第二十八話 修祓
「芹菜さん、極悪ですねぇ」
「何ですか、酷い言われようですね」
「あの鬼達は、清次が死んでる事、知りませんよね」
そんな事は解ってる。
だからこその条件だ。
いや、だから極悪と呼ばれているのか。
「あと一日で見つかりますかねぇ」
「いや、あの場所に気が付いたとしても、清次を差し出すのは無理ですよ」
「掘り出せませんか?」
「いえ、顔が無くなっているので、清次だと証明できません」
「……おお、極悪ですねぇ」
軽口を叩きながら、村の奥、小鞠が水性鬼と戦っていた場所を目指す。
「あの鬼達は、本当に見逃すんですか」
花梨が当然の疑問を口にした。
「まさか、鬼は皆殺しですよ」
それに対する芹菜の返答も、当然の事だと言わんばかりだった。
「鬼の村で一番強いのがあの親方なら、まともに戦いになれば、この四人でも勝てますよ。相手が百匹でも」
一対一を百回繰り返すなら、芹菜一人でもなんとかなる。
「ただ、実際やるとおそらく、十匹倒してる間に、九十匹に逃げられると思います」
「なるほど」
「それに、鬼の村の負気溜りをなんとかしないといけないので、やはり人が多い方が良いです。こちらにはいずれ増援が来るので、頭数が揃ってから攻めれば良いだけの事だし、それまで、なるべく集団で移動してくれた方が、追跡がしやすいです」
「移動……、あの鬼達は、逃げますかねぇ」
そこは結果を見なければ判らない。
「今、即逃げるということは無いと思います。今夜はみんなで清次探しでしょう」
約束を果たさず逃げれば、追撃される事ぐらいは判っているはずだ。
「もし、清次の遺体を発見できたとしても、それが清次だとは確認できないでしょうし、追われない為には、とりあえず女達と銀の管は差し出してくるだろうと考えています」
芹菜は口元に指を当て、誰にとも無く説明する。
その視線は既に、戦いのあった場所に向けられていた。
「結構派手にやりましたね」
村の中で一番高い平地、昨日、家があった場所はそれなりの前庭、開けた空き地があった。おそらく村の木こり達が全員並べるほどの。
それが今、まるでイノシシが掘り返したように、それ以上に凸凹になっている。
「さて、簡単に説明しましょう」
言って芹菜は、花梨の方へ振り向く。
「負気が見えるわね」
「はい、かなり濃いです」
村自体が強い負気に覆われているが、特にこの空間は濃い。水性鬼が抱え込んでいた負気が、周りに拡散してしまっている。
それは匂いで判断している芹菜より、目で見ている花梨の方がよく判るはずだ。
「ある程度強い鬼が死んだ場合、そのまま負気溜りになる事があります。というか、ほぼなります」
まるで修祓概論の講義のように、芹菜は話し始めた。
「今回の水性鬼は負気を放出してから死んでいるのでまだマシですけど、場合によっては鬼の死体からすぐに小鬼が湧いてきます」
言いながら周りを見渡し、水性鬼の死体を探す。
……無い?
その様子を見た小鞠は、ポンと手を叩いた後、了解したとばかりに指をさして説明した。
「あ、遺体はもう埋めてしまいました。上半身があの辺り、下半身がその辺りです」
なぜ上半身と下半身がこんなに離れた場所にあるのだろう。
爆裂脚とは、腹部に打ち込んで爆発させる技なのだろうか。
余計な疑問が浮かんだが、今は無視して話を戻す。
「コマさんは土使い。神霊は大地主命でしたね」
「はい」
「だから土の力を借りて、祓いと清めを行います」
見た訳では無いが、おそらく間違ってはいないだろう。
「祓いと清め。普段はどっちもお祓いって呼んでますが、実際は違います」
花梨は黙って芹菜の話を聞いている。
「簡単に言うと、穢れを取り払うのが祓い。清浄な物を加えて清らかにするのが清め、です」
「はい」
「へぇ、今の説明で解りました?」
素直に返事をした花梨に、小鞠が口を挟む。
「私は最初、何を言ってるのか全然解りませんでしたよぉ」
「花梨ちゃんは見鬼ですから、単純に目で見えるのだと思いますよ」
「はい」
「もっと見鬼に解りやすく言えば、負気を散らして薄くするのが祓いで、神気をぶつけて消し去るのが清め」
それこそ、花梨には見えている現象だ。
「そこで、今みたいに鬼と戦った後、負気溜りができた場合、できそうな場合、祓いか清めを行って、小鬼が湧かない状態まで薄めなくてはいけません」
「はい」
「コマさんは、いつもどうしてますか」
「基本的に無駄に力を使わせて、体内に負気が残らないようにしてますよ。後は土に混ぜてグチャグチャにします」
グチャグチャが気になるが、まあ、やっている祓いの部類だ。
「私もなるべく力を使わせた上で止めを刺して、バラして川に流す、祓いの方だな」
