4-9.ミス
前話のあらすじ:帆船に乗る際の注意点、緊急時の避難手段や、装備の使い方について教わった話でした。
さて、最低限ではあるけれど、乗船のための講習も受講して、今日の行動はここまで。
ドックの擬装された山に併設された宿泊施設に僕達はやってきた。
「うわー……なんか、すっごくお洒落なとこですね」
「住宅街、にしては小さな建物ばかりじゃのぉ」
石畳の細い道には、綺麗に手入れされた街路樹が植えられていて、とても静かな印象だね。
道に面した家々は生垣で仕切られていて、家の中は見えないけど、屋根も壁も樹々に溶け込む色合いで、落ち着いた感じ。
街エルフの家は全てが草木で覆われていると思ってたけど、それは小さな家には当てはまらないっぽい。
「今回はメンバーの人数が多いので、ちょっと奮発して家族向けの施設を予約してみました。――こちらですね」
ケイティさんに案内されて到着したのは、そんな小さな家の一軒だった。
都内の平屋作りの一軒家といった感じかな。んー、でも玄関から受ける印象はホテルのようで、生活感はない。
「戸建て住宅でしょうか?」
「いえ、ここは家族向けに独立した建屋になっているだけで、敷地全体が一つの宿泊施設です」
そう言って、ケイティさんが僕達を建物の中に招いて、軽く案内してくれた。
寝室が二部屋、共通のリビングが一部屋、何人かで入れる木製の湯舟があるお風呂と脱衣所、トイレ、それと簡易キッチンって感じ。
確かに住宅というより、リッチな家族向けホテルの一室って感じだ。
ベットメイクもされているし、リビングも天板が硝子製のテーブルがあったりと、魅せるための作りだ。リビングには、夜空に黄色からピンク色にかけて綺麗なグラデーションがかかったオーロラを描いた絵画が飾られていて存在感があるけど、部屋全体はシンプルな線で統一されていて、要所を抑えた飾り付けで、落ち着きがあって華やかな印象を受ける。
「ここの個室風呂は、大元の源泉から引いてきているアルカリ性の塩化物泉ということで、透明で特有の匂いはなく、味はちょっと苦みを感じます。様々な病に効果があると言われてますが、やはり肌がすべすべになる美人の湯としての効能が有名ですね」
木の浴槽一杯に溢れて掛け流されている湯は透き通り、風呂場の先にある坪庭の緑が映えて、それだけで絵になる。
「個室の温泉って素敵ですね。あ、テーブルに笑顔マークのクッキーが置かれてる!」
演出も素敵だ。クッキーの端っこをちょっとだけ折ってお爺ちゃんに渡すと、お爺ちゃんが口に頬張り、すっかり笑顔になった。
「にゃー」
トラ吉さんが催促すると、ケイティさんが、毛布の入った籠を取り出して、トラ吉さんが示したリビングの壁沿いの棚の上に置いた。
音もなく、トラ吉さんは棚に飛び乗ると、籠の中に丸まり、毛布に体を沈めて寝心地を確認し始める。
同じように、小さなベッドが入った籠を取り出して、隣に置いた。
「済まないのぉ。やはり使い慣れた寝具が一番じゃ」
お爺ちゃんもさっそく、ベッドまで飛んでいくと、ぽんぽんと叩いて毛布を綺麗に敷き直してご満悦だ。
猫と妖精が揃って似た仕草をしたせいか、ケイティさんも肩の力を抜く仕草をして見せた。
「アキ様、私達の部屋は左手、ジョージ達は右手になります。もう外出はないので部屋着に着替えましょう」
空間鞄を持ったジョージさんとウォルコットさんが右手の部屋に入っていった。
確かに、外出用ということで僕も含めて、ちょっと着てる服は生地が厚いし、杖とか剣とか持ってたりして落ち着く感じじゃない。
「はい――って、ケイティさんと僕、同じ部屋なんですか!?」
「保安の面からも一人だけの個室は危険ですから」
さぁ、とケイティさんに連れられて寝室へと足を向けた。
確かに毎朝、ケイティさんは僕の寝室で着替えを手伝ってくれたりはしてくれているけど、僕がケイティさんの寝室に行ったことはない訳で。
心の折り合いがつかないけど、ここで愚図っても仕方ない。僕も男だ、よし覚悟を決めよう。
……というか、自分を男と意識するからこそ、お姉さんなケイティさんと同室であることに色々と心の葛藤が生まれるんだよね。
これで僕が、誠のままで、ケイティさんに誘われたなら、色々と考えつつも、きっと喜んで部屋に行くと思う。
あ、いけないいけない、ミア姉に誘われたなら、の間違い。
あーでも、ケイティさんに誘われて、断るなんて――
