第十九話 尋問
目を閉じて意識を集中する。
先ほど逃げ出した鬼は、間違いなく鬼の村に向かっているように思えたが、やはり、奥にある村の匂いが強すぎて、徐々に紛れて判らなくなる。
もとより、逃がした鬼の匂いだけで、村までの距離を測るのは不可能だ。
芹菜はすぐに目を開き、目の前の鬼を睨み付ける。
「清次は、今、どこにいます?」
「知らねぇ。俺は村まで案内しただけで、その後は会ってねぇ」
ふむ。
そんな気もしていた。
「では、その鬼の村はどこに在るの?」
「……村にまで行く気か」
「あなたには、関係の無い事でしょう?」
鬼は顔を顰めるが、否定も肯定もしない。
「この川沿いの道を暫く上がってくと、木を切り出すための林道があって、そこを、……四半時ほど上がってったら、最近まで切ってた切り出し場がある」
例の不法伐採の現場か。
「そこを、山ぁ迂回するように回ってくと、北側かな、今はちぃと道みたいになって下ってけるようになってる、その先だ」
鬼がチラリと視線を川の上流へと向ける。
「ちょうどあの山の反対ぐらいだ。こっからなら二里くらいか」
遠い。
思っていたよりも遠い、という事は、現地の負気は想定よりも濃いという事だ。
「もう一度聞くけど、清次とは会って無いのね。すれ違っても?」
「ああ、見かけてねぇ。湯川に行ったっちゅうのも知らねぇ」
「……清次に、鬼に成るように誘ったのは、あなた?」
「う……、あぁ。すまねぇ、ヤツが町を襲うたぁ思ってなかったんだ。すまねぇ」
芹菜の心に、僅かな疑問が浮かぶ。
「あなた達は、町を襲うつもりは無かったの? なら、どうしてこんな所に?」
「オレらは、っちゅうか、村にいる連中は、別に人を襲おうと思ってここに居んじゃねぇ。元々、人が来ないような所におったのに、それを、ここの木こり共が山ぁ切り開いた所為で、その切り出し場の下辺りで、鉢合わせるようになったんだよ」
ああ、成るほど。
人の方が、鬼の隠れ住んでいた所まで入り込んでしまったのか。
そう考えれば、皇儀の目鼻の届かない辺り、山奥や離島に、こっそり隠れ住んでいる鬼は、かなり居るのかも知れない。
「オレはその後の、鬼が木こりと鉢合わせるようになってからの者で、魚ぁ釣りにどんどん川を遡ってたら、たまたま鬼と出会しちまって、命乞いしたら、鬼に成らんかと誘われたんよ」
「……へぇ。その誘い、断ったらどうなったの?」
「知らん、分からん。分からんが、多分殺されたんじゃねぇかと思う」
「じゃあ、あなたは、自分の意思で鬼に成った訳じゃ無いのね。それと、人を殺した事は無いのね?」
芹菜の質問に、何故か鬼は押し黙った。
「違うの?」
「鬼に成ったのは、自分の命惜しさだ。これを自分の意思かどうかと言われたら、判らねえ。……それと」
上目遣いで芹菜の顔を窺う。
それを見た芹菜の視線は厳しさを増した。
何を言おうとしているか、気付いたからだ。
「人を、殺した事があるのね」
「すまねえ。ここの木こり共をほっといたら、いずれ村の事が人に知られちまうって話になって、オレぁ断れる立場じゃ無くて、……すまねぇ」
芹菜は小鞠の顔を窺う。なんとも微妙な表情だ。
おそらく、芹菜も似たような顔をしている事だろう。
「それは、仕方が無いって事にしましょう」
「見逃してもらえるんで?」
「……もう少し、聞いておきたい事があります」
確認しておかなくてはいけない事がある。
「鬼の親方、人を鬼に変える鬼の、外見を教えてください」
「親方と戦うつもりか? ……あ、いや、あんたならいけるか」
と言う事は、先ほどの岩性鬼と大差ない程度なのか。
「親方は灰色がかった肌で、背の高さは八尺くれぇだ。顔だけが普通の人間みてえだもんで妙な具合に見えっけど、他は、特に腕だけがデカかったり胴体が太かったりってこたぁねぇ。なんつうか、大きいだけの普通の鬼って感じだ」
「他に、特に強い鬼は居ますか」
「それは、何人か居るたぁ思うが、正直、誰がどれほど強えぇのかは、よく判んねえ」
成るほど、強さの程度は当てにならないか。
中程度以上の鬼の数が判ればありがたかったが、これは仕方が無い。
「あとは……、鬼を人に変える道具というの? 銀の管ってどんな物ですか」
「そんな事まで知ってんのか」
鬼の言葉には応えない。
目線で先を促す。
「言われた通り、まったく銀の管としか言い様のねぇ物で、これっくらいかねえ、一応片方の先っぽが切り落としてあって尖ってっけど、見た目はホントに銀か何かで出来た管だ」
指で示した長さは八寸ほど。
まあ、長くとも一尺までは行かない程かと考える。
他に、何か聞き出しておく事は無いだろうか。
「今の切り出し場の下に、出村は無いの?」
