第二十話 清次
清次に会う前に、確認していた方が良いだろうか。
捕獲が目的だが、まず、戦闘になる事は間違いない。
「さっき、花梨ちゃんが鬼を殴ったときって、手に火之迦具土命を宿らせてたの?」
「はい。それこそ、素手では無理だと思ったので」
それはそうだろう。
ただ、訊きたいのはそう言う事では無い。
「普通の状態なら、火之迦具土命の名を呼べば、火の玉が出るはずなんだけど」
「……? 私は、手に宿って欲しいと思いながら呼びかけたから」
花梨は自分の右手を広げながら答える。
成るほど、やはりそうか。
「本来、呼びかけた時にこのように働いて欲しいというのは、前もってお願いしておくものなんだけど、花梨ちゃんはその場でお願いしたのね」
「はい。……考えてみれば、火の玉は難しそうですね」
「ええ。それが灯りの為の物なのか、攻撃の為の物なのか、実際どのような挙動をして欲しいのかというのは、その場では説明しきれないからね」
「芹菜さんの短刀を使った攻撃も、予めお願いしてた物ですか」
降神中の剣技のことかな。
「あれは……、降神中は結構自由に力を使えるんだけど、ただ雷を放つだけじゃ無駄が多くになるから、例えば私の場合は、剣に力を乗せて攻撃する技を作ったの」
「技を、作る?」
「そう、最初は剣に雷を纏わせて斬る技を作って、そこから雷の刃を飛ばす練習をして、って感じで」
「それは、私にも出来ますか」
「もちろん、練習すれば」
花梨は自分の右手の平を見つめ、その後グッと握りしめた。
「技を作る事で、比較的簡単に力の集中ができて、高威力が出せるようになるの。で、良い技が出来たら名前を付けて、力の流れを繰り返し練習する事で、咄嗟に出せるようにしておくの」
話を聞きながら、花梨は足を止め、腰に差した短刀を抜いた。
皆も立ち止まり、それを見つめる。
「火之迦具土命」
ボッと短刀に炎が宿る。
花梨の右手も火に包まれているが、火之迦具土命の巫が火で傷つく事は無い。
「刃に成れ」
花梨の言葉に従い、炎が伸びて刀を形作る。
降神せずに、何故出来る!?
芹菜の驚愕を他所に、花梨はそれを振り上げ、素振りした。
ブンッと振り下ろされる短刀に遅れて、炎の刃がヒョロヒョロと続く。
「……」
花梨が目で何かを訴える。
「ああ、神気の物質化が出来て無いのね」
「神気の、物質化?」
さすがにそれは降神せずには無理だろう。
「大雑把に言うと、神気に形を与えて、触れる事が出来るくらいにするのが物質化。鬼を斬る炎の刃を作るなら、もっと多くの炎の神気を、ギュッと押し固める必要があるわね」
花梨は、芹菜の説明を受け、再び炎の刀に目を移す。
ただ単に手に持っているだけなら、ちゃんと刀の形になっているが、やはり動かすと、刃の部分が短刀についてこれない。
「降神した時にやってみましょう。花梨ちゃんなら、すぐに出来るようになると思うけど」
花梨は暫く短刀を見つめていたが、やがて、炎を消すと、鞘に収めた。
「技は、剣技だけじゃなくて、拳の拳技とか、弓とか槍とか色々あるから、まあ、追々、やっていきましょう」
「私は足技の拳技がありますよぉ」
後ろから小鞠が笑いかける。
それは拳技と言うのだろうかと疑問に思ったが、口にする事無く歩き出した。
「技の名前は、自分で考えたんですか」
「ええ。基本的には何でも良いんだけど、言いやすく、技に見合った名前の方が威力が載りやすいわね」
「威力も?」
「うん。それは明らかに。指導を受ける時も言われたわね」
芹菜は我流、というか、お家流というか、子供の頃に見て覚えた物を下地にしているが、本格的な術式や理論は山都の本所で指導を受けた。
そこで、如何に技と術の威力を高めるかを学んだのである。
「あの、雷陣飛天翼も、最初は雷鳥飛翔斬って名付けて、その後、雷柱が太くなって雷陣に変えて、翼が出るようになって飛天翼にしたの」
「翼は、後からなんですか」
花梨は驚いたように芹菜を見た。
「ええ、最初は雷を纏って突進しながら雷火の刃で斬り上げて、そこに雷を落とす技だったんだけどね。雷鳥とか飛翔という言葉が翼を作ったみたい」
後ろで、小鞠が「へぇ」と声を上げた。
「言葉が翼を作ったんですねぇ」
「そう。初めて翼が広がった時は、自分でも驚きましたよ」
芹菜と小鞠が笑う横で、花梨は口元を袖で隠し、何かを考えている。
「花梨ちゃんは、手に炎を纏って殴る技と、炎の刀を出す技をまず作ってみて、そこから発展させていけば良いんじゃないかな」
「はい、やってみます」
再び右手をギュッと握りながら、花梨が頷く。
「名前は何が良いですかねぇ」
小鞠が視線を空に向けながら呟く。
