第二十七話 帰路
ある程度腕が立つようになれば、構えを見ただけで相手の強さを推し量れるようになる。
実のところ芹菜は、剣の腕自体は大したことが無い。
主に使う武器が短刀である事も含め、槍を持った、訓練された衛士には勝てないだろう。
だが、年の割には、数多くの優れた剣士を見てきた。見る目には自信がある。
強いな、やはり。
単に斬り合いであれば、手も足も出ないだろう。
元々、芹菜の強さは、術と技の威力に依っている。
相手の得意に合わせる必要は無い。
「火雷命」
バシッと雷火が走って、親方が構えた刀の切っ先に当たり、半ばまで添ったあと、胸元に飛んで肩口から抜けていく。
その雷光の後にボボボッと火が灯るが、金属に燃え移るはずも無く、すぐに消える。
親方は、微動だにしていない。
芹菜は再び青銅鏡に手を添えた。
「火雷命っ」
呼び掛けられた言葉は同じである。
しかし、応えた神霊は違った。
ガァンッ!
轟音を響かせ天空から落雷し、親方の左肩を打ち砕く。
「グゥッ……!」
まさか上からの攻撃が来るとは予想していなかったのか、それとも、雷撃で自分が傷を受ける事は無いと思っていたのか、親方はまともにそれを受ける。
折角修復した大袖が、吹き飛んで地に落ち、解けて負気に変わっていく。
呻き、顔を顰めつつも、視線は芹菜から逸らさない。
しかし……。
ボォオオオっ!
肩を貫き地面に着雷したその場所から、火柱が立ち上がる。
「なにっ!?」
金属は火を通さない。
そして、この火柱は金属を溶かすほどの高温では無い。
だが、金属は熱を通す。
意外にも、金性鬼の弱点は火である。
厳密には加熱、もしくは冷却に弱い。
親方は一瞬だけ火柱に視線を移し、大きく右に跳んで離れる。
その僅かな隙に、芹菜は札を取り出した。
「火群」
ピッと投げ飛ばしたその札の向こうに、突然波打つような炎が起こる。
引火する物など何も無いはずの地面の上を、扇状に炎が走り親方を巻き込みながら燃え広がる。
もちろん、金性鬼自体には燃え移る事は無い。ただ、炎がその体を、鎧を炙る。
芹菜は左手に握った短刀を下に構えたまま、相手の出方を窺っていた。
どのような攻撃であれ、初太刀を受ける自信はある。問題なのはそこからで、二の太刀三の太刀はどう変化するか判らない。
また、芹菜から斬り込んだ場合、後の先を取られる可能性が高く、もし受けられた場合でも、やはりそこからの変化が読めない。
自分の間合いの中で、如何に相手の構えを崩すか。
そこが勝負である。
芹菜は相手の切っ先の動きに合わせ、間合いを詰める。
既に、親方の踏み込みならば、完全に芹菜を捕らえられる距離のはずだ。
そっと右手を懐に入れる。
その隙を逃さず、親方が斬り掛かる。
地面の上を滑るような踏み込み。まるで刀身がグニャリと柔らかく波打ったかのような、奇妙な錯覚を伴って切っ先が伸びてくる。
速い!
しかし、普通の人間にとっては驚異的であっても、降神状態の芹菜に対応できない速度では無い。
受けようとした短刀に大刀が触れ、キンッと小さな音が鳴る。
その速さ、重さからは考えられないほどの軽い音で、触れさせただけだと解った。
打ち込み自体が牽制で、切っ先が素早く短刀の刃の周りをクルリと一周する。
芹菜の目にはその動きが見えている。見えてはいるが、そこから捲りに来るのか、押さえに来るのかさえ判断ができない。
「火雷命ぉっ!」
言葉が終わらないうちに、芹菜の意思に応えて落雷が、短刀とそれに絡まる大刀を撃ち貫く。
ガァンッ!
