25-23.伏竜の落涙(中編)
<前回のあらすじ>
賢者さん達が駆けつけて動的中和障壁で囲ってくれたので、周辺被害は出ずに済んだようです。不幸中の幸いでした。(アキ視点)
伏竜さんと僕で盛大に泣き散らした後は、仕切り直しということでその場は解散となった。
別邸に戻るまでの間、トラ吉さんが僕の膝の上に乗って、撫でさせてやろう、という態度を示してきたので、遠慮なく抱きしめて、癒し成分の補給をさせて貰うことになった。
伏竜さんに寄り添うことで得られる癒し成分と、トラ吉さんから得られる癒し成分はまた別だと思うんだよね。言葉話さずとも、僕のことを気にかけて今は共にいるべき、と考えてくれてるんだなぁ、と思うと、その心遣いには、ほんと感謝するしかないし、そっと寄り添ってくれる態度は、嬉しいものだからね。
まぁ、そんなトラ吉さんもお風呂場からは逃げ出したので、いつもよりちょっとゆったりと長風呂でリラックスしたり、ケイティさんがロゼッタさんから学んだというマッサージの手業を披露してくれたりと、悲しみに凹んでいた心もだいぶマシになって、寝る準備が整う頃には、意識を心の内にあるぽっかり空いた穴から背けることができた。
そして、今日起きた出来事を振り返るお話もしつつ、ミア姉がいない、という事が、一般的な意味で親しい人、いるはずの人がいない、という喪失感に苛まれる場合と異なる理由なんてのにも、僕から話題を切り出して話せるくらいには回復することができた。
普通の人の場合だと、その人がいるという事が普段の生活や行動などと密接に絡んでいて、何かをしている時に、いるはずの人がいない、と日常生活の行動がトリガーとなって、いないという現実を突然思い出すといったことが起こると思うんだ。
ところが、僕の場合、夢の中でしか会うことがなかったミア姉との間には、そうした普段の生活に絡むような記憶、体験が何もないんだよね。だから、普通に暮らしていても、そこにミア姉がいるはず、という認識が無いんだ。だから、普通に生活をしていて突然、何かの行動からミア姉がいない、と意識することはない。
では、どうしてミア姉がいない、という意識が湧くかと言えば、その日に起きた出来事を夢の中であれこれミア姉に話して、ということをするのが日課になっていたから、これも話してない、あれも話してない、といったような意識を持つとか、ミア姉と話すことでその日の経験を振り返って整理とかしてた感もあるので、そうしたことができてないなぁ、と感じる時に、ふと寂しさを覚えるといった感じになる。
だから、うまく外に意識を向けていれば、気にせず生活もできるんだね。
……ただ。
今回みたいに、露骨に話を振られて、伏竜さんからの場合、思念波でのイメージ込みで心に響くせいで、余計に真正面から自身の心の内に向き合う意識を持たされることになってしまった。一度そうなってしまうともう駄目で、心の棚に避けて、みたいな小手先の回避もできないんだ。
棚に入れられるのは小さな意識だけで、ごっそり抜けた大穴なんて入る訳もないのだから。
なんてことを心話の時の意識を含めてケイティさん達とあれこれ話しているうちに、起きているのも限界になってきて、意識が落ちることになった。
◇
翌朝は、無理に感情を抑え込まなかったのが功を奏したのか、だいぶ目覚めは良かった。それに誰かと寝る直前まで話をしていれば、何か考え込んだりしないで済むからね。起きていられなくて意識が落ちるという流れから言っても、僕の場合、眠気が強くなって寝るというよりは、起きていられなくなって意識が落ちるった感じなんだと思う。魂と体が合ってないから起きる問題だとは言われているけど、一年経過してもほんの少し起きていられる時間が伸びた程度なので、魂を引き剥がして別の体に放り込むという行為は、二度と試みてはならないと雲取様からも念押しされた通り、禁術扱いされるにはそれだけの理由があるってことなんだろう。
ふわりとお爺ちゃんが飛んできた。
「うむ、顔色も普段通りじゃ」
ん。
「あまり気にしてなかったけど、昨日は悪い感じだった?」
「うむ。青白い顔をしておった。伏竜殿に寄り添ってからは多少は良くなったがのぉ」
うーん、ということは促されて寄り添う前はかなり不味かったのか。そこまでの自覚症状が無かった。
