第十二話 今後の事
日が沈むと片付け作業は中断される。
暗い中の作業は危険であるし、篝火を焚くほどの急ぎでは無い。
そもそも、火事の跡に篝火を焚くのは好ましく思えない。
手伝いに出ていた者たちは皆一様に河原へ下り、そこで婦人方が用意してくださった炊き出しを受けている。
また火事見舞いとして酒が届けられ、互いに労をねぎらいつつ酌み交わしていた。
何人かは大浦屋の焼け跡に向かって、盃を捧げる。
先ほど、大浦屋の主人と奥方、そして長女の柘榴の死が伝えられた。
徐々に暗くなっていく河原の、皆が炊き出しを受けている場所から少し離れて、旦那衆が集まり話し合いが行われている。
本格的な集まりは明日の昼に行われるが、取り急ぎとして説明がなされていた。
大浦屋のご夫婦は、火事で亡くなったのではなく、鬼の爪により致命傷を受けていた。
そして姉の柘榴は首を取られ、妹の花梨は行方不明。
何度か驚きの声が上がり、片手で顔を覆い涙を流す者もいる。
また若手に声をかけ、使いに走らせる者もいた。
「七年ぶりくらいか」
誰かが呟いた。
小鬼が出る事は間々あったが、鬼が出る事は久しくなかった。
不安は漣のように広がっていった。
清彦は世話になった方々に酒を注いで回っていたが、父から柘榴の訃報を聞いて、席を外した。
下手に向かったので、遺体が預けられている詰め所へ向かったのだろう。
父が引き留めようとしていたが、聞き入れなかった。
清人は花梨が行方不明と聞いても、何故だか取り乱しはしなかった。
生きている。その安堵感がまずあった。
もちろん、鬼が女を攫う理由は知っている。
それを考えると胸が苦しくなり、吐き気すら感じる。
でも、生きている。最悪の事態は避けられたのだ。
しかし、食事を取る気分になれず、周りに礼だけを述べ、清人は河鹿亭へ向かった。
父は最後まで残り、皆の相手をするのだろう。
火事を出したのは大浦屋だが、飴釜屋は皆の力で助けられたのだ。また、片付けも手伝って貰っている。
自分たちは被害者だと泣き喚くような真似はしない。感謝を以て応えるのである。
空は徐々に赤みを失い深い藍色に包まれる。河鹿亭から振り返れば、早くも十七夜の月が上り始めていた。
「清人ちゃん」
突然声をかけられ、ビクッと飛び跳ねそうになる。
振り返ると、つい先ほど誰もいなかったはずの場所に、小鞠が立っていた。
「小鞠ねえさん。びっくりしました。どうしたんです?」
何時になく真剣な面持ちで、小鞠がじっと清人を見つめる。
「急ぎで内密の話があります。清人ちゃんは口が堅いですか?」
その言葉には、不穏な物が混じっているように感じられた。
清人は答えず聞き返す。
「何のご用ですか」
「花梨ちゃんの事です」
一瞬息が詰まり、目を見開く。
「口は堅いですよね」
「はい」
今度は即答する。
花梨の何の話かは判らないが、聞かない訳にはいかない。
小鞠の視線が周りを窺うように動く。釣られて清人も周りを見渡す。この近辺には人影は無い。
「ここでは何ですから、人知れず、赤壁亭までお願いします」
そう言うと小鞠は道を横切り、河原に向かってひょいっと飛び降りた。
意味が判らず後を追って河原を見下ろしたが、当然のように、そこに小鞠の姿は無い。
清人はもう一度辺りを見回し、誰も見ていない事を確認すると、赤壁亭に向かった。
河鹿亭より上手は温泉宿が建ち並び、僅かに人通りもあるが、湯治客ばかりで知った顔はいない。
そのまま特に目立つ事無く、赤壁亭へ向かう角を曲がる。
数歩進んで、妙に暗い事に気付いた。
提灯を持たずに歩いている事もあるが、残照も月明かりも急に無くなった。
見上げた赤壁亭にはまったく灯が点っておらず、闇に沈み込んでいるようだった。
「内密に、人知れず、か」
足下は辛うじて見える。清人は足早に坂を上った。
外からは真っ暗に見える赤壁亭であるが、中には明かりが灯っている。
もちろん、行灯の明かりはそれほど強い物ではないが、物書きが出来る程度には見える。
小鞠は書き終えた手紙を折り、何事か呟き窓から放った。
それは一度落ちかけてから、ふいっと浮かび、白い鳥に姿を変えた。
三通の手紙が三羽の白鳥に変わり、それぞれ別の方向へ向かって飛び去っていく。
芹菜はそれを頬杖をつきながら眺めていた。
赤壁亭三階の客間、左の一部屋目と二部屋目は襖が取り払われ、細長い九畳間になっている。
手前の部屋に小鞠と芹菜、そして花梨。
奥には仲居の阿刀と阿子に挟まれるように、白髪混じりの線の細い男性が座っていた。
この人物が赤壁亭の亭主、名は弁柄。聞けば、小鞠の前に町付きの隠密を勤めていた人物だそうだ。
年は四十過ぎ、今は半隠居で小鞠の方が上席扱いになっている。
湯の神と水の神の力を使うらしいが、なるほど、戦いには不向きに見える。
芹菜一人だけであっても、小鬼なら百匹いてもなんとかする。
しかし、鬼の群れとなるとそうはいかない。
特に、群れを率いる鬼は大抵の場合かなり強い。
今回に限って言えば力より知能かも知れないが、油断ならないのは変わりない。
そして、敵の総数が不明なのが、ますます行動を妨げている。
実のところ、鬼も、一対一なら勝てる。
不意打ちを受けない限り、余程強力な鬼にでも勝てる自信はある。
ただ、多数を同時にだと厳しくなる。
基本的に分断、誘い出しで各個撃破するのだが、それが難しいほどの数がいるかも知れない。
もし鬼の村を攻めるなら、もっと戦力が、頭数がいる。
芹菜は口元を隠すように肘をついていた文机に、視線を落とす。
火之迦具土命が宿っていた鏡がそこにあった。
降神するには神器がいる。それも自分に相性の良い神霊が宿った物が。
出来れば普段から自分で祭祀を行うべきであり、芹菜もそうしている。
それが、あっさりと、しかも神霊自身の意思で他人に降りるとは。
裏切られたような思いと同時に、相性という事の意味を改めて考えさせられる。
芹菜にとって相性の良い神霊は雷火系で、常に複数の神器を携帯しているが、実際に降神するのは雷神だけである。
降ろされる事の無い神霊はどう思っていたのだろうか?
