第二話 縁談
皇都山都から東に延びる二つの大街道、東陸道と東山道は、東国の中程で南北に大きく離れる。
すると当然ながら、それらの間をつなぐ小街道ができ、さらに小さな道が網の目のように広がっていく。
湯川道、もしくは湯の道と呼ばれる小街道は、美湯の国の国府と、湯の国の三湯の内二カ所をつなぎ、北の隣国へ抜ける道である。
その中ほど、湯川郷はその名の元となった谷川に沿ってできた町で、三カ所の大きな自然湧出の源泉を持つ温泉街である。
一番大きな源泉を上として、その下に温泉旅館、公衆浴場、少し格の下がる温泉宿、湯治客のための店舗、そして町人町と続いている。
薬屋である飴釜屋は、湯治客のための店舗と町人町の境目くらいに店を構えている。
間口三間、薬屋と言うより、土産物屋の風情が漂う店の一番人気は、直径三寸(九センチ)程の小さな桶に入れられた桶飴と、同じくらいの瓶に入った水飴である。
ただ、これらも一応、薬として売られている。
その下手隣、花梨の家は海産物を扱う店で、屋号は大浦屋。
漁業と交易が盛んな大浦の国から、主に乾物を仕入れている。
美湯の国は海に面しているが、湯川があるのは山の奥で、海魚が生で取り扱われることは滅多に無く、基本的に干物であり、近隣で捕れる川魚以外は皆、大浦屋を頼りにしている。
立地こそ飴釜屋が上手だが、敷地は大浦屋の方が三倍は広い。
これは商品を運んできた人夫や商人が宿泊することが多いためで、商いの規模の大きさを表している。
芹菜を案内してきた清人は、まず飴釜屋の店先に声を掛けた。
「おやじさん、お客です」
ここに来るまでに芹菜は、町の薬師を訪ねたいと話しをしていた。
もちろん清人の家、飴釜が薬屋であることを知った上で、自分は町の薬師に薬を卸すのが主たる商いで、調薬や小売りはおまけのような物だと説明した。
「山都から参りました旅の薬売りです。物を見ていただけますか」
「はーい」
少し間延びする返事とともに、奥からのっそりと姿を現したのは、父ではなく長兄の清彦だった。
割烹着をまとい、頭には手ぬぐいを巻いている。年はまだ十九だが、もう少し老けて、いや、大人びて見える。
「おやじさんは?」
「寄り合いに顔を出してる」
寄り合い? こんな時間から?
清人の心に当然の疑問が湧き上がる。
この町の常識では、寄り合いが行われるのは日没後、夕食の後である。
旅人は日が暮れる前に宿場に入れる計算で移動するので、この時間、夕暮れが近づく頃は旅館や宿が忙しい。
特に旅館が強い発言力を持っているこの町では、宿泊客が食事を終え、のんびり温泉に浸かるであろう頃合いに、旅館の広間か神社に集まるのが通例だ。
「何かあった?」
ふと、先ほど見た小鬼たちを思い出す。他にも居たのかも、と。
「さあ、聞いてない」
そりゃそうだ、前知らせの無い寄り合いの内容など、参加してみなければ判らない。
それはともかく、客、芹菜をどうするか。
「あ、こちら、兄の清彦です。父は寄り合いに出ていて、留守なのですが」
聞こえていただろうけど、礼儀として改めて説明する。
「お兄さんは、薬草は見れます?」
「もちろん、基本的な物は判るけど、質の良し悪しとか、散薬(粉薬)とか丸薬はどうも」
流れの薬売りが扱う薬草はほとんどが干した物、その善し悪しを見分けるには経験が必要で、散薬丸薬は言うに及ばず、である。
では、父が帰るまで待ってもらうべきか。ただ、寄り合いがいつ終わるのか見当がつかない。
清人は思い悩みつつ、ふと周りを見渡して、もう一人の兄が居ないことに気づいた。
「清次兄さんは?」
「おー、そういえば、店番してるはずだけどー。いないねぇ」
呑気な応えとともに、今更ながら頭の手ぬぐいを外し、清彦はぺこりと頭をさげる。
「すみませんねぇ、わざわざ来ていただいたのに」
「いえ、私も今この町に着いたばかりで、顔見せのつもりでしたので、お気になさらずに」
「そうですか。まぁ、明日は朝から居ると思いますので、良ければまた」
「はい。よろしくお伝えください」
二人の会話を聞いていると、裏手に籠を降ろしに行ってくれていた花梨が、覗き込むように顔を見せた。
「あ、花梨。ありがと」
「うん」
その声に兄が反応する。
「あぁ、花梨ちゃん、お世話様」
「はい」
清人への返事は大体が「うん」であるが、他の人、特に目上の人には「はい」と応える。
