第一話 薬師
初作品、初投稿です。
よろしくお願いします。
編集、携帯向けに、改行を大量追加。
見やすくなったでしょうか。
再編集、更に改行等を追加。
一部、言い回しを変えてみました。
森と林の違いは、木々が生い茂り、こんもりとした場所が森で、人が意図的に木々を生やした場所が、林なのだそうだ。
つまり、この辺りはすべて林ということになる。
戦の続いた時期にほとんどが伐採され、植樹されて十年ほどの木々が、一定の距離を開けて規則正しく並んでいる。
間伐も下草刈りも行き届いており、次の宿場は近いのだろうと感じさせた。
二度に分けて息を吸い、同じく二度に分けて吐き出す、「フッフッハッハッ」というリズミカルな呼吸に合わせ、早歩きというより駆け足に近い速度で山道を進んでいた少女は、不意に立ち止まると、ふうっと大きな息を吐いた。
年の頃は十四、五。最近はやりの前髪を短くした髪型ではなく、真ん中で分けて耳の前で垂らし、後ろ髪は緩く束ねて右肩から前に垂らしている。
藍染めの少し堅そうな着物と、男物のような朽葉色の袴を穿き、その背には体格に似合わないほどの大きな箱を背負っていた。
少し目尻の上がった目つきは鋭いが、全体的に整った顔立ちをしており、美人と言えなくもない。
多くの人は「あと二、三年もすれば」と希望的観測を口にするだろう。
その可愛らしい鼻を少し上に向け、くんくんと匂いを嗅ぐ。
普通の人間ならばごく普通の、木々やコケ、土などの森の香りが強く感じられるだけだろうが、少女はまったく別の、本来ならば匂いとして感じることのできない何かを嗅いでいた。
「……いる」
小さくつぶやくと、目線をすっと右の林の奥へ滑らせる。
そちらは緩やかな登り坂、そして、十五、六間程(三十メートル弱)で下りに転じている。
少女は素早く左右、山道の先と元来た方を確認すると、するりと林に入り込んだ。
薬師と聞くと、どのような姿を思い浮かべるだろうか。
実は一般的に薬師と呼ばれる職業にも、いろいろと種類かある。
町に薬屋を構えて商売をする薬師でも、仕入れた薬の販売を主とする者、自家流の調薬をする者、また、医者のような診察をする者もいる。
他には大きな町で材料を仕入れて調薬し、他方の薬師に卸す業者や、大きな薬箱を背負って、村々を巡りながら常備薬を販売する者もいる。
温泉宿場、湯川の薬屋は飴釜屋という屋号を持ち、仕入れた薬を販売する他、薬草や山菜の採取、調薬、そして屋号の通りに飴の製造と販売を行っている。
その飴釜の三男坊清人は、幼なじみの花梨とともに、大きな籠を背負って里山に入っていた。
薬師である飴釜の家には、町で管理する里山において、優先的に野草を採る権利が与えられており、今日は街道から一つ尾根を越えた別の谷筋で、薬になる草木の根や新芽を主に、ついでに春の山菜を手に入れよういう心積もりだった。
お揃いの衣装という訳ではないが、同じ色の着物と裾を絞った山袴を穿き、東向きの斜面を谷筋に沿って進みながら、清人は薬の材料を、花梨が山菜を採取していく。
ふたりとも、年は十四。
そろそろ大人の手伝いをしながら、仕事を覚えていく年齢であるが、清人は申し訳程度に後ろ髪を縛り、前髪は散切り。花梨もいわゆるおかっぱ頭で、どちらも子供のような出で立ちである。
左右の耳の辺りに小さな紐飾りを付けた花梨の方が、少し年上に見えるだろうか。
実際、町の人も仲の良い姉弟のような扱いをしている。
清人にしてみれば花梨は落ち着いているのではなく、ぼうっとしているだけで、自分の方がしっかりしている、だから兄妹とするべきだと思っている。
今日の作業だって、自分の方が主体になって進めているのだと。
すでに清人の籠はいっぱいになりそうで、そろそろ引き上げようかと、顔を上げて花梨の姿を探した。
「花り……ん?」
掛けようとした声が、途中から小さくなる。
花梨はじっと、自分たちがいる斜面の向かい側、やや奥手の尾根の辺りを見つめていた。
嫌な予感がする。
花梨がこういう反応を見せるときは、だいたいが良くないモノを見ているのだ。
清人は声を殺し、姿勢を低くして花梨に近づく。
「何かいる?」
「んー、多分、小鬼。五、六匹」
こんな町の近くでか、と驚くと同時に、どうやって避けるかを考える。
とっさに思いつくのは当然、反対方向に逃げる、だ。
だが、小鬼がどこにいるのか、清人には見えていない。
下手に動くと見つかる可能性がある。静かに身を隠す方が良いのではないか。
花梨と二人、身を寄せ合うようにして藪にしゃがみ込む。
このままどこかに行ってくれれば幸いだ。そんな思いで花梨の見ている方角に目をこらす。
