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第二十三話 鴨葱

「あの少年が、どうかしましたか」

「いや、どうと言う訳ではない」


 川崎屋の主人は、杖を突く事無く、上から三分の一くらいの所を握って、一人歩いていた。

 この先には材木問屋があり、道は河原に下りる斜面になっている。

 上流から木材を流して下ろし、ここの河原と貯木池で整え、筏を組んで下流の国府を目指すのである。


 流れてくる木材の量が多いのは、少し観察していればすぐに分かる事。

 あまりにも杜撰(ずさん)で、馬鹿馬鹿しい。


「ここの隠密は?」

「今朝から出てるようです。丙種を一人留守番に残して、弁柄も出ているようですね」

「ほう? それほどか、昨日のは」

「いやぁ、無いです。あれはただの雑魚です」


 老人の視線が、少し険しくなる。


「なる、ほど」

「なんです?」

「いや、こちらは後回しのようだ」


 材木問屋の貯木池には、木材は半分ほどしか貯まっていない。これではまるで、定数であるかのように見える。


「お主、今、手空きか?」

「いや、昼寝で忙しいです」


 老人はフッと失笑して、誰もいない真正面に向かって言葉を発する。


「せめて、昼を過ぎてからにするんだな」


 対岸に目をやれば、町の入り口が見て取れる。

 鬼が出たという情報は、当然、湯治客にも伝えられ、多くの者が急ぎ足で町を立ち去り、今はもう、衛士が(たむろ)するだけで、門扉も閉め寄せられている。


 暫く衛士の動きを観察したのち、老人は踵を返して上手へ向かった。




 概ね真っ直ぐ近付いてくる強さの分からない鬼は、距離を判別し辛い。


「何匹かは分かりませんかぁ」


 村の中、建物の影から小鞠が声を掛けてくる。


「うーん。たぶん、目で見るまで無理ですね」


 芹菜には、一塊(ひとかたまり)の負気としか認識出来ない。


「では、私は下に居るよ」

「はい。お願いします」


 弁柄は道を横切り、河原に向かって下りていく。

 残された芹菜と花梨は、村の端の石垣に腰を掛け、道の先、鬼が迫って来ている方を眺めていた。


 この辺りの道は、整備されているとはいえ、さして広くは無い。

 回避する余地の無い場所での戦いは、人に不利となる。だから芹菜はまず、村の中へ鬼を引き込むつもりでいた。

 その上で、鬼の数が多いようなら、更に奥にいる小鞠と、下の河原にいる弁柄がそれぞれ引き受ける予定にしている。


「攻撃してきそうなら、すぐに降神。今回は、ちゃんと神器を使って降神してみて。神霊の名を呼びかけて」

「はい」


 花梨に指示を出しながら、芹菜自身も、すでに懐の鏡を掴んでいる。

 敵は、自分を殺す為に、こちらへ向かって来ているはずだ。

 川も道も蛇行している。左右にぶれる負気の動きから、そろそろ近いと思えた。


「来たでしょうか」

「見えた?」


 花梨は立ち上がり、前方に目を凝らす。


「見えました。三匹ですね」


 芹菜も立ち上がり、後ろに向かって声を掛ける。


「三匹ーっ」


 特に返事は無い。

 様子をみて、各自判断するだろう。


 芹菜は石垣の端から、三歩ほど内側に移動した。


「花梨ちゃん、もうちょっと下がって」

「はい。……来ました」


 芹菜にも見えた。確かに三匹。


「あれは……」


 先頭を走っていた鬼が、速度を落としてこちらを見上げ、立ち止まる。

 その鬼に合わせるように、両脇の二匹も立ち止まった。


「鴨が葱を背負(しよ)ってやって来たわね」


