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第十六話 道程

 第一の目的としていた廃村までは、何の問題もなく到着した。

 ここで朝食をとりながら、少し休憩する事にする。


 比較的破損の少ない家を探したが、どこも壁が崩れかけ、屋根が無事なように見えても、いつ落ちるか判らない状態だった。

 念のため屋内は避けて、村の小さな社の石段に腰をおろし、そこでおむすびをいただく。

 

 ムスビは産霊(むすひ)。神霊の宿る神奈備(かんなび)山を模した三角のご飯は、お供え物であり依り代でもある。

 それは僅かながら霊力を高める事も出来る、基本的な携帯食として好まれている。


 他の四人が食事をとっている間に、この場所で待機する予定の阿刀は、周囲の探索を行っていた。

 小さな村で家の数も少ない、芹菜が座っていた場所から、ゆっくり戻ってくる阿刀が見える。


「袴は如何ですか」


 隣で同じように村を眺めていた小鞠が、芹菜に問いかけた。

 今朝受け取った袴の事だ。


「良い感じですよ。軽いですし、足に纏わり付く事もなく、戦いになっても問題ないと思います」

「ちなみにその色、弁柄色っていいます」

「へえ」


 小鞠は楽しそうに、口元を隠しながら微笑んだ。


「弁柄さんが使っていた物ですか」

「はい。丈だけ直してもらいました」


 二人の会話が聞こえたのか、少し離れた所で川を見ていた弁柄が戻ってくる。


「私の弁柄という名は、隠密になってからの名だ。良い名を思いつかなくてな、好んで使っていたその色を、そのまま隠密名にした」

「なるほど、良い名前だと思いますよ」

「小鞠は、生まれてすぐ母さんに付けていただいた名前のままですよ」

「コマさんも、お似合いの良い名前です」


 小鞠はえへへと、子供のように笑った。

 他愛もない会話で、良い息抜きになったと思う。

 ここからが本番だ。


「さて、そろそろ行きますか」


 芹菜は立ち上がり、短刀を腰に差し直す。

 それを真似るように、花梨も短刀を刺し直した。拵えは昨夜の白木ではなく、鉄拵えに換えてある。


 花梨は若草色の小袖に、芹菜と同じ弁柄色の袴を穿いている。

 もちろん、弁柄の袴も弁柄色、腰には打ち刀を一本差しで、着物は枯野色。

 小鞠と阿刀は若草色の小袖に苔色の袴という、緑系統でまとめている。

 この二人の袴は股の割れていない行灯袴である。

 どの色合わせが一番隠密性が高いかは、状況によって変わってくる。

 茶色や緑でまとめるのは、基本、森に潜む事が多いからで、現地に合っているかは、行ってみなければ判らない。


 一行は再び川沿いの道に下りる。

 阿刀だけが、村の端から見送った。


 歩き出してすぐに芹菜は、鬼の匂いを感じ始めた事を皆に告げた。

 やはり昨日も木こりの村の鬼たちではなく、その奥にある鬼の村から発せられる匂いの方が強く感じていたのだろう。

 あの程度が相手なら、この距離で匂いを感じる事はないはずだ。

 逆に言えば、鬼の村の負気はかなり強い。

 芹菜はなるべく匂いに集中しながら歩く。縦に並ばれると、手前の鬼に気付かない事もあり得る。


「花梨ちゃん。この先、匂いが強すぎて見落とす事があるかも知れないから、前の方注意して、何か居たらすぐに教えてね」

「はい、判りました」


 正直に言って、見鬼がいるとかなり助かる。

 必然的に、芹菜と花梨が前に立ち、小鞠と弁柄が続く形になった。


「次の村まで半時ほどのはずです」


 自分の勘が確かなら、鬼の村までは更に半時ほど、併せて一時位の距離にあるはずだ。




(注釈・時間と距離)



