第二十九話 寄り合い
重い足を引きずるようにして、親方と明光は村を目指していた。
その道のりが、今まで感じた事が無いほど遠く思える。
「お……親方!? 親方っ! どうしたんですか、その怪我はっ!」
前方から掛けられた声に顔を上げ、自分が俯いていた事に気が付いた。
「藤吉郎か……」
「親方、それに明光さんも、何があったんですか」
「厄介な事になってな、……村を捨てて逃げねばならなくなった」
駆け寄ってきた藤吉郎は、その言葉に目を丸くして立ち止まる。だが、直ぐに親方の体を支えようと腕を伸ばした。
「馬鹿、お前の腕じゃ支えきれんよ」
親方の体は鬼の中でも比較的大きい。藤吉郎は六尺程度の身長しか無く、肩を貸そうとすると脇の下に潜り込んでしまう。
親方はその頭を、片手でグイッと押しやってどける。
「どうしてもと言うなら、明光を支えてやれ」
「いえ、俺は大丈夫です」
明光も、片手を上げて遠慮する。
「俺たちは自力で歩いて戻る。お前は先に戻ってみんなを集めておいてくれ」
「はい、わかりました」
不安げな表情を浮かべながらも、藤吉郎は了解して駆け出そうとする。
その後ろ姿を見て、親方はふと疑問に思った。
「藤吉郎。お前、なぜこんな所に居た?」
「へ?」
人と鉢合わせるかも知れない所へは、なるべく行かないように言い聞かせている。
ここは木こりの村より奥地だが、絶対と言える場所では無い。実際、ここで釣りに来ていた人間と出会った事もある。
「へえ、実は、この奥の行き止まりになってる辺りから煙が出てたようなんで、ちょっと見てきたんです」
「煙?」
親方は眉を顰める。
そのような物は見ていない。
「山の方からチラッと見えただけで、直ぐに消えたんですが、気になって見に行ってみたところ、行き止まりの所の大岩が割れて、その上に生えてた木が燃えてたみたいです」
「なに?」
嫌な予感がする、むしろ確信に近い。
「すまん、歩きながら話そう」
つい振り返って後ろを確認したくなるが、そのまま歩き出す。
「しくじったかもしれん」
「なんですか?」
藤吉郎の質問には答えず、真っ直ぐ前を向いて言葉を続ける。
「二人とも、後ろを振り向くなよ」
明光は一瞬ピクリと肩を動かし、頷いた。
藤吉郎も横目で親方の表情を確認し、黙って頷く。
「藤吉郎、まず言うが、近くに鬼を殺す人間が来ている」
「うぇ?」
藤吉郎は奇妙な声と共に、軽く飛び上がる。
「普通にしていろ、つけられているかも知れん」
「……つけられていますか」
明光は苦虫を噛み潰したような顔をしている。
親方の言わんとした事が判ったのだろう。
「先に村の存在を知っている風な口を利いていた所為で、村の場所は既に判っているという言葉を、鵜呑みにしてしまった。あれは……あれが嘘だったかも知れん」
「そうですね」
「高藤と一緒に居た奴を一人逃がしたのは、跡をつける為だった。しかし途中で見失って行き止まりにぶち当たって、それで戻って待ち伏せしていた、とは思えんか」
「その可能性はあります」
だとすると、自分たちを生かしたまま帰したのは、今度こそ跡をつける為かも知れない。
運の良い事に、木こりの小屋の直ぐ手前だった。
村へ向かうにはここを曲がらなくてはいけない。
しかし、今この道を上がれば、村の場所を教えるような物だ。
「まっすぐ行くぞ」
「勿論です」
明光は前を睨むように応える。
藤吉郎はオドオドとするばかりだ。
「藤吉郎。大事な頼みがある」
「はい、なんでしょう」
「歩きながら、何があったか全て話す。行き止まりに着いたら、お前は山を突っ切って村へ走って、みんなに伝えてくれ」
「はい、わかりました。……親方達は」
「気にするな、無事ならば後で行く」
無事ならば。
その言葉の意味を思い、藤吉郎は泣きそうになる。
「頼むぞ藤吉郎。あの人間共は、人間に見えるが化け物だ。俺たちでも歯が立たない。皆の命に関わるんだ、ちゃんと伝えてくれよ」
「はい。必ず」
親方はまず、清次を鬼に変えた事から話し始めた。
寄り合いは、まず座長の挨拶で始まった。
旅館組合の長であり、町の者からすれば郷司より遙かに信頼できる人物である。
郷司は座長の後ろに床几を置いて腰掛けている。
その向かって右に座っている、無精ひげを生やし、眠たそうな顔でボリボリと頭を掻いているのが、普段あまり見かける事の無い、郷の衛士長。
向かって左、大きく離れて壁際に、川崎屋の御大。
その他の旦那衆は、縦長のロの字型に並んでいる。
上手の方に、清人の祖父、紙屋の姿も見えた。
寄り合いは基本、主立った人物は参加するものだが、今回は時間の都合か、三十人ほどしか集まっておらず、座布団が大分余っている。
「前が空いておるので、皆、こっちへ詰めてくれ」
