表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/92

第二十六話 紗々女

 血を吐くのは十数年ぶりだ。

 紗々女は自分を貫く土の塊に両手を突き、なんとか上半身を支える。

 傷は深く、何より最早(もはや)動く事が叶わず、次の攻撃を避ける事も防ぐ事もできない。


 ここまでか。

 思っていたよりは長く生きた。

 しかし、こんな所で、こんな事で終わるのか……。




 紗々女の生まれは皇都の北西、天水(あまみ)の国。

 御山の麓の小さな町の、代々町長(まちおさ)を務める庄屋の一人娘だった。


 幼い頃から三国一の美人と称えられ、その噂は皇都にまで及び、十を過ぎた頃には早くも縁談が来たほどだった。

 祖父に当たる町長は、紗々女の意向を受けてその全てを断り、十四の時、同じ町の生まれの幼なじみを婿に迎えた。


 その頃は、とても幸せだった。


 周辺の村里は天水湖(てんすいこ)の恵みを受け、山も野も豊かな実りをもたらし、集められた特産物は置き場に困るほどで、皇都に送り出されては、金や銅、様々な物に姿を変えて返ってきた。

 祖父は富を蓄える事よりも、町の発展と交通網の開発に力を注ぎ、結果としてより多くの富を築き上げ、それを皆と分かち合った。

 家を訪れる誰もが笑顔であり、祖父に対する賞賛と感謝は、自分の事のように嬉しかった。


 そんな幸せが、ずっと続くと思っていた。


 二人目の子供が産まれた直後、町は襲撃を受けた。

 それは近隣の郷司の私軍であり、国司への反逆の一環であったのは、後に知る事になる。


 私軍という名の野党崩れは、暴虐の限りを尽くし、全てを奪っていった。

 夫と両親は、衛士と共に奴らに立ち向かうと言っていた。混乱の中、その姿は人混みへと消えていった。

 紗々女は指示された通り、他の女性たちと共に山へと向かったが、既に回り込まれており、逃げられるものではなかった。

 目の前で、息子が槍で貫かれ、産まれたばかりの娘は、煩いと言われ坂の下に投げ捨てられた。

 無理矢理服を剥ぎ取られ、乳が出るの、腹の皮が余ってるのと囃し立てられながら、何度も陵辱を受けた。

 泣き叫んでも、男達は手を叩いて笑うだけだった。


 それ以後は、物として扱われる事になる。


 兵士の為の雑用係として、性欲の捌け口として。

 残念ながら外見に優れていた紗々女は、優先的に男の相手をさせられた。

 やがて紗々女達を所有していた私軍が討ち破られると、次は勝利した軍の所有物となった。


 戦乱の時代、物として奪われ、時に売り飛ばされ、縄を掛けて連れ回されながら、使用されてきた。

 中には紗々女を知っている男もいた。かつて祖父や両親と親交のあった人達だ。

 だが、助けようとした者はおらず、どうせならもっと若い内に抱きたかったとか、体が綺麗なうちに使いたかったと愚痴をこぼした限りだ。

 どこをどうやっても、昔のように戻れるはずも無く、紗々女は全てを諦め、ただ、自嘲気味に笑って受け入れるだけだった。


 やがて年を経て、幾つかの病を得ると、同様に使えなくなった女達と共に、あっさりと捨てられた。


 支え合うようにして、谷間に住まいを構え、まだ体を売れる者が近隣の村に出向いて、食物や苗を手に入れた。

 そして小さな畑を作るようになり、辛うじて飢え死にしない程度の生活を維持できるに至った。

 過酷ではあったが、ある意味、穏やかな日々を手に入れられたかのようにも思えた。


 ある日、山芋を掘って戻ると、小屋に火が放たれていた。


 仲間達の悲鳴と、知らない女達の罵声。

 紗々女は藪に身を隠し、様子を窺う事しかできなかった。

 頭を抱え、声も無く泣き、そのまま一夜を過ごした。