芹菜は少し考えて、一つ助言する。
「最初は何でも良い、と言ったら語弊があるけど、私みたいに、後から馴染みやすい名前に変えても良いし、悩んだ物より、ぱっと出た言葉の方が使いやすいよ」
「はい」
応えて花梨の視線も少し上へと動く。何か考えているのだろう。
「簡単な名前と言えば、真っ向唐竹割りって技名を使う人が、中央だけで三人居ますね」
芹菜は、ふと思い出した事を口にした。
「それは、同じ技なんですか」
「いいえ、もちろん違う技。刀に神気を纏わせて斬る技と、巨大な神気の刃で斬る技と、空に舞い上がって急降下しながら叩き斬る技」
花梨の疑問に答えると、後ろで弁柄が失笑した。
「まあ、技の名前は何でも良いが、技を想像しやすい物にした方が良い。若い者は、兎角変な名前を付けたがる。……爆裂脚とか」
「ぶー、良いじゃ無いですかぁ、ちゃぁんと爆裂しますよぉ」
ああ、小鞠の足技は爆裂脚か。
芹菜も思わずニヤリとしてしまう。
ただ、個人的には良い名前だと思った。
状況に反して、妙に和やかな会話を続けながら、川沿いの道を進んだ。
川は左に曲がっており、先ほどまで正面に見えていた山が、徐々に右へ動いていく。
必然的に、鬼の村の匂いもそちらへ逸れる。この動きで、村の大体の位置が掴めた。
そしてもう一つ。
鬼の村以外の匂いが、明確に嗅ぎ分けられるようになった。
おそらく、清次。
距離はそう遠く無い。
気を付けようと思ったばかりなのに、口元に笑みが零れる。
それは、談笑によって出来た笑みとは違う物。
花梨が目聡くそれに気付いた。
「居ますか」
「ええ。少なくとも、鬼が居るのは間違いないわ」
後ろの二人にも、ピリリと緊張が走った。
さらに進むと、川沿いに奇妙な巨木が生えているのが見えてくる。
左を歩く花梨から、ザワリと殺気が巻き上がる。
見えたか?
芹菜にはまだ見えない。
ただ、匂いでそこに居るのは判る。
道はやはり作りかけのようで、巨木の下の大きな岩で行き止まりとなっている。
その大岩にもたれ掛かるように、一匹の鬼が座っていた。
負気の強さからして最下級。
項垂れた頭に、さして大きくはない角が生えている。
あぐらを掻いた状態なので体格は判りづらいが、はだけた上半身は筋肉質で、立ち上がれば普通の人間より頭一つ高いくらいだろう。
肩が張り、胴回りが細いので逆三角形にも見える、やや腕が長いだろうか。
芹菜から見れば、少し形が歪なだけの、ただの鬼だ。
「あれが、清次で間違いない?」
「はい」
花梨が発するのは、殺気と言うより殺意。
どうでも良いから殺してしまおう、そんな事を言い出しそうな気配に、一瞬、妙な懐かしさを覚えた。
「まだ殺さないでね」
「はい」
「あと、腕が長いみたいだから、迂闊に近付かないように気を付けて」
「はい」
わざと足音を立てて歩いているのに、清次はまだ顔を上げようとしない。
ふと、その胸元に、何かを抱えている事に気が付いた。
芹菜は思わず足を止める。
おそらく、花梨も気付いている。
どうしたものか。
土顎や、捕縛系の術を使うと、それを潰してしまいかねない。
「コマさん。足だけ止められますか」
「はい。やってみましょう」
小鞠は自分の札束から一枚抜きだし、それを前方に放った。
「泥沼」
芹菜にとっても予想外な術が放たれた。
河原を少し整えた程度の石の多い道が、その隙間から湧き出た泥によって覆われていく。
それが波のように広がり、清次の元まで打ち寄せた。
「うおっ、なんだっ」
慌てて立ち上がろうとするが、もはや太ももまで泥に覆われつつある。
自分たちの立っている辺りから、清次の居る大岩までは、ほぼ真っ平ら。つまりこれは、石の道から泥が湧き出たのではなく、泥の沼に石が沈み込んでいったのか。
既に腰の辺りまで泥沼に沈んだ清次は、抱えていた物を泥から守るように、頭上に掲げた。
ばさりと、それの長い髪が垂れ下がる。
清次の下半身が完全に飲み込まれた辺りで、小鞠が「解」と唱えた。
しかし、泥沼は消え去らない。
「……これは」
「もう固まってますよ」
芹菜の疑問に小鞠が答える。
一歩踏み出すと、ズブリと、ほんの一寸ほど沈み込むが、歩く事に支障はなさそうだ。
芹菜は再び前方に視線をあげ、呆然とこちらを見ている清次に向かって歩き出しながら声を掛けた。
「こんにちは、飴釜の清次さん。初めまして」
しかし清次は芹菜ではなく、隣の少女に目を向けた。
「か……花梨」
ゆらりと、熱が発せられているような気がする。
いや、もちろん気のせいではなく、火之迦具土命の力が顕現しつつある。
「それは、……姉さんですか?」
