、生来の素質によるところが大きい。
訓練である程度伸ばすことは出来るが、霊力はその土台が肝心となる。
芹菜には、現在の清人がどの程度の力を発揮するか、判別できない。
「では、行きますよぉ」
小鞠が地面に手を突き、バッと払うような動作をする。
それに釣られるように土が波打ち、石橋の脇の斜面が少し崩れた。
見れば、人が辛うじて歩ける程度に、下り道が出来ている。
「お見事」
芹菜は素直に賞賛を送った。
小鞠は実に器用に土を操る。
「ではではぁ、参りましょうか」
弾むように、小鞠がまずその道を下り始めた。
「逃がさないようにするんなら、両脇が崖になってる所の方が良いじゃないのか?」
河原を少し進んだところで、衛士長が意見する。
「相手が人だったらそれで良いんですが、鬼はこの程度の斜面、軽々と飛び上がりますよ」
そして、少し藪を抜けただけで街道に降りられてしまう。
「ああ、そうか」
「個人的には、逆に見晴らしが良い所の方が逃がしにくいと思うのですが、どうでしょう」
衛士長は納得してくれたが、自分の考えが最良とは限らない、芹菜は他人の意見も聞いてみたい所だった。
「うーん、相手に依りますよねぇ」
小鞠は当たり前のことを言う。
「ただ、複数の鬼に、同時に藪に入られたら、確かに面倒くさそうですねぇ」
「二、三匹……五匹くらいまでなら、森に纏めて雷を落としたりするんですが、今回はそれでも間に合わないかも知れませんね」
雷の一撃で倒せるとは限らない。
広範囲への攻撃だと、一体当たりへの攻撃力は落ちてしまう。
「広い所なら、もう少し奥の、昔、村があった辺りが良かろう。あそこは緩やかな斜面の窪地になっている。普通なら、囲むには向いている地形だ」
御大が前方を杖で指しながら意見する。
「そうですね、とりあえず、そこを目指してみましょうか」
どのみち、良い場所を探しながら前に進むしか無いのだ。
「問題なのは、敵の多さよりも、こちらの少なさだな」
「ですね」
応えながら、芹菜は御大が背負う風呂敷包みに目が行った。
「その、大きな包みは何ですか」
戦いに持って行くなら、武器の可能性が高いが。
「札だよ」
返答は、ある意味予想通りであり、予想外でもあった。
「札……、随分と大きいですね」
「十人拝みの木札だ。こんな時にしか使えんだろうから持ってきた」
「十人……」
普通、術札の祈祷は個人で行う。
だが、例外的に複数人で祈祷をすることによって、規格外の効果を発揮させる場合がある。
所謂、戦用と呼ばれる物だ。
それにしても、十人というのは多い。
なにか、特殊な状況を想定して用意されていた物だろうか。
「ありがたく、使わせていただきます」
何にしろ、それが人では無く、鬼に向かって使われるならそれに越したことは無い。
話している内に、河原の脇に道が現れた。
報告されていた通りであり、幾人かにとっては、記憶通りである。
道に上がった芹菜は、真っ直ぐその先へ向かう。
勿論、道自体は地形に沿ってうねり、直線では無いが、ほぼ真西に、鬼の集団が居るのが判る。
「まだ、少し距離があるでしょうか」
直接見た訳ではないので不確かだが、接触までまだ少し時間がありそうに思えた。
「村があったのはもう少し上がった所だ」
御大の言葉に頷いて応え、再び歩き出す。
道は暫く小川に沿って続いていたが、徐々に離れ、やがて川は湯山の方へ向かっていった。
それを見送るように小さな峠を越えると、その先から、風景に変化が現れる。
低木が主流になり、高木は枯れて白い枝を突き出している。
迫ってくるように感じた左右の山も、急になだらかになり、広がりを見せはじめた。
土の色も変わり、粒の大きい砂地に、一抱えもあるような石が目につくようになる。
更に進むと緩やかな峠があり、その向こうに、大きな盆地が広がっていた。
「これは、畑の跡?」
石垣が組まれ、階段状に作られた畑。
その間を縫うように道が進み、向こう峠まで四半里はある。
一目見て、かつての村跡だと判った。
「成る程、囲みやすいかも知れませんね」