 先頭に居たのは、腰に大刀(だいとう)を差した、灰色がかった肌の身の丈八尺ほどの鬼。

 態々(わざわざ)拵えたのか、その体に合った大きさの着物を纏っており、鬼にしては小綺麗な身なりをしている。


 その左手に寄り添うように立ったのは、青い衣に長い黒髪を靡かせた、美しい女性の姿をした鬼。

 女の鬼は大抵、色白く見目麗しいが、人並みの身長で、角が無ければ鬼と判らない出で立ちは、明らかに美しさを求めた類いの鬼だろう。


 右手、やや半歩下がった所に立ったのは、絵に描いたような筋肉質の赤黒い肌の鬼。

 普通の人より頭一つ大きい、6尺ほどの体躯も一般的な鬼と大差なく、身に着けているのも腰布だけだ。


 三匹とも強烈な負気を放ち、先に倒した岩性鬼よりも強いのは間違いない。


「どれが鴨で、どれが葱ですか」


 花梨が面白い事を聞いてくる。


「えー、そうね、全部鴨っぽいね。強いて言えば、前に焼いたのが葱っぽかったかな」


 こちらの声が聞こえているのか、赤鬼が睨み付けてくる。

 女の鬼は少し笑みを浮かべ、真ん中の鬼は、意外な事に真面目な顔でこちらを観察しているように見える。


「真ん中のが、親方、でしょうね」


 まさかノコノコと出てくるとは思わなかった。

 しかも、両脇の鬼を含めても、村の総力のほんの一部でしか無い。

 こちらを舐めているのか。それとも、ただ単に力の強い順に三匹出てきたのか。


 三匹がゆっくり歩いてくるのを確認し、芹菜たちももう少し村の中、少し広い場所へと移る。


 直後、ズシンと音を立て、石垣の辺りに親方が飛び上がってくる。

 少し遅れて、青い女がふわりと、赤鬼もほとんど音を立てずにその横に並ぶ。


 再び歩き出した三匹の鬼に、芹菜は声を掛けた。


「こんにちは、鬼の村の親方さん」


 ピクリと眉を動かし、親方が止まる。


「貴様、何者だ」


 その質問が来ると言う事は、皇儀の隠密を知らないと言う事か。

 芹菜は小さく笑う。


「名乗るほどの者ではありません。ただの、鬼を討つ者です」


 赤鬼の顔が、更に険しくなる。

 青い女からも笑みが消えた。

 溢れんばかりの殺気を叩き付けてくる二匹とは対象的に、落ち着き払った親方が、前に出ようとする。


「お待ちください、親方」


 その腕を掴むようにして、赤鬼が親方を後ろに引く。


「何だ」

「あれが高藤の爺さんを殺した人間なら、危険です」

「危険だから、俺たちが来たんだろう」

「少し、少しだけお待ちを」


 赤鬼が、親方を制して前に出る。


「ここに居た鬼を殺したのは貴様だろう。なぜ俺たちの仲間を殺した」


 人が鬼を殺す理由を問い(ただ)すとは、鬼の物言いとは思えない。

 今日は本当に、予想外な事ばかり起こる。


「わざと逃がした鬼が伝えませんでしたか? 清次という名の鬼が、湯川の町を襲い、人を殺したと」


 赤鬼が振り返り、他の二匹と視線を交わす。


「私は家族を殺された、あちらのお嬢さんから依頼を受けて、清次を追ってきました」


 離れた所に立っている花梨を、目で指し示す。


「親方」

「清次。まさか、一昨日のヤツか」


 親方が露骨に顔を顰める。

 山奥に隠れ住み、人に知れる事を恐れて木こりの村を滅ぼすような連中だ、町を襲うなど、絶対にあっては成らない事だったのだろう。


「ええ、それが昨日、町を襲いました」

「なんという、馬鹿な事を」


 芹菜の言葉に親方は、誰へとも無く呟いた。

 どうやら逃げ出した鬼は、正しく情報を伝えていなかったらしい。


「一つ伺っても良いですか」


 三匹の視線が集まるのを確認し、質問する。


「人を鬼にする方法を考え出したのは、誰です?」


