第三十話 虚偽
郷司と衛士長、神祇官達が退出した後、何人かが清人の周りに集まった。
「清彦さんは、どうしちまったんだ?」
「いや、すみません、俺にもよく判らないんです」
兄、清彦の身に起こった事は、本当に判らない。
無事で居るのかさえ。
沈んだ表情で俯く清人の肩に、一人の老人がポンッと手を置いた。
「そう落ち込むな。本当に鬼の仕業とは限らんじゃろ」
「……お爺」
紙屋、清人の祖父である。
先ほどの寄り合いではまったく発言していなかったが、そもそも清人を気遣って参加しただけで、普段からあまり物を言わない人物である。
「ご無沙汰してます」
「いや、そりゃあこっちじゃ」
紙屋は少し離れた所に半隠居しており、本人が町に来る事自体が少ない。顔を合わせるのは軽く半月ぶりだ。
「なかなか顔も覗かせんですまんかった。それで清彦は、隣の柘榴を嫁に貰う話だったんか」
その話は、まだ祖父にも伝えていなかったらしい。
「はい。大浦屋から柘榴さんが兄の、清彦のところに嫁に来てくださって、それで、俺が花梨の婿として大浦屋に入る話になってました」
横手から「おお」と言う声が複数上がる。
年の若い旦那衆だ。
「それはおめで……」
若手のうち一人が、言い掛けて言葉に詰まる。
明らかにしまったという表情で固まり、両脇の若旦那に引きずられて後ろに下がる。
「すまんっ、悪気は無かっ……」
「いや、ダメだろお前、馬鹿か?」
「ちょっとは物を考えて口を開け、阿呆が」
悪気が無かった事は解っている。
こんな事件が起こらなければ、そうやってみんなに祝福されていたのだろう。
清人は寂しげに笑って、「大丈夫です」と伝えた。
一連の遣り取りを聞いて、上手で集まっていた年寄り達も、清人たちの方へ近付いてきた。
その中で一人、川崎屋の御大が清人の真向かいに座った。
傍に居た若旦那が、慌てて座布団を勧める。
それを受け取った御大は、座り直しながら、清人の顔を窺うように質問した。
「今の話だと、君が大浦屋の跡取りかね」
「あ、はい、いえ、まだ話だけで、具体的な事は何も。婚約もまだ、仲人も決まってませんでした」
それを聞いて、河鹿亭の若旦那が口を挟んだ。
「仲人は、鶴屋さんじゃ無いのか。一昨日の寄り合いの後、儂がやるとか、息巻いてたぞ」
鶴屋は前回の寄り合いで、場所を提供した温泉旅館である。
本日は葬儀の用意で欠席しているが、飴釜、大浦の両主人と年も近く、親しい間柄だった。
「そうなんですか?」
「いや、確かな事じゃないが、おそらくそのつもりだったんだろう。ただ、そうだな、清彦君の仲人なのか、清人君の仲人なのかまでは聞いてなかった。めでたい話をしてるなと、通り過ぎながら小耳に挟んだもので」
「証人が居るならそれで良い」
証人?
清人は、そして周りに居た幾人かは、御大が発した言葉に疑問を持った。
「郷司様に頼まれて、大浦屋の代わりを務める海産物屋を紹介する手筈になっていた。もし、将来、大浦屋を立て直すつもりなら、そこで修行してみるか?」
またしても、周りから「おお」と声が上がる。
驚きと、そして少しばかりの羨望が混じった声だった。
「修行、ですか」
「ああ、どんなに息巻いた所で、今すぐ大浦屋をなんとかする事などできまい? 悪い話では無いと思うが、どうだ」
確かに、悪い話では無い。
ただ、御大は何を期待しているのだろうか。
清人に取ってはそれが疑問だった。
「自分の事だけではないので、今すぐはお返事できません。花梨が帰ってきてから、父とも相談させていただいてからお答えします」
「ふむ。それで良い」
御大は、妙に満足げに頷いた。
その表情を見て、逆に、誘いに飛びついていたら失望させたのだろうか、むしろ、自分を試したのかもしれないと考える。
「はぁ、しかし、血筋的に考えりゃぁ柘榴が婿を取るもんじゃと思っとたんじゃがのぉ」
脇に居た老人の一人が、溜息を吐くように言った。
町人組合の長だ。
「ワシらは大浦屋の娘さん達を、産まれた時からよう知っとたからのう。今のあの子は、どうもなんとも」
長女の柘榴が跡を取るべきではないのか、そんな考えをする人は、一定数居る。
だが、脇に居た別の旦那たちがそれを窘めた。
「橋本の旦那。あまり余計な事は言いなさんな。大浦屋さんが決めた事じゃろ」
「そうじゃな。故人さんの決めた事じゃて、口を挟むもんじゃねぇ」
「いや、大浦屋の決めた事に、文句がある訳じゃねえが……」
賛同を得られると思っていたのか、否定されてばつが悪そうに目を逸らす。
「失礼します」
何とも言えない空気の中、戸口から声が掛かり、瞳子が一礼して入ってくる。