訊かれる前に弁柄も答える。
こちらも典型的な祓い。
「私は強い神気の宿った雷を使って倒す事が多いし、残った物は焼き払って灰と煙にしてしまいますね」
これは清めと祓いの混合。
「清めを行うと、その分、自分や神霊の力を消費します。祓いは負気を拡散させるだけで、その浄化は自然の神霊に任せる事になります。どちらも利点と欠点があるのでその時々に合わせて使い分けるように、と指導されてます」
実際には、慣れた方法が一番ではあるが。
「それで、この状況、どうします?」
芹菜は弁柄と小鞠に意見を求める。
「風使いがいると楽なんだが、……霧を撒いて、清めながら拡散するか」
「芹菜さんがお一人なら、どうするんですか」
小鞠は逆に質問してくる。
「いつもと同じ、広範囲に雷を落として、村ごと焼きます」
「派手ですねぇ」
「コマさんは?」
「私一人なら、村ごと土に飲み込むでしょうか。これも、祓いと清めの両方の効果がありますから」
「そちらもなかなか派手ですよ」
言って二人で笑い合う。
「まだ次があるかも知れませんので、今回は村ごと焼いて、霧で祓いましょう」
芹菜は簡単にまとめた。
次。まだ、特級鬼との遭遇があるかも知れない。
「では、花梨ちゃん、練習」
「あ、はい」
「下の家から全部燃やしていきましょう。周りの木は燃やさないようにね」
実はそれが一番難しい。芹菜は今まで、何度やらかした事か。
「火の玉が使えると楽なんだけど。今は炎を放つ練習だと思って、色々やってみましょう」
「はい」
まあ、燃え広がっても弁柄がなんとかしてくれるだろう。
芹菜は花梨を連れて、今朝方、鬼たちが居た家へと向かっていった。
「はぁぁぁっ!」
ドォオオオーッ!
花梨が放った火の塊は、巨大な火柱となって長屋の板屋根を吹き飛ばした。
旦那衆の寄り合いは、本来、そう堅苦しい物では無い。
そうは言っても、喪服や野良着で出る訳にも行かないので、清人は荷物の山から適当な服を引っ張りだし、袴を身に着けた。
「では、そろそろ行って参ります」
おそらく一番若手だ、先に入って座布団を並べるくらいはしなくてはいけない。
「ああ、よろしく頼む」
父は部屋の隅に立ち、顎に手を当てながら全体を見渡していた。
その姿を見て、思わず質問する。
「どうしました」
「んー、ここはここで良いんだが、やはり、せめて囲炉裏が欲しいなと思ってな」
薬屋にとって火は重要な物で、通常、絶えず湯を沸かしている。
しかしこの部屋では、畳を抜いても火を扱う事はできそうに無い。
もちろん、父もそんな事は判っているはずで、湯が必要なら河鹿亭の台所を借りる事になる。
「調薬場を、どこか別に借りんとやっていけんかもしれん」
店の看板だった飴を炊く事は、既に諦めている。
問題なのは煎じ薬。
生のまま客に渡して煮出して貰う物では無く、薬師が煮出して作る薬の方である。
父と長兄はいつも交代で竈の前に立っていた。
清人が手伝う事のできなかった重要な仕事を、ここでは行えないのでは無いかと、父は考えているらしい。
もし清彦が帰ってこなかった場合、父が別の場所に竈を借りに行くと、実質、ここの作業、診察と調薬は清人が受け持つ事になる。
父が見つめているのは、この部屋では無くて、飴釜屋の今後なのだろう。
そして、清人にはそれに言葉を挟むだけの知識と経験、判断力が無い。
一時的な店番はできても、店を任せられるだけの能力は無いのだ。
父はふうと息を吐き、清人に向き直る。
「今日の寄り合いは、紙屋さんが来てくれるらしい」
「お爺さんが?」
紙屋は清人にとっては母方の祖父である。
言葉通り、元は紙を作って売る紙屋で、屋号もそのまま紙屋と呼ばれている。
息子夫婦を無くしてから町の家を引き払って、川向こうの、湯川の支流沿いにある作業場に引き籠もっていたが、数年前に義弟の次男を夫婦養子で迎え、今は穏やかに暮らしている。
年は五十の半ばを過ぎ、町でも長老の部類に入るが、集まりなどにはなかなか顔を出さない人物でもあった。
「今朝、伸次さんと一緒に見舞いに来てくれてな、色々頼んでおいた」
「ありがとうございます」
自分が頼りないばかりに、みんなに迷惑を掛けている。
そんな思いを、清人は顔には出さずに、作り笑いで応えた。
「では、行って参ります」
二度目の出立の言葉に、父はもう一度「よろしく頼む」と片手を上げた。
清次はもう戻る事は無い。
長兄、清彦はどうなったのだろうか。
上手に向かう道を歩きながら、清人もこれからの事に思いをはせる。
実のところ、清人はまだ大浦屋の家族、柘榴やご両親の死に対して実感を持っていない。
それは現実逃避に近い感覚かも知れないが、近しい人が居なくなる生活というものが、上手く想像できないでいた。