 翌朝、仲間の遺体を確認したが、生き残った者がいると知られるのが怖く、埋葬もせず、紗々女は逃げた。

 丹精込めて作った小さな畑は、意図的に踏み荒らされていたが、それでも食べられそうなものを収穫し、旅支度とした。


 再び全てを失い、行く当ても無かった紗々女は、ふと思い立つ。

 故郷(ふるさと)の町。

 あの美しい天水山の麓。

 緑深く、恵み豊かな大地。

 振り返って見れば、家族の生死すら確認していなかった。


 いや、生きてはいないだろう。

 そんな事は解っている。

 それでも、だからこそ、あの町へ帰ろう。

 自分はもう長くない。

 せめて、家族の、亡くなった町の人達の慰霊を行って、それから死を迎えよう。


 そんな思いを胸に抱え、紗々女は天水の国へ向かった。


 そして、たどり着く事無く、力尽きた。


 ……力尽きる所だった。

 見上げるほど大きな鬼が現れ、道ばたに転がる紗々女を拾い上げた。

 あまりにも恐ろしく、命尽きる瀬戸際であるのに、私を食べても美味しくないと命乞いをしたほどだ。

 しかし、意外な事に、その鬼は紗々女を食べようとも殺そうともしなかった。

 むしろ、生きたいかと尋ねてきた。


 紗々女はよく考えもせず、ただ、生きたいと答えた。

 そして与えられたのは、鬼の生だった。


 若く美しかった頃の体。

 綺麗な肌と艶やかな黒髪。

 そして、不自由なく動く体。


 あまりの感動に、涙が溢れ出して止まらなかった。


 紗々女は感謝の気持ちとして、その鬼に自らの体を差し出した。

 他に差し出せる物が無かったし、長らくそうやって生きてきた為に、そうするものだと思い込んでいた。

 鬼は戸惑いながらも受け入れ、そして、その後に感謝の言葉を口にした。


「ありがとう」


 たったそれだけの事で、紗々女は心も救われた気がした。

 自分が、自分の体が、物では無かった事をやっと思い出す事ができた。

 紗々女はまたしても涙を流し、自らも感謝の言葉を口にした。


 以後、仲間から親方と呼ばれていたその鬼と共に、鬼の生きていける場所を探す旅に出た。


 途中、紗々女は親方以外の鬼とも、積極的に肌を重ねるようになった。自分の意思で。

 それが仲間の為にできる事だと考えてであり、実際、仲間からは感謝されていた。

 ある者はただ紗々女を抱きしめて眠り、ある者は紗々女の胸に顔を埋めて泣いた。

 そして繰り返される、思い思いの感謝の言葉。

 紗々女に特別な情を向ける者も多くなり、いつの間にか、親方以外は二ヶ月待ちという程になっていたが、皆、争う事無く自分の為の夜を待った。


 誰かを思い、誰かに思われる。

 感謝し、感謝される。


 それは凄く暖かな事であった。

 そう、それこそが、ずっと求めていた温もりだった。


 やがて紗々女は、自分の持つ鬼の力が極端に強くなっている事に気が付く。

 他の鬼の精を受けるたび、徐々に、確実に、力が増していった。

 仲間から貰った力。

 それは仲間を守る為の力。

 旅の道中、人や霊獣の類いと争う時、それは大いに助けとなった。


 そして、親方との出会いから数年後、複数の街道から大きく離れた、山の奥の谷間を切り開き、念願の鬼の村が完成した。


 それはかつて失った故郷の代わり。

 やっと手に入れた安らげる場所。

 帰るべき家であった。



 いつか死を迎える時は、あの村で、皆に囲まれて、皆にありがとうと言いながら死にたかった。


 こんな所で、こんな風に自分は死んでゆくのか。


 思い出すのは人であった頃の故郷でも家族でも無い。

 苦労を共にした、今の仲間達、一人一人の顔と声。


 こんな所で……。


 ギリリと歯を食いしばり、突いた両手に力を込める。


 最早これまで……だとしても!