清人を取り囲むような形になった旦那衆に、一瞬怪訝な顔をするが、直ぐに取り繕う。
「湯飲みを、お下げしても宜しいでしょうか」
「はいどうぞ、お願いします」
近くに居た者が答えると、瞳子が戸口に視線を走らせる。それを合図にご婦人方がお盆を持って入室した。
あまり長居するべきでは無いだろうか。
この後、大浦屋の葬儀もある。
皆同じ事を考えたのだろう、一同が互いに目配せをして席を立つ。
「とりあえず、葬儀だな」
「ああ、一旦戻って、鶴屋だ」
葬儀は本来自宅で行われる、しかし、今回は場所が無く、温泉旅館の鶴屋が部屋を提供してくれる手筈になっていた。
「では、また後でな」
声を掛け合い、旦那衆が参集所の玄関に向かい始めた。
川崎屋の御大も、既に座を立っている。
清人は座ったまま一礼し、立ち上がった。
「俺たちも、一旦帰りましょう。お爺は?」
「儂はこのまま鶴屋さんへ行くよ、荷物も預けてある」
「はい、では後ほど」
退出しようとする清人の肩を、若手の旦那衆が軽く叩いて行く。
「気を落とすなよ」
「何かあったら手を貸すからな、声かけろよ」
「花梨ちゃんも、きっと無事だからな」
「おう、お前らの結婚式、楽しみにしてるぞ」
ガシャンと音がして、湯飲みが転がる。
「しっ、失礼しましたっ」
慌てて瞳子がそれを拾った。
拾うが、そこで動きを止め、じっと湯飲みを見つめている。
清人は思わず声を掛けた。
「瞳子? 湯飲みが欠けた?」
「ん……いえ、大丈夫です。ちょっと驚いて」
何に?
疑問には思ったが、わざわざ聞く事でも無いと思えた。
逆に、瞳子が質問してくる。
「えっと、清人兄さん、ご結婚なさるんですか?」
「あ、はい。まだ正式に決まった訳じゃは無いですけど、花梨の所へ婿に入る話が」
一瞬、瞳子が目を丸くする。
「……あ、すみません。私……」
「大丈夫、気を遣わなくても。花梨は無事だから」
清人は、無事を信じているのでは無く、知っている。
落ち込んだ風に視線をさげた瞳子の頭を、ポンポンと優しく撫でる。
瞳子は自分の頭を両手で押さえ、何か言いた気な目で見返したが、言葉は発せず、一礼した後、お盆を持って下がった。
その向こうで、いつの間にかご婦人方が集まっている。
「あらあら」
「まあまあ」
瞳子はそのままご婦人方に取り囲まれ、部屋の隅まで移動していった。
何かを話しているようだが、清人の所までは聞こえない。
「なるほど、そういう事か」
「俺は知ってた」
若旦那たちは訳知り顔で頷き合っている。
「何をですか」
「清人は知らんでいい」
清人の問いかけに、笑いながら応えて、一同は玄関へ向かった。
釈然とはしないが、清人もそれに続いて、最後に参集所を出た。
一旦、河鹿亭へ戻り、父に報告した後、次は葬儀だ。
清人はグッと伸びをして、空を見上げた。
川崎屋さんの事は、なんと説明した物だろうか。
思案しながら、ゆっくりと石段を下り始めた。
川沿いの曲がりくねった道を、親方は背後を気にしながら歩いて行く。
しかし、決して振り返ったりはしない。
勿論、振り返った所で目が合うとか、そんな馬鹿な事をする連中では無いのは、百も承知の上だ。
ただ、自分たちがつけられている事など気付かずに、真っ直ぐ村へ向かっているのだと、思ってもらいたい。
それも、無駄かもしれんが。
自分の予想が正しければ、この道が行き止まりである事を、奴らは知っているはずだ。
もし本当に跡をつけてきているのであれば、自分たちが間違った道へ進んでいる事に、既に気が付いているかも知れない。 だが、他に方法が思い付かず、親方は歩を進め続けた。
「もう少しだな」
「へぇ」
伝えるべき事は伝えた。
この後、藤吉郎は行き止まりだった所を突き抜け、川沿いを暫く走ってから山に入り、村へ向かう手筈になっている。
親方達は、追っ手の足止めだ。
それは、死を意味する事かも知れないが、時間稼ぎはできるはずだ。できると信じたい。
やがて、大岩が在った場所が見えてくる。
確かに、岩は割れ、半分ほどが手前に崩れていた。
上に生えていた特徴的な奇木は、火に巻かれた様に煤けて、葉は全て無くなっている。
近付いてみれば、表面は炭化しているようだった。
「これは……」
燃えた奇木や、割れた岩もさることながら、親方は足下に違和感を覚えた。
この辺りまでは、ある程度道の形になっていたはずだ。
岩の少し手前まで、石が整えられていたのを見た記憶がある。
しかし現在は、割れた岩を中心に、うっすらと泥に覆われている。しかもほぼ綺麗な円形に。
「……そうか、土を使う奴もいたな」
泥を使い、紗々女の攻撃を防いでいた。