そんな事は、今まで考えた事が無かった。
自然の神霊は、祀れば祀るほど人に近しくなる。
鏡に自分を映しながら神饌を供し、言葉を贈る事で自分に近しい存在となるのである。
そう考えれば、自分と花梨は相性が良いのだろうか?
そんな疑問も湧き上がり、掌の内側で僅かに笑う。
「来ましたね」
窓辺の小鞠が外を見下ろしながら呟くように言った。
特に指示が出た訳でもないが、仲居の二人が一礼して部屋を出る。
小鞠は窓の板戸を閉めてから、障子を閉ざす。
そして花梨の方に向き直り、質問する。
「先ほどはさらりと聞き流してしまいましたが、婚約なされたんですよね?」
「正式な物ではありません。まだ、親同士の口約束のような物です」
花梨が寂しげに答えた。その言い方も、少し冷たいような気がする。
「もし、全てが片付いて、その後こちらに来るというのなら、清人ちゃんはどうするつもりです?」
「それは、清人ちゃんが決めると思います」
二人の会話に、芹菜が口を挟む。
「お二人は、好き合っての婚約ではないの?」
その言葉に花梨と小鞠が振り向いたが、何も言葉は発せられなかった。
おかしな事を聞いてしまったのかと、芹菜はちょっと不安になる。
色恋沙汰はよく判らない。
苦手、と言うか無縁である。
もっとアレな感じの色恋を語る人物は身近にたくさんいるが、それがますます恋を判らなくさせる。
微妙な沈黙が部屋に降りた。
何となく部屋の奥に目をやると、何故か弁柄が嬉しそうに微笑んでいた。
静寂の中、階下から足音が聞こえてくる。障子の向こうに人影が浮かんだ。
「失礼します」
「はい、どうぞ」
阿刀の声に小鞠が応え、すっと障子が開く。
膝をつく阿刀の後ろにいた清人が、途端に大きな声を上げた。
「花梨っ!」
前にいた阿刀を押し退けるようにして部屋に入り、花梨の前で膝をつく、と言うよりも、そのままの勢いで抱きしめた。
花梨は支えきれず、バタンと後ろに倒れる。
「……清人ちゃん」
清人は花梨の肩に顔を埋めるようにして、泣いていた。
「あ、花梨ちゃんが無事だと、伝えるのを忘れてました」
小鞠がポンと手を合わせ、今更のんきな事を言う。
倒れたままの状態で清人は泣き続けた。
その背を花梨が、緩く抱きしめるように、優しく撫でる。
芹菜はそんな二人を、少し不思議な心持ちで眺めていた。
しばらくして、阿子が茶器を持って部屋に入ってきた。
戸口に座っていた阿刀と手分けして、人数分の茶を淹れる。
その動きを感じ取ったのか、清人が体を起こし、併せて花梨も起き上がる。
そしてそのまま、寄り添うように座った。
皆無言のまま、茶が配られる。
「さて、誰から話しましょうか」
小鞠の言葉に、手前の部屋の一同が顔を見合わせる。
奥の部屋、弁柄とその両脇に座り直した阿刀と阿子は、まるで無関係の様に動かない。
まず言葉を発したのは清人だった。
「すみません。取り乱してしまって」
正座し、深々と頭をさげる。
「それで、花梨はどうしてここに?」
芹菜と小鞠が目配せする。
「どうぞ」
「芹菜さんが最初から話した方が良いんじゃないですか。私たちの御役目の件も含めて」
芹菜は譲ったが、小鞠に返された。
「そういえば、後でゆっくり話すという約束だったわね」
一度大きく息を吐き、芹菜は話し始めた。
話の途中、清人は何度か驚きの声を上げたが、最も驚いたのはやはり、大浦屋を襲った鬼が清次であるという事だった。
それはそうだろうと、話をしている芹菜自身も思う。
身内が鬼になったなど、想像もしたくない。
その後の、鬼の村や、人を鬼にする方法などについては、あまり聞いていないように感じた。
いつの間にか、花梨がその手を握っている。
「大浦屋さんや柘榴ねえさんを手にかけたのは、清次兄さんで、間違い無い、ですか?」
「うん」
答えたのは花梨だった。
清人はゆっくりとそちらを見る。しかし言葉は出ない。
「大浦屋を襲った詳しい理由は判らないけど、その鬼が清次さんだと言うのは、花梨ちゃんがその目で見て、何より花梨ちゃんの名前を呼んだという事から、間違いないでしょう」
