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第二十五話 鬼の戦い

 村の中だけでは無く、周りの森からも緩やかに水気が流れ込み、紗々女の周りの霧を徐々に濃いものにしていく。

 川の傍だけで無く、ありとあらゆる所に水はあるのだ。

 そして、その霧は大きく渦を巻き、紗々女の元に集まって来る。


 紗々女は、相変わらず土の塊を投げてくるだけの土偶を睨みつつ、反撃の隙を窺っていた。

 いや、隙自体は何度もあった。

 飛び跳ねるという動作自体、隙以外の何物でも無い。

 それでも攻撃できなかったのは、自分の攻撃が相手を倒し得るか、自信が無かったからだ。


 どうするか。

 最大限に圧縮した水の槍で貫こうと考えていたが、避けられると後が無い。

 横方向に幅のある、水の刃なら回避は難しいだろうが、果たしてあの鎧に斬り込めるか。

 こういう非常時に、いやしかし、だがしかしを繰り返し、結局何もしないのは自分の悪い癖だ。

 それで今まで、どれほど状況を悪くしてきた事か。


 紗々女は袖を握った手に、ギュッと力を込める。

 水の羽衣でも、土塊の半ばまでは斬り込めた。

 より多くの水を、より薄く、より強固に圧縮すれば、あの鎧も斬れないはずは無い。


「はぁあぁーっ!」


 再び気合いを発し、胸元に集めた水を薄く円盤状にする。

 それを頭上に掲げ、更に押しつぶし、刃を鋭くして回転させる。

 目の前に飛び来る土塊を叩き落とし、紗々女は駆け出した。

 左手を水の円盤に添え、更に更に回転を速める。

 まるで馬鹿みたいに同じような動きを繰り返す土偶の、着地の瞬間を狙い、それを放った。


「せやぁっ!」


 気合いと共に、円盤は滑るようにして土偶へ向かう。

 地面に下りると同時に、手を伸ばし土を取ろうとする、回避する気など微塵も感じさせない高慢な土偶に、水の円盤は綺麗に刺さった。


「いぃぃっけぇーっ!」


 水の羽衣と同じように、手を離れても意識は届くはずだ。

 紗々女は全霊を掛けて念を送り、水の刃を鋭く回転させる。


 ガガガガガガガガッ!


 水飛沫と泥を撒き散らし、土偶を激しく振動させながら水の円盤が斬り込む。

 土偶は脚を踏ん張り受け止めようとするが、その両腕も深々と削れていく。


 ガガガガガガガガッ……!


 そしてついに、水の円盤が土偶を突き抜け、上半身を切り飛ばした。


 どしゃっと重い音を立て、分断された土偶が、声も無く倒れる。


「……はぁっはぁっはぁっ」


 紗々女は荒い息を吐き、その場に膝を突いた。


 倒した……。

 倒せた。


 ゴクリと唾を飲み込み、動かなくなった土偶を眺める。

 多くの力を使ってしまった。もう自分は役に立たないかも知れない。

 それでも、親方を助けに行かなくてはいけない。

 紗々女は震える脚に力を込め、ゆっくりと立ち上がった。


 てしっ、てしっ、てしっ。


 湿った粘土を繰り返し叩き付けるような音が、背後の土手の上から聞こえた。


「凄いですねぇー、やりますねぇ」


 嫌みな言い回しの、耳障りな声が聞こえる。


「まさか……」


 振り返ると、土手に腰掛け、器用に足を組んだ土偶が、手を叩いていた。


「貴様っ……」

「ほいっ、土突螺旋槍(どとつらせんそう)


