第三十一話 師事
「という訳で、お前ら三人で鬼湧谷へ向かってくれ」
衛士長の言葉に、三人の衛士たちは露骨に嫌そうな顔をした。
「マジですか」
「残念ながら大マジだ」
衛士長に対するとは思えない言葉遣いに、衛士長に相応しくない言葉を返す。
「三人って、少なくないですか?」
小鬼ならともかく、普通の鬼と戦うとなると、不安な人数だ。
「俺もそう思うんだが、街道沿いの村に使いが出る、その護衛も出さにゃならん。すまんが頼む」
三人は互いに顔を見合う。
正式な命令だ、そもそも拒否などできはしない。
「先に言っておくが、無理をする必要は無いからな。鬼が居たら、必ず逃げろ」
「はっ、はい」
予想外な指示に、若い衛士たちは戸惑いを浮かべる。
「良いか? もし本当にそこに鬼が居たとして、最も重要なのは、それを町に伝える事だ。命がけで倒す事じゃない。それはみんなでやれば良い。命をかけなくても倒せる状況でだ」
「あ、はいっ」
「もう一つ、聞いていると思うが、御山の毒という物もある」
「はい」
「誰か一人でも、頭が痛いような気がする、息が苦しいような気がすると感じたら、迷わず戻れ。勘違いだったとしても構わない。これは命令だ」
「はい」
気がするで行動を決定するなど、衛士には有っては成らない事だ。
だが、それが衛士長の命令であるならば、従う他ない。
「まぁ、そういう事だ。危険な任務かも知れないが、危険じゃ無いようにやってくれ。頼んだぞ」
もう一度、頼むと言われ、三人は一斉に頭をさげた。
気の抜けた上司ではあるが、それ故、厳しい人間では無い。
他人には甘いが、自分にはもっと甘い、衛士の長には決して向かないが、死んでこいと命令されるよりは、遙かにマシだ。
若い三人は、少し笑いながら出立の準備に向かった。
「さぁて、問題は護衛か」
偵察や調査を任務とする者は、危険を察知すれば逃げれば良い。だが、護衛はそうはいかない。
衛士長は、護衛という任務が嫌いだった。
特に文官という種類の人間は、すぐに「もうダメだ」「走れない」などと言い出す。命が掛かっているような場面であっても。
護衛対象が走れないと言い出せば、どれほど状況が悪くても、そこで戦うしか無い。そして、奴らは兵士が必死に戦っている後ろで、「もうダメだ」と叫び続ける。
更に質の悪い奴は、悲鳴を上げて敵を呼び寄せる。
そんな馬鹿共の為に、どれほど多くの若者が死んでいった事か。
衛士長はギリリと奥歯を噛み締め、一度目を閉じ、息を吐く。
そして、いつもの腑抜けの顔に戻り、頭をボリボリと掻きながら部屋を出た。
護衛は、鬼に出会った場合、戦いを避けられない可能性がある。五六人は、必要だろう。
その人数で、文官を守りながら、湯川道を北上し、村々に立ち寄らなくてはいけない。
帰還はいつになるだろうか?
いや、おそらく戻ってくる頃には、この件は片付いている。
六人減らした状態で、町を守らなければならない。
再び険しくなりそうな眉間を揉みほぐし、槍を取って下の詰め所へ向かう。
上の詰め所は閉鎖、本所に予備兵力無し。
自分という戦力を、本所に配置しておきたい所だが、それも叶わない。
「こんな時に、どこまで行ってやがるんだ」
衛士長は、誰にとも無く呟いた。
簡単に済ませるつもりだったが、花梨には無駄な神気を使わせてしまったかも知れない。
指導しながら、練習のつもりでやってみたのだが、まず覚えるべきは手加減だという事が判った。
この後、降神を解く時に、花梨にどの程度の疲労が出るのか、予想できない。
実際の状態をみながら、辛いようならどこかで休ませる必要がある。
特級鬼と接触する可能性も考え、芹菜は阿刀の待つ廃村で、長めの休憩を取る事に決めた。
「昇神」
芹菜の言葉に応え、神霊が抜け出て掌に集まり、青銅鏡を形作る。
「昇神」
その様子を眺めた後、同じように、花梨も降神を解く。
体に降りていた神霊が抜けだし、髪や袴も元の色へと戻っていく。
代わりに、ズシリとした疲労感が伸し掛かる。
だがそれも、今までに比べれば大分楽なような気がした。
ふうっと息を吐き、顔を上げた花梨は、一つの疑問を口にする。
「その、鏡は、どうなっていたんですか?」
芹菜の鏡は、降神と同時に消え去り、昇神と同時に現れる。
「ああ、これ? これは神気の物質化と逆の現象で、降神と同時に神気化してるの」
「へぇ」
となると、もう一つ、逆の疑問が出てくる。
「私の使った短刀は……」
あの短刀は、消えたりはしなかった。
「あれは仮神器。降神しやすくする為の道具で、本当の神器は花梨ちゃんの右手でしょ」
……?
