第十五話 誘い
サブタイトルの「誘い」は「いざない」。ただし、作中に出てくる言葉は「さそい」です。ややこしい。
芹菜も小鞠も、最初こそ格式張った言い回しだったが、すぐに話し言葉に変わった。
今日の出来事、明日の予定。
どうぞ力をお貸しください。から始まって、最近の天候、花が咲いたとか、旬の某が採れたとか、世間話をしながら、酒を勧めては自分で呑み、また注いでは「いただきます」とこれも自分で呑む。
そして料理の説明をしつつ「どうぞお召し上がりください」と自分で食べる。
他人からは、奇妙な一人ママゴトにしか見えないだろう。
ママゴトとは飯事。
一人で二人分の食事を演じているように見えるが、相対しているのは、鏡の向こうの、自分と同じ姿をした神霊である。
自分が食する事で、神も共に食する。それが神人共食。
人の姿を与え、人の考える事、感じた事を率直に伝える事で、神を人に近付け、同情、同調を得る。
これによって神霊の力を借り、最終的には、神人合一を目指す。
人が神に近付くのでは無く、神を人に近付ける事で助力を得る。
そんな儀式であるので、人によって遣り様が違い、相性云々もあるが、祭祀を繰り返すほど、自分向きの神霊になる。
芹菜はチラリと横に座る花梨を盗み見る。
席は別にした方が良かっただろうか。
花梨は言いたい事、頼みたい事が言えていない様に思えた。
やって見せる必要があったので同席しているが、本来は一人で行った方が好き勝手言えるし、出来る。
芹菜も普段は誰かに見せたりはしないし、会話の内容も聞かせる事はない。
花梨は「どうぞ」と「いただきます」だけを繰り返しているが、誰でも初めてはそんな物だったはずだ。
ここでいきなり恨み言や怒り、憎しみを訴えられても困るし、これはこれで良いのだろう。
もし、火之迦具土命の神霊が、自分の意思で花梨に手を貸したのならば、特に今、何かをしなければならないと言う事も無いはずだ。
芹菜は自分で自分を納得させた。
始めた時と同じように、小鞠と目配せをする。
「では、そろそろ」
小鞠の発した言葉に軽く頷き、花梨に目線を送る。
「はい」
小さな返事を受け、芹菜は居住まいを正した。
「本日はありがとうございました。明日、よろしくお願いいたします」
鏡に向かい深々と一礼した後、拍手を二度打ち鳴らし、再度一礼して瓶子の蓋を閉じ、一旦座を下がる。
少し遅れて両隣の二人もそれに続き、座を立った。
「さて、片付けましょうか」
小鞠がパンパンと手を打ち鳴らす。
拍手との違いが判るのだろうか、それとも様子を窺っていたのか、阿刀と阿子がすっと襖を左右に開き、そろって一礼して入室する。
「片付けは私たちがやっておきますので、花梨ちゃんは先に休んでください。芹菜さんは……詰め所の件をお願いしてもよろしいですか」
小鞠の言う詰め所の件とは、花梨のご家族の遺体の確認。亡者になる可能性の確認である。
芹菜なら、直接見なくても、ある程度近付いただけで判別できる。
「はい。お任せください」
このような、危険かも知れない物の確認。そして、危険だった場合の除去は、芹菜向きの仕事であり、大なり小なり、いろいろ任される事が多いので慣れている。
花梨としばらく目を合わせたが、またしても感情は読み取れない。
三方の上に置いてあった白木の鞘を取り、短刀を納めて花梨に渡す。
「これを、今日は枕元に置いて休んで。それと、言っておきたい事があるなら、鞘を抜いて刃に映る姿に話しかければ良いから」
「はい。ありがとうございます」
その返答から、やはり言いたい事があるのかと推測した。
しかし、それをわざわざ言う必要も無い。
「ところで、これの拵えは? 白木しか無いの?」