もちろん、清人を軽んじているのでは無く、親しいからこそであるが。
「これどうぞ。お客さんも」
そう言うと、清彦は釘と金槌を持ち出し、封の開いてある飴桶の真ん中にコツンと打ち込んだ。もう一打、コツン。
試食用の飴が小さく砕け、それを摘まんで花梨と芹菜に渡す。
この国ではサトウキビやテンサイが一般的では無く、飴は玄米から作られる。
薬として売られていることから判るように、貴重な甘味である。
にこりと笑って花梨が応える。
「ありがとうございます」
それに芹菜も続く。
「いただきます」
ふっと、二人が目を合わせる、そして合わせたようにして、飴を口に入れた。
「ん、これは」
芹菜がつぶやく。
「仕入れさせていただけますか?」
「ええ、もちろん。どうぞどうぞ」
突然の商談に清彦がにんまりと笑う。買い取りは判断が難しいが、売るのは簡単だ。
「では、それも含めて、また明日の午前中にお邪魔させていただきます」
飴を口に含んだまま、右手で口元を隠しつつ芹菜が頭をさげる。
「はい、お待ちしてます」
にこやかに、清彦も頭をさげた。
「もう、宿は決まってるんですか?」
商談は終わったと判断して、清人が問いかける。決まってないのなら、紹介しようと考えて。
芹菜は一旦視線を上げ、それから清人に向かう。
「たしか、赤壁亭という名前の温泉宿があるはずだけど」
「あぁ、あります。案内しますよ」
「それは大丈夫、見れば判ると聞いているから」
右手は口に添えたまま、左手を左右に振る。
「壁が赤いのでしょう?」
「はい。川沿いを行けば右手に見えます」
芹菜は了解したというように、うんと頷く。
「籠の仕分けもあるでしょうから、ここで失礼します」
そう言って微笑むと、ぺこりと一礼して、背を向けた。
口の中で飴を転がしながら、芹菜は川沿いの道を歩いていた。
この町に至るまでの街道は下りの山道で、町の入り口である一番下手で湯川にあたり、そのまま川沿いを下って美湯の国府へ向かっていく。
だから、町の入り口から川沿いに上っていくこの道は、街道から鏡写しのレの字型に折り返したような感じになる。
奥の方には朱塗りの橋や三階建ての大きな旅館も見える。
だが、目的の宿はそんな良いところでは無い。もちろん悪いところでも無いのだが、そこそこの宿屋である。
赤い壁、この辺りでは珍しい特徴の建物が右手奥に見えた。
少し高い位置にあるが、温泉は大丈夫なんだろうか。
仕事で来たのであって、湯治では無いが、せっかく来たのだから温泉も楽しみたい。
少し、ほんの少しだけ足を弾ませながら、指示されていた宿へ向かっていった。
芹菜が赤壁亭に向かって角を曲がったしばらく後、上手から旦那衆が一団となって下りてきた。
中には難しい顔をした者や、腕組みをしたまま歩いている者もいる。
ふうっと息を吐き、軽く手を挙げ別れを告げて、一人の旦那が離れていく、それに続くように、一人、また一人と離れ、町人町に着く頃には半分以下になっていた。
「では、私はここで」
「私も」
少なくなった一団に別れを告げて、飴釜屋の前で立ち止まった二人は、そのまましばらく立ち話をした後、右手に拳を作るとゴツンとぶつけ合わせ、その手を挙げて笑顔で分かれた。
一人は飴釜屋へ、一人は隣の大浦屋へ入っていった。
夕食の後、飴釜の三兄弟は父に呼ばれ、座敷に座った。
真ん中に長兄の清彦、その右隣に次兄の清次、左隣に清人である。
最後に父が、勿体付けたように床の間を背に座った。
三人の母はすでに亡く、家族はこの四人だけである。にもかかわらず、この部屋にこのように集まったのは、重要な話がある証拠であろう。
寄り合いであった話か。
清人はそう考えていた。おそらく他の二人もそうであろう。
何か、非常に重要な話し合いが行われたに違いない。
父は四十に近く、髪にもちらほら白い物が混ざり始めた。
薬師であることも含め、この町でも信頼の厚い人物の一人である。
厄介事を引き受けてきた可能性もある。
しばらく沈黙が続いた後、その口から出た言葉は、予想外な物だった。
「実は、縁談を受けてきた」
「え?」
「え?」
清人と清次の声が重なる。
声は出さなかったが清彦も驚いたようで、体が前後にゆっくり揺れた。
清人はちらりと長兄の表情を伺う。
この飴釜の跡取りは清彦だ。
普通ならば、もう結婚していてもおかしくない年であり、むしろ今まで縁談が無かったことの方がおかしい。