「と、いうことは……」
「見た目、判らないけど、たぶん降神と同時に右手が神気化して、代わりに神気が物質化して右手になってるんだと思う」
暫く観察していた芹菜からすると、花梨の右手はそれだけでは無い何かがある。
降神していなくても、降神状態に近しい力を発揮していたように思えた。
つまり、……よく判らない。
「私も体に神霊を依せてるんだけど、それを降神する事はなくてね。実体験は無いんだけど、そういう物だって話を聞いた事があるわ」
以前、自分の一物を神器にしていた馬鹿がいた。
降神するたびに衣服が弾け飛び、股間を光り輝かせる、酷い変態だった。
……例えが悪すぎるので、花梨には話せない。
花梨は自分の右手をじっと眺め、握ったり開いたりしている。
その目には、光り輝いて見えているのだろうか。
「どうして、他の方は体に依せた神霊を降神しないんですか?」
「単純に、神器に依せた神霊の方が力が強いから、かな。花梨ちゃんは特別なのよ」
力の強い神霊が、人に宿ること自体はある。
ただし例が少ないし、大体が特殊な状態だ。
「基本的に降神する為には、降神とはどういう事か、どうして欲しいのかを予め神霊に伝えておかなくてはいけないし、結構手間が掛かるから……」
言いながら、鏡袋を取り出す。
「本来、神霊は自然の中にあり、祭りの際に木や石に依せて拝むものだったんだけど、恒久的に、安定的に力を借りる為、人工的な柱を利用するようになった、だから神は一柱二柱と数えるの」
「それは聞いた事があります」
「柱を持ち運びできるようにした物が杖、更に小さくした物が串。木札を御霊串と呼ぶのはその流れ」
「はい」
「それとは別方向に発展したのが神器で、元々は鏡を日に見立てたり、弓を月に見立てたりして、近しい姿の物を依り代とすることで力の強い神霊が依りやすくしたのね」
花梨の顔に疑問が浮かぶ。
そうであるなら、全ての神器が鏡であるのはおかしい。
「他に、火の神の依り代に火打ち石を使ったり、風の神の依り代に扇を使ったりと、その神に縁のある物を神器に使ったんだけど、そうすると、まあ、面倒くさいというか、色々大変で」
芹菜は苦笑してみせる。
神器の発展とは、つまり、人が如何に楽をするかという考えによる物である。
「結局、青銅鏡にそれぞれの神を表す文様や文字を入れる事で、どんな神霊も鏡を神器にするようになったのよ」
そう言いながら、二つの青銅鏡を花梨に見せる。
鏡面は当然区別が付かないが、裏返してみると、確かに文様が違う。
「ある程度形式があって、それぞれの神霊に合わせた物を作る事によって、強い力を持つ神霊を依せやすくなってるの」
「なる……ほど。合わない神器には、強い神霊は来てくれないという事ですね」
「単純に言うと、そういう事。花梨ちゃんの体は、火之迦具土命に合ったんでしょうね、たぶん、元の鏡よりも」
本当はそんなに単純では無い。解らない事も多くある。
実際、花梨の状態はよく解らないのだが、それを伝えるのは憚られる。
「この鏡には火雷命が依せてあるんだけど、それとは別に、私の体にも火雷命が依せてあるのに気付いた?」
「はい、判りました」
先ほどの戦いで、二柱の火雷命の力を借りた。
普通の人間には判らない事だが、花梨には神霊の動きが見えていたのだろう。
「厳密に言うと、火雷命という神霊が火雷命の働きをするんじゃ無くて、火雷命としての働きをもつ神霊を火雷命と呼んでいる……、解る?」
「はい、解ります」
へえ、解るんだ。
小鞠も驚いていたが、この理解力は確かに凄い。
さして説明の上手くない芹菜にとっては、はっきり言って、ありがたい。
実際は、自然界の神霊に名前など無く、人がその力と働きを見て、それぞれ名付けているのである。
「だから、火雷命と一言に言っても、具体的な霊威や霊力は全然違って、降神するのは、なるべく力が強い神霊を使うわけ」
そうは言うが、芹菜は火雷命を降神した事が無い。
より力の強い火雷命の神器を持ち歩いているのは、戦いの後の祓い清めに使う為だ。