 ぞぞぞっと地中を何かが走る。

 一歩の間合いで飛び出した土の塊は、円錐を形作りながら紗々女の下腹部に突き刺さった。


「がはぁっ!」


 腹を貫き背に突き抜けたそれは、グリグリとねじ込むように、肉を押し広げる。

 あまりの苦痛に目の前が真っ赤に染まり、込み上げてくる血の塊が、破裂するかのように口から飛び出した。


「すみませんねぇ、うちの師匠は過保護で。敵が奥の手を見せるまで、なるべく自分では戦うなって言うんですよぉ」




 比較的大きな川である湯川も、この辺りでは川幅も狭まり、水量も少ない。

 しかし、少ないと言っても湯川郷辺りと比べての話で、川幅が狭いが故に、流れはより激しく、巨岩奇岩の隙間を縫うように、絶える事無く水は流れ続けている。


 川に足を浸した状態で待ち構える弁柄を、明光は憎々しげ窺っていた。


 敵の力の程度は判らないが、無尽蔵に水の槍を投げられては、さすがに手に負えない。

 本来なら、急いで間合いを詰めて接近戦に持ち込むべきなのだろう。

 だが、明光はそう考えない。

 先ほどの一連の流れの中で、弁柄は明光の考えを予想した上で、自分に有利な状況へ持ち込んだ。

 今、間合いを詰めるべきと、明光が考えている事も予想しているはずで、むしろ、そう考えさせる為に、今の状況を作ったのではないか。


 これ以上、川に近付いてはいけない。

 近付かざるを得ないと、考えさせられている事自体が、おそらく罠だ。


 なかなか近付いてこない明光に対し、弁柄が、ひょいっと、子供に鞠を投げ渡すかのように、軽々と槍を放った。

 届かないだろうと、明光はその行動を(いぶか)しむ。

 それも一瞬の事だった。


 バシュウっと後方に水飛沫を撒き散らし、水の槍が一気に加速する。


「なんと!」


 長さは三分の一程度に縮まったが、猛烈な勢いで飛来するそれを、明光は驚きつつも、しかし易々と回避した。

 先ほどまで居た場所を通り過ぎて行く槍を、視界の隅で確認しながら、体は弁柄に対したまま、次の攻撃に備える。

 予想通り、弁柄の周りでは、川面から次々と水の槍が()えてくる。それを両手で取り、またも軽々と放り投げた。


 バシュウ! バシュウ!


「チィッ」


 放り投げられた水の槍は、空中で向きを整え加速する。

 弁柄は見境無しのように次々槍を投げるが、それは確実に明光の居る場所へ向かってくる。


 数は多いが、回避に徹すれば当たりはしない。

 だが、このままでは埒が明かない、反撃するには、距離を詰めるしか無い、そう思えた。

 そう思わされている事が理解できた。


 それが敵の望みであるなら、それと逆の事をするのが得策。


 明光はバッと背を向けると、一気に元来た道へ駆け戻った。


 不利な状況で戦う必要は無い。

 まず親方を助け、紗々女を助けてから対処すれば良いし、もし追ってくるなら、今よりマシな状況で戦う事ができる。


 何本か水の槍が脇を通り抜けたが、斜めに走った為か、直撃は無かった。

 どうやら加速し始めた後に誘導はできないらしい。


 明光は河原の端から、一気に上の道へと跳び上がった。

 さらに、次の一歩で村へと跳ぶ。


 パシュウ。


 明光の体に触れた水の幕が、先ほどと同じように小さな音を立てて蒸発した。


「なにっ!?」


 見えなかった。

 見えないほどの、薄い水の幕があったのだ。

 そしてその向こうに、背後にいたはずの弁柄が待ち構えていた。


「随分と賢い鬼だ」


 冷徹な目で明光を見つめる。その姿は河原にいたものと違い、透明な水の鎧を纏っており、左目には青い光が宿っている。

 両手には先ほど投げてきた槍よりも、太く長い水の槍が構えられていた。


「おおおっ!」


 叫びを上げた明光は、体を捻って槍を(かわ)そうとする。

 だが、着地しようとしていたその瞬間であり、避けて避けられるものでは無かった。


 ジュオオォッ!


 大きな水蒸気が上がり、左脇腹に激痛が走る。


「グウゥ……」


 膝を突きそうになるが、堪えて右へ大きく跳んだ。

 見れば弁柄の手に持つ槍が、三割ほど短くなっている。


 これまでの全てが偽物か。

 本体は水の幕で身を隠し、幻影を操っていたのか。

 ……という事はやはり、直接戦闘なら勝てる。


 明光は着地と同時に、今度は弁柄に向かって跳び掛かった。


 傷を受けてはいるが、今が好機だ。


 弁柄の槍は、長さは元に戻ったが、その分細くなっている。

 明光は躊躇わず、その槍に爪を振り下ろした。


 ジュワッ!


