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第十話 情報

 何枚かの布を挟んでいるとはいえ、その気持ち悪さは耐えがたい。

 自分の下半身に一物を擦りつけようとする鬼に、芹菜は我慢ができなかった。

 

裂雷命(さくいかづちのみこと)っ」

 

 バンッと大きな炸裂音とともに、鬼のそれが裂ける。

 鬼は大きく目を見開き、顎が外れるほど口を開くが、息を吸うのみで声を発しない。

 ぼとぼとと、鬼のそれの肉片と血が、芹菜の袴の上に落ちた。

 

「ぎぃやぁあああおぅおあーっ!」

 

 奇妙な絶叫を挙げつつ、体をくの字に曲げて鬼が転がる。

 他の鬼はまだ状況を理解していない。

 芹菜は短刀を抜き放ちつつ体を起こし、まず、右から太ももを触っていた鬼の首を斬る。

 そして左手で肩を掴むと、他の鬼に対する盾にするべく回り込んだ。

 

「な、貴様、なにをっ」

 

 驚き立ち上がろうとするまとめ役に左手を突きつける。

 

若雷命(わかいかづちのみこと)

 

 掌からバシッと一条の雷光が走り、鬼の頭部を撃ち貫く。

 

「がぁっ」

 

 (うめ)いて一歩さがるが、致命傷では無い。

 囲炉裏を挟んで反対側では、寝転がっていた鬼が既に立ち上がっている。

 芹菜はダンッと床を踏み叩く。


伏雷命(ふしいかづちのみこと)

 

 バチバチッと音を立て、芹菜の右足を中心に、小さな雷が部屋中を駆け巡る。


「ぐぉあっ!」

「つうっ!」


 体勢を崩したまとめ役の鬼へ、体当たりするように短刀で心の臓を貫き、(こじ)る。

 そのまま蹴り飛ばしながら引き抜くと、最後の一匹に向け突きつけた。

 伏雷を受けて膝をついてはいるが、まだ十分動ける鬼。


「……お前、何だ。何(もん)だっ」


 鬼の問いには答えず、そのまま睨み合う。


 さて、どうしたものか。

 術を使える分だけ芹菜が有利だが、腕力に任せた一撃が当たれば、即致命傷になる。

 この距離は詰めたくない。

 

「私の質問に答えてくれるなら、見逃しますが?」


 鬼の表情はピクリと動いたが、返事は無い。


「親方と呼ばれる鬼が持つ道具。人が鬼になる方法を教えなさい」


 しばらくの沈黙の後、鬼が軽く首を振る。


「よく判らねえ。親方が持つ銀の管みたいなもんで、小鬼を吸うと、その内、鬼になっちまうんだ」


 小鬼を、吸う?


「小鬼の、何を吸うんです?」

「いや、なんつうか、血みたいなもんだが」


 鬼と違い、小鬼に血は流れていない。

 小鬼自体が負気が物質化したもので、切り飛ばせばそこから負気が霧状に溢れるだけである。

 普通に殺せば一時的に液体のようになるが、すぐに解けて負気になる。

 殺さずに、中身を吸う。そんなことができるのだろうか。


「小鬼は生きた状態で?」

「ああそうだ、その為に育ててる」


 またおかしなことを言う。小鬼は育たない。あの姿で現れ、変化することは無い。


「牧場とかいうもんがあって、そこに人の死体だとか、穢れた物を集めてっと小鬼が湧くんだ。それを飼っといて、鬼になりたい奴が来たら、親方がその管を使って吸わせるんだ」


 つまり、育ててる、ではなく生み出すということか。

 先ほど言っていた、村人の遺体を使うというのも、穢れ地を作る材料にしているということだろう。


 意図的な穢れ地造り。小鬼の生産。そしてそれを利用した人の鬼化。

 上に報告しなくてはいけない。急いで湯川に戻る必要がある。


「あと一つ、今日、湯川に来ていた鬼はどこにいる?」

「あ? いや、それは知らん。町には近付かないようにしているはずだが」

「そう、ありがとう」


 芹菜は素直に感謝を述べた。


「あなたも、自分の意思で鬼になったの?」

「ああ、そうだ。俺は鬼になる事で……」

黒雷命(くろいかづちのみこと)