挨拶の最後、座長がそう言って手招きする。
清人と同じく、下座に座っていた比較的若い者は、顔を見合わせてから立ち上がった。
それぞれが座布団を持ったまま詰めて、ロの字を小さくして座り直す。
それを見計らって、瞳子とご婦人方がお茶を配りだした。
「皆それぞれ、色々と聞いてはいると思うが、順を追った話をまず、衛士の方にお願いしたい」
「はい」
座長に促され、上手、神祇官の次席に座っていた衛士が立ち上がる。
「高い所から失礼致します。昨日、下の当番長を務めていた柳生忠隆と申します。よろしくお願いします」
丁寧な言葉遣いで、柳生と名乗った衛士が、一昨日からの出来事を、順を追って話し始めた。
まず一昨日の昼、街道を少し北に上がった辺りで小鬼を目撃したとの連絡があり、捜索に向かった衛士が実際に小鬼五匹を発見し、これを退治した。
同日、旅の薬師も同じく町の北方で小鬼六匹を退治したらしい。
そして昨日の朝、町を出立した湯治客の夫婦が、小鬼九匹に襲われ、男性は負傷、女性は連れ去られるという事態になった。
しかしこの件も、前日の薬師が鬼を追跡し、一人で九匹全部を退治した上で、負傷したご婦人を町まで連れ帰った。
この、旅の薬師の話で、場が少しざわめく。
大浦屋の出来事は皆知っていただろうが、こちらの話を聞いていなかった者もいるのだろう。
なんにしても、一人で小鬼を九匹同時とは、尋常な事では無い。
達人か、武芸者かと、囁き合う声が聞こえる。
その後、大浦屋で火災が発生。異常な火柱を上げ瞬く間に燃え広がるが、突然下火になり、程なく鎮火。
焼け跡からは、大浦屋のご夫婦と、長女の遺体が見つかり、次女は行方知れず。
そして、遺体を検分したところ、鬼の爪による物と思われる傷があり、特に娘は頭部が無く、それは焼け跡からも見つかっていない。
部屋はしんと静まりかえっていた。
その中に、誰かの呟きが、妙に大きく聞こえた。
「火を操る鬼というのが、居たよな」
何人かが声のした方に視線を向けたが、肯定も否定も無い。
する必要が無い、皆、火を操る鬼が実在する事を知っている。
「そして今朝の事ですが……」
まだ話を続ける衛士に、再び視線が集まった。
皆、事件は昨日の事だと思っており、今朝何かあったとは聞いていないのだろう。
「下の詰め所で預かっていた、娘さんの遺体が、灯り守をしていた飴釜の清彦さんと共に、行方知れずとなりました」
「はぁ?」
「何だって!?」
「どういう事だ?」
驚きの声が上がり、質問が飛ぶ。
何人かが、清人の顔を窺っていた。
衛士は両手で落ち着くようにと制しながら、説明を続ける。
「飴釜の清彦さんは、大浦屋の娘さん、柘榴さんと結婚の約束をしていたと言う事で、灯り守をさせて欲しいと申し出があり、お任せする事に成りました」
清彦と柘榴の婚約は、まだ町の人には知らせていない。だが、そこに疑問を持った人は居ない。問題はそこでは無い。
「清彦さんが詰め所に入った後、衛士が厠を使う事はありましたが、それ以外に出入りした者はおりません。当の清彦さんも、詰め所から一歩も出ておりません」
場は一層ざわめくが、座長は特に言葉を挟まない。おそらく前もって聞いていたのだろう。
「意味が解らん。それで、清彦が遺体を隠したと言う事なのかね」
「いえ、そうでなく。誰の出入りも無かったにも関わらず、清彦さんと、遺体のうち、柘榴さんの遺体だけが消えていたと言う事です」
「そんな馬鹿な」
話だけ聞けば、確かに馬鹿げている。
しかし、衛士は至って真面目に反論する。
「昨夜は常時二十人体制で警備しておりました。仮眠を取る者は詰め所の庇の下に入って休んでおり、気付かれる事無く出入りできたとは思えません」
「いや、しかし、実際、姿が見えんのじゃろ?」
「はい。ですから我々は、これも鬼の仕業ではないかと考えております」
神出鬼没という言葉がある。
鬼ならば、気付かれる事無く出入りできたのではないか。
だがそれは、人にとっては非常に恐ろしい仮定だ。
場が静まりかえった所で、衛士は付け加える。
「失礼しました。最後の発言は我々の見解でありまして、灯り守と娘さんの遺体が消えたという所までが、確認された事実であります。……以上です」
彼の役目は、起こった事の報告であって、それ以上は無い。
これが、現在判明している、鬼によると思われる事件の概要である。
勿論、それ以外の事も清人は知っているが、話す事はできない。
「それで、鬼はどこから来たんじゃ」
「そもそも、小鬼はともかく、鬼を見た者はおらんのか」
上手に座った年寄り達が、思い思いに声を上げる。
旦那衆の寄り合いでは、挙手をして発言するという様な事は無く、報告事項の他は、大体が上座の十人程度がああだこうだと言い合うだけである。