芹菜の言葉の後、部屋に沈黙が降りる。
兄が鬼になり、更に恋人の家族を殺した。それはどれほどの衝撃なのだろうか。
清人はガクリと項垂れて、その表情は見えない。
「よろしいか?」
部屋の奥から声が掛かる。自己紹介以来無言だった弁柄だ。
「大浦屋のご家族の遺体について、誰か確認したか?」
芹菜は小鞠の方を見る。それを見返して、小鞠が答えた。
「はい、私が。遺体は下の詰め所に運ばれて、飴釜さんが検分を行っていました。それを外から確認しています」
「鬼に殺された者は、亡者になりやすい。大丈夫か?」
通常なら今日の内に通夜があり、明日に葬儀の後すぐ火葬される。
大浦屋の場合、通夜は無しで明日の朝にまず火葬、その後葬儀だろうか?
葬儀の手筈は隣組という近所組織が執り行う。それ自体は任せておいて良いだろう。
「今夜の内に、亡者になり得ますか」
「さあ、わからん。五分五分かと思うが」
小鞠の問いに、弁柄が答える。
感覚的な意見で、本当に五分では無いだろうが、確率は高いと言っているのである。
「もう一度確認しておきましょう。私で良いですか?」
芹菜の意見に返答は無い。花梨の顔を窺うが、読み切れない。
「とりあえず、話を進めましょう」
本題はこれからだ。
「清人君をここに呼んだのは、花梨ちゃんに頼まれたからなの。今後どうするかは一先ず置いておいて、現在、花梨ちゃんは鬼に攫われて行方不明という事になってるけど、それをそのまま放っておきます。そこで、清人君だけには本当の事を伝えたかったというのが一点。もう一点が、私が預けた鏡を返して頂こうかと思って」
「あ、これですか?」
清人は懐から鏡袋を取り出す。
「そうそれ」
言って受け取り、文机の上に置く。
それを眺めながら、清人が疑問を口にする。
「花梨が行方不明のままにすると言うのは、どういう意味ですか」
「鬼に攫われたはずなのに、何にも無しに姿を現すと、その理由を説明しなくちゃいけないでしょ。それと、鬼の襲撃と火災の因果関係についても、何らかの説明がいるかも知れないから」
現在、町の人たちは、遺体に鬼の手による傷があったため、火災も鬼の所為だと思い込んでいる。
もちろん、花梨が鬼を撃退するために放った火が、燃え広がったなどと説明する気は無い。
「あと、今後どうするか、まだ決めていないから」
もう一度、花梨と目を合わせるが、やはり感情が読めない。
「それでその、今後の事ですが、どうしましょう」
視線で清人を指す。
「ここでお帰りいただくと言うのは酷でしょう」
小鞠が口元に手を当て笑いながら言う。それに弁柄が続く。
「清次への対応についての話もある。聞かせてやればよい。後々の事は私が何とかしよう」
町付きのこの二人が言うのであれば、任せておけば良いだろう。
何より、先ほどの花梨との話し合いでは、最終的な清人の身の振り方は、清人自身が決めるとなっていた。なるべく真実を伝えなくてはいけない。
「では」
一息おいて、芹菜が話し始める。
「本所、その他への連絡は出しましたが、助勢が来るのが何時になるか、またどれほどの数が出されるのかは判りません。そこでまず、鬼の拠点調査、戦力調査を行います。こちらは戦力集中、戦える者全員で行きます」
調査が主な目的だが、戦闘になる可能性もある。
「それに併せて、生存している可能性が高い女たちの確認。小鬼の牧場という物の確認。鬼の頭領、親方と呼ばれている鬼の確認。そして、清次の確認、出来れば捕縛、ですね」
「清次兄さんを?」
またしても、清人だけが疑問を持つ。
「清人君にとってはご家族でしょうけど、鬼は殲滅します」
ここはキッパリ宣言しておく。これをいい加減にしておくと、いざという時邪魔になりかねない。
「ただ、昨日鬼になったばかりなら、その事に関して情報を得られる可能性があるのと、単独で町に来た理由、大浦屋を襲った理由を説明してほしい。何より、花梨ちゃんにとっては家族の敵だから。どういう理由があったのか、はっきりさせてから、死んでいただきます」