「見晴らしが良い分、向こうからも見つかりやすいだろう。奴らが来る前に配置につこう」
そう言いながら、衛士長が坂を下り始めた。
大まかな流れは歩きながら話し合っているが、全員が一旦、一番下の広場らしき所に集まり、再度打ち合わせをする。
鬼が来る西側に小鞠が隠れ、緩やかな斜面になっている北側、湯山の方に花梨と清人、他に比べて少し急な坂が多い南方に御大と衛士長を配置し、鬼たちが広場に入り込んだ所で、まず芹菜が攻撃を開始する。
あとは、道を塞ぎ、比較的広い建物の跡地で戦うようにと話し合った。
「では、清人君。降神してみましょうか」
「……はい」
神妙な面持ちで清人が頷く。
一般的に、神々は自然の中、どこにでもいるものだと教えられているが、実際は神社に祀られている尊い存在と認識している。
自分に降ろすなどという考えは、普通は無い。
それは、恐れ多いことで、恐ろしいことであった。
その不安を見て取った花梨が、先に短刀を抜いて、目の高さに翳す。
「降神、火之迦具土命」
ボオッと炎が溢れ出し、花梨を飲み込んでいく。
そのあまりの光景に、清人は息を飲んだ。
猛烈な光を放ちながら渦を巻く炎の中で、花梨の髪は茜色に染まり、ふわりと浮かぶ。
はためく袴も燃え盛るような赤に変わっていった。
ゆっくりと目を開けた花梨は、にこりと微笑み、地に足を付けた。
「可愛い?」
誰かの真似をするように、花梨は問い掛ける。
「か、き、可愛い、です」
なぜか慌てて丁寧語で話す清人に、花梨は満面の笑みを浮かべた。
「じゃあ、清人ちゃんの番」
「あ、うん」
覗き込むように言われ、少し頬を赤らめた清人が、慌てて目を逸らして、鏡の中を覗き込む。
「……降神、火雷命」
呼び掛けに応えるように、鏡が光を放つ。
一瞬、そこに映し出されていた清人の姿が、芹菜に変わって微笑みかけた。
バリバリッと雷火が清人の全身を駆け巡り、直後に炎が湧き上がる。
本来の持ち主である芹菜も、この神霊を降ろしたことが無い。
神人、双方初めて同士の降神に、まるで神霊が舞い踊るかのように、火花が飛び散り、焔が揺らめく。
猛烈な勢いをもって神気が体に入り込み、衣服をはためかせながら溶け込んでいく。
髪は琥珀色のやや透明感のある色に染まり、開いた左の瞳にも、同じ色が宿っていた。
「うん、可愛い」
両手を合わせてそう言った花梨が、嬉しそうに微笑んでいる。
芹菜は寧ろ、その花梨の笑顔の方が可愛いと思った。
「そもそも、可愛いって何だっけ」
つい、余計なことを口走りつつ、気を取り直して清人の様子を確認する。
「どう? どんな感じ?」
「なんだか、熱いような、暖かいような感じがします」
そう答えながら、胸元を押さえる。
まだ少し、髪や袂がふわふわと揺れている。降りた神霊がちょっと悪戯をしているかのように。
「いかがですか?」
横で眺めていた小鞠が、芹菜に問い掛ける。
「思ったより、思っていた以上に相性は良さそうです。今の状態で、甲か乙か、判断に迷うぐらいですね」
つまり、より相性の良い神霊が見つかるか、ちゃんとした訓練を受ければ甲種隠密になり得る。
「惜しいな」
そう呟いたのは御大。
こうなると、芹菜が譲るはずが無い。清人は中央に取られたかと確信を持った。
「清人君。刀を抜いてみて」
「はい」
スラリと抜き放ち、パチクリと瞬きをする。
「……軽い」
「清人君の力が強くなったのよ。それと、降神時に身に付けていた物にも神霊が溶け込むから、神霊と一体化している今の清人君には、体の一部みたいなもんでしょ」
「へぇ……」
振り上げて、振り下ろす。
ボッという音と共に、空を斬る。
芹菜から見ても、力が乗っているのが判る、良い振りだ。
「神気、自分の中にある神様の力を感じられる?」
「ん……なんとなく」
まあ、普通はそういう物だ、花梨が異常過ぎるだけで。
「その力を刀に集中して。それだけで殆どの鬼、少なくとも今日戦う鬼は、難無く斬れるから」
「はい。やってみます」
応えた清人に頷いて見せ、芹菜は改めて全員を見渡す。