基本的に、若者に発言権は無い。
詰め寄られるように質問された衛士長は、パタパタと手を振りながら答える。
「現在まで、鬼を見た者はおりません。鬼がどこから来たか、どこへ行ったのか、どんな鬼だったのかも、まったく判っておりませんよ。強いて言えば、裏山から町に入ってきたのだろうな、というぐらいですね」
この衛士長も、あまり信用や信頼という言葉に縁が無い人物である。
内容の無い発言や気の抜けた態度に、年寄り達が声を強める。
「判らんじゃなかろう! 判らん物を調べるのが衛士の仕事じゃろうが」
「そうじゃそうじゃ。北から来とったんじゃろ、七年前のあそこは調べたんか?」
「あっちは御禁地ですよ、立ち入れませんて」
面倒くさそうに答える衛士長に、怒りと不信感が込み上げる。
そこに神祇官が割って入った。
「御禁地と言っても、重要な物があっての禁地では無い、御山の毒があるだけだ。急ぎ確認の為に入るぐらいなら、事後承諾でも良かろう」
普通、御禁地と言えば金山銀山などの鉱山や、翡翠や水晶が採れる、皇帝の御料地だ。
湯山は硫黄などが採れるが、禁地である最大の理由は御山の毒、つまり火山ガスである。
「いやいや、勘弁してください。七年前の鬼の大量発生は、その御山の毒によるものですよ? 死んでこいとでも言うつもりですか」
「御山の毒は常にある物では無い。現に、御禁地に勝手に村を作っていた連中がいただろう」
「そいつらはみんな、死んだじゃないですか。それで鬼が湧いたんでしょう? 今回も同じとこから鬼が出たんなら、御山の毒があるって事ですよ?」
確かに、言われてみればそうだ。
七年前は御山の毒による生物の大量死で、鬼が湧いた。
今回、同じように鬼が出たのなら、そこに御山の毒があると思って間違いない。
しかし、逆に言えば、御山の毒がある所が、鬼の発生源である可能性は高い。
「じゃあ、お前が戻らんかったら毒があったという事じゃな」
年寄りの一人が、毒のある言葉を衛士長に突きつける。
「……どうしても行けというなら行きますが、犬の一匹でもお貸しいただきたい」
犬がいれば、人には気付く事のできない毒も、嗅ぎ分けて知らせてくれるはずだ。
「犬、か……」
町で犬を飼っているのは、主に狩りを生業とする、所謂、狩人達だ。
相棒であり、家族でもある犬を、毒を嗅ぎ分ける為に貸してもらえるだろうか。
「誰ぞ、当てはあるか?」
「無い事は無いが、どうだろうな」
「衛士も犬ぐらい飼うておきゃあ良いものを」
「今さら言うてもじゃなぁ」
狩人は町に居を構えていても、本質的には町人ではなく、山の人間だ。
貴重な技術者でもあり、特殊な知識も持っている。
つまり、あまり揉めたくない。
「兎にも角にも、一度行ける所まで行ってきたらどうじゃ。息苦しくなったなら無理せず戻ってきたらええ」
長老達にとっては、これで折衷案のつもりらしい
「仕様が無いですねぇ。じゃあ、誰か若い者にでも……」
「お前が行け」
心無い声が上がりそちらに視線が集まるが、発言者は素知らぬ顔である。
衛士長はボリボリと頭を掻きながら、溜息を吐いた。
「良いでしょう、どうせ暇ですし。行って参りますよ」
衛士たちが鬼に備えて警備をしている最中に、長が暇とはどういう事か。
皆、呆れた顔で、或いは憎々しげな視線で見つめる。
そこへ郷司が釘を刺す。
「まあ待て。こんな時に責任者が町を離れる訳にもいかんだろう。若手で信頼できる者を、二三人出せ」
「はっ。ではそのように」
これ幸いと、衛士長は恭しく礼をして了解の意を示す。
「それから、街道沿いの村にも人を出したい。護衛を用意しろ」
「はい。上の詰め所の者で宜しいか」
「良いだろう。どうせ湯治客もほとんど居らん」
言われるまでも無く、公衆浴場近くの詰め所は人員を減らし、町の入り口の警備に多くの人を割いているはずだ。
「お前も今日から下の詰め所に詰めろ。国府からの増援が来るまで本所に戻る事は許さん」
「ええー……」
不満げな衛士長の声は、誰もが聞こえないふりをする。
その件は置いて、年寄りの一人が質問をした。
「増援が、来るんで?」
「今朝方、川崎屋の一隊が下りる時に書状を託した。近々、国府の衛士か、国軍が来てくれるだろう」
皆から「おお」とか「ああ」とか、安堵を含んだ感嘆の声が漏れる。
これで、防衛では無く、討伐に動けるはずだ。
「取り急ぎの対応は、これで良かろう」
座長が簡単に方針をまとめる。
「国府からの助けが来るまで、この湯川の郷でするべき事は、入り口の防御を固める事と、近隣の村へ注意を促す事。それと、鬼湧谷の調査をするという事で、宜しいな」




