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第二十四話 小手調べ

 短刀の刃の中に、もう一人の花梨がいる。

 だがよく見ると、微笑みを浮かべる姿は、自分よりも芹菜に似ていた。

 それは光り輝く火の神霊。

 一度目を閉じ、凜とした眼差しで花梨を見つめ返す、その瞳が赤く輝いた。


 翳された短刀から紅蓮の炎が湧き上がり、掴み掛かるように花梨を飲み込む。

 瞬間、花梨は目映い光の中に引き込まれた。

 今までの降神とは違い、急激に神気が流れ込んでくるのが解る。

 顔を、腕を、胴体を、そして腰から足に掛けて、着物を擦り抜け素肌の上を、熱を感じさせない炎が走る。

 瞬く間に髪は深紅に染まり、袴の色も鮮やかに変わっていく。

 溢れ出す力で体がふわりと浮かび、渦巻く炎が宙を舞う。

 吐息は焔に変わり、左の瞳には赤い輝きが宿った。


 頭の中でもう一人の自分が微笑んでいるのを感じながら、花梨はゆっくり地に足を付けた。


「どんな感じ?」


 隣で芹菜が笑いかける。


「凄く、気持ちが良いです」


 ほうっと、息を吐く。

 血を吐くような苦しみから続く、感情に押し流された今までの降神とは違い、火之迦具土命の暖かさを感じる。

 胸を焼くような灼熱とは違う、優しい光と炎が自分の中にあり、力となって溢れているのが解る。


 花梨はゆっくりと、手に持った短刀を握り直した。


「炎の刃」


 その言葉に従い、炎が刃を形作る。


「もっと神気を集中してみて」

「はい」


 降神せずに作った時よりはしっかりとしているが、芹菜がそう言うのなら、まだ足りないのだろう。


「はぁぁぁあっ!」


 短刀を正面に構え、気合いを込めて神気を集中する。

 改めて、神気を集中するという事の意味が、非常によく判る。

 これを、戦いの中で自然に出来るようにする為に、技に名前を付けて、繰り返し練習するのか。

 なぜだかワクワクした気持ちになり、自然に笑みが零れた。




 術で作られた土手に飛び乗った紗々女を、その先で待ち構えていたのは遮光器土偶だった。

 その、あまりに間抜けな風貌に、一瞬思考が停止する。


「どうしましたぁ、老眼ですかぁ」


 耳障りな声がその土偶から聞こえ、そして竹細工の猿の様に、ぴょこぴょこと揺れ動く。


「ふざ……けるなっ!」


 翳した手から水の刃が生まれ、振り下ろした速度で放たれる。

 それは土偶を深々と切り裂いた、はずだった。

 しかし、土偶は軽く身を反らしただけで、痛手を負ったようには見えない。


「ふふふ、それだけですかぁ」


 顔は見えないが、声は笑いを含んでいる。


 見た目よりも、堅い。軽く放った攻撃では、あの土の鎧は貫けない。

 そもそも敵は、勝てると踏んで自分を誘い込んだのだ、油断すれば殺される。

 紗々女は、迂闊に挑発に乗った自分を諫めつつ、身構えた。


「ではぁ、こちらからも行きますよぉ」




 明光が道に下りたのを見て、弁柄の姿は河原へと動いた。

 たったそれだけの事で、明光は推察する。


「水の系か」


 火の鬼に対するのに水系統が良いだろう事は、すぐに推測出来る。そして、敵は川に向かって移動している。

 いきなり地の利を取られた。いや、最初からそのつもりで引き込まれたのだ。

 先に自分の力を見せる事になったのが悔やまれる。


「おぉおおおっ!」