大小二つの刃を等しく貫いたはずの雷は、しかし、親方の大刀だけを打ち砕き、二人の足下から炎を吹き上げる。
「な……っ!」
親方は驚愕して目を見開いた。
その隙を見逃す義理は無い。
「大雷命っ!」
芹菜も巻き込みながら、巨大な雷の柱が親方を飲み込んだ。
「ゴ……グォォオオオオッ!」
轟音の中、親方の叫びが聞こえる。
雷では傷つかない、そう思い込んだ事が間違いだった。
本当に、雷で傷つく事の無い芹菜が、同じ雷柱の中にあって、ただじっと親方を見つめていた。
雷の柱が消え去ると同時に、親方はガシャリと膝を突いた。
ゆっくりと前のめりに倒れる、その体の下敷きにならないように、芹菜は少し距離を取った。
「……終わりましたか?」
「いえ、まだ生きてますよ」
背後から聞こえた花梨の声に、振り向かずに応える。
完全に倒れ込んだ親方は、動かない。おそらく気を失っているのであろう。
「花梨ちゃんの手で、鎧を壊してくれる?」
「はい、わかりました」
胸高にグッと握った花梨の拳に白光が宿る。
それを次々振り下ろし、親方の鎧を叩き壊していく。
「随分大きな音がしましたねぇ」
右後ろ、少し高い所から声が掛かる。
「コマさん。そちらも片付きましたか」
「はい。祓いはまだですが」
振り返った芹菜に応え、小鞠はぴょんっと土手を飛び降りる。
黄土色した長い髪を靡かせ、ふわり、というより、ぐにょんっという感じで着地する。
その下半身は泥のような物で覆われ、どうなっているのか、脚は奇妙な弾力を発揮している。
「ちょうど良かったです、これ、ひっくり返していただけますか」
親方はうつ伏せに倒れている。尋問するにも、様子を窺うにも仰向けの方が良い。
「はいはぁい。花梨ちゃん、ちょっと退いててくださいねぇ」
「はい」
親方の鎧を粗方破壊した花梨が、芹菜の元へ戻ってくる
「よっ……と」
小鞠は親方では無く手前の地面に手を突き、まるで板でもひっくり返すかのように、地面ごと金性鬼を表返した。
いとも簡単にごろりと転がったその巨体の上に、バラバラと土が落ちる。
「おぉ。すごいですね」
「土使いには基本ですよぉ」
小鞠はまったく呼びかけをせず、土を動かしている。
土に神気を通す事に慣れているのか。
さすがの芹菜も感心してしまう。
「弁柄は、まだですか」
「ええ、まだのようですね」
小鞠の言葉に、芹菜も河原の方へ視線を動かす。
別に心配などはしていないが、放っておくものでも無い。
「弁柄さんの方へ行きますか。コマさん、それ、引っ張ってこれます?」
「お安いご用です」
小鞠は土を掴むと、まるで布でも引っ張るかのように、それを引く。
それに合わせ、親方が周りの地面ごとズルズルと動き始めた。
凄い。
事も無げに熟すその姿に、芹菜は再度感心する。
元甲と言っていたが、これはかなりの手練れだ。
一行は河原に下りようとしていたが、よく見ると弁柄は村の端に立って、下を眺めていた。
その視線の先に、大きな繭のような物が見え、そこへ河原から飛来した水の槍が、次々と突き刺さっていく。
「ん? そっちは終わったか?」
くいっと顎を上げるように振り返り、弁柄が芹菜達に声を掛ける。
それに小鞠が応える。
「水のは片付けました。親方さんはこれに」
「ふむ。あれはどうする、止めを刺そうか」
弁柄は芹菜に視線を向けて質問する。
「こっちに人質ができましたので、ちょっとお話ししてみましょうか」
「解った」
了解の意を示し、水蒸気の繭に向かって掌を翳す。
「解」
その言葉に応えて、繭を形作っていた水蒸気も、水の槍も、文字通り霧散する。
どしゃっと音を立て、明光が崩れ落ちた。
「あれぇ? 死んでませんかぁ」
「いえ、まだ生きています」
かなり弱くなったが、まだ鬼として在り続けるだけの負気は残っている。
芹菜には、おそらく花梨にも、それが判る。
「では、行きましょうか」
視界を遮っていた水蒸気が急に消え去り、体を貫き止めていた背後からの槍も、急に力を無くし、ただの水になった。
既に、それに支えられていた明光は、立ち続ける事もできずにその場に倒れ込む。
最早、手を突く事さえできなかった。
助けが来たのか?
朦朧とした意識に僅かな希望が宿るが、必死に頭を起こして見た光景は、絶望的だった。
どしゃりと、再び頭を河原に落とす。
その上に、声が掛けられた。
「起きてください。殺しますよ?」
それは、殺す気は無いという事か?
目を開き、首を捻って声の方を見る。
予想に違わず、雷の化け物が、冷徹な目で見下ろしていた。
「親方もまだ生きてますよ。あなたの返答次第では殺しますが、よろしいですか」
「ぐ……っ」
そう言われては寝ている訳にはいかない。
自分たちは戦いに負けたのだ。
相手に従い、命乞いをしなくてはならないのだろう。
なんとか体を捻り、四つん這いになるようにして、上半身を起こす。両脚には、力が入らない。
「無理そうだ……、横になったままでも良いか?」
「……ええ、どうぞ」
明光は左半身を下にするようにして横になりながら、相手の姿を窺う。
敵は一人も減っていない。
そして、その向こうに親方が倒れているのが見える。
「紗々女は……、女は、どうした」
「殺しました」
この質問には、芹菜では無く小鞠が答えた。
髪の色が変わっているが、紗々女が戦った相手であろう事は判る。そいつが無事なのだ、つまり、そういう事だ。
明光は目をつむり、大きく息を吐いた。
「お聞きしたい事がありますが、よろしいですか」
「ああ」
嫌と言えるはずが無い。
「人を鬼に変える銀の管。それは、この親方が作った物ですか?」
「……いや、違うと聞いた事がある。親方も、他の鬼にそれを渡され、鬼に成ったのだと、言っていた」
芹菜が僅かに眉を寄せ、背後の仲間の方を振り返る。
だが、特に言葉を交わす事無く、質問が続いた。
「その、親方を鬼に変えた鬼は? 村にいるのですか」
「いや、居ない。俺が仲間になって直ぐぐらいに、ふらりと居なくなった」
「では、今、銀の管はどこに?」
この質問に答えて良いのか、明光は一瞬だけ悩む。
しかし、隠し立てした所で意味は無い。
「村に……、村が、大変な事にと、お前は言っていたな」
「あれは嘘です。私たちが先鋒で、本隊はまだ湯川です」
明光は再び目を閉じる。
怒り、とも言えない、そう、何とも言えない感情が胸を渦巻く。
「村に、置いてある。銀の管は、村の、親方の屋敷に大切に置いてある」
芹菜も一つ、大きく息を吐く。
「なるほど」
その、なるほどがどんな意味を持ち、どんな判断に繋がるのか。
「……待て」
不意に、小さいが、重みのある声が聞こえた。
「親方!?」
仰向けに倒れたままの親方から、確かに声が聞こえた。
「ダメだ……、こいつらに話すな。こいつらは、村を……」
ドコォッ!