「川沿いと切り出し場の辺りとに小屋がいくつかあっけど、村っちゅうほどのもんじゃねぇ。オレが知ってんのはそれっくらいだ」
ここに来た鬼がすれ違ってない、村にも戻っていないのならば、清次はその辺りに居るかも知れない。
「あとは……、この村に居た女たちは、どうなったの」
「う……そりゃあ」
俯き、視線を逸らす。やましい事があると言わんばかりだ。
「言い難い状態なの?」
「仲間の、鬼たちの相手をやらされてる」
やはり、そうか。
「その、仲間の鬼というのは、何人くらい居るか分かる?」
「あー、確実な数は分かんねえ、百人程度だと思う」
やはり、多い。
その中で、強い鬼がどれほど居るだろうか。
芹菜は口元に手を当て、しばし考える。
「コマさん、弁柄さん、何かある?」
「いえ、良いんじゃないでしょうか」
「こちらも、特にない」
ふむ。こんな所か。
「最後に、花梨ちゃんは?」
振り返って見た花梨は、明らかに殺気をはらんでいた。
「私も、特に聞きたい事はありません」
鬼を睨み付けながらそう言うと、すうっと視線を芹菜に移す。
「それで、この鬼は逃がすのですか?」
「いえ、殺しますよ」
然も当たり前のように応えた芹菜に、鬼が悲鳴のような言葉を発する。
「はーっ!? 逃がしてくれるっ言うたんじゃねぇのかぁ!?」
「もちろん嘘ですよ」
鬼は開いた口が塞がらず、目を見開いたまま固まった。
「私が殺しても良いですか」
そう言って前に出たのは、花梨だった。
「ええ。どうぞどうぞ」
予想外な事に少し驚きつつ、それを表情に出さないように、花梨に場所を譲った。
「あ、え? ……こいつが、オレを殺す?」
予想外だったのは鬼の方も同じだったようだ。
花梨を指さしながら、まさか、と言うような表情をしている。
花梨は気にもせず、鬼の前に立つと、にたりと笑う。
鬼は膝を突いた状態であったが、目線の高さは同じくらいだった。
「火之迦具土命」
肩の高さに持ち上げた花梨の右手に、光が灯った。
そう思った瞬間、ボッと音を立ててそれが走り抜ける。
「へぶしっ!」
鬼は奇妙な声を残し、顔を歪めながら、首からもげて飛んでいった。
……今の、見えなかった。
平手打ちか、手刀か。光の線が走ったようにしか見えなかった。
それよりも、火之迦具土命の挙動が自分の時と違う事に、芹菜は戸惑いを覚えた。
名前を呼びかける事による神霊の力の発動は、事前に祈祷で願った内容に因るはずである。
右手だけ降神したのと同じ状態に成った?
そんな事が出来るのか。
ぐらりと、前倒しになる鬼の体を、花梨は草履の裏で受け、横に蹴倒した。
「ふう。……如何でしょうか」
息を吐き、芹菜の方に向かった花梨の右手は、既に元通りになっていた。
「手の方に、衝撃は無かった?」
鬼の首を吹き飛ばす威力で殴ったら、普通は人の手の方が拉げるはずだ。
「手応えはありました」
花梨はにこりと微笑んだ。
「痛くは無いのね」
「はい、大丈夫です」
よし、大丈夫という事にしておこう。
左右を見ると、特に弁柄の方が何か言いたげな、不安をはらんだ表情をしていた。
だが、実際に口を開いたのは小鞠の方だった。
「花梨ちゃん。雑魚が相手であっても、迂闊に近づいちゃダメですよ」
「あ、はい。すみません」
「花梨ちゃんが降神した状態なら、あの程度の鬼に傷つけられる事は無いでしょうけど、生身だと簡単に殺されます。あれがその気だったら、首を飛ばされていたのは花梨ちゃんの方だったかも知れません」
確かに、それは私も迂闊だった。
「すみません、そこは私の判断が甘かったです」
芹菜が頭をさげる事で、その責任は芹菜が受けるようにする。
小鞠は芹菜の方に目を向け言葉を続けた。
「……そうですね。敵が雑魚でも、油断しないようにして参りましょう」
雑魚と言っても、本来なら、衛士が数人がかりで相対する鬼である。舐めすぎて居ては怪我をしかねない。
「改めて、情報を整理しようか」
弁柄の言葉に、全員が頷いた。
「とりあえず、どこかに座りましょう」
気分的な物で、鬼が座っていた縁側は避け、隣の長屋を視線で示す。
縁側の板戸は壊されており、そこから中へ上がり込む。
この建物は四畳半の部屋がいくつかあるのみで、囲炉裏は無い。土間に竈があったので、そこで湯を沸かし茶を淹れる事にした。
ついでに厠で用を足しておく。
四角い部屋で、それぞれが板戸を背にして四方に座る。
四畳半とは言ったが畳は無く、板張りの粗末な部屋である。
まず、芹菜が話し始めた。
「昨日の鬼の話では、鬼の親方にばったり出くわして、鬼にしてもらったという事でした」
三郎太も似たような事を言っていた。