「清彦」
父からあがった名前は当然である。
だが、続く言葉に清人は衝撃を受けた。
「大浦屋さんから……」
ドクンと強く心臓がはねて、途端に世界が真っ暗になったような錯覚に襲われる。
花梨か。
いつかこんな日が来るとは思っていた。
跡取り息子の居ない大浦屋では、姉の柘榴が婿を取り、妹の花梨が嫁に行くのは当たり前の事だ。
そして、その相手に、薬屋の三男坊はあり得ない。
自分では無いと、判ってはいたが、兄なのか。
ほんの一瞬で、信じられないくらい胸が苦しくなった。
遠くへ逃亡しようとする清人の意識を、再びあり得ない言葉が引き戻した。
「柘榴さんを貰ってくれないかということだ」
「はあ?」
声を上げたの清次である。
清彦は先ほどより大きく体を揺らす。
清人の頭は、まだ情報を処理し切れていない。
呆然とした中、清次の声が響く。
「なんで? 柘榴は跡取りだろう。なんで嫁に出すんだ。花梨が跡を取るのか?」
「ああ、そう決めたそうだ。柘榴さんを嫁に出す代わりに婿をよこせと……」
「おおーっ!」
清次が叫んだ。
「俺かっ、俺が大浦屋の跡取りかっ!」
清次が、花梨の婿? 地獄を通り過ぎたら、更に地獄が待っていたようだ。
長兄の向こうで、立ち上がり両手の拳を高々と突き上げる清次を見て、さらに陰鬱な気分を深めた。
しかし。
「いや、おまえじゃ無い」
父の言葉が冷や水を浴びせる。
今度は誰も驚きの言葉を発しない。発せなかった。
「落ち着いて話を聞け。まず座れ」
無言。
清次が座ると、再び静寂が訪れた。
はぁ、と父がため息を吐いたのち、ゆっくりと話し始めた。
「まず、柘榴さんを清彦の嫁にと言う話だ。どうだ?」
「お受けします」
ためらいも無く、清彦が応える。
「うむ。で、次に清人を花梨ちゃんの婿に欲しいということだ」
「なっ、なんでっ!」
大声を上げたのはまたしても清次だ、しかし、叫びの色は先ほどとまったく違う。
「なんでっ、俺の方が年上だろ。普通、俺じゃないのかっ!」
清人はまだ思考停止中である。
花梨が、いや、自分が花梨の婿?
こちらも頭の中は「なんで?」の言葉が占め、喜びが湧くところまで行かない。
「座れと言ってるだろう」
いつの間にか立ち上がっていた清次を、父が窘める。しかし清次は座らない。
「おかしいだろ、順番で言えば俺だろっ!」
顔をしかめながら、父が続ける。
「向こうさんのご指名だ。何より、花梨ちゃんは清人と仲が良いだろう」
ここで一旦言葉を切り、語気を強める。
「普通に考えれば!」
まだ立ったままの清次をにらむ。
「好いた者同士、結ばれるに越したことはない」
「なんで……」
それでも清次はまだ引かない。
「嫁に出すなら花梨の方で、柘榴が婿を取るべきだろ?」
柘榴は十六で清次の一つ下、そちらならまだ可能性はあると言いたいのか。
「向こうさんのご希望だ」
先ほどと似たような言葉を返す。そう言われれば、なんとも反論が難しい。
だが、なぜ?
まだ微妙に混乱の中にある清人が、疑問を解きにかかる。
「いいですか? おやじさん」
「ああ」
「どうして、俺なんですか?」
向こうさんのご希望、そのご希望の理由が知りたい。
常識で考えれば、確かにおかしな事なのだから。
「あー、まず、大浦屋さんはあれだ、やはり男の子を育ててみたいらしい」
なるほど、跡取りを自分で育ててみたい。なら、まだ若い清人の方が良い。
「それと、先日、茉莉花茶を淹れて差し上げたことがあるだろう」
「はい」
茉莉花の香りは眠りを覚ます効果がある。疲れていても仕事がある時、気分転換に良いのではないかと淹れて差し上げた。
「それが決め手、と言うか、その時閃いたらしい。お前を息子に、花梨ちゃんの婿にしようと」
じんわりと、心に温かい物が沁みてきた。
「で、どうだ」
「お受けします」
断るはずもない。
先ほどの清次のように、天高く両手の拳を突き上げたいくらいだ。
心臓がドクンドクンと脈打つ音が聞こえる、それがまた気分を高揚させる。
今頃、花梨もこの話を聞いているのだろうか。
まさか、断られたりしないだろうかと、嫌な考えもよぎるが、それは無いと強く思う。
花梨も、喜んでくれる。
今すぐに、逢って抱きしめたい気分だった。
この時すでに、清人の視界に清次は無かった。
そして、今日あった筈の寄り合いの件など、頭の片隅にも残っていなかった。