 キッと顔を上げ、土偶を睨み付ける。


「けやぁっ!」


 気合いと共に、右手を振りかぶり水の槍を放つ。


 たとえここで力尽きるのだとしても、あれは、あの土偶女だけはそのままにできない。

 無傷で親方の元に行かせる訳にはいかない。


 決死の思いで放った水の槍を、土偶はひょいと軽く(かわ)した。


 ……避けた?


 そう、避けた。

 術で土手を作って避けて以来、初めて攻撃を避けた。

 それはつまり、避ける必要があったという事だ。ギリギリで放ったような、あの水の槍を。


 やはりあれが本体。

 そして、あの攻撃でも、避けなければ傷を受けると判断したのだ。


 命尽きようとしていたはずの紗々女の中に、僅かな希望と、しっかりとした力が湧き上がる。

 それらを全て一つにして、相手に叩き込む。

 強い意識により、再び周りの水気が集まり始めた。

 そして、自分自身が持つ水も、その右手に集中させる。


「おやぁ、まだ頑張りますか」


 そう言った土偶の声に、しかし(あざけ)りはもう無いように感じた。

 偽物の土偶の様に無駄に飛び跳ねず、その場で屈伸……脚の伸び縮みをしている。


 いっそ嘲っていてくれた方が良い。

 一撃の勝負を挑むつもりでいるのに、これでは避けられる。

 土偶を睨みながら、ただ力と水を圧縮させ続ける。

 どうか、(とど)めを刺しに来い。

 先に攻撃する事ができず、祈るように願う。


 攻撃体勢を取りつつ動かない紗々女に対し、小鞠はポンッと後ろに跳び下がり、体を深く沈めて身構えた。


「来ないのでしたら、こちらから行きますよぉ」


 願っても無い!

 しかもあの体勢、こちらに飛び掛かって来る構えか。

 嬉しくて笑顔が零れそうになる。


「はぁぁぁ……」


 緩やかな小鞠の呼気に合わせ、足下の土がズルリと動いて、土偶の右足に巻き付く。


「行きますっ!」


 わざわざ高らかに宣言し、土偶が天に飛び上がった。


埴生(はに)ゅーぅっ! 爆っ裂っ脚っ!」


 土偶を形成していた土も大半が右足に移動し、小鞠の上半身がむき出しになる。

 集められた土は、右足を軸に太く大きな杭を形成し、真っ直ぐ紗々女に突き進む。


「おぉぉぉああぁーっ!」


 紗々女は最早言葉も無く、絶叫しながら水を放った。


 ズドドドドドドドドッ!


 土の杭と水の槍が空中でぶつかりながら、互いを削り合う。

 水は一点に穴を穿ち、泥を撒き散らすように突き進む。

 土は一本の杭の形を形成したまま、吸い込まれるように紗々女に向かって落ちて行く。


 ズッドオォーン!


 土の杭は大地を揺らすほどの衝撃を放ち、爆裂した。




 円錐形の土の槍も衝撃で吹き飛び、その遙か向こう側で、紗々女の上半身が転がっていた。


「おや、まだ息がある」


 それを確認した小鞠が、驚いたように声を上げた。


 紗々女はうっすらと目を開ける。

 黄土色の長い髪を揺らし、左目に金の輝きを宿した少女が見下ろしていた。


 それが、戦っていた相手の本当の姿だと解った。

 だが、何かを応える力はもう無い。気力すら無い。

 顔も、体も、既に干からび、皺だらけになっていた。


「では、行きますよぉ」


 小鞠の言葉に、紗々女はただ目を閉じる。


埴生重破断(はにゆうじゆうはだん)っ」


 後ろに蹴り上げた小鞠の右脚に纏わり付いた土が、半回転する間に鉈のような形に変わる。

 高々と掲げられたそれは、紗々女の頭部に振り下ろされた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