「もし在るのでしたら、弁柄が用意してくださるでしょう。芹菜さんの袴も、弁柄が用意してくださいますよ」
弁柄が姿を現さなかったのは、その為か。
「どちらも、明日の朝で」
「はい。では、少し出てきます」
「お待ちを」
部屋を出ようとした芹菜を、呼び止めたのは阿刀だった。
「白い装束では目立ちます。あれを用意しておきました」
指さす先、弁柄の部屋の隅に、濃紺の衣服が整えられている。
「ああ、ありがとう。お借りします」
それは、袖の細い上着と山袴、顔を覆う頭巾まである。
誰かに見つかれば怪しまれる事間違いない。だが、見つかり難い。
芹菜はあまり使う機会が無いが、好んで使う者もいるのを知っている。
部屋に戻ってから着装し、自分の脚絆と短刀を身につける。そして懐に青銅鏡を入れ、廊下の奥へと向かった。
厠へ出る裏口。そこから出て草履を履き、裏山の方へと歩き出す。
今日は十七夜。雲も少なく、町の中はよく見える。
だが、一度山に入ってしまえば樹木の輪郭しか判別できない。
逆に言えば、外から芹菜の姿はまったく見る事が出来ないであろう。
大きく息を吐いてから、落ち着いて匂いを探る。
鬼の匂い、負気は感じられない。
念のため、探る様な足取りで町の入り口へと向かった。
焼け跡は、まだ火が燻ったままだった。
夜の暗闇の中、炭に宿った赤い炎がチラチラと見える。
「なんだこりゃ。誰もおらんのか」
男のくぐもった声が辺りに響く。
「周りを見てまいりやしょうか」
隣りにいた、やや小柄な男が応える。
やや小柄、と言っても人の背丈よりはかなり大きい。先の男が大き過ぎるのである。
その男がふうっと、ため息を吐いた。
本人にとっては「ふう」だが、周りの者にとっては「ゴフゥ」と聞こえる。
「仲間割れかねえ。やった奴は逃げたか? ここは俺がやるから、お前らそこら辺を見てこい。気ぃ抜くんじゃねえぞ、相手は殺る気かも知れねえ」
「へい」
応えて、三匹の鬼が村の外へ向かって小走りに駆けていった。
「さぁて」
それを見送った鬼は、まだ熱を持つ焼け跡へ向かう。
小鬼と違い、鬼は人や動物を素としている。
その為、死亡して負気が解けても、遺体は残る。古い鬼でも骨ぐらいは残るものだ。
仲間割れだとして、何匹が殺され、何匹が逃げたのか、確認するために遺体を探さなくてはいけない。
鬼は無造作に、まだ煙を吐く丸太に腕を伸ばす。
その腕自体が、まるで丸太のようだった。
他の鬼たちよりもやや長い角を生やした、四角く角張った顔に、同じく四角い上半身。
そこから伸びる腕は太い上に異様に長く、直立していても地面に着きそうなほどである。
それに反して下半身の大きさは人のそれと変わらない程度で、脚の長さも人並みであるのに、太さだけは腕以上なのだから、酷く短足に見える。
鬼はまるで熱さを感じないかのように、焼けた木材を次々と掴んでは後ろに投げ飛ばす。
瞬く間に残骸は片付けられ、やがて、焦げた遺体が一つ二つと見つかっていく。
「ん? こりゃあ……」
見つけ出された遺体の数は、四体だった。
衛士の詰め所が見える所まで来て、芹菜は匂いを探る。
遺体がそこに運び込まれた事は間違いないはずだが、ここまで来ても負気はまったく感じられない。
所謂、死の穢れも感じる事が出来ない。
口元に手を当て、しばらく考える。
穢れが落ちてる。
火之迦具土命の炎で清められたのだろうか。
だとすると、亡者になる可能性は無い。
一つ心配事が取り除かれた。
町の門は閉ざされ、その内外に併せて二十名ほどの衛士が警戒に当たっている。
それを確認してから赤壁亭に戻ろうとして、芹菜は違和感を覚えた。
もう一度、警備の衛士たちを眺める。
何がおかしい?