 バシィっと、目に見えない雷が鬼を襲う。


「あぐぁっ」


 鬼が体勢を崩すと即座に飛び込んで、先の鬼と同じように胸を穿つ。

 短刀を引き抜き、仰向けに倒れる鬼を、芹菜は冷徹な目で見下ろした。


 振り返ると、二匹の鬼が負気を放ちつつ解け始めている。


「ああ、もう一匹」

 

 芹菜に股間を擦り付けた鬼が、未だ解けずに蹲っていた。

 嫌悪感に満ちた目でそれを見下ろすと、両手に握りしめた短刀を突き下ろした。


 ざっと辺りを見回す。部屋の真ん中で鍋がクツクツと音を立てていた。他には特に何も無い。

 芹菜は懐紙入れから多めに紙を取り出すと、袴の前の部分をゴシゴシと拭い、丸めて囲炉裏に放り込んだ。

 ボッと燃え上がるそれを尻目に、草履を履き、表へ出る。


火雷命(ほのいかづちのみこと)


 戸口で一旦振り返ると、雷火の術で家に火を放ち、足早に村を後にした。




「少し、落ち着きましたか?」


 小鞠はできるだけ優しく声をかける。


「小鞠ねえさん」


 赤壁亭のお仕着(しき)せである中紅花の小袖を着た花梨が、布団の上に正座したまま、ゆっくりと小鞠を振り返る。

 膝元に置かれたお盆の上には、阿子に用意させた葛湯が、そのままの状態で残されていた。


「もし良ければ、お聞きしたいことがあります」


 部屋に入って、障子を閉める。

 花梨は何も応えない。視線は再び窓の外へ向かっていた。


 本来なら、もう少し気持ちが落ち着くのを待つべきだ。それは判ってはいるが、聞かない訳にはいかない。

 こちらを見ていないことを判った上で、小鞠は懐から布に包まれた物を畳の上に置き、そっとひろげる。


「この鏡。これは芹菜さんが持っていた物で間違いありませんか?」


 すいっと花梨の視線が色あせた鏡に向かう。

 こちらを見ない人を振り向かせる常套手段だ。


「はい。……小鞠ねえさんは、芹菜さんの事をご存じなのですね」


 芹菜から、花梨についての報告は受けていない。

 どういう関係で、どのような理由でこれを渡していたかも、小鞠には判らない。


 僅かの逡巡。小鞠が花梨を窺うように、花梨も小鞠を窺っていた。


 信用を得るには、正直に話すのが一番だろう。

 一度目を伏せ、ゆっくりと話し始める。


「芹菜さんは、私たちの仲間です。やんごとなき辺りの御意により、この世の悪と、鬼、亡者を斬り伏せる役どころを(にな)って頂いています」


 言ってから、質問する。


「花梨ちゃんは、どのように聞いていました?」

「いえ、何も。旅の薬師だと。ただ、鬼と戦うことには慣れていると、おっしゃっていました」

「そうでしたか。隠密の仕事ですので、どうぞご内密に」

「はい」


 しばらくの沈黙。

 遠く、人のざわめきと、鳥の鳴き声が聞こえる。


「お聞きしたいことがあります」


 同じ台詞。だが少し強い口調で言う。


「大浦屋を襲った鬼の事。できる限りで構いません。気付いた事を教えてください」


 小鞠は手をつき、頭をさげる。


「小鞠ねえさん」

「はい」


 返事をしてから、顔を上げる。


「あれは、清次さんでした」


 ピクリと体を震わし、目を見開く。


「清次? 飴釜の?」


 この町に、他に清次という名の人間はいない。

 しかし、疑わざるを得ない。この辺りに人を鬼に変えてしまうような強烈な負気溜りは存在しないはずで、何より、清次が行方不明になったという話は聞いていない。


 花梨は構わず話し続ける。


「私が家に戻った時、母は背中に深い傷を負った状態で、父は、すでに……、ねえさんは……首を、切られて……」


 声が小さく、途切れ途切れになり、花梨は蹲った。

 小鞠はそっと花梨を抱き寄せた。


「ごめんなさい。本当に、ごめんなさいね」


 優しく花梨の背を撫でながら、小鞠は考える。

 何故、清次は鬼になってしまったのか。

 何故、大浦屋を襲ったのか。

 首を切られてという言葉から、目的は柘榴だったのではないかと推測できるが、攫って逃げるでも無く、首を切って殺す理由がわからない。

 しかし、今はこれ以上聞き出す事はできそうも無い。


「今は、もう少し休んでください」


 そう言って、横になるよう促す。


「清人ちゃんと芹菜さんは……?」


 花梨の問いかけに、一瞬思考が停止する。が、すぐに当たり障りの無い答えを返す。


「二人ともご無事ですよ。後で声をかけておきます」


 芹菜と、清人に何のつながりが?

 部屋を退出し、階段を下りながら一人考える。


 花梨の凄まじい力、あれを芹菜は知っていたのだろうか?