柘榴と結婚し、父の跡を継ぐはずだった兄。
花梨と結婚し、大浦屋を継ぐはずだった自分。
どうなるんだろう。
そもそも、自分はこのまま花梨と結婚できるのだろうか。
結婚するとして、清彦が戻らなければ、自分が飴釜屋を継ぐ事になるのか、大浦屋はどうなるのか。
最悪、自分が飴釜屋を、花梨が大浦屋を継ぐ為に、別々の人物と結婚すると言う事には成りはしないだろうか。
まとまりの無い考えに、清人は頭をワシワシと掻き毟り、振り払うように足を速めた。
神社の参集所というのは、祭りの準備や宴会などの為に、町の人が参り集う所である。
そして、非常時の避難所であり、重要な会議を行う場所でもある。
清人はまず神社に参拝し、参集所を覗き込みながら、巫女の瞳子に声を掛けた。
「こんにちは、お世話になります」
「こちらこそ。ようお参りです」
緋色の袴を穿いた少女が、丁寧な口調で応えた。
しっかり者で有名な瞳子だが、年は清人より二つ下の、まだ十二才、顔立ちには幼さが残る。
小柄でスラリとした細身、二つに縛った髪がお辞儀に合わせて大きく揺れた。
瞳子は両親を早くに亡くし、以来、神祇官を務める祖父と二人暮らしをしている。
飾り気の無い出で立ちであったが、最近は町のご婦人方が色々と気を利かせ、髪に流行りの飾り布などを付けていた。
顔立ちも良く、将来美人になるのは間違いないと噂され、早くも嫁に欲しいという話が多く来ているそうだが、頑として婿取りを希望しているそうだ。
「何かお手伝いする事はありますか」
「お気遣い無く。まだ時間がありますので、どうぞ座ってお待ちください」
チラリと参集所に目をやる。
窓は開かれ、座布団などは既に並べ終えている。
「お茶は……」
「今、ご用意いたします」
「いえ、お手伝いを……」
清人の言葉を、瞳子はジッと視線で遮り、これ見よがしにふうっと息を吐いた。
「清人兄さん? 今日は旦那としてのご出席でしょう? 座っててください」
「……はい」
よしっと言うように微笑んで、瞳子は社務所へと入っていく。
準備を手伝うつもりだった清人は、予想外に手持ち無沙汰になり、縁側に腰掛けた。
最近は随分と暖かくなってきた。暑いと言っても良いくらいだ。
清人は何とも無しに木陰が揺れるのを眺め、鳥の声を聞いてはその姿を探す。
暫くすると、参道の石段を数人のご婦人方が上がって来るのが見えた。
手にはそれぞれ風呂敷包みを抱えている。
「こんにちは」
「こんにちはー」
「ご苦労様」
清人と挨拶を交わし、そのままお社へと向かっていく。
旦那衆の寄り合いに、通常、ご婦人は出席しないはずだ。
おそらく、前もって準備を頼んでいたのだろう。
だから、清人の手伝いなど要らなかったのだ。
ご婦人方が鈴を鳴らし拝礼していると、社務所から瞳子が顔を出す。
「お世話になります。よろしくお願いします」
「はい、こちらこそお邪魔します」
挨拶を交わす瞳子を見ながら、しっかりしているなと感心し、逆に自分の頼りなさを痛感する。
やるべき事は予め決められていて、その為に必要な人員は既に配置されていのだ。
折角、早くに出てきたのに、やる事も無くただ座っているだけの自分が、なんだか惨めになってきた。
「どうぞ」
いつの間にか傍に立っていた瞳子が、茶托に湯飲みを載せ清人の横に置いた。
「ありがとう」
応えて、湯飲みに手を添える。
「清人兄さん……、大丈夫?」
「え?」
「元気出してね。……ええと、いや、元気出さなくても、無理しないでね?」
どうやら、気を遣わせていたらしい。
瞳子も、昨日、何があったかは知っているはずだ。
大浦屋の事も、飴釜屋の事も。
当然、今日、父ではなく清人が来ている理由も、察してくれているのだろう。
「……ああ、ごめん、ありがとう。大丈夫だよ」
清人はなんとか笑顔を作り、瞳子に応えた。
「そう? それなら良いけど」
言って瞳子も僅かに微笑む。
「時間まで、ゆっくりしてってね」
年下の女の子に、優しく気遣われるのが、ますます堪える。
自分には、いったい何ができるだろうか?
やがて昼が近くなると、ポツポツと人が集まり始めた。
それぞれ、境内で立ち話をしたり、先に参集所に入り席に着く者もいる。
清人も縁側を立ち上がり、社務所に入って瞳子に湯飲みを返してから、参集所の玄関へ入る。
そして一番末席に座り、他の旦那衆を待った。
ここには時計は無い。
太陽の動きを見て、概ね正午。
神祇官に案内され、郷の衛士長、郷司、そして川崎屋の御大が入室し、寄り合いが始まった。
簡単に言うと、マイナスからマイナスを引くのが祓い、マイナスにプラスを足すのが清め。