「昨日は入浴されていた時も、湯の温度を少しずつ高くして体を温めました。それもあって湯上りの際には、だいぶリラックスされてましたね」
ケイティさんも実はちょっとした気配りをしていたことを明かしてくれた。昨日はバスタブで横になってて促されるままにうとうとしていたけど、ぽかぽかしていたと思ったらそういうことだったのか。
「あまり不調になるのも問題ですし、竜達に自身の体を律する術を習うのも良いかも」
良いアイデアかな、と思ったのだけど、これにはケイティさんもお爺ちゃんも微妙って反応だった。
「アキ様、そもそも昨日、伏竜様が大きく感情を乱されて悲しみの色濃い魔力波をまき散らしたことがそもそも発端であることをお考え下さい。アキ様が思うほど、あの方々は自らを完全に律している訳ではありません」
あー。
「それに、世界樹の精霊と心を通わせている黒姫殿の心も休みが必要だ、と以前アキも話しておったのぉ。彼らは万全であれば、世界の外にいても、己を律して存在を乱されることがなくとも、泣き、笑い、怒る、我らの隣人ということじゃ。それに己を律するというのなら、福慈殿こそ一番に振る舞いを正すべきじゃろうて」
その怒りに満ちた思念波は、弧状列島の多くを巻き込む大騒動を引き起こしたからね。震源地扱いされてて、報告書をみると、怒りの思念波が到達した時刻なども同心円状に広がっていく様が克明に記されていた。なお、思念波にも地震のP波、S波のように、本震に先んじる魔力波が生じるようで、本震が到達する前にそれを感知した術者もそれなりにいたようだ。
もっとも実用的かと言われれば、何百キロと離れていてやっと一秒、二秒先行するかという程度のズレなので、そこまで到達するような思念波という時点で、それを引き起こせるのは竜族くらいなもの。そして、福慈様の怒髪天を衝くような激しい怒りは竜族においてもそうそうあるものではなし。なので報告書でもあまりそれを活かした魔導具開発みたいな可能性については軽く触れる程度だった。
「自らの身体を律するということであれば、身体操作の術の訓練をされるのが良いでしょう」
「意識を指先まで通してしっかり感覚を捉えて、って奴ですね」
「はい。あまり訓練時間を取れず最低限のことしかできてませんから、今後はカリキュラムに入れる頻度を上げていきましょう」
「お願いします」
とにかく少しでも早く街エルフの国を出て、僕に魔術を教えてくれる師のもとに向かい、魔術を使えるようにすることとして、本館で暮らしていた時は可能な限り、出発できるまでの日数を縮めようと、カリキュラムを削って貰ったからなぁ。街エルフの感性からすると、それで国外に出すなんてとんでもない、という初歩も初歩という段階だったそうだ。
ロングヒルには治外法権の街エルフの大使館領がある。大使館領は街エルフの国である。という論法で何とか国外に出ることを承認して貰えてほんと良かった。
◇
食堂に行くと、リア姉がコーヒーを飲みながら、軽く手を挙げて挨拶してくれた。
「やぁ。目覚めは良かったようだね」
「おかげさまで。リア姉がコーヒーとは珍しいね?」
リア姉はどちらかというとお茶党なのだ。飲まない訳ではないのだけど、コーヒーを飲んでいるところを見たのは数える程度。
「昨日はあの後、代表の方々を交えて被害状況の確認やら、賢者らによる中和障壁の簡易評価をしてたりで仕事が鮨詰めだったんだよ」
あら。
「中和障壁なら、賢者さんは後で報告書を出すと話してたし、それ待ちで良かったんじゃないの?」
「良くない。あれだけの強度で方向性のついた魔力波に晒され続けると、動植物だけじゃなく土地ですら影響を受けかねないんだ。呪われた土地の軽いバージョンくらいに考えればいい」
うわぁ。
「それだと土壌改良みたいに、高濃度魔力に晒された土を浄化する必要が出てくるとか?」
僕の問いに、リア姉がないない、と手を振って却下してきた。
「今でこそ私やアキがいるから、かなりの魔力を注ぎ込んだ浄化術式をぶつけて、影響を消すこともできるけど、乏しい人族の魔力でそんな大規模な浄化なんてのは無理なの」
「じゃ、どうするの?」
「悪影響が出る範囲を区切って、立ち入り禁止にして自然に影響が薄れるのを待つしかないんだよ」
うわぁ。あれ?