槍を装備した衛士が二十。
交代要員も居るはずだから、十分な数が配置されていると思える。
だが、しかし。
ハッとして振り返る。
先ほど自分が進んできた町の裏山。何故ここを警戒していないのか。
鬼は町の中では見かけられていない。裏山から大浦屋に入った事はすぐに想像できるはずだ。
なのに、まったく警備をしていない様に見える。
正面から来るという確証があるのか、ひょっとすると、以前町を襲った鬼たちは、街道から来たのだろうか。
しかし、今夜、鬼が来るとするなら町の奥からだと考えていた芹菜にとっては、彼らの判断は見当違いも甚だしい。
かといって、助言する訳にもいかない。
少なくとも、感じ取れる範囲内に負気は無い。
芹菜は一人頷き、赤壁亭に引き返した。
翌朝。
空が白み始めた頃、赤壁亭の前に芹菜、小鞠、花梨、そして弁柄と阿刀が並んだ。
少し遅れて阿子が火打ち石を持って現れ、皆の襟首に火花を切り飛ばしていく。これは火による祓いの一つである。
「では、参りましょうか」
芹菜の声に一同が頷く。
「留守を頼みます」
「はい」
小鞠の言葉に阿子が応える。
彼女には留守を任せる事になった。
もしかすると本所、その他からの連絡があるかも知れないし、不測の事態が起こるかも知れない。
出来れば弁柄を残したい所ではあるが、戦力が足りないため、彼には前線に出てもらう。
一緒に出る阿刀は、途中の廃村で待機することになっている。
これも不測の事態に備えるためで、場合によっては、芹菜たちを見捨ててでも、撤退してもらう必要があるかも知れない。
夜明け直前、早い人なら既に起き出して仕事を始めている。
一行は人目を避け、今回も裏山に入って町の北口に向かう。
「あの辺り、枝が折れてますね」
右手側に、進行方向に沿うように、昨夜は気が付かなかった複数の枝折れが目に付いた。
芹菜の意を汲み小鞠が応える。
「清次が通った跡でしょうか」
枝が当たるのも気にせずに、無理矢理走り抜けたようだった。
余程急いでいたか、余裕が無かったか。
やがて、町から北西へ延びる道に下りる。
そこは昨日、芹菜が調べた場所だった。
「そこに鬼の足跡があります。昨日、同じ所から下りてきて、北へ向かったと思われます」
全員、それぞれに足跡を確認し、そして改めて向かい合った。
「まずはここから数えて二つ目の廃村へ向かいます。そこを拠点に、昨日私が行った木こりの村へ。問題が無ければ、更に奥、鬼の村を捜索に向かいます」
「はい」
一同の返事を得て、芹菜は先頭を歩き出す。
平地ならそろそろ日の出が近づく頃であったが、谷間のこの町は、まだ薄暗かった。
薄暗がりの中、灯明の火が揺らいだ。
それは部屋の隅に蟠っていた闇を波立たせる。
清彦は僅かに顔を上げた。
風は無い。部屋は閉め切られており、誰の出入りも無い。
灯明の油はまだ十分あるはずで、火が消える事は無いだろう。
重い、伸し掛かるような疲労感の中、ゆっくりと部屋を見渡した。
「その子、お兄さんの奥さん?」
突然、聞こえるはずの無い声が聞こえた。
バッと片膝を立て、背後を振り返る。
しかし、戸口には誰も居ない。
嫌な汗が首筋を伝う。
再び前を向いた時、三人の遺体の向こう、閉じられた窓の下に、それは居た。
「鬼か……」
清彦は咄嗟に、柘榴の上に置かれていた守り刀を手に取る。
守り刀と言っても特に力の無い、数打ち物の短刀である。
その様子を見て、鬼がにたりと笑った。
外見は少女。
十才かそこらの子供に見える。
ただ、長く伸びた銀の髪、赤く輝く瞳、顔と同じくらいの長さを持つ二本の大きな角が、それの正体を物語っている。
毒々しい、彼岸花を思わせる赤と黒の着物を身に纏い、膝から下は素足をさらしていた。
「お兄さん、そんなんじゃ、何の役にも立たないと思うよ」
言い知れぬ圧迫感。
かつて見た鬼のような巨体とは違う、折れてしまいそうな小さな体なのに、本人の言葉通り、こんな短刀一つでは何の役にも立たないと感じさせられる。
逃げるか、大声を出して衛士を呼ぶか。
妙に冷静な頭が、室内で槍は不利だ、表に誘い出すべきだと判断を下す。
反面、靄の掛かったように重たい思考が、柘榴を置いて逃げるのかと訴える。
二つの考えに、体が動かない。
奴は何のために現れた?
