1. 雨の中での出会い
梅雨時の湿り気を帯びぬるりとした空気の中をかきわけるように、学校への道を歩いている。
空を見上げると厚く垂れ込めた曇り空が広がっている。
今日は振らないでほしいと考えていると、逆光で真っ黒に見える影が通りすぎていくのが見えた。
鳥ではない。カラスやハトの十数倍もある巨体だった。
学校へ向かう電車内に乗ると、わたしと同じような学生服が目立っていた。その手には、たたんだ傘が握られていた。
駅まで到着するまでの間、曇り空をこれ以上みたくないと思い車内に目をむけると、広告の一枚が目立つ位置につるされ、いやおうなしに視界に入る。
『インスタントラバーズを発見次第、保健所への連絡をお願いします』
そこにはデフォルメされた女の子のイラストがプリントされていた。ただし、彼女からは悪魔の尻尾と羽根が生え、人間でないことを示していた。
インスタントラバーズ。それは即席で簡単にできる恋人、愛人、……なかには愛玩具とさえいうひともいる。
彼女たちは異界から召喚された悪魔であり、人間ではないただのペットという認識なのだろう。彼女と同じく喚びだされた存在は、社会に浸透しているが、いまだ慣れることはできなかった。
深く考え込みそうになる意識を広告からはがして、ガラス窓から外を向く。
梅雨の時期特有の空模様に、げんなりな気分を抱えながら、今日の授業はなんだったかなと思い出す。
教室での授業中、「雨だ」とだれかがつぶやいた言葉で、窓の外を向く。
ぽつりぽつりと降り始め、アスファルトが黒い斑模様に変わっていく。
チャイムが鳴り響き、ようやく今日の授業も終わったと開放感に浸りながら、席を立つ。
「今日も雨だね~」
高校を出てから駅までの道、隣を歩くのは高校からの友人であるミキであった。傘をたたく水音をうっとうしそうにしている。
その音にまじって、工事の音が聞こえてくる。
目を横に向けると建築途中のマンションの工事現場が見える。
そこには重機の変わりに、頭頂部に一本角を生やした巨大な人型の怪物、サイクロプスが働いている。巨大な手がショベルカーのように地面をえぐり、幾本もの荒縄を束ねたような腕が鉄骨を支える。
「召喚獣ってほんとに安全なのかな? あんなの暴れたら人間なんてひとたまりもないよね」
「そうだね。わたしもちょっと怖いかも」
「召喚術とか、まだ慣れないよ。なんか現実味がないっていうかさ」
空を見上げると、光沢を持つ鱗で水滴をはじき、こうもりのような翼をはためかせながら、雨空の下を飛翔していく巨大な生物が見える。
その姿は空想上の生き物とされていた、ドラゴンであり、彼らも元からこの世界にいない召喚獣である。
ファンタジー世界では人間へ暴虐をつくし宝を独占するものといったイメージで書かれているが、いまの彼らはただの奴隷だ。
その背に大量の荷物を載せ、便利に使われる運搬係でしかない。
自宅からの最寄駅が違うミキとは電車内で別れ、わたしは駅からまた家への道を歩きはじめる。
まだ日は落ちてはいないが、雨空の陰鬱な暗さに気が滅入りそうになる。
そろそろ食材も減ってきたので、今日は帰りにスーパーによっていこうかと考えていたが、雨の中荷物を持つことにどうにも気が進まない。
適当にご飯を済ませればいいかと家路を急ぐことにして、帰ったらシャワーをあびて、一刻も早くこのじめじめした気持ち悪さを取り除きたかった。
暗い空からぽつぽつと降ってくる雨をビニール傘がはじき、打楽器のような音を奏でてている。
道の途中にところどころ広がる水溜りを避けながら進んでいくと、駅前のビル郡から住宅地に変わっていく。
そろそろ家に近づいてきたと安心したところで、外灯のともる電柱のしたに小さな人影が見えた。
こんな雨の中で一体だれだろうと目をこらすと、それはうずくまった小さな女の子だった。
雨が降り始めてから雨宿りもせずにずっとそこにいたのか、長い黒髪は水をすって重たく垂れている。
黙って通り過ぎるにはその姿はあまりに不憫に思えた。迷子か、それともなんらかの家庭の事情なのかはわからない。とりあえず警察にでも通報すればいいのだろうかと、頭の中で考えながらも、少女に声をかけてみることにした。
「えっと、だいじょうぶ?」
女の子がゆっくりと顔を上げ、私の顔をジッと見つめる。南国を思わせる浅黒い肌をしていて、その体は細く華奢な体つきであった。
しかし、彼女はただの人間ではなかった。肉食獣のように縦に裂け、赤く染まった瞳。
召喚獣、そもれたぶん悪魔の類だろう。
「あー、うー」
半開きになった口から鋭い犬歯がのぞく。知性を感じさせない、まるで赤ん坊のようなしゃべりかたは、低級の悪魔。
この子の正体になんとなく察しがついた。
インスタントラバーズ。憐れな悪魔の少女たち。
召喚獣が使われる分野は次第に増え、それは個人的なものにも及ぶようになっていた。
そのうちのひとつが“インスタントラバーズ”だった。
それは、名前のとおり即席の恋人をつくるというものだった。低級の悪魔を呼び出し、その肉体を好きなように弄ぶ。悪魔は決して召喚主に反抗せずに、たとえナイフをつきつけられても、命じられれば笑顔のままだそうだ。
使い方は簡単、召喚術が刻まれた羊皮紙に血を一滴たらすだけ。そうすれば、頭に思い描いた自分好みの女の子が目の前にでてくる。
流通元のハッキリしないままネットを介して広がっていき、購入するのは主に男性だそうで、その用途はお察しである。
なかには、スナッフムービーまがいのことを、召喚した悪魔に対して行った残酷な動画を投稿するものまで現れた。
おそらく、この子もインスタントラバーズとして召喚された悪魔の一人なのだろう。
憐れみを感じながらも、わたしはゆっくりと身を引く。
「……ごめんね」
「あうー?」
少女は小首を傾げながら、なおも私の目をまっすぐに見ている。人間の欲望のはけ口につかわれ、一方的な都合で捨てられたにもかかわらず、その瞳の光は濁らず無垢なままだった。
「これ、つかって」
せめてもと思い、少女の手に強引にビニール傘を握らせ、胸のもやもやを振り払うように雨の中を走り出した。
チラリと振り返ると、少女は手に持った傘を不思議そうにみつめるだけで、体には冷たい雨がふりそそぐままだった。