 両手の爪に力を注ぐと、炎を纏ったそれが、長さ一尺ほどに伸びる。

 これ以上後手に回るわけには行かない。

 敵が水辺に到達する前に致命的な一撃を与えようと、明光は一気に加速した。




 炎の刀を構えた花梨を見て、親方も腰の刀を抜いた。

 かなりの大刀(だいとう)であるが、もとより巨体の彼が持てば、まるで打ち刀のようにも見える。

 それを型通り、正眼に構えた。


 それは子供の頃から、何度も何度も繰り返し練習してきた、基本中の基本の構えだ。

 力量不明の敵に相対する時は、まずこの構えを取ってきた。

 そして、負けた事は一度しか無い。


 目の前の少女は、ただ刃を前に向けているだけで、構えと言えるようなものは無い。明らかに剣は素人だ。

 だが、剣は素人であっても、それが全てであるはずが無い。

 そして、もう一人、雷の化け物もいる。

 親方は慎重に、間合いを計った。


「受けるのは、短刀の実体のある部分で受けてね」

「はい」


 芹菜の指導に、素直に応える花梨。

 それを聞いた親方の心に疑問が浮かぶ。


 何故今ここで、相手に聞こえる状況でそれを言うのか。

 普通に考えれば、自分の力を見て、炎の刃では受ける事が出来ないと判断しての助言だ。

 だが、素直にそうと思えない。

 その発言は、炎の刃では防げないと、相手にも教えてしまう事になる。

 もっと、まるで新参の兵に基礎を教えるような、そんな物言いに聞こえた。

 これが演技なら恐ろしいが。


 まずは小手調べだ。


「ふっ!」


 最小限の動きで放たれる、しかし、巨躯を利用した深い踏み込み。

 並みの兵士が相手であれば、小手ごと斬り落とす威力のそれを、花梨は炎の刀でがっしりと受け止めた。


 甘いっ!


 金性鬼は心の内で叫ぶ。

 打ち下ろした切っ先をクルリと刃の下にくぐらせ、相手が攻撃を受け止めた力を利用して、(めく)り上げる。

 驚くほど簡単に、花梨の短刀が、両手ごと跳ね上がった。


 まず一人。


 その全てが一呼吸の内。

 がら空きになった花梨の胸に、鋭い突きが放たれた。




 ズシンと重い音を立て、土の塊が大地に打ち付けられ、転がる。

 土偶は伸び縮みする奇妙な腕で、どうやってか土の塊を掴み、左右に飛び跳ねながら、次々と紗々女に投げつけていた。


 重い。


 紗々女は呻く。

 単純な攻撃だが、この重さが、意外なほど対処を難しくさせていた。

 矢を弾き、槍をも防ぐ水の羽衣が、いとも簡単に撃ち貫かれる。

 実際には、直径二尺の土塊の半ばまでは斬り込んでいるのだが、止める事は叶わず、羽衣を引き千切るようにして突き抜けてくる。

 紗々女は回避に専念する羽目になっていた。


「せいっ!」


 飛び跳ねた土偶の着地を狙い、水の槍を放つが、まるで意に介さないように胸で受け止められた。

 一見、穴を穿ったように見えるが、土偶の動きに変わりは無く、すぐに埋められて元に戻る。


 やはり、回避の片手間に放つ攻撃では、本体に傷を負わせるには至らないようだ。

 しかし、立ち止まって水を圧縮しようとすれば、敵の攻撃を受ける事になる。

 浮かせた水で、飛び来る土塊をどう防ぐか。

 ……いや、そもそも、浮かせた水で土を防ぐをいう考えが間違っているのか。


 紗々女は立ち止まり、右袖を手に絡ませ、その袖先に水を集めていく。


「せぇやぁっ!」


 踏み込みながら、前方から来る土塊に水を含んだ袖を叩き付ける。


 ドッ! ボコッ!