 槍は、多少の手応えを残しつつも、難なく切り落とされ、蒸発する。

 爪の炎も消えたが、左右交互に攻撃する事で、再び燃え上がらせる事が出来る。

 河原と違い、ここでは無尽蔵に水を補給する事はできないはずだ。

 繰り出す爪に水の長槍はどんどん短くなり、弁柄に肉薄する。

 だが、明光は勝ちを急がない。

 次は鎧を蒸発させる。


 ガッ! 


 不意に、弁柄が水の小手で守られた左腕で、明光の爪を受け止めた。

 もうもうと水蒸気を上げるが、断ち斬れない。


「ヌゥッ!」


 更に力を込めようとした瞬間、弁柄の右手の平が、明光の腹に向けられる。


神泉暴瀑波(しんせんぼうばくは)っ!」


 弁柄の言葉と同時に、その掌に直径五寸ほどの水の玉が生まれる。

 それが玉の形をしていたのは、まさに一瞬だった。


 ドゴォオオオー!


 そこに存在しなかったはずの大量の水が、螺旋状に渦を巻きながら明光の腹部に打ち込まれる。


「うぉおおっ!」


 まるで横方向に叩き付ける滝のように、あり得ない水が明光を吹き飛ばす。

 大きく後ろに下がりつつ、何とか堪えようとした明光だったが、運悪くそこは村の端で、段差を踏み外し道に転がり落ちた。


 だが、転がり落ちたお陰で水の流れから外れる事ができた。

 明光は倒れたのを幸いと、右に一回転してから起き上がる。

 弁柄の手から噴き出していた水は、見る間に勢いを無くして垂れ下がると、残りは土に落ちて消えた。


 猛烈な水量だったが、時間にしてみればごく僅かで、明光も、全身の炎は消されてしまったが、腹を殴られた程度の痛みしかない。


 これは、距離を取る為の技か。


 明光は即座にそう判断し、再び弁柄に斬り掛かろうとする。


 バシュウ!