花梨が無言で、親方の脇腹に拳を叩き込んだ。
「がぁああっ!!」
「親方ぁっ!!」
親方の悲鳴に、思わず明光も叫ぶ。
「ちょっと、花梨ちゃん待って。それ、人質だから」
「あ、はい。すみません」
花梨も芹菜も、慌てた風では無い。
「村の場所は既に判ってますから、隠しても無駄ですよ。大人しく銀の管を差し出した方が良いんじゃ無いですか?」
その提案に明光は驚きを顕にする。
「まさか、渡せば見逃してくれるとでも言うのか」
逆に問われ、芹菜は口元を隠すようにして暫く考える。
「幾つか条件があります」
「なんだ?」
「まず、村をもっと奥地に、決して人と出会う事の無い場所に移す事。そして、鬼の数を増やそうとしない事」
それは、極当然の条件だった。
文字通り、見逃してくれるという事になる。
「あと、攫った人間を帰す事。そして、湯川の町を襲った清次を差し出す事。……それに合わせて銀の管を差し出す事で、如何ですか」
普通に考えれば、好条件だ。ただ一つ、銀の管の事だけは答える事ができない。
「了解した、だが、銀の管だけは、……親方」
明光は、親方に判断を仰ぐ。
「ダメだ。こいつらは信用できない。こいつらは、嘘を吐く」
「じゃあ、あなた方に止めを刺して、明日にでも村に攻め込みましょうか?」
芹菜の言葉に、親方は歯噛みする。元より、勝者と敗者の交渉であり、拒否などできはしないのだ。
「……解った。差しだそう。村には人間の女が何人か生きている、これも、連れてこよう」
「あと、清次です」
「そいつもだ。そいつを庇い立てする理由は何も無い。差しだそう」
芹菜は一つ頷くと、仲間に声を掛けた。
「これで良い?」
「はい。芹菜さんが良いと判断したならば」
「同じく、元より決定権は君にある。従おう」
小鞠と弁柄が答え、花梨も小さく頷く。
「では、これまでね。明日の昼、この場所に銀の管を持ってきなさい。その時に女達と清次も連れてきて」
「……ああ、わかった」
親方は天に向かったまま応える。
「ところで、あなたたち、立てる?」
まだ負気は残っている。歩ける程度までの修復はできそうに思えた。
「ぐっ……くぅっ」
呻きながら、親方が体を起こし始める。
明光も、両手を突いたまま、脚をガクガクと震わせながら、なんとか立ち上がる。
「なんとかいけそうね。では、明日」
そう言って芹菜は村の方へ向かおうとした。
しかし、親方が呼び止める。
「待て。紗々女は……」
「そこは聞いてませんでした? 残念ながら、殺してしまいました」
「……遺体は?」
芹菜は小鞠に視線を向ける。
その小鞠は、斜め下に一旦視線を反らしてから答えた。
「まず、……ボロボロの状態ですので見ない方が良いでしょう。本人も、見られたくないはずです。それと、酷く穢れているので、ちゃんと清める必要があります。お渡しはできませんよ」
「……そうか」
親方は地面についていた手を離し、ゆっくりと立ち上がる。
「明日この場所で。……俺は来れないかも知れないが、構わんか」
「ええ、約束さえ守っていただければ」
芹菜の言葉に、親方は頷いてみせる。
「わかった。……では、帰るぞ、明光」
「……はっ」
二匹の鬼は、支え合いこそしないものの、寄り添うようにしながら、ゆっくりと元来た道へ歩き出した。
「申し訳ありません、親方……」
「何を言ってる。お前が謝る事など、何も無い。全ては俺の、親方である俺の責任だ」
「しかし、紗々女の……」
「言うな、言わんでくれ……」
ただ、奥歯をかみしめ、足を引き刷りながら、鬼達は帰路へついた。




