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4. 命名と命令

 月曜日の朝。


 休日明けの学校に憂鬱な気分を抱えながら、体を起こそうとする。だけど、何かが乗っかっているような重みと息苦しさを感じた。

 掛け布団をめくると、お腹のあたりに抱きつくように少女が頭を乗せていた。

 起こしてどかせようとしたところで、呼びかけるための名前をしらないことに気がついた。

 もともと、インスタントラバーズには名前など存在していない。誰からも呼ばれることもなく、彼女たちはこの世界からいなくなるのだから。

 

「えっと、起きてくれるかな」

 

 肩をゆすってみる。しかし、少女ははいずるようにさらに体をわたしの体に重なってきた。

 やがて、うっすらと目が開き上体を起こす。

 

「あううう~」

 

 昨日もそうだったが寝起きはあまりよくないようだった。

 

「ほら、起きるよ」

 

 待っていたら昼になってしまいそうだったので、無理矢理に体を起こす。少女の体がこてんとベッドの上に転がり落ちて、布団の上で体を起こす。

 

「きゃー」

 

 それが楽しかったのかはしゃいだ声を出していた。そんな姿に頬が緩む。

 

 

 食事をすませると、身支度を整えて玄関に向かった。

 その後ろからトコトコと少女の足音が聞こえる。

 

「ごめんね、学校に言ってくるから待っててもらえるかな。なるべく早く帰ってくるからさ」

 

 膝をおって目線を合わせながらゆっくりと話しかけるが、彼女はわかっていないように笑いかけてくるだけだった。

 困ったなと思いながら頭を掻いていると、フサタロウがするりと間に入ってきて少女の体を家の中に押し込もうとする。

 

「フサタロウ、たのんだ」

 

 任せろとばかりに、彼はバウッと一声鳴いた。

 

 

 通学路、家にいるあの子のことを考えながら歩いていると、後ろからミキの声が聞こえた。

 

「おはよう、今日はちゃんと傘もってきてるみたいだね。感心感心」

 

「おはよう、今日は午後から降るらしいね」

 

「できれば、帰るまで振らないといいんだけどな~」

 

 厚くたれこめる雲を見上げながら、学校に到着する。昇降口で上履きに履き替えようとしたところで急にめまいを感じた。

 

「だいじょうぶ?」

 

「うん……、たぶん立ちくらみだよ」

 

「それならいいけど、なんか顔色もちょっと悪いみたいだし、保健室にいく?」

 

 心配するようにのぞきこんでくるミキに、なんでもない、と笑顔を作ってから教室に向かう。

 

 

 学校が終わると、まっすぐに家に帰る。

 玄関の扉をくぐると、すぐそこに少女が待っていた。

 わたしの顔をみるとすぐに笑顔を浮かべて駆け寄ってきた。

 

「ただいま」

 

 家の中はほのかに温かい。それはちょうど人一人分の温かさで、なつかしい安心感だった。

 帰ってきたときに、部屋が芯まで冷え切った雰囲気とは全然違うものだった。

 

 リンをつれてリビングに入ると、フサタロウがねそべったまま挨拶代わりにしっぽだけを動かしていた。

 そのものぐさな仕草はどこか父を思い出させるものだった。

 苦笑を浮かべながら、ソファに腰掛ける。

 学校にいたときからだるさがあった。熱はなく、風邪とも違うものだというのを感じていた。

 

 眠い。

 

 静かにしている少女を視界に収めた後、少しだけと思い目をつぶり意識を手放す。

 

 

―――チリン……チリン……

 

 

 鈴の音がかすかに聞こえる。

 なつかしい音だった。あの子が居たころは家の中で、どこかしらから聞こえていた。きれいな黒い毛並みをした猫だった。

 

 次第に意識が浮上し、頭を起こしあたりを見回す。

 時計を見ると、既に夕方を過ぎ、部屋のなかは薄暗くなっていた。

 そんなに寝ていたのかと驚きながら、いまだに鈴の音が聞こえていることに気づく。

 部屋をみわたすとサイドボードの前にすわりこむ少女の姿が目に入った。

 その手には古ぼけ、色のあせた赤い首輪が握られている。指先でつつくたびに金色の鈴がゆれ、涼やかな音を鳴らす。

 

「気に入ったの?」

 

 話しかけると、少女は戦利品のように自慢げな顔で鈴を見せてくる。

 首輪を少女にあげてしまおうという気持ちがわいた。

 

「貸してごらん」

 

 少女の手から受け取った首輪を、その細い手首に巻きつける。

 少女は具合を確かめるように、腕をかかげじっと見つめた後、腕をぶんぶんと振っていた。

 

 あの首輪はもう一人いたはずの家族の持ち物である。黒猫で暗がりから足音を殺して近づくものだから、心臓に悪いと言って母が鈴つきの首輪をつけたものだ。

 夜、寝ているときにチリンと鈴の音がきこえると、それはあの子がベッドにもぐってくるときの合図だった。

 