「アキ様?」
「あ、はい、今行きます!」
僕は慌てて部屋の中に入った。
◇
さて、着替えでドキドキの展開が! ……なんてことはなく、ケイティさんがシャンタールさんを召喚して、僕とケイティさんはさっさと用意された服に着替えて、着ていた服の片付けはシャンタールさんに任せた。
ケイティさんの下着姿はやっぱり大人っぽくて、同じ下着姿でも僕の方が子供っぽい。
僕の好みに合うせいもあるだろうけど、滲み出てくる大人の色香が半端ない。
では僕はと言えば、外見はミア姉の色違い程度で、十分、大人っぽい雰囲気はある筈なのに、この差は何なのか。
……謎だ。
そんな風に着替えの手を止めて少し見ていたら、服を着ないと風邪を引きますよと言われて、慌てて着替えた。
それでも、髪を少し解いたりしてたこともあって、リビングに戻ったのは十分ほどしてから。
すると、リビングには、小腹が空いたでしょうからと、鯛茶漬けを人数分用意してくれていた。トラ吉さんの分は刺身が用意されていて、細かいところまで行き届いたサービスだ。
「ご馳走さまでした」
出汁の香りが食欲を刺激してくれて、ペロリと食べることができた。さっぱりとしていて食が進んで最高だね。あと一時間もしたら寝る時間だから、これくらいの分量が丁度いい。
「時間がないのであまりのんびりできませんが、お風呂に入りましょう」
お先に、と言って連れて行かれる僕を、ジョージさんが哀れむような視線で送り出しているように見えたのは、被害妄想かな。
「こっちの風呂は、しゅわしゅわした気泡の出る風呂とはまだ別なのじゃろ。どんな違いがあるのかのぉ」
当然のようにお爺ちゃんが一緒についてくるけど、別に誰も気にしない。一応、子守妖精として、常に身近にいないといけないからね。
◇
いつものように、脱衣所で、髪を纏めて貰い、部屋着を脱いでタオルを持って準備完了。
僕の手伝いもしつつ、ケイティさんもさっさと服を脱いで、入浴できる姿に。
身長差の関係で、ケイティさんのおっぱいがどーんと僕の視線のすぐ下に現れて焦って、慌てて背を向けて浴室へ。
釣鐘型だの、砲弾型だのと言われるように、胸の形も大きさも人それぞれ。
いつもの服装からも予想はしていたけど、とってもご立派な膨らみでした。
もちろん、僕の好みはミア姉だけど、ケイティさんもまた良いもので。
ほら、林檎と蜜柑のどっちがいいかというようなモノだね。良さの方向性が違うんだ。
二人並んで体を洗えるだけの広さがあるので、ケイティさんと並んで体を洗う。
ちらっと横目に見たケイティさんは、泡に隠された体がどーん、ばいーんと自己主張されていて。
あ、でもけっこう鍛えている感じの体つきだね。
「ケイティさん、けっこう鍛えているんですね」
引き締まったウエストのくびれが素敵だ。
「私も探索者ですから、ある程度体を動かしていないと、調子が悪くなるんですよ」
ケイティさんは背中を洗いましょう、と自然にすっと立って、僕の背中を優しく擦ってくれる。
「ありがとうございます」
前の鏡は、湯気でも曇らない加工をされているようで、僕の身体に隠れて、ケイティさんの姿がちらちらとよく見える。
……鏡越しに目があって、盗み見てるような気がしてしまい目を逸らしたけど、ケイティさんはとても楽しそうだった。
うー、なんか翻弄されっぱなしだー。
泡を流して貰ったところで、反撃に出ることに。
「ケイティさん、僕も背中を流しますよ」
結構、気合を入れて、あくまでも自然に言ったつもりだったけど。
「そうですか。ではお願いします」
……とあっさり返されて、ケイティさんの背後に立つことに。
水着姿のお姉さんを後ろからみるのと大差のない状況なのに、この背徳感というか、申し訳ない気持ちは何だろう。
眺めていても仕方ないので、自分の場合と同じ程度に泡を付けて擦ってみる。
「アキ様、もうちょっとというか、その何倍か力を籠めて貰えますか?」
ケイティさんが体を震わせて、笑いを堪えながらお願いしてきた。
どうも、これだと力が弱かったようだ。
これくらいか、もうちょっと、などとやり取りしつつやっと背中を洗い終えた。
「二人とも、随分丁寧に洗うんじゃのぉ。もっとこうぱっと洗ってさっと入るものじゃないのか」
湯舟にケイティさんと並んで入って、湯の温かさに目を閉じていると、お爺ちゃんがそんなことを言い出した。