やはり、奴らがここまで来たのは間違いなさそうだ。
「藤吉郎、頼む。行ってくれ」
「へい」
応えて振り向いた藤吉郎の視線が、すっと親方達の背後へ動いた。
それに気付いて一瞬怖気が走ったが、続けられた言葉は予想外だった。
「あれ……煙が上がってますよ」
「なに?」
咄嗟に親方と明光が振り返る。
そこに追っ手の姿は無い。
「どこだ?」
藤吉郎の言う煙も、見当たらない。
「あそこですよ、あの、木こりの村の辺りです」
数歩河原に向かって移動しながら、そちらの方を見る。
「むぅ、確かに」
白く、色の薄い煙が、確かに木こりの村辺りから立ち上っている。
「奴らが火を付けたのか?」
「恐らくは」
親方の疑問に、明光が答える。
しかし、聞きたい答はそうでは無い、なぜ、何を燃やしているのか、だ。
いや、それを考えるより先に、すべき事がある。
「藤吉郎、行けっ」
「へっ、へい。では、後ほど……」
応えて藤吉郎は駆け出した。
割れた岩をピョンと跳び越え、向こうの藪へと姿を消す。
村の事は、これで良い。
「あそこで何かを燃やしているのだとしたら、追っ手は無いかも知れませんね」
「取り越し苦労であれば、それで良い」
自分たちも、生きて村まで帰る事ができる。
「色が白いと言う事は、よく燃えていると言う事だな」
親方は、聞かせるとも無く呟く。
不完全燃焼を起こしていれば、煤の多い黒い煙が上がる。
逆に、完全燃焼に近付けば、色は薄くなる。また、白い煙は水分が多いという事でもある。
「思い付くのは、紗々女を火葬しているか、村そのものを燃やしているかです」
明光の言葉に、親方も頷く。
それぐらいしか思い浮かばない。
「なんにしても、暫く様子を見よう」
今のところ、道の奥から奴らが姿を現す事は無く、藤吉郎を追っていった様子も無い。
「明光、道の方を警戒しておけ。俺はこの岩を調べたい」
「はい」
背後を明光に任せ、親方は割れた岩へ向かった。
途中気付いて、藤吉郎の足跡を踏んで歩く。
これで、奴らが後から見ても、岩の向こうに飛び越えた事は判りにくいだろう。
岩をよく見た所で、なぜ割れたのかまでは判らない。
だが、上に生えていた木が燃えている所から、あの、炎を使う娘が殴り割ったのではないかと思えた。
だが、何の為に?
それに、この足下の泥は何だ?
泥を何の為に使う?
真っ先に思い浮かぶのは、先ほどの戦いで見た攻撃を防ぐ為の泥の山。
しかし、これは違う。
他に、例えば自分が土を使う者だとしたら……。
「足止めか」
思わず、言葉が出た。
思考より先に、何かが頭に閃く。
「足止め。誰を?」
奴らに襲われた者が、他に居たのだろうか?
いや、村の者達は、ここには来ないはずだ。
ならば……。
親方は、割れた石を退かし始めた。
いつもなら軽々とこなせる仕事だが、今は体に力が入らない。
「明光、そっちはもう良い、手を貸せっ」
「はっ、はい」
慌てて明光が駆け寄る。
「何かありましたか」
「いや、まだだ」
まだ何かが見つかった訳では無い。
だが、ここに有る可能性が高い。
ゴロリと退かした岩の下から、人の手が見えた。
「やはり」
親方は、確信を持って呟く。
「親方、これは」
「恐らくは、いや、ほぼ間違いなく、清次だろう。奴ら、俺たちに守れない約束をさせやがった」
村に戻っても清次は居ない。
探した所で見つからないだろう。
そして、約束を守らなかったと、襲いかかってくるのだ。
「何が嘘なのか、全てが嘘なのか」
奴らは本当に訳が判らない。
「村へ戻るぞ、明光」
「宜しいのですか?」
「清次が見つからんでも、明日、約束の場所へは誰かが行かなくちゃ成らん。……と俺たちが考えると奴らは思っているはずだ」
「はい」
黙って逃げれば、追ってくる。村の場所はもうバレていると、こちらが思い込んでいると、思っているはずだ。
「そこで女とアレを受け取ってから、使者の跡をつける事もできる。そうすれば、村ごと丸焼きにでもできるだろう」
そう、奴らが唯一本当の事を言っているとすれば、その目的だ。
清次を殺す、人を鬼に変える道具を手に入れる、攫われた人間を取り返すという、それは嘘である必要が無い。
「俺たちを、村の鬼達を見逃すという言葉だけは、間違いなく嘘だ」
明日、約束を守った所で、殺される。
そもそも、約束を全て守る事は、最初からできないようになっていたのだ。
そして、その事実を突きつけた所で、奴らは笑いながら自分たちを殺すだろう。
「村へ戻って、逃げる段取りを考えよう」
逃げ切れるとは思えない。
だとしても、何もしない訳にはいかない。