 鬼は、その質問に答えない。

 むしろ、その質問をしたことに疑問を持ったようだ。


「……貴様、何を知ってる? それを聞いてどうする?」


 逆に質問を返す親方を遮り、青い女も片手で庇うように前へ出た。


「親方様、この女、嫌な感じがします」

「これは、捨て置けぬ存在です」


 赤鬼も語気を強めて言うと、少し親方から距離を取った。


 来る気か。

 やはり、人を鬼に変える道具、銀の管の事は、知られる訳にはいかない秘密のようだ。


「花梨ちゃん、少し下がってて」


 もとより距離を取っていた花梨が、更に少し下がる。


 赤鬼が拳を突き合わせ、気合いを発した。


「うおおぉぉおっ!」


 ボッと鬼の全身から、真っ赤な炎が噴き上がる。

 これが為に親方から離れたのだろう。熱風を撒き散らし、地面を焦がす炎が螺旋状に渦を巻く。

 体躯の変化は無いが、足先から頭の天辺まで、紅蓮の炎に包まれた。

 典型的な火性鬼だ。


 青い女の鬼も更に一歩前に出て、掌を合わせて声を上げる。


「はああぁぁあっ!」


 ジワリと、地面の色が変わり、水気(すいき)が湧き上がる。

 鬼の周りに霧が沸き立ち、集まると水滴に、そして大きな水の流れに変わる。

 青い衣にも水が染み込むが、重さを感じさせる事無くふわりと棚引き、空中を流れる水は、重力を無視するかのように、鬼の周囲で羽衣のように浮かんでいる。

 少し変わった動きをしているのは、女性だからだろうか。

 芹菜の知っている水性鬼とは違う変化を見せたが、本質はそう変わらないだろう。


「では、こちらの番ですね」


 芹菜は軽く微笑んで、懐から取り出した鏡を、顔の前に翳した。


「降神、建御雷命」


 ドウッと音を立て、鏡からあふれ出た雷が、芹菜を包む。

 髪と袴が風に煽られたように広がり、バチバチと雷火を散らす神気が、芹菜の体を覆って染み込んでいく。

 その身に纏う衣服や武具、髪の一本一本に至るまで、神霊と一体化し、力が満ち溢れる。

 左の瞳が金色の光を放ち、ふわりと浮かんでいた体が、ゆっくりと地に下りた。


「これが、高藤の爺さんを殺したという、(かみなり)の化け(もん)か」


 憎々しげに、親方が呟いた。


 やはり化け物扱いかと、芹菜はまたも苦笑する。


「俺たちと同じ力のようです」


 言いながら、火性鬼が芹菜の左手に回り込もうとしている。

 当然、もう一匹の水性鬼は右手に動き、挟み込みの配置を取る。


 それを見ながら芹菜は、水性鬼が川の方に動けば良いのにと、心の中で嗤う。

 水の力を使う者は、水の多い場所の方が有利に戦える。故に、弁柄は河原の方へ下りたのだ。

 芹菜一人を囲む事にだけ意識を集中し、戦いの場を広い視点で見る事が出来ていない。

 戦いという事に対する、知識と訓練が足りてないのだ。


「ではではぁ、こちらは水性鬼の方を引き受けますねぇ」


 いつの間にか上の段に上がっていた小鞠が、焼け跡の手前辺りから声を掛けてくる。


「なんだとっ」


 予想外な敵の出現に、鬼たちが声を上げる。


「お婆さん、お手数ですが、こちらへお願い出来ますかぁ?」

「はあっ!?」


 水性鬼が目を見開く。


「お婆さんでしょう? 鬼に成って若作りをしても、立ち居振る舞いがお婆さん臭いですよぉ」


 口元を袖で隠し、小鞠が嘲笑う。


「おぉ、小娘がっ、何を知った風な口を」

「あはは、怒ると化粧にヒビが入りますよぉ?」


 水性鬼が片手を振り上げると、そこに小さな水の槍が湧き上がる。


「黙りなさい!」

埴山彦(はにやまひこ)命」

     