「でも、確か帝国以外、街エルフの国や連合、連邦では呪われた地は浄化し終えていて、呪われた地は帝国領にしか残ってなかったよね?」
ちゃんと、浄化できてるじゃない、と指摘したけど、それは思い違いとのこと。
「それはバケツで消せる焚火と、山火事を同列に扱うような雑な論法だよ。竜族が叩き出してくるような魔力波の影響なんて、地の種族がどう頑張っても打ち消すどころじゃないし、打ち消すためのコストが高すぎて割に合わないんだ。幸い、そこまで酷いのは「死の大地」くらいだったってこと」
なるほど。
「そっちはわかったけど、それなら被害って土地への被害状況の把握?」
「基本は第二演習場にいた人々、スタッフや代表一行といった人達への影響がどの程度でたか、その状況確認や、医師達を招いての診察なんかも並行して実施したよ」
なんと。
「代表の三人は問題なさげだったけど」
「そりゃ、待機エリアが魔力波に反応してすぐに障壁を展開してたし、彼らには最高級の護符も持たせていたからね。それだけあれば影響も軽減できるって」
ふむ。
「それだと、他のスタッフさん達や代表の皆さんと同行していた人達に問題が出た?それとも、周辺警戒をしていた森エルフの皆さんに影響が出たとか?」
「控えにいたスタッフの影響は比較的軽微だったけど、見晴らしのいい周辺部で警戒活動をしていた森エルフのレンジャー達に多少影響が出てたね。ただ、彼らは全員高位の精霊使いでもあるから、魔力波が広がるのを認識した精霊が加護を先行発動したことで、影響をかなり軽減できたそうだよ」
ん。
「独自意思で活動している精霊だからこその見事な対応ですね。なら、ちょっと影響が大きかったのは待機エリアの外に出ていた一部の人達くらい?」
「まぁ、そういうこと。その一部には、第二演習場の外で馬車を待機させていたウォルコットも含まれるんだけどね」
「え、でも、昨日、普通に馬車で僕帰ったよ?」
「それは、隣にいたダニエルが神術でとっさに守りの結界を展開したから。持たせていた護符だけだと、問題が出ていたかもしれなかった。だから実害は軽微ではあったけれど、それは結果論だと理解すること。いいね?」
それは不味かった。全方位に瞬時に広がっていく魔力波、本当に厄介だ。
「うん。今後は気を付ける」
僕の言葉に、リア姉も苦笑しながらも、一応認めてくれた。
「二度と起こさない、と言わないところはアキなりの誠意なんだろうね。代表の方々に会った時には殊勝な態度を示すんだよ。平然とされているように見えても、アレは精神魔術並みの凶悪さで、何かあったら国際問題に発展してたんだから」
伏竜さんがやったことです、と言えないものなぁ。僕が八つ当たりした挙句、伏竜さんが予想外の深い深い共感を示したことで起きた悲劇だった。
いいね、ありがとうございます。やる気がチャージされました。
というわけで、実は何気に色々と問題があり、事前の策が功を奏して被害はほぼ無しで済んだというだけという結構怖い話なのでした。ウォルコットも第二演習場を囲う土塁の外に駐車していたので、まさか自分を精神攻撃が襲ってくるなどとは予想だにしてなかったでしょう。助手のダニエルがいなければ、被害なしでは済まなかったかもしれません。
次回の更新も変則的ですが、2025年7月27日(日)の21:10です。すみません、所用が寿司詰めで時間が確保できそうにないのです。