 袖は土塊を叩き割りながら、地面に打ち落とした。


 いける。


 確信を得た紗々女は、左袖にも水を注ぎ込み、手に絡める。


「ヤッ! ハッ!」


 立て続けに飛び来る土塊を叩き落とし、土偶を睨み付ける。


「あははっ、結構やりますねぇ」 


 土偶はまだ余裕の笑い声を上げている。

 防ぐ事が出来ても、反撃出来なければ意味は無い。

 この状態で、攻撃に使う水を集めて、圧縮しなくてはならない。


 そもそも、紗々女は戦いが得意な訳では無い。

 仲間と暮らす内に強い力を得て、仲間と、村と、親方を守る為に、戦うようになったに過ぎない。

 それも、水の羽衣で攻撃を防ぎ、水の槍を放てば勝てるような相手しかいなかった。

 どうやって戦うかなど、考える必要は、今まで無かったのだ。


 だが、やらなければ。

 自分たちは既に罠に掛かっている。

 目の前の敵を倒し、親方を助け、村へ戻らなくてはいけない。


「はぁぁぁああっ!」


 自分の中にある力の塊を探り、揺り動かす。

 それに合わせるように、周りの大気が、大気に含まれる水気が振動し始める。

 大地から湯気が立ち上る様に水蒸気が起こり、辺りに霧が立ち籠める。

 変わらず飛来する土塊を打ち落としながら、紗々女は胸元に水気を集め始めた。




 敵が変化をする前に一気にケリをつけ、親方の助勢に戻る。

 急速に間合いを詰めようとする明光に対し、弁柄は速度を変えずに河原へ向かっていた。


 おかしい、……罠か。


 思った瞬間に、川原石の隙間から水の槍が突き出された。


「フゥッ!」

 

 速度を落とさず、炎の爪でそれを薙ぎ払う。

 水の槍は、ジュオッと瞬時に蒸発するが、立て続けに二本、三本と槍は湧き出る。


「ハァッ!」


 それも両爪で受ける。

 爪の炎は一瞬消えるが、またすぐに燃え上がる。明光には、この程度でどうこうするほど、自分の力は弱くないという自負があった。

 決して足は止めない。走りながらこの状況を考える。


 水の槍は致命的な罠では無い、足止めだ。

 最初の予想通り、水辺に向かうまでの時間稼ぎか、単純に、距離を取った方が有利に戦えるのか、距離を詰められると不利になると考えているのか。

 なんにしろ、近付いて欲しくない故の罠だ。

 罠がある事を解った上で敢えて進むのが、敵にとって一番好ましくないだろう。


 明光は次々と繰り出される水の槍を斬り払い、蹴散らして弁柄に肉薄した。

 爪が届く、その直前に疑問が浮かぶ。


 なぜ、この距離にまで近付かれて、なお走ろうとしないのか。


 だが、最早(もはや)止まりはしない。

 明光は突き刺すように、右手の爪を振り下ろした。


 パシュン。


 手応え無く、極小さな水蒸気が上がり、水の幕が切り裂かれる。


 なんだこれは? 囮?