 叫ぶように放たれたその槍を、小鞠は呼び出した泥の山であっさりと防ぐ。


「降神、大地主命(おおとこぬしのみこと)


 泥の山の向こうで、小鞠の声が聞こえた。


「ぬううっ」


 水性鬼は唸りながら、それでも芹菜の方に視線を向ける。


「どうぞ行ってください。それと、火性鬼さんはあちらへどうぞ」


 芹菜はにこりと笑い、火性鬼に視線を送ったあと、掌で下の道を指し示す。


「なにぃ」


 火性鬼がギロリと睨むその先には、もちろん弁柄が立っている。

 片手を上げ、まるで知り合いに呼び掛けるかのような風である。


「貴様、仲間が居たのかっ!」


 さすがに親方も声を荒げる。


「ええ。当然でしょう?」


 笑い顔のまま、芹菜は続ける。


「早く私たちをなんとかしないと、村が大変な事になってるかも知れませんよ」

「なっ! なんだとっ!」


 親方が叫び、三匹が視線を合わせる。

 その表情に、明らかな焦りが表れる。


明光(あけみつ)っ、紗々女(ささめ)っ、そちらは任せるぞ」

「はっ」

「はい」


 親方の指示に応えて、二匹の鬼が左右に分かれる。

 火性鬼は弁柄を目指して道の方へと飛び下り、水性鬼は跳び上がって、小鞠が作った土手へ登った。


「貴様ら、許さんぞ」

「はっ、何を寝ぼけた事を」


 凄みを利かせる親方を、しかし芹菜は鼻で嗤う。


「俺たちは、人と争わぬよう、人を避けて静かに暮らしていただけだろうが」

「ここの村を滅ぼしたのは誰です? そもそも、居るだけで負気を撒き散らす、あなた達は害悪です」


 ゴウッと、親方の負気が巻き上がる。

 さすが、親方というだけあって、他の二匹に比べても、圧倒的に強力な負気。


「ごおぉぉぉあぁぁあっ!」


 叫び声と共に、親方が両手を天に突き上げる。

 足下から大地が振動し、盛り上がった土が寄り集まり、親方に纏わり付いていった。


 土性鬼か、また岩性鬼か。

 芹菜は黙って様子を窺う。


 しかし、変化はまたしても予想外な物で、やがて親方は、巨大な竹の子のような物に包まれた。


 なんだこれは。

 今日はもう、何が起こっても驚かないと思っていたが、まだまだ色々とあるものだ。


 ビシリと、土の竹の子にヒビが入る。


「はぁっ!」


 気合いと共にそれが砕け散り、中から巨大な白銀の大鎧が姿を現した。


「……金性鬼(こんしようき)、か」


 こんな変化は初めて見たが、それ自体はよく居る、基本的な五行(ごぎよう)属性鬼(ぞくしようき)だ。


「若雷命」


 芹菜の左手から放たれた紫電は、狙い違わず金性鬼の胸に当たるが、大鎧の上を滑るようにして、肩口から走り抜ける。


「やっぱりか」


 金性鬼は雷や風、植物系の攻撃に耐性がある。


「はっはっ、俺に雷は効かんぞ、小娘ぇ」


 芹菜は口元に手をやり、ほんの一寸(ちょっと)考えた後、振り返って花梨に呼び掛けた。


「では、花梨ちゃん、やってみますか」

「はい、お願いします」


 離れた所で眺めていた花梨が、はっきりとした声で応える。


「なん、だと」


 白銀の頬当ての所為で表情は見えないが、金性鬼は動揺の声を上げる。

 花梨の事は、本当に、ただの被害者だと思っていたのだろう。


 花梨は、ゆっくりと芹菜の元へ歩いてくる。


「まず降神を」

「はい」


 芹菜の横に立ち、腰に差した短刀を引き抜くと、それを目の高さに翳した。


「降神、火之迦具土命」

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