 背後から、先ほど聞き慣れた水音が聞こえた。


「しまっ……!」


 振り返りながら爪で振り払おうとしたが、それは予想より低く、左太股に突き刺さる。


「クゥッ」


 水の槍は刺さった後も、水を撒き散らしながら肉に食い込んでこようとする。

 咄嗟に引き抜こうとしたが、まさに水を掴んだような手応えしか無い。

 そこへ、更に五、六本の槍が降り注ぐ。

 両爪に炎を宿し、それを迎え撃つが、最初の三本を打ち落とした頃には、水蒸気が邪魔で見えなくなる。


 しくじった。

 敵は、目眩ましの名手だ。

 この攻撃は、回避しなければならなかったのだ。


 そう気付いたがもう遅い。

 脚に、肩に、腕に、水の槍が突き刺さり、ねじ込んでくる。

 そして、背後から深々と、太い槍が腹を突き抜けてきた。




「お……ぉおおおっ!」


 繰り出された攻撃を、親方は体を捻るようにして避ける。

 白熱の拳が頬を掠め、左の大袖を吹き飛ばしたが、それを気にする余裕は無い。

 そのまま右に、二回三回と大地を転がる。

 折れた大刀を握ったままの、右の拳で地面を叩き、なんとか体を支える。


 左腕は、付いている。

 右足も、おかしくは成っているが、まだある。

 拳を受けた左肩を見てみると、赤熱して溶けていた。


「馬鹿な……、鉄を溶かすほどの熱が……」


 それは、火性鬼、明光の炎でも及ばない高温だ。

 今になって思い出す、一番最初に、剣は素人であっても、それが全てであるはずが無いと、自分自身がそう考えていた事を。


「なんと、愚かな……」


 自責の言葉が口を()く。

 しかし、ここで倒れる訳にはいかない。

 もう二度と、仲間を失う訳にはいかないのだ。


 親方と呼ばれる鬼は、ゆっくりと近付く花梨を睨み付けた。



 若い頃は、剣一筋だった。

 家は槍の名門であり、戦の基本は弓矢であったが、それでも自分は、刀が好きだった。


 刀は、槍が使えなくなった場合の、もしくは閉所、乱戦時など特殊な場合の武器であり、剣術は、徒手と同じく護身術として扱われていた。

 それを、槍を構えた相手に対応出来るまでに高めたのが、自分の誇りだった。


 国司に気に入られ、国軍の一隊を任されるようになり、小さな戦果はいくつも上げた。

 中央では戦火が広がり、東西将軍の軍閥がくだらない戦を繰り返しているのを、田舎の小国から馬鹿らしいと笑いつつ、どこかで羨ましくも思っていた。


 だが、実際に国を襲った戦禍は、生やさしい物では無かった。

 そんな事すら、自分は解っていなかったのだ。

 同盟を結んだはずの隣国が、親友だと思っていた仲間が、いとも簡単に裏切り、罠を仕掛けてきた。

 町は焼かれ、田畑は踏み荒らされ、敵は自分たちでは無く民を狙って攻め立てた。

 罠だと判っていても、捨て置く事など出来ない国司は、自ら出陣し、戻らなかった。

 残ったごく僅かな信頼出来る者達と、国司の子供を守りつつ隣国に逃れたが、血縁であったはずのその国の国司は、保身の為にあっさりと裏切った。

 守りたかった人も、大切な仲間も、全てを失い、いつの間にかただ一人、山を彷徨っていた。

 そこで、あの鬼と出会ったのだ。


 元より死など恐れていない。死ぬ訳にいかなかったから、死ななかっただけだ。

 そして死ねない訳は既に無くなっていた。

 もう、全てがどうでも良かった。

 そんな自分に、あの鬼は優しく手を差し伸べてくれた。


 それから出会った多くの仲間達。

 人ではなくなった自分たちの生きる道、生きる場所を探し求めて彷徨った日々。

 その中で俺は、新たな光を、守りたいと思える者達を、手に入れたのだ。


 まだ、死ぬ訳にはいかない。俺は再び、死ねない理由を手に入れた。

 否、たとえ死んだとしても、命に代えて守るべき場所が、今はある。


「おおおぉぉ……、うぉぉおおおっ!!」


 親方は吠えた。

 奥底から湧き出た負気が、打ち砕かれた膝や肩に染み込み、それを作り直す。

 より強く、より堅く。

 全身を覆う大鎧も、更に厚みを増す。

 折れた大刀にも負気が纏わり付き、欠損していた刃を補っていった。


「これが負気の物質化。負気で出来た鬼の体は、自らの負気で修復され、金性鬼は金属を操り武具も作り出すの」


 芹菜は冷静に説明する。


 その間に傷と武具の欠損を補った親方が、ゆっくりと立ち上がった。

 しかし、体は修復できたが、その息は上がっていた。

 ハアハアと荒い息を吐きつつ、それでも大刀を正眼に構える。


 基本にして究極の構え。

 色々試してみたが、結局はここへ帰ってきた。

 ふと、自分を裏切った親友を思い出す。

 一時は殺したいほど憎んだ相手だが、会いに行く事も無く、今はどうしているかさえ分からない。


「……アイツのおかげで、強くなれた」

「なに?」


 芹菜が聞き返すが、説明する義理も無い。

 呼気を整え、丹田に気を集める。

 ただ刀を以て、敵を斬り伏せる。

 どちらがどうと考えず、ただ斬れる物を斬る。



 正眼の構えを取り、動きを止めた親方を見て、芹菜は花梨を制止した。


「ちょっと厄介そうだから、私がやるわ」

「……はい、分かりました。お願いします」


 花梨は表情を殺し、素直に従った。

 先ほどまでと雰囲気が違うのは、さすがに素人でも判るのだろう。


 芹菜は充分な距離を保ったまま、短刀を抜き、下段に構える。

 そしてじっくりとその姿を観察する。

 地中から呼び集めた本物の金属と、負気が金属のふりをしている物との差。


 そのまま親方が斬り掛かってくるのを待ってみたが、敵はピクリとも動かない。

 虚言を弄して時間が無いように思い込ませていたが、今は純粋に、ただこちらだけを見つめている。

 芹菜にしても、これ以上は時間を無駄にしたくない。


 こちらから打って出るか。


 芹菜は隠し持っている、もう一枚の青銅鏡に手を添えた。

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