5. 最期に伝えたかったこと
水曜日。
体が重い。あの子を迎え入れてから6日目だからだろうか。
頭がぼんやりする。
なんとなく察する。やばいなって。
学校へ連絡、今日休みます。
昨日のこともあってか、お大事にと言われた。
昼間、ミキからメールが届く。
『だいじょうぶ?』
『うん。ありがとう』
ベッドで眠る。
リンがほおをつついてくる。つんつん。
お返しにつつき返すと、きゃあきゃあと楽しそうに笑っている。
昼間目が覚める。
少しは気分よくなった。
スマホへの着信。
『お見舞いにいくけど、何かほしいのある? 一人暮らしで大変でしょ』
悪いなと思いながら、友人の気遣いが嬉しかった。
チャイムが鳴る。
ドアを開ける。
パジャマ姿で出てきたわたしを心配そうに見るミキの顔。
その視線がわたしの背後に向けられていた。
「あれ? 親戚の子?」
リンがいつのまにか後ろからついてきていたのか、ミキに対してもニコニコと笑顔を振りまいている。
しだいに、ミキの顔つきが厳しいものに変わる。
「この子、まさか……、インスタントラバーズじゃないよね?」
疑問系だけど、それは確信に満ちたものだった。
返事をできずに黙るわたしに、ミキの口調は責めるようなものに変わる。
「今日で何日目? まさか、体調悪いのってコレのせいなんじゃないの」
コレなんていわないでほしい、この子はうちの子だ。
「……だいじょうぶ、ちゃんと考えてるから」
「わたしから保健所に連絡しようか?」
ミキは普段そっけないようでして、けっこう世話焼きだった。1年前も両親をなくして落ち込むわたしにいろいろとよくしてくれた。
だけれど、今はそれがわずらわしかった。
それから、ミキは念を押すようにいうと何度もわたしに忠告し、雨の降る外へと去っていった。
木曜日。7日目、最終日。
なんだか昨日より調子がいいような気がする。
わたしはまだ動けている。だいじょうぶなはずだ。
学校に行き、ミキに昨日のお礼を言う。
リンについて言及されるが誤魔化すように話すと、疑わしげな視線を向けられた。
……。
学校が終わると、制服のままベッドに倒れこむ
フサタロウが心配そうに細い鳴き声をあげる。
リンもなにかを察したようにわたしの青白い顔をジッと見ている。
金曜日。
………………。
8日目だった。
立ち上がるのがままならないほど消耗している。
頭の中でわあわあと死への警報が鳴り響いているようだった。
断続的な浅い眠りと覚醒を繰り返している。
それを中断したのはスマホの着信音だった。
ミキからだった。
通話ボタンを押すと、彼女はいきなり切り出してくる。
『ねえ、あんた本当にアレを処分したんだよね』
かわいた唇からはかすれた声しかでない。
『……だいじょうぶ、ただの風邪だってば』
『じゃあ、今から家にいってもいいよね』
『でも、今ってまだ学校なんじゃ?』
『さぼった。今、駅前にいる。あんたの家にいくからね』
最後に、わかった、と返事をして通話を切る。
ふらつく体を無理矢理立ち上がらせ、着替えると、財布にスマホ、最低限の荷物だけをもつ。
「リン、いくよ」
小さな手を握り、フサタロウに声をかけて連れて行く。
外は雨だった。
リンはうれしそうにあの日あげたビニール傘を握る。
わたしもおそろいのビニール傘を差す。
外は湿気でねばつくような暑さにつつまれているが、体の芯は冷えていた。
左手から伝わる温もりだけが唯一の温かさだった。
どこに行けばいいだろうか、わからないがとにかく遠くへ行こうと雨の中に足を踏み出す。
しかし、玄関をでたところですぐに呼び止められる。
「……やっぱりね」
そこには怒った顔をするミキがいた。なぜだか笑いがこみあげてくる。
「ミキのうそつき」
電話した時点ですでに家の前で待ち伏せしていたのだろう。
「あんたの方がもっとうそつきでしょ」
「……そうだね」
傷ついた彼女の表情をみて、顔をうつむかせる。
そして、彼女の後ろから大型の車が近づいてくる。
出てきたのは大勢の大人たち。