「では、たまたま出会った者を鬼に変えて、村を大きくしていったのでしょうか」
「鬼の村がいつからあるのかは判りませんが、そうやって人知れず、勢力を拡大していたのかも知れません。それが偶然、奥山に踏み込んだ木こりたちと出くわして、今回、表沙汰になったのでしょう」
芹菜と小鞠の会話に、弁柄が質問を挟む。
「昨日の鬼とやらも、この山に踏み込んだのか?」
「……確か、山を歩いていて鉢合わせたとか、言っていたと思いますが、ここの山かどうかまでは判りません。他の鬼も、親方に出会ったと言っていましたが、その親方という鬼が、旅をしていた、というのもあり得ますでしょうか」
「旅をしながら仲間を増やし、人の立ち入らない奥山に村を作った、か」
弁柄が一つの可能性を上げる。
それに小鞠が疑問を呈す。
「小鬼の牧場というのは、その後に作ったのでしょうか。そうだとしたら、それ以前の、人を鬼に変えるための小鬼はどうやって用意していたのでしょうか」
その問いに答は無い。
想像は出来るが、それ自体意味を持たない。
暫くの沈黙の後、芹菜が仕切り直す
「先ほど判った事は、鬼の村まで二里。途中、木こりの小屋と切り出し場がある。清次がこの村を通り過ぎたのは確実ですが、鬼の村には戻っていないと思われる」
もちろん、三郎太が出会わなかっただけで、戻っている可能性もある。
「直線距離で二里だとして、芹菜君の力で、敵の勢力の見当は付くか?」
「さすがに難しいです。正里で二里だとしても、具体的には言い切れません」
実際には山での二里であり、上流の山を回り込んでいるという事だから、もっと近いはずだ。
だとすると。
「そうですね、適当でよろしければ、先ほどの鬼たちの数十倍という所でしょうか」
「ふうむ」
弁柄が口元に手を当て黙り込む。
代わりに小鞠が続ける。
「問題なのは、一番強い鬼がどの程度なのかと、他の強い鬼がどのくらい居るか、ですね」
「そうですね。やはり目視は必要ですよね」
芹菜は小さく溜め息を吐く。
言われるまでも無く、やはり行ってみなければ判らない。それ故の偵察であったはずだから、当然の事だ。
「まず、木こりの小屋まで向かいますか。運が良ければ、敵の迎撃があるかも知れませんし」
敵の迎撃を幸運と言う芹菜に、小鞠と弁柄は苦笑を浮かべ、花梨は同意の微笑を浮かべた。
「あと、清次がその辺りに居れば、楽で良いですね」
ポンと膝を叩き、芹菜が立ち上がる。
「ほんとぉに、小出しにしてくれると助かりますのにねぇ」
笑いながら、小鞠たちも席を立った。
湯川を出たのが卯の時少し前。
廃村を出たのが大体辰の時で、そろそろ巳の時に成るくらいだろうか。
途中、休憩も挟むが、問題が無ければ正午の時までに鬼の村に着く事が出来るはずだ。
ただ、そこでの活動が長引けば、帰路で日が暮れてしまう。
敵の追撃があったとして、町の外で迎え撃ちたい。
そんな事を話しながら、少し足を速めた。
目的の林道へ向かう途中、いくつか切り出し跡と、川へ材木を降ろした痕跡を見かけた。今歩いているこの道自体も、かなり新しい。
木こりたちは、川沿いに道を作りながら、どんどん奥に切り出し場を作って行ったのだろう。
やがて、一つの林道の上がり際に、粗末な小屋が建っているのが見えた。
「ここが目的の林道でしょうか」
つまり、最新の切り出し場だ。
しかし、道はまだ川沿いに続いている。
皆の視線が林道に向かう中、芹菜は川沿いの道を調べ始めた。
そして、すぐにそれに気付く。
「みんな、ちょっと来て」
言いながら足下を指し示す。
「これ、多分、清次の足跡じゃないですか」
小鞠と弁柄が、眉を顰めてしゃがみ込む。
「確かに、そのようだな」
他の鬼の可能性もある。だが、少なくとも人の足跡では無い。
芹菜は道の奥を見つめながら、匂いに意識を集中させる。
あの山の向こうに鬼の村がある。それは間違いない。
目を閉じ、更に集中する。
僅かに、村の方向以外にも、鬼の匂いがしているような気がする。
「不確かですが、この先に居るような気がします」
目を開き振り返ると、全員の視線が芹菜に集まっていた。
「間抜けな話だな。道を間違えて帰り損ねたか」
「そうかも知れませんね」
林道への上がり口を見誤ったか。
「だとすると、単独で居るはずです」
そう言って、もう一度目を閉じる。
「奥にある村の匂いが強すぎて判りにくいですが、そう遠くないように思います」
「だろうな。おそらく、この道はまだ作りかけだ」
そう、おそらく、次の切り出し場所を作る為の道で、まだどこにも繋がっていない。完成していたとしても、予定地の下までのはずだ。
「では、先にこちらへ行きますか」
芹菜の言葉に、一同が頷いた。