 時間表記に関して、何度か出てきましたが、まとめて説明します。



 基本的に、一(とき)は日本でいう二時間。

 半時(はんとき)が一時間、四半時(しはんとき)が三十分。


 一日は十二時。十二支表記。


 子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥。


 午前零時が正子の時、その前後一時間、午後十一時から午前一時が子の時。

 現代のように、零時から二時間という訳ではないので注意。


 午後零時が正午の時、その前が午前、後が午後。


 芹菜たちは完全十二等分の正時を使っているが、農村や地方都市では、日の出を正卯の時、日没を正酉の時としている。


 この田舎時間では、夏は昼の一時が長く、夜の一時は短い。

 冬は逆に、昼の一時が短く、夜の一時が長い。


 最大誤差は約二割。

 昼が一番長い夏至で例えると、昼の一時は二時間二十五分、夜の一時は一時間三十五分。


 ただし、時計で計っている訳ではないので、適当ではある。



 距離は()という単位で表される。


 一里は約四キロメートル。


 基本的に半時で歩く距離で考えられている。

 つまり、一般人の平地での歩行速度は時速4キロ。


 これも、(しよう)()の他に、一般的な()が存在する。


 実際に半時歩いた距離を一里とする物で、当然、山道など移動に時間が掛かる道の一里は、正里より短くなる。


 また、行きの一里と帰りの一里が違う場合がある。

 街道の行きと帰りは、皇都である山都を基準に考える。

 山都からの行き道を(くだ)り、帰り道を(のぼ)りと表現し、「下り一里」は下り坂と言う訳ではない。


 街道の一里塚は、一般的な一里を基に置かれている。

 旅人は一里ごとに休息を取り、平均一日八里を進む。


 前述通り、田舎時間では一時に誤差が生じ、冬場は一時に一里を進めない場合がある。


 皇儀で使われている地図と、一般的に使われている地図にはかなり誤差がある。

 一般的な地図は、距離に関してかなり適当で、移動時間に関しては比較的正確に書かれている。



 芹菜の早歩きは、四半刻一里。

 一般人の二倍の早さであり、本人も二倍の速さで歩いていると認識している。


 作中において芹菜は、昨日に比べ、今日は二倍の移動時間が掛かると考えており、その前提で話をしている。




 あまり眠れないままに朝を迎えた清人は、それでも顔を洗い衣服を整えると背筋を伸ばした。

 今日は大浦屋の葬儀を執り行う事になっている。

 まずもって、朝一番に火葬を行うので、その準備が必要だった。

 花梨の事は気になるが、頭の片隅に追いやって、やるべき事を考える。


 河鹿亭のご厚意により、今朝だけは朝食を用意していただいた。

 兄、清彦は戻らない。

 父と二人食事を済ませた所で、河鹿の若女将が清彦にと(おり)を持ってきてくださった。

 感謝の言葉を述べてそれを受け取り、まず下の詰め所へ向かう。


 ちょうど山の端から朝の日が差し込み、町を照らし始めた所だった。

 低い位置に薄く川霧が立ち上る。今日も良い天気になりそうだった。


 焼け跡を通り過ぎる。

 昨日のうちに大きな物を片付ける事が出来たので、今朝は作業している者はいない。

 父も足を止める事は無く、言葉も無く、僅かに視線を送った限りだった。


 程なく、町の入り口が見えてくる。

 本来なら早立ちの旅人のために、門は既に開いているはずの時間だが、今はまだ閉ざされている。

 その周りで、衛士が慌ただしく動いていた。


「何かあったかな」


 父が小さく呟いた。

 清人が顔を上げると、衛士が三人こちらに向かって走ってくる所だった。

 町の中の、どこか他の所を目指している可能性もあるが、衛士の視線はこちらを捉えている。

 その表情には、不安があるように見えた。

 清人たちに近付くと、衛士たちは歩を緩め、やがて二人を待つように立ち止まる。


「お迎えに上がろうかと思っていた所でした」

「何かありましたか」

「とりあえず詰め所へお願いします」


 清人の心を不安がよぎる。

「鬼に殺された者は、亡者になりやすい」

 赤壁亭の亭主の言葉が思い出された。

 まさか、最悪の事態が起こってしまったか。

 しかし、詰め所に案内された二人に伝えられたのは、予想外の出来事だった。


「では、清彦が遺体を担いで姿を消した、と」


 父の問いかけに、衛士も困ったように答える。


「そうと言う訳じゃ無いんですよ。そもそも、詰め所の周りには誰かしらが居たので、気付かれずに外に出るのは無理です」

「しかし、現に清彦の姿は見えないし、柘榴さんの遺体も無いのだろう」


 衛士たちは沈黙し、互いを見合う。だが現状をうまく説明できる者はいなかった。

 ただ単純に、清彦と柘榴の遺体だけが忽然と姿を消していたのである。


 沈黙した衛士たちに、清人が言葉を掛ける。


「鬼に殺された者は、亡者になりやすいと聞いた事がありますが、柘榴さんがそうなった可能性は?」


 衛士たちが再び顔を見合わす。


「いや、しかし、そうだとしても、気付かれずに姿を消すとは考えられない。戸も窓も開けられて無いんだから」


 清人は廊下でくるりと周りを見渡す。

 詰め所には風呂は無いが、台所と厠は備え付けられている。

 押し入れも天袋も存在するが、もちろんそれらは捜索済みだろう。


「郷司様への連絡は?」

「まだです。まだ、なんと説明して良い物か……」


 父の問いに、衛士は曖昧に答えた。


「説明も何も、現状をありのままに伝えるしか無いだろう。犯人は、大浦屋を襲った鬼かも知れんのだぞ」


 その言葉を聞いた衛士たちは、一斉に顔を上げる。


「そうか、その可能性があるか……」


 おそらく当番長らしき衛士が指示を出す。 


「とりあえず、本所と郷司様へ連絡を。それと、もう一度詰め所の周りを調べよう」

「はい」

「郷の衛士長は出てこんのかね」


 父は少し嫌みを含んだ言い方をする。


「うちの衛士長は前線には出て来ませんよ。小鬼相手ですら姿を見せないのに、鬼が出たと聞いたら、どうせ本所で布団でも被ってますよ」


 衛士は嫌みどころか、(あき)れを含んだ実に正直な応えを返した。


「でも、北口に鬼が現れたら、あっちが前線ですよね」


 当然の事を清人は口にした。

 しかし衛士は簡単にそれを否定する。


「あっちから来る事は無いだろう。向こうの谷はずっと行って行き止まりだ。この町を通り抜けるか、湯山を越えて行くしかないんだから、鬼がわざわざ山越えなんかしないだろ?」