白いつなぎを着込み、胸には保健所の名前が刺繍されていた。ミキの右手に握ったスマホから通報したのだろう。
「キミ、その悪魔をすぐに放しなさい」
静かで落ち着いた声音だった。しかし、じりじりと包囲するように近づいてきている。
リンを後ろにかばうように立ちはだかる。
フサタロウが警戒するように頭を低くしながら、うなり声を上げる。
保健所の職員達はフサタロウから距離をとり、場は膠着する。
「あう~」
そこに場違いなほど明るい声がした。
リンだった。
彼女はわたしの手からするりと抜け出していく。
手をのばすが届かない。
一斉にリンに群がる人々。
地面に転がる傘。
リンの腕についている鈴の音が、まるで悲鳴のように鳴り響く。
リンの首筋に注射器のような器具が押し当てられる。リンは抵抗らしい動きも見せず、されるがままだった。
最期に彼女の顔がこちらに向く。
そのとき見たものは一生忘れることはないだろう。
笑顔だった。
そして、ぐったりと力の抜けた体は細かい光の粒子となって散っていった。
あとには何も残っていなかった。
まるで、リンという存在などなかったかのように。
「リン……」
体が現界を迎えたのか、意識が途切れた。
次に目を覚ましたのは病院の白いベッドの上だった。
看護士から優しげに大丈夫かと聞かれ、やがて医者が部屋に入ってきた。
説明を聞くと、わたしの体はひどい衰弱状態であと1日おくれれば危なかったそうだ。
あと1日もあったのかと驚く。
本当だったら、2日前に精気を全て吸い取られているはずだったのに。
診察が終わり、一人になった病室で、窓の外を眺めていた。
雨は降り続けていた。そんな中傘をさしながら病院への道を歩く人物が見えた。
ミキだった。
そして、数分後、病室に入ってくる。
「おはよう、目を覚ましたんだね」
「……うん」
ミキはいつもの調子で語りかけてくる。わたしはどう接すればいいかわからず、簡単な相槌を打つだけだった。
「ハルカ、……ごめん」
「……ミキは悪くないよ。自分でもバカなことをしてるって自覚はあったから」
沈黙が部屋をみたし、雨の音だけが聞こえる。
この音をきくと、どうしてもあの子のことを思い出してしまう。
「ねえ、リンは……、あの子はどうして最後まで笑顔だったんだろ。やっぱり、召喚獣に感情なんてないのかな。あの子、わたしの前ではいつも、笑ってたんだ」
初めて会ったときも、雨でびしょぬれになりながら笑っていた。
自分のしたことなんて、ただの自己満足で、彼女はただ持ち主であるわたしに従っていただけなのかもしれない。
ミキはためらうように言葉を選ぶように、ゆっくりと口を動かす。
「……最初あったころに、うちの飼い犬が死んじゃったって話したことあったよね」
それは、高校に入学したてで、クラスが同じでまだ知り合い程度の仲だったときのことだった。いつもと様子の違う彼女に話しかけ、何度か話すうちに聞いた話だった。
「うちの犬さ、苦しそうに息をしながらさ、最後にわたしの顔を見て、一声鳴いたんだ。あのときはわからなかったけれど、なんとなく、あの子が“ありがとう”って言ったんじゃないかって今では思ってる」
再び訪れる沈黙。
ミキが立ち上がる。
「ごめん、もう行くよ」
「ねえ、ミキ」
振り返るミキ。さっきまで平気なふりをしていた顔だったのに、今は泣きそうな顔だった。
「ありがとうね」
うまく表情を作れているかわからないけど、笑顔をつくってみせた。あの子の表情を思い出しながら。
「うん。じゃあ、またね」
ミキもヘタクソな笑顔を浮かべるが、すぐに隠すように病室から出て行った。
ミキが居なくなり一人になった病室で、わたしは鈴つきのふるぼけた首輪を手に取る。
あの現場に残されたものだといって、渡されたものだった。
小さな鈴を指ではじくと、ゆれながらチリンと心地よい音を響かせる。
あの子の好きな音だった。
「わたしこそ……、ありがとうだよ」
鈴の音と共に、つぶやきは雨の音と交じり合い消えていった。