 最初は、それを知って仲間に誘おうとしたのでは無いかと思った。

 しかし、花梨は芹菜の事を何も知らないと言う。

 では何故、神器から神の力を引き出す方法を知っていたのか。

 花梨の力を知らずにそれを教える事は無いはずだ。そもそも、鬼と戦う事を前提としなければ、神器を渡す理由が無い。

 花梨が鬼と戦うように、芹菜が仕向けたか? 仲間に引き込むために。

 いや、それもおかしい。もしそうであれば、芹菜は清次が鬼になった事を知っており、かつ、大浦屋を襲う事を知っていた事になる。

 さすがにそれは無い。


 階段を下りきったところで、顎に手を添え立ち止まる。

 判らない事だらけだ。

 芹菜が何を知り、何を考えているのか、まず確認をする必要がある。

 阿刀によれば、芹菜は大浦屋を襲った鬼、清次を追い、町の北口から奥谷へ向かったらしい。

 戻るまでに、清人と接触するべきか。

 そう考え、再び歩き出した。




 日が西に傾く頃、すでに火事場は片付けが進められていた。

 飴釜屋は全て潰されたが、火が燃え移る事は無く、今は近所の方々が瓦礫の中から荷物を運び出してくれている。

 薬棚だけを出したので、道具の類いも埋もれてしまっていた。

 清彦の指示の下、まず薬師の仕事に必要な物を優先的に探していた。


 父は居ない。

 大浦屋から出た遺体の確認に向かって、そのまま戻らない。


 旅館組合の方々が援助を申し出てくださり、(しばら)くの間、寝泊まりするところと、荷物を預けるところを用意して頂いた。

 清人は人手を借り、そちらへ向かっている。


 大きな火柱を上げていた大浦屋は、或る時を境に急に下火になり、母屋と離れ、牛舎などを全焼、倒壊させた店を半焼した辺りで消し止められた。

 (しも)(どな)りの一軒も半壊半焼。裏山は多少火に煽られて一部が枯れた様になっているが、燃え移る事は無かった。


 今の時点で見つけ出された遺体の数は三体。

 それが誰であるかは、まだ聞かされていない。


 清人は黙々と荷物を運ぶ。

 温泉宿でも川沿い一番下手にある()鹿(じか)(てい)に場所を貸して頂いた。

 念のため、明日にでも薬師の仕事ができるようにしなくてはいけない。

 日用品などの荷物は空き部屋に放り込み、玄関に近い大部屋に薬棚などを設置していく。

 何度も家と河鹿亭を往復し、ただ荷物を運ぶ。

 手伝いをしてくれる若い衆も、必要最低限の「これはどこに置くか」などを聞くだけで、静かに作業を続けていた。

 大浦屋の焼け跡を見ると胸が苦しくなり、直視する事ができない。

 清人は俯き、目を逸らしていた。


 日没間際に、牛に大八車を引かせた一団が現れた。

 運び屋の川崎屋である。


 御大と呼ばれる老人は馬に乗り、自ら隊列を率いていた。

 当然、川崎屋の御大は大浦屋の惨事を知らず、焼け跡を視界に収めると馬を早め、皆が作業をしている手前でひらりと下馬して笠を取り、近場の者に声をかけた。

 川崎屋と遣り取りのある人物は多く、何人かが集まる。

 御大は驚きつつも町の人に弔意を述べ、事の仔細を訪ねたが、残念ながら大浦屋についての詳しい事は判らず、仕方なく荷物の納め場所と宿泊の相談を始めた。