お爺ちゃんは、底の浅い大きな桶に湯を張って、そこに入浴している。
「男ならまぁそうだろうけど、女性の肌は繊細だから丁寧に洗わないとね。ごしごし擦ったら赤くなっちゃうよ」
「ふむ。そういうものか」
それほど長く入ってないのに、もうお爺ちゃんは湯舟から出て、桶の端に腰かけて涼みだした。
「あれ? もう温まったの?」
「ちと湯が熱くてのぉ。ほれ、もう十分、芯まで温まったわ」
お爺ちゃんがほれほれ、と腕を見せるので、じっと見ると確かにいつもよりほんのり桜色だ。
体が小さいから、人のように長く入っていたら茹っちゃう、と。
「館の風呂とは湯の手触りや匂いが違うようじゃのぉ」
一応、泉質の違いを認識はしてくれたようだけど、あまりリラックスできたって感じじゃない。
入ったと思ったらすぐ出ちゃう、それだと風情がないなぁ。烏の行水って言葉通りだけど、小さい体だと合理的、と。
でもねぇ……
「ケイティさん、お爺ちゃん用というか妖精さん用のお風呂って作れませんか?」
「風呂ですか。このように桶で十分ではありませんか?」
ケイティさんの言うように、湯舟の深さの問題は確かに、底の浅い桶で解決だろうね。
「妖精さんが入浴するには湯舟は浅い必要があって、でもそうすると湯の量が少ないとすぐ温くなるから、それを防ぐために底が浅くて大きな桶ってことですよね。でもやっぱり表面積が大きい分、どうしても湯が冷めやすい問題があります」
「今の翁のように、すぐ芯まで温まれるのですから、長湯は不要な気もしますが」
んー、ケイティさんはお風呂はのんびり入る人じゃないのかな。
「温泉の醍醐味は、たっぷりの湯にのんびり浸かって、日頃の喧騒を忘れて静かな時の流れを満喫するとこにあると思うんですよ」
「はぁ」
ケイティさんは、そういうものですか、と一応聞いてくれているけど、どうも反応が鈍い。
考えてみれば、現代地球のように秒感覚で情報が押し寄せてくるような喧騒とは無縁だし、そこまで渇望してないのかも。
「妖精さん用のお風呂に必要なのは、妖精さんが入れる湯舟の浅さと湯量でありながら、妖精さんが長湯できるだけのお湯の温度をキープできる仕組みを持つことですね。日本だと自動追い焚き機能が付いているお風呂もあるので、似た仕組みがあればいいかなと」
温度を設定しておけば、その温度をキープしてくれる機能は大勢の家族がいる場合、とっても便利だ。
どうしても人が入れば湯の温度は下がるし、そうでなくても時間が経てば温度は下がるものだから。
「温度を決めて、冷えたら温める程度の術式でしたら簡単に組めるので、でしたらその話は後でウォルコットにしてみましょう」
色々とモノを作るのが趣味とのことなので、多分、それくらいでしたら対応できるでしょう、とのこと。
「お金かかります?」
「福利厚生の一環なので経費で落ちますよ」
「それは良かった。お爺ちゃんにもぜひお風呂は満喫して貰いたいからね」
お爺ちゃんはといえば、体が冷えたのか、またちょいと湯舟に浸かっているけど、今度はさっきより長めに入っている。
やっぱり、底の浅い桶だと湯が冷めるのも早いからね。
「妖精族には、湯に長く浸かる習慣はないからのぉ。まぁ楽しみにしておるぞ」
お爺ちゃんが、もうちょい湯が温かいほうがいいというので、桶から湯を少し捨てて、湯舟からお湯を継ぎ足したけど、今度はちょい熱いのぉ、とか言って、また少ししたら湯から出て桶の端に腰かけた。
妖精さんにお風呂の良さを体感して貰うにはやっぱり、専用の湯舟が必要だと思った。
◇
歯を磨いて、髪も寝る為に緩く結い直して、後は寝るだけというところで、ケイティさんが、話があると切り出した。
表情からすると、真面目な話のようなので、居住まいを正して話を聞くことにする。
「本日の会話で一点だけ改めるべき内容がありました。何かわかりますか?」
横にいるお爺ちゃんは、話に口を挟むつもりはないみたい。
改めるべき、か。
うーん、なんだろ。
「帆船について色々話したことでしょうか?」
とはいえ、相手は船乗りさんのようだし、帆船について語ることがNGってことはないと思う。
「いえ。それはアキ様が専門家に近い知識を持つことは示しましたが、それだけです」
「それじゃ、飛行船について話したこと?」
こちらの世界では空は天空竜の領域だから、飛行機械は発達してない。話題としては微妙かも、とも考えてみたけどどうだろ?