確かに、尾根に近い辺りで何かがガサゴソと動いている。相変わらずよく見えないが、こちらには気づいていないようだ。
ちらりと花梨の顔を覗く、いつのもぼんやりとした表情ではなく、鋭く、凜とした眼差し。
こういう顔も可愛いな。などと、余計なことを考えていると、目が合った。
心の声が聞こえるわけもない。だが、無意識に鼓動は早くなる。
顔が赤くなってないことを祈りつつ、耳元でささやく。
「逃げた方がいい?」
花梨は首を軽く左右に振る。
それに小さくうなずいて応え、もう一度、小鬼たちを伺う。そして嫌なことに気がついた。
町の方に向かってる。
湯川は宿場町だ。しかも美湯の国の語源となった、三湯の内の一つを抱える温泉宿場で、そこそこの規模を誇る。
当然、町には衛士がおり、小鬼の数匹くらいどうということもない。
だが、人が襲われる可能性が無いわけでは無い。
小鬼に見つからずに、町へ先回りすることができるだろうか。
小鬼と呼ばれる鬼は、穢れた地にできる負気溜まりから湧き出てくる。
大きさは人間の子供くらいだが、腕が長く、何より爪が異様に長い。やや胴長短足にも見えるが、その瞬発力と跳躍力は驚異的で、人の背丈以上ある柵を軽々と跳び越える。
町に向かう街道へ出るにはあちら側の尾根を越えなくてはいけない。
このまま小鬼をやり過ごしから街道へ出て、走って町へ向かうか。
今いる谷筋を進んで、小鬼たちが街道側へ降りてから背後の尾根を越えて、町の裏山へ出るか。
どちらも見つかる可能性がある上に、前案は街道に出てから鉢合わせる可能性があり、後案はそもそも間に合わない可能性がある。
何より、花梨を危険な目に遭わせたくない。
結果、衛士が素早く対応してくれることを祈りつつ、清人は動かないことに決めた。
小鬼たちはゆっくり、人が歩くくらいの速さで近づいてくる。
やがて、ちょうど真向かいを通り過ぎる辺りで、その黒みがかった茶色い姿が確認できた。
距離にして二十間足らず。数は六匹。こちらには見向きもしない。
助かったか、と思った瞬間、予想外なことが起こった。
ひょいっと、尾根の向こうから人が姿を現したのである。
思わず声を上げそうになる、が、ギリギリのところで飲み込んだ。
人が姿を現したのは小鬼たちのすぐ前方で、逃げろと叫んだところで間に合いそうも無い。むしろ自分たちに危険が降りかかる。
背中に大きな箱のような物を背負った人物。その姿からおそらく町の人間ではないと思われる。
だが、旅人がなぜこんな所に入り込んできたのだろうか。
そんな清人の疑問に答えるはずも無く、まるで小鬼など視界に入っていないかのように、その旅人は背中の箱をゆっくりと地面に下ろした。
その時、束ねた髪が、大きく揺れる。
女の子?
袴を穿いてはいるが、よく見れば確かに女性、しかも、自分たちと同じ年頃の少女にも見える。
ギャアギャアと、嫌な声を上げながら小鬼たちが少女を取り囲もうと動きはじめた。
しかし、少女は逃げるそぶりも見せず、背負っていた箱の、背当ての辺りから黒い棒のような物を取り出した。
刀、にしては短い。脇差しか、短刀くらいの長さである。
すぐ隣で、花梨が息を呑んだ。
その音につられそちらを見れば、口元を手で隠し、目を見開いている。
しかしその姿は、これから起こる惨劇を想像して、ではないような、違和感を覚えさせた。
少女が抜いた。やはりそれは短刀だった。
だがしかし、小鬼たちは警戒する風もなく、両手を挙げて威嚇をしつつ、背後に回った二匹が同時に跳びかかった。
軽く腰を落とした、舞を舞うかのような一閃。
白銀の煌めきが、少女を中心に弧を描いた。
今まさに少女に爪を立てようとしていた二匹の小鬼が、その煌めきで上下に分かたれる。
そして、ザアッと、泥汚れに水を掛けて流したかのように、空中に解けて消えた。
「な……んだ、あれ」
思わず声に出してしまう。
小鬼を殺すと、解けて消える。それは知っている。
だが、清人の見たことのあるそれは、死亡した後に、ドロリとヘドロのようになって土に解けるものだった。
一瞬で空中に解けて消えるなど、言葉通り、見たことも聞いたこともない。
小鬼が驚きの表情を見せたかどうか、清人には判らなかったが、両手を挙げて威嚇をしたまま、動きがピタリと止まった。
そこへ真っ正面からの振り下ろしが入る。
少女の正面にいた小鬼が塵となるのを待たず、返す刃で右にいた小鬼をなぎ払う。
ここでやっと、残る二匹がビクリと体を動かし、少女に背を向けようとするが、踏み込みながらの袈裟斬りと、その勢いに乗った突きを受けて、あっさりと、本当にあっさりと、消えていった。
あまりのことに、清人はただ呆然と眺めていた。