 やがて大八車と人夫衆は郷司の館へ、川崎屋の御大は旅館に宿を定めて、僅かな供回りを引き連れ上手へ移動していった。


 それと入れ違うように、一人の女性が下りてくる。


「清人ちゃん」


 見覚えのある顔に、清人が応える。


「……小鞠ねえさん」

「この度は大変でしたね」

「いえ、飴釜屋は、大したことありません」


 家が全壊して大したことが無いはずが無い。だが、大浦屋に比べれば、大したことは無いのだ。


「他の皆さんは?」

「父は……大浦屋さんの、遺体の確認に行ってます。清彦兄さんはそちらに……」


 ここまで言ってやっと、清次がまだ戻っていない事に気が付いた。


「清次兄さんは、昨夜から戻ってません」


 どこまで行ったのだろう? 火事に気付いてないなら、町の外に出ているのは間違いない。

 こんな時にと苛つく反面、もう、戻ってこないのでは無いかとも思う。


「清次さんは、昨夜から?」

「はい。昨夜、ちょっとありまして、夜中に出て行ったみたいです」


 小鞠は考え事をするように口元を隠し、視線を逸らす。

 清人にはその反応が不思議に思えた。

 

「清次兄さんがどうかしたんですか?」

「いえ。それより、大浦屋さんから遺体が出たというのは」


 清人は露骨に顔を(しか)める。


「まだ、誰とは聞いてません」

「そう。……もうひとつ、清人ちゃん、芹菜さんをご存じで?」

「芹菜さん?」


 突然意外な名前が出てきて、清人は慌てる。

 そういえば、火事の最中から見かけていない。


「えっと、旅の薬師だそうで、飴釜屋に薬を卸にいらっしゃいました。……芹菜さんがどうかしましたか?」


 芹菜は小鞠の赤壁亭に宿泊していたはずだ。

 逆に問いかけた清人の瞳を、口元を隠したままの小鞠がまっすぐ覗き込む。


「お忙しい所をお邪魔いたしました。また改めてお見舞いに参ります」


 質問には答えず、深くお辞儀をすると、小鞠は清彦の方へと歩き出した。

 奇妙な、違和感を感じつつも、黙ってそれを見送る。


 父がまだ戻らない。清次も。そして、芹菜も花梨も姿を見せない。

 清人は大浦屋に背を向け、川向こうの山並みを見つめる。

 日はゆっくりと、その陰に沈んでいくところだった。




 なるほど、芹菜は薬師の絡みで飴釜屋に向かい、そこで清人と花梨に出会ったのか。

 小鞠は心の中でひとつ頷く。

 しかし、判らない事はまだまだ多い。

 花梨の事は芹菜が戻ってから直接聞く事にしよう。


 それよりも気にすべき事がある。

 清人の話からすれば、昨夜の時点で清次はまだ健在だったはずだ。

 昔のように一夜で人が鬼に変わるほど、負気に侵される事があり得るだろうか?

 村一つが負気溜りになっても、(みつ)()ほどは掛かったはずだ。

 清人が思い違いをしていて、清次はもっと以前から鬼だった、という可能性は、まず無い。

 普通に考えれば、花梨の方が見間違いをしたのだろう。だがしかし、まだそうとも言い切れない。

 兎にも角にも、芹菜の報告を待つしか無い。

 小鞠は清彦に見舞いの言葉を伝えたあと、町の入り口へ向かった。


 花梨が赤壁亭にいる事は、誰にも話さなかった。

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