「大事なものだから、なくさないでね」

 

 少女はまるで宝物のように目を輝かせて、腕に巻いた首輪も見つめている。

 嬉しそうにしている少女の姿をながめていると、鼻の奥がつんと痛んだ。

 

 ここで、思いついたことがあった。

 

「あなたの名前なんだけど、リン、でどうかな?」

 

「あうー?」

 

 少女はきょとんとした顔で見つめ返してきた。

 わたしは自分の顔を指差しながら、「ハルカ」とゆっくり口にする。そして、少女の顔を指さしながら「リン」と声に出した。

 

「りん? りん、りん、きゃう~」

 

 少女の口から初めて言葉らしきものが聞けた。はしゃいで走り回るたびに鈴が鳴り響いている。

 首輪が置かれていた棚に目をやると、写真立てが見える。父や母、わたし、フサタロウ。そして、わたしの胸にだっこされた黒猫の姿。

 首輪、借りるね、と写真にうつる彼女にむかって一声かけた。

 


 次の日は雨だった。

 雨粒が屋根を叩く音を聞きながら、朝のニュースを見ていると、この日は一日中雨らしい。

 梅雨の時期は気持ちが落ち込み食欲もなくなるようで、ほとんど手付かずのままだった。

 代わりに、感触を楽しむようにトーストをかじるリンを見ていると腹の中が満ちていくような気がする。

 

 年相応の子供服に身をつつむその姿は、本当にただの普通の子供に見えてしまう。

 年の頃は小学校真ん中あたりだろう。自分がその年だったときを思い出すと、親から鍵を預けられ家に帰っていた。

 

 大丈夫だろうかという不安は残るが、他に頼れる相手もいない。

 玄関に向かうわたしの後ろからリンがついてこようとする。

 

「いい子にして待っててね」

 

「あう~」

 

 リンはその場にペタリと座った。まるでフサタロウに“待て”をしたときみたいな反応だなと苦笑がもれる。

 このときは聞き分けのいい子だと思っていた。そして自分がやったことの意味をわたしは理解していなかった。

 

 

 その日、家に帰ったのは夜になってからだった。

 

 授業中、急に視界がぐらつきぼやけたのきっかけだった。

 まずいなと思って、先生に断って保健室に向かおうとしたところで意識が途切れた。

 

 目を覚ますとベッドの上だった。

 白衣姿の保健の先生に親に迎えに来てもらうという話が出たところで、断ってベッドから抜け出ようとする。

 

「まだ安静にしていなさい。もう少ししたら親御さんも来てくれるから」

 

「うちには両親いないので……」

 

 失言をしたという気まずそうな顔をさせたことに申し訳ない気持ちを抱えていると、結局、あとから保健室に入ってきた担任の先生に送ってもらうことになった

 保健室で休みながら先生を待っていたが、職員会議などで長引いたようで家についたころには既に日は沈んでいた。

 先生の乗った車が去っていくのを見送った後、家に入った。

 真っ暗で明りのついていない部屋の中、リンは寝ているのだろうかと思っていると、暗がりの中に誰かの姿を見つけた。

 

「う~、あう~」

 

 声が聞こえ、まさかと思いながら明りをつけた。

 まず目に入ってきたのは、座ったまま笑顔を向けてくるリンの姿。

 それは朝見たときと寸分変わらぬ場所で、同じ姿勢のままだった。

 

 人間が命令すれば、インスタントラバーズであるリンは雨がふろうがなにがこようがその場にとどまり続けるだろう。

 わたしにその気がなくても「おとなしくしてて」といえば、それは彼女にとって絶対守らなければならない優先事項として脳に焼き付けられる。

 

 リンと出会ったあの場所、雨に打たれながらも同じ場所に居続けたのは、おそらく前の持ち主による命令だろう。

 

「リン……、ごめん」

 

 手をとって立ち上がらせると、足がしびてれいるのかふらふらとバランスを崩しそうになる。

 抱きとめやさしくその背をなでる。

 華奢でやせた体だった。

 頭をなでてみると、柔らかな髪と体温が手に平を伝わってくる。

 

 自分がかつての所有者と同じことをしたいたということへの、罪悪感をごまかすようにリンに優しく接する。

 フサタロウがなにもいわずに近寄り、ふわふわの白い毛がわたしの頬をなでた。

 

 

 わたしは、この世に対して借りがあるような気がしている。不満はいくらかあるけれど、それでも受け取ったものの方が多いだろう。

 優しい両親に育てられ、友人にも恵まれた。

 完全に満たされていたわけではなかったが、だからこそそれを理解することができたのかもしれない。

 借りてきたものを別のだれかに貸すように、この子にも接することができればと思う。



―――残された時間はあと二日だった。

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