小鬼たちを消し去った少女は、最後の突きを放った姿でしばらくとどまり。姿勢正しく直立すると、ブンと血を払うかのように短刀を振って、鞘に納めた。
何事もなかったかのように、短刀を箱に戻し、そして、その視線が自分たちの方へ向けられた。
村人か。
短刀を納めた芹菜は、谷向かいに身を潜める二人に目をやった。
小鬼を斬るところを見られた、それはたいした問題ではない。
そもそも、小鬼は斬れば斬れるもので、ちょっと腕の立つ剣士であれば、あの程度普通にこなせる。
ただ、今後のために声だけは掛けておこう。
「こんにちは。大丈夫だった?」
街道沿いの林と違い、こちらの谷は藪が残っている。
引っかからないように袴の裾を手で摘まみ、ひょいひょいと谷を下る。
「あ、はい。大丈夫です」
少年が答える。
それを見て、兄妹であろうと判断した。兄が妹の手を引き、谷へ下りてくる。
谷底、といっても、川が流れている訳ではない。
もちろん、雨が降ればすぐに川になるのだろうが、一番底に水の流れた跡があるのみで、今は乾いている。
先に降り立って二人を眺めてみると、その背の籠に目がとまった。
子供二人で山菜採り、か。
ならばやはり、宿場町は近いのだろう。
「湯川の町の人?」
下りきるのを待たず、言葉を掛ける。
「はい、湯川の薬屋、飴釜の清人です」
清人と名乗った少年は、最後の一歩をポンッと飛び降り、それに引かれて少女も降り立った。
「こちらは大浦屋の花梨です」
おや。大浦屋が何屋かは判らないが、兄妹ではなかったみたいだ。
それよりも、薬屋、だって?
「えー、流れの薬売りをしてます、芹菜です。湯川の薬屋さん?」
「あ、はい」
念のための確認、町の薬屋には顔を出すつもりだったので、これは好都合だろう。
返事をした清人の視線は、先ほど上に置いてきた薬箱に向かっている。
薬屋の倅ならあれが何かは判るだろう。もう一人の、花梨の方は……。
違和感。
視線は芹菜の顔に向かっているのに、目が合わない。
額を見てる?
その視線が芹菜の胸から右手、しばらくして左手へ移る。
この娘、見えてる。
わずかそれだけのことで確信する。この娘は見える者だ。
「あの小鬼は、どうやって……。あの、一瞬で消えたのは、どうやったんですか」
視線を合わせず探り合う、そんな二人には気も付かず、清人が疑問を口にする。
「ああ、あれは山都の神社でご祈祷してもらった青銅の短刀で、鬼によく効くようになってるの」
「へえ、初めて見ました」
「最近減ってきたけど、やっぱり一人旅だと必要でね」
戦の世が終わり十年。
穢れ地も減り、当然、鬼や小鬼は減ってきた。亡者に至っては、去年は目撃報告すらない。
しかし、だからといって油断できるわけではない。
「ご到着ですか」
「まもなく到着、予定」
笑顔で応えながら思う。
こういう訊き方は、やっぱり温泉宿場の人間だなあ。
「よければ、ご案内します」
「ええ、ありがとう」
ずっと無言だった花梨が、ついっと清人の袖をつまむ。
清人は何? と問いかけるような視線を返すが、花梨は左袖で口元を隠し、何も言わない。
やっぱり、私は怪しいか。
芹菜は苦笑いを浮かべそうになるが、噛み殺す。
「では、荷物を取ってきます」
「あ、街道はそっちなので、そのまま上がりましょう」
清人は袖をつまんでいた花梨の手を一旦解かせ、その手をつなぐ。
二人は芹菜に続くように坂を上り始めた。
「そういえば、どうしてこっちの谷に?」
「ああ、それは……」
これもよくある質問なので、いつものように答えようとして、芹菜は言葉に詰まる。
そう、いつもなら「薬草を探していて」というのが決まった答えで、職業上、まったく怪しくはない。
しかし、ここは彼らの採取場所であり、町の里山である。その答えを使うと、自分は間違いなく山荒らしになってしまう。
里山だと知らずに薬草を採りに入ったと答えるべきか、鬼の匂いがしたと答えるべきか。
何となくと言うのは、さすがに怪しい。
お花を摘みには言いたくないし、じゃあどうぞとか言われると、恥ずかし過ぎる。
ちらりと、花梨を窺う。ついでに清人と目が合った。
「私は、鬼の匂いが判るの」
「え?」
「実際の匂いじゃなくて、気配というか、存在というか、そういう物を匂いとして感じるらしいのよ」
「そうなんですか」
疑わないか。と言うことは、清人も花梨のことを知っている。
そう判断した。
これは、よい拾い物。
町付きの者から報告は上がっていない、つまり、知れ渡ってはいない、親しい者だけの秘密。
使えるか。引き抜くか。とりあえず報告か。
そんなことを考えながら、大きな薬箱を背負い上げた。
「では、よろしくお願いするわね」
美湯の国の温泉宿場、湯川の郷へ。