判った上で訊いている。その言葉に清次は、頭上に掲げていたそれを、胸高まで降ろした。
距離一間半で花梨は立ち止まる。
理性はしっかりしている。そう思いながら、芹菜もすぐ横に立った。
「お聞きしたい事があってここまで来ました。清次さん。まず、質問に答えていただけますか」
「なんだ、お前は。……それに、小鞠?」
「はーい、コマちゃんですよぉ」
小鞠が場違いな声を上げた。しかしその中には、敵意と悪意が込められている。
「私は芹菜。鬼を討つ者です」
「鬼を……?」
今一、清次の反応は鈍い。
「なぜ、大浦屋を襲ったのか、教えていただけますか?」
「大浦屋を、襲……?」
鈍い。
芹菜は少し語気を強める。
「その方を、柘榴さんを殺したのは何故ですか?」
清次はゆっくりと、腕の中の柘榴の頭部を見つめた。
「殺したかった訳じゃねえ。一緒に、鬼に成ろうって言ったのに……」
「鬼に、成ろうと誘って? 断られたから殺したんですか」
「殺したかったんじゃねえ!」
清次は声を荒げ、噛みつくように芹菜に叫んだ。
「一緒に、鬼に成ろうって言ってやったのにっ! こいつはっ、柘榴は、ちょっと、ちょっと引っ叩たいただけなのに、こいつは……」
ゴウッと音を立てて、芹菜のすぐ横で熱気が渦を巻いた。
思わず半歩離れるて見ると、花梨の髪が、徐々に赤みを帯びていく。
神霊に対して呼びかけは行っていない。やはり、自然に降神している。
その右手に炎が宿り、ゆらゆらと揺れる。
憎悪を含んだ眼差しで、清次を見つめているが、しかし、暴走している訳ではなさそうだ。
芹菜は更に半歩離れて、もう一度清次に質問する。
「なぜ、鬼に成ろうと誘ったの? そもそも、あなたはなぜ鬼に成ったの?」
「……鬼は凄えんだ、凄い、力も強くて、足も速くて、何だって出来るんだ。なんで、なんでだよ、人間なんて」
清次の反応は明らかに異常だ。
芹菜は小鞠を振り返り、問いかける。
「これは、人間だった頃から、こんな感じだったんですか?」
「いいえ。馬鹿な子でしたが、頭がおかしいという事はありませんでした。たぶん、鬼に成る時に、知能が低下したのでしょう」
「そう。やっぱり」
芹菜は一つ、溜息を吐いた。
人が鬼に成る時、成りたいように肉体は変化する。
多くの場合、肉体が強化され、背は高く筋骨隆々になり、中には高い知能を得る者もいる。
ただそれは、充分な力が、負気があればの話だ。
肉体の強化は負気の物質化による物で、強力な力を得るには、それに見合う量の負気が要る。
足りなければ、それ相応の変化しか得られず、それでもより以上を望むなら、何かが足りなくなり、歪な変化に終わる。
鬼に成るとは、死の先にある変化。
清次は一度、死に至り、鬼として再生される時に、力ばかりを望んだ為に、頭脳が本来の力を取り戻し得なかったのだ。
「なんて、愚かな」
思わず呟きが漏れる。
そんな芹菜に、花梨が視線を向ける。
左目は赤い光を放ち、髪は濃い茜色に変化していた。
袴の色も赤みを増し、陽炎を揺らめき立たせている。
「もう、いいですか?」
もう、いいか。
おそらく話を聞いても得られる物は無いだろう。
それでも、芹菜は問いかけた。
「……なぜ、柘榴さんを鬼にしようとしたの?」
清次にとって、柘榴とは何だったのか。
「人間でいるなんて、馬鹿らしいじゃねえかっ、鬼に成ったら、何だって出来るのに、何だって、自由に、何だって……」
「人だった時のあなたも、そう思ってた?」
「……?」
清次の表情は、何を言っているのか判らないと物語っていた。
そう、そもそも、人であった自分と鬼である自分との区別など付かないのだ、鬼というヤツは。
「もう、いいわ。……その前に」
花梨が手加減出来るか判らない。
「その前に、柘榴さんを、花梨ちゃんに返してあげて」
その言葉に、清次は目を見開いた。
「い、いやだっ、これは俺の物だ」
ギリッと音が鳴るほどに、花梨が歯噛みする。
獰猛な犬のように鼻にシワを寄せて、般若も逃げ出すような凶相をしている。
目には涙が滲んでいた。
湧き上がる熱で、袴が揺らめき、髪が舞い上がりだした。
「姉さんは……物じゃ、物なんかじゃ……」
言葉と共に焔を吐く。
握りしめた拳には炎ではなく白光が宿り、直視出来ない。
もう、これ以上は無理だ。
「花梨ちゃん、頭だけを狙って。柘榴さんを傷つけないように」
返事は無かった。
一間半を一足飛び。
降神していない状態とは言え、芹菜ですら目で追うのが難しい。
ボッという音と、直後にドゴォッと轟音が響いた。
灼熱の拳は、狙い違わず清次の頭部を消し飛ばし、背後の岩へと打ち込まれた。