「こちらの世界では、動きが遅く脆い飛行船は実用性がありません。話をしても、実害はないでしょう」
むむむ。それでもない。
「妖精界に浮島がある事を話したのは?」
「直接、行き来できない場所の話ですし、翁もいるのですから、その程度の情報は秘匿する必要はありません」
他には、他には……思いつかない。
「すみません、他には思い付きません」
乗船訓練をした時も、いろいろ質疑応答はしたけど、装備に関する質問とか使い方とかだったし、うーん。
僕のそんな様子を見て、ちょっと溜息をついたケイティさんは答えを告げた。
「アキ様が言われた『街エルフの人達が~』という言い回しが問題です。まるで自分は街エルフではない何かの様に聞こえます」
ケイティさんに言われて、帆船の見学時、ファウストさんに感想を話した際のことを思い出した。
確かに僕はそこで、『これなら街エルフの人達が安心して送り出すのもわかる』と言った。
……どう解釈しても、それを言った僕は、自分自身を街エルフではない『何か』と自認しているとしか思えない。
僕はこれまで知られていなかったミア姉やリア姉の妹という立場だ。体が弱くてこれまで療養していたという偽経歴も決めていた。
でも、そんな生い立ちなら、普通、自分のことを回りにいる家族と同様、街エルフだと思うはず。
アメリカで暮らす子供が、『アメリカの人達は〇〇なんだね』とか言ったら、普通、その子は海外から来たんだと判断できる。
僕の外見はミア姉そのもの、まぁ色合いはリア姉と同じだけど、なのに、街エルフではない、と言外に伝えている。
……これは結構、根の深い問題だと思う。
というか、誤解される流れしかイメージできない。
ちゃんとアキの『中の人が誠だ』と結論付けてくれればマシなほうで、そうでない場合が色々酷そう。
ミスだ。――それも結構致命的な気がする。
「……それは、不味いですね」
「今回、ファウストのほうは私が口止めしておきます。あの男には色々と貸しがあるので」
「ありがとうございます」
今回のミスはなんとかフォローして貰えるようで幸いだった。
ケイティさんも、ちょっとだけ表情を和らげて、話を続ける。
「ですが、アキ様は今後、望みを叶える為に、様々な権力者達と言葉で戦うことになります。ですから、同様の問題が起きない様、ご注意ください」
そう。僕には腕力もないし、魔術も使えない。あるのは地球の知識や、ミア姉と十年間続けた交流と、そこで鍛えた討論の経験だけ。
地球にいるミア姉を助けるためには、なんとか協力者を集めて、予算を確保して、今は不可能な『地球とこちらを繋ぐ次元門の構築』を成し遂げる必要がある。
街エルフだけじゃ足りない。森エルフも、ドワーフも、鬼も小鬼、それに竜族、あと妖精族も含めて多くの人の協力を得ないと。
――でないと不可能に手は届かない。
「……はい」
状況は理解したので、返事はしてみたものの、かなり不味い状態だと思う。
気をつけると言うのはいいけど、効果的な再発防止策がないと、絶対、また口を滑らせると思う。街エルフの人達なんて、全然知らないし、自分で注意しても、自覚できない所属意識なんて、どうやって持てばいいのか……
「では、アキ様。私はこれで失礼します。翁、相談に乗ってあげてください。貴方の年の功が役立つはずです」
そう言って、ケイティさんはリビングに戻っていった。
僕がお爺ちゃんを見ると、トントンと胸を叩いて、まずは儂に胸の内を話してみよ、と促された。
ブックマークありがとうございます。執筆意欲がチャージされました。
という訳で、アキの正体を知らない人物との会話で、さっそくアキがミスをしていました。
まったく心にもない嘘というのは、何かの拍子にポロっとボロがでるもの。次パートは翁に相談に乗って貰うことになります。ケイティの言うようにやはり、こういう時に必要なのは年の功ですからね。
次回の投稿は、十一月二十一日(水)二十一時五分です。