柘榴の遺体が狙いなら、ここを逃げる訳にはいかない。
「柘榴を、大浦屋の人を殺したのは、お前か」
「ん? 違うよ、私はただの通りすがり。みょーに警備が厳しくなってたから、何を守ってんのかなーって思って。なんで死体を守ってんの? 何? 鬼が出たの?」
お前も鬼だろうと言いたくなるが、嘘を吐いているようには見え無い。敵意もなさそうだ。無意味に争うべきでは無いかも知れない。
「この方たちは昨日鬼に襲われて亡くなった。その後、家に火を放たれて……、この有り様だ」
鬼は遺体を見下ろした後、軽くしゃがんで蓙をめくり、一番向こうにあった主人の遺体を確認した。
「うわ、これは確かにひどい」
「ひどいだろう。何故、鬼はこんなことをするんだ」
「え? 鬼が人を殺すのに、理由はあんまり無いよ」
ああ、そうか、やはりそうなのか。
「遊びで殺す奴もいるし、食べる奴もいる。結局は死の穢れをばらまくのが、何、本能って言うの、そんな感じなのよ」
言って、ピタリと動きを止める。
「でもこれ、穢れが無いなぁ」
眉をひそめ、まじまじと覗き込む。
「そっちの二つもか。なんだこれ、何をやったの?」
「すまない、何を言っているか判らない」
「そっか、そりゃそっか」
うんうんと頷き、蓙を戻す。
「ありがと、またなんかあったら教えてね」
ひらひら手を振りながら、清彦の横を通って襖を開ける。
「お前、どこから入ってきたんだ」
普通に出て行く事に驚いてしまう。
「こっからだよ。何、気付かなかった?」
悪戯っぽく、ニヤッと笑う。
「気付かなかった」
素直に答える。
まったく気が付かなかった。
いや、灯明の火が揺らいだあの時か?
清彦の返答が気に入ったのか、鬼は更に嬉しそうに笑った。
「お兄さんは、この子たちの家族じゃないの? その子のこと、じっと見てたけど。恋人?」
「……そうだな。結婚の約束をした所だった」
「おー。そうかぁ」
鬼が奇妙な感嘆を漏らす。
「そっかぁ、残念だったね。……生き返らせてあげようか」
「は? なにっ!」
突然の申し出に、思わず大声を出してしまう。
「あはは、本気だね」
愉快そうに笑う。
「生き返るって言っても、そのまま、人間に戻すのは無理だよ。死体もそんなだしね」
言って、目線で柘榴の遺体を指し示す。
「でも、鬼にする事なら簡単にできるよ。私なら、元の姿のまま、力の強い鬼にする事が出来る。角が生えてるのだけはご愛敬だけどねぇ」
「鬼に……」
それはもう、生き返るとは言わないのでは無いか。
「ついでにお兄さんも鬼になる? 二人で鬼になれば、幸せになれるよ」
「……俺も鬼になったら、意味も無く人を殺すようになるのか」
「え? さあ? お兄さん次第じゃ無い? 鬼が人を殺す事に意味なんか無いんだからさ、別に殺さなくても生きてけるよ。私も、人の間をすり抜けて生きてるし」
思考が停止している。
これは乗ってはいけない誘いだ。
それは判る。判ってはいるが、判断が出来ない。
「どうする。とりあえずやってみる? やるなら死体がある今の内だよ」