御大と衛士長はまだ降神していないが、この二人は放って置いても良いようにしてくれるだろう。
「では、みんな、それぞれ配置について身を隠して」
芹菜の言葉に一様に応え、三方へ散って行く。
それを見送ってから、改めて鬼の匂いを探る。
近付いてきている。
それは確かだが、どれほど近いかまで判らないのが難点だ。
芹菜は御大から受け取った大きな木札を取り、水引を切って巻いてある紙を解いた。
その裏には、札に込められた術の作用、効果などについて書かれている。
術について御大から説明は受けていたが、改めて一通り目を通し、口元に手を置いて暫く考える。
「降神、建御雷命」
先に鏡を取り出して降神し、再び木札を手に持った。
ふうっと、息を吐き、それを掲げて叫ぶ。
「天狗っ!」
長さ二尺の大きな木札が、バアッと光を放ち、そして消えていった。
辺りはしんと静まりかえり、微かに虫の音が聞こえている。
振り向けば、十八夜の月が東の空に昇り始めていた。
もう一度だけ、西の方を確認すると、芹菜も近くの石垣の陰へと身を隠した。
匂いのする方角に幅が出来れば、それは鬼の集団が近付いてきているという証拠。
縦に匂いが広がっているように感じるのは、すぐ近くの坂を、並んで登っているということだ。
黙って、耳を澄ます。
やがて、僅かなざわめきと、足音が聞こえ始めた。
歩いている。
早歩きという感じではあるが、走ってはいない。
それでも亥の刻までには街道に出るだろうから、そこから走り続ければ、夜明けまでに八坂の国の山中に逃げ込めるという計算だろうか。
芹菜の存在には全く気付かないように、そのままの速度で、鬼たちは広場に入り込んだ。
一つ深呼吸をしてから、芹菜は立ち上がる。
「こんばんは。いい夜ですね」
振り向きながら微笑みかけた芹菜に、驚愕の表情を浮かべたのは、先頭を歩いていた親方だった。
「なぁっ! 貴様はっ!」
芹菜も内心は驚いていた。
この鬼が率先して逃げるとは思っていなかった。
何より、歩くのがやっとの傷では、逃走の足手まといになるのでは無いか。
「親方さん、先ほどぶり。お加減はもうよろしいようで?」
集団の中に居るので、親方の負気の強さはよく判らない。
だが、明らかに回復している。
「なぜ、貴様がここに居る」
芹菜の質問には答えずに、親方は両手で背後を庇いつつ問い返す。
「そんな事……お判りでしょう?」
親方はギリリと歯噛みする。
言われるまでも無い、どう見ても待ち伏せだ。
「親方、こいつが……こいつが例の奴ですか」
背後の鬼に問い掛けられ、親方はハッとする。
「お前らっ! 逃げろっ! 全員、走って逃げるんだっ!」
何処へ、との指示も無い。
鬼たちの間に動揺が走る中、一匹の鬼が前に出た。
「お前が、お前が紗々女さんを殺した人間かぁ!」
ズワッと負気が湧き上がる。
「うおおおおおぉっ!」
怒気を孕んだ叫びと共に、焔が渦を巻いてその鬼を取り囲んだ。
「紗々女さんの仇っ! 討たせてもらう!」
「待てっ、止めろっ」
更に前に出ようとするその鬼を、親方が止める。
「お前らじゃ勝てん。いいから逃げるんだ」
言って聞かせようとするが、しかし、その鬼は意外にも落ち着いた声で返した。
「解ってますよ、親方。俺は親方より、紗々女さんより弱い」
スッと片腕だけ焔を消し、親方の腕を掴んで潜る抜ける。
「それでもっ! たとえ死んでもっ! 譲れねえ戦いが男にゃあ有るんですよ!」
居並ぶ鬼たちから「おおっ!」っと声が上がる。
「紗々女さんの仇っ!」
「俺もやるぞっ!」
十匹程度の鬼の負気が膨らみ、その体に変化を見せる。
中級の、属性鬼たちだ。
熱を帯びる鬼たちに対し、芹菜は逆に冷静に鬼を観察していた。
自分をあの女の鬼の仇だと思っている。
引きつけるには好都合だ。
属性鬼は十匹程度。
一人で全員同時だと面倒くさいが、勝てない相手ではないし、今は仲間が居る。
そう考えながら、鬼の全体数を大まかに見積もり、そこでやっと気が付いた。
中級下級を合わせ、この場に百匹程度の鬼が居る。