 幻影か、それに似た何かか。


 目の前には何も無く、それはつまり。


 誘い込まれたか。


 一瞬の間に、側面から繰り出された水の槍を、右の爪で受ける。

 ジュオッと水蒸気が上がる、その向こう、かなり離れた位置、ちょうど(みぎわ)に立つように、弁柄が槍を構えていた。


 まんまと、河原に誘い込まれた。

 もしかすると奴は、最初からずっとあの場所に居たのかも知れない。 

村に危害が加えられているかも知れないという、こちらの焦りを利用して、自分に有利な場所に招き入れたのだ。


 あれは危険だ。

 そう思う反面、策を(ろう)すると言う事は、純粋な力勝負では勝てないと踏んでいるのではないかとも思う。


 川の流れを、大量の水をなんとかすれば勝てる。

 明光は、今度はゆっくりと、距離を詰め始めた。




 ギシリと、万力に挟まれたかのように刃は動かない。


 隣りに立っていた芹菜が、親方の刀を左手で掴んでいた。

 その隙に、花梨は慌てて距離を取る。


「すみませんっ」

「大丈夫」


 芹菜は花梨に応えながら、スッと刀を放した。

 即座に親方が間合いと取ったの見て、さて、どうしようかと考える。

 敵は基本に忠実で、手堅い。

 剣術を修めた者を相手にするには、同程度の技量が要る。この鬼は少々厄介だ。

 花梨には、力任せの馬鹿の方が相性が良いと思えた。



 距離を取った親方も、同じように考えていた。

 花梨一人なら勝てる。

 問題なのは、雷の化け物、芹菜だ。

 そしてもう一つ。やはりこれは、新兵の訓練だ。

 花梨の動きはあまりに稚拙で、基礎すらまったく身に付けていない。

 自分を相手に基礎訓練が、今、行われているのだ。


 舐められてる。


 一瞬怒りが込み上げるが、即座にそれを抑え込む。

 舐められている今こそが、好機なのだ。

 敵がこちらを危険だと判断し、本気で行動を起こす前に倒す。

 そして明光と紗々女を助けて、急ぎ村へ戻らなければならない。



 花梨は短刀に左手を添え、上段に構えた。

 もちろん、それは構えと呼べるような物では無く、ただ振り上げた状態で止まっただけでしかない。

 本来なら先手を取らんが為に取る構えだが、親方にとっての一歩の間合いが、花梨にとっては遙かに遠い。そのまま踏み込めば、逆に先手を取られるのは目に見えている。

 小手が、喉が、胸が、胴が足が、全てが隙だらけだった。

 親方から見れば冗談の構えだ。


 だが、狙うのは花梨では無い。

 親方は切っ先を花梨に向けつつも、意は芹菜に向けている。

 迂闊に花梨を斬り殺せば、芹菜はすぐに殺すつもりで掛かってくる事だろう。

 自分に雷が効かないとはいえ、突き出した刃を握って止める相手が、弱いはずは無い。

 ()の目は強く、見の目は弱く。

 親方は芹菜に視線を向ける事無く、その動きを観察する。

 敵の油断を利用して、分断し、芹菜に対して一気呵成に切り込むつもりだ。


 しかし、油断は親方にあった。


「はっ!」


 気合いと共に花梨が振り下ろした短刀から、炎の刃が飛来する。


「むぅっ」


 真正面から来るそれを、咄嗟に(しのぎ)で右に弾く。


「せいっ!」


 花梨は振り下ろした刃を即座に振り上げる。

 軽い短刀だからこその素早い連撃。

 再び炎の刃が襲いかかるが、親方はそれも易々と弾き除けた。


 勢いで、僅かに切っ先が上がる。 

 まったく重さの無い攻撃を連続で受け、体勢が前に動いた。

 釣られるように、親方はそのまま一歩踏み込み、花梨に向けて刀を振り下ろす、と見せかけて軌道を変え、花梨と芹菜の間へ打ち下ろし、地面に当たる直前に刃を返して、花梨をなぎ払う。


 ガキィン!


 ただの素人であれば反応出来ないであろう攻撃を、花梨は短刀で受け止める。

 しかし、それも親方に取っては予想通り。

 衝撃が消えぬ間に、再び刃を返し、一気に芹菜に斬りかかる。


 つもりだった。


 パァンッと、意外なほど軽い音が響き、親方の大刀は半ばで砕けて散った。


「なん……っ!?」


 花梨は左手に持った短刀で攻撃を受け、右手の甲で刃を叩き折っていた。


「馬鹿なっ!」


 普通の刀より刃幅も厚みもある。人が殴って折れるような物では無い。

 そう思っていた。

 目の前の人間がただの人間では無いと、判っていたが解っていなかった。  


 花梨は半分の長さになった大刀に短刀を這わせる様にして、親方の足下に入り込む。


「ちぃっ」


 大刀の峰で打ち上げようとするが、添わせたままの短刀で受け流される。

 力み過ぎたか、得物が軽くなったのを認識出来なかったのか、必要以上に刃が浮く。


「せやっ」


 その下に潜るように踏み込んだ花梨は、灼熱の拳を親方の膝に打ち込んだ。


 ガッ!


 堅い音が響く。

 全身が鋼の鎧と化した金性鬼に、拳で殴りかかるなど愚かな事である。本来ならば。


「はぁあああっ!」


 芹菜の拳が白光を放つ。


「せいっ!」


 二度目の気合いと共に更に一歩踏み込み、鎧を、親方の膝を打ち貫いた。


 親方は花梨の首に斬り付けようとしていたが、右足を突き飛ばされるようにして体勢を崩す。


「ぐぉおおっ!」


 咄嗟に右膝を突こうとするが、感覚が無く、動かない。

 親方は這いつくばるように両手と左膝を突いた。


「……ちょうど良い高さです」


 顔を上げると目の前で、炎の化け物が、にたぁっと嗤っていた。

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