 本当に、道はないのだろうか。

 芹菜たちの話では、鬼の村は谷の奥だ。

 衛士の言うとおり、この町を通り抜けたのでない限り、どこか、山を越えて至る道があるはずだ。

 人は知らず、鬼だけが知っている道が。


「居なくなった二人の事はこの際置いておこう。鬼に殺された者が亡者になりやすいというなら、まずもってこの二人を焚き上げんといかん」


 父の言葉に、残った者は皆頷いた。

 戸板を使った担架に蓙ごと遺体を乗せ、建具を外して、廊下を通って表に出る。

 そこでは大八車を用意してくれた隣組の男が、衛士と話をしていた。


「え、どういうこと?」


 まだ、理解は得られていないようだった。


「どういうことかは判らんが、まずは大浦屋さんと奥さんを火葬する。用意は出来てるか」

「ああ、もちろん」


 理解は出来なくとも了解の意を示した男は、大八に二人の遺体を乗せる。

 もう一台来ていた大八は、念のため詰め所の横へ置いていく事になった。

 不穏な空気が漂う中、まず出来る事をするために、それぞれ動き始めた。




 木こりの村が近付くにつれて、匂いは濃くなってくる。

 昨日来た時よりも、強い匂い。

 おそらく、木こりの村に、昨日より多くの、もしくは昨日より強力な鬼がいる。


 感じたままを皆に説明しながら、芹菜はもう一つの可能性にも思い至る。


「村の手前に居るかも知れませんね」

「待ち伏せですか?」


 後ろから小鞠が覗き込むように声を掛ける。


「昨日四匹ほど狩りましたので、警戒されてる可能性もあるかな、と」


 四匹狩られた事に気が付いたなら、待ち伏せがそれ以下の戦力という事はないだろう。

 ただ、皇儀の者に狩られたと認識しているか、そもそも、皇儀の隠密の存在を知っているかどうか。


「少なくとも、私の顔を見た鬼は全て狩りましたし、死体は家ごと焼いたので、痕跡はほとんど無いはずですけど」


 相手がどう判断したか。

 それを確認出来れば、敵の程度が知れる。

 まずは戦わずに様子を伺いたい。


 負気の強弱を匂いとして判断している芹菜にとって、強力な鬼が複数居る手前に、弱い鬼が一匹居る状態が一番判りにくい。

 ここは見鬼の花梨に頼りつつ、警戒しながら進む事になる。


 更に暫く進むと、前方の草が刈られ、道が整えられている。

 そこまで進めば、木こりの村が見えるはずだ。


「花梨ちゃん、何か見える?」

「いえ。私の見える範囲には何も」


 一旦足を止め、道の脇の藪に身を潜める。


「見張りは、居ないのかな」


 待ち伏せをするのなら、見張りは必須だと思うのだが、それが居ないとなると、どういう意味があるのだろうか。

 顔を見合わせて考える。


「ここの鬼が殺されてる事に気付いてから、まだあんまり時間が経ってないんじゃないでしょうか、それで、対応が取れてないのかも」

「外敵を想定していないのなら、仲間内の争いと判断したかもしれん」


 小鞠と弁柄が意見を述べる。

 これはあくまで推測であり、もしそうであるなら、こちらはどう対応するべきかを考えるのだが、今回に限っては大した意味を持たない。

 やるべき事は変わらないからである。


 昨日と同じように、芹菜が道に対して横向きに移動する事で、まず、敵の位置と戦力を推し量る。

 強い匂いは、やはり村の中から感じられた。

 対して、道の奥、鬼の本拠地があると思われる方角は、昨日と変わらない。


 今、村の中には昨日より多くの、もしくはある程度強い鬼が居るはず。

 それだけの戦力を移動させたにも関わらず、本拠地の方では誤差でしかないのか。

 誤差にしか感じないほど、自分が思っていたよりもまだ、距離が離れているのか。


 仲間の元に戻って、再び顔をつきあわせる。


「単純に、下級の鬼なら十匹ほど、小鬼だけなら百を超えるくらいの負気が村に(わだかま)っています」


 ここでの対処を決めなくてはいけない。


「見つからないように通り過ぎて、鬼の村を目指しますか。それとも、今ここに居る鬼を倒してしまって、敵の戦力を削ぎますか」

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