今は花梨に宿っている火之迦具土命は、先ほどの金性鬼のように、雷に耐性を持つ鬼などを焼き殺したり、炙り殺したりする為に利用していた。
「降神する以外に、実戦で力を借りる事を考えても、強い方が良いに決まってるんだけど、強い神霊に力を借りれば、その分自分の霊力を消耗するし、神器を持ち歩かないといけないのが欠点ね」
「はい」
「体に依せる最大の利点は、何時いかなる時でも使える事。極端な事を言えば、素っ裸でも戦えるわね」
「芹菜さんはぁ、裸で戦う事があるんですかぁ」
村の上の方から下りてきながら、小鞠が声を掛けてくる。
話の最後の部分だけを聞いていたようだ。
「例えですよ。体に神霊を寄せていれば、素手でも戦えるという話です」
「あー、そうですねぇ」
小鞠は既に降神を解いている。
一緒に居た弁柄は、まだ村の奥で霧を使った祓いを行ってくれているはずだ。
「あとは札ですねぇ」
「術札の説明は、また今度にしましょう。作りながら説明した方が解りやすいから」
「はい」
芹菜は直接の弟子を持った事が無い。
そもそもの基礎知識を持たない人間に対して説明するのも、これで良いのか判らない。
いずれ、本所でちゃんと指導を受けさせた方が良いんだろうなあ。
そうは思うものの、今は即戦力として必要なので、最低限は自分が教えなくてはいけない。
「とりあえず暫く休憩。弁柄さんが戻ってきたら、帰りましょう」
河鹿亭に戻った清人は、まず父に寄り合いの話を伝える。
とは言っても、衛士の話した内容は、全て父も知っている事ばかりで、決定された行動も、特に驚くような事は無い。
「そうか。わかった、ご苦労さん」
部屋には火鉢が置かれ、シュンシュンと湯気を上げている。
薬師の視点で見れば、これで沸かせるお湯はあまりにも少ない。
だが、別に場所を借りて大きな釜で湧かし、使う分だけこれに移すというなら、まだなんとかなるかも知れない。
「あと一つ。寄り合いが終わってからの事ですが……」
清人は、川崎屋の御大から、新しく作る店で修行しないかと誘われた事を伝えた。
そして自分が、花梨が戻ってきてから、父と相談して答えると返事をした事も。
「そうか、そうだな。それで良いと思うよ」
兄たちはもう戻らないかも知れない。父もそれは考えているはずだ。
花梨と共に生きて行きたいという気持ちは確かなものだ。
だが、飴釜屋を、この湯川の薬師と職務を放棄する覚悟が、清人にはまだ無かった。
長兄、清彦が無事戻れば、考える必要の無い悩みであり、今、戻らない事を前提に話をする訳にもいかない。
父は清人に背を向け、畳の上に薬研を並べていく。
(薬研とは、薬を磨り潰す道具の一つ。舟形の器に薬草を入れ、その上で車輪を前後させながら潰していく。)
飴釜屋では石製と鉄製の薬研を使い分け、更に大小数種類を用いている。
車輪に欠けが無いか確認し、それぞれの舟形に納めているらしい。
その向こうには、乳鉢やすり鉢が、棚には秤と分銅が並んでいる。
「すまんが引き続きで、大浦さんの葬儀を頼む」
「はい」
父も大浦屋の主人も、共にこの町で生まれ育った。言うまでも無い幼なじみである。
薬師である飴釜屋は温泉を引く権利、株を持っており、自宅に湯船がある。
二人は子供の頃から同じ湯船に入っていたと、酒を飲みながら何度か聞かされた。
父は、そんな親友の葬儀よりも、薬師の仕事を優先するのだ。
清人は無言のまま、暫くその背を眺め、一礼して部屋を出た。
思う所は色々ある。
だが、今やるべき事は大浦屋の葬儀だ。
大浦屋の一番近しい親族は主人の妹だが、他の町に嫁に出ており、この葬儀には間に合わない。
奥方も他の町からの嫁入りで、そちらの親族も、まだ連絡すら届いていないだろう。
必然的に、隣組の自分たちが中心となって葬儀を執り行わなくてはいけない。
清人は鈍色の着物と袴を纏い、羽織を羽織った。
末広を差し、懐紙を多めに懐へ入れる。
父の名代を務めるべく、足早に鶴屋へ向かった。




