24-28.後始末(中編)
<前回のあらすじ>
等身大の反転鏡はなかなか盛況でした。透明度が高く色変化が少ないのと等身大というのがよかったのでしょうね。あれこれ自身の姿を映すケイティさんがかわいらしかったです。(アキ視点)
別邸に戻ると、師匠とエリーが既に庭先のテーブル席に座って談笑していた。雲一つない青空ということもあって、なんて素敵な光景かと思えるけど。僕より師匠のほうが先に到着しているというのが面白い。いやぁ、健脚だね、ほんと。身体強化術式のおかげで、老人といえども、地球での世界記録保持者よりぶっ飛んでくような走りができるんだもの。
あー。
エリーの笑顔が怖い。変だなぁ、今回、僕は元凶じゃないってのに。
「あら、おかえりなさい。無事で済んだようで何よりだったわね」
なんだろう、言葉通り、最悪を想定して用意した三重の護りも必要がなく終わった、そのことを言祝ぐ台詞だというのに、なんかチクチク痛い。
「心配してくれてありがとう。案ずるより産むが易しってとこかな。予め、心話で僕の当日の外見イメージもしっかり伝えておいたし、小型召喚で変わる目線を想定して、僕と福慈様もサイズの違いについても、客観的な視点を想定して伝えておいたから、聞いていた通りとなって、驚きは最小限に抑えられたと思う」
実際、かなり気を使ったからね。撃たれても安全に終えられるけど、撃たれないのが最上だから、そうなるよう可能な限りの準備は重ねてきた。
僕の説明に、師匠も安堵の表情を浮かべてくれた。
「どうなることかと心配していたんだがね、何もなくて何よりだったよ。竜族の術式となると私らじゃ対抗しようがないからねぇ」
師匠も魔術の専門家として、やる気だけではどうにもならない点はすっぱり線引きができているようだ。集団術式にして船舶用宝珠とか用意してがっちり魔法陣で制御とかすれば、ワンチャンあるかもしれないけど、そこまでしてやる話でもないし。
そこで僕もほっとしたところで、ぎろりと師匠に睨まれた。
「で、それはそれとして。随分とまぁ派手にやらかしてくれたねぇ」
あー。
「派手というと、幻影の竜爪で、反転鏡を処分したことです?」
まぁ、見た目はそれっぽい感じで派手といえば、派手だと思う。だけど、話の逸らすのは失敗した。
「違うわ。福慈様が行った上空全域を覆いつくすような炎の伊吹。そして、そのあと、第二演習場全域に対して、えっと、線状降水帯だっけ? やけに綺麗で遥か高空から見下ろした、川のようにどこまでも続く帯状の雲の連なる光景、そのイメージを言葉に乗せて皆に言い聞かせたそうじゃない。……誤魔化したでしょ」
エリーがわかってるわよ、と指摘してきた。そして、ちょっと私も知っておきたいから見せて頂戴、とも。
『ん、では、リクエストに応えて。線状降水帯というのは、大量の水分を含んだ雨雲で海から陸に向かってずーっと連なるのが特徴なんだ。エリーが川のようだと言ったのも正しくて、線状降水帯は、空の上に出現した巨大な河川だと思った方がいい。陸地に届いた雲は大雨を降らせて消えるけれど、後から後から雨雲が続いて止むことなくずっと豪雨が同じ地点に降り注ぎ続けるという悪夢のような気象現象なんだ。僕がこれへの対処を提案したのは、狭い地域、例えばロングヒルが線状降水帯に襲われるのは百年に一回かもしれない。でも弧状列島全体ならどうかといえば、毎年何か所かは襲われることになるんだよね。だから、弧状列島全域に対して、そうした雨雲の連なる空に出現した大河、それを断ち切ることを竜達にお願いできるなら、きっと地の種族にとってはこれ以上ないくらい素敵な恩恵になると思うんだ』
線状降水帯は海水を吸い上げて、空の上に出現した連なる雨雲によって形成される大河が延々を空から地上に向けて注ぎ続ける、そんな激しい現象だ。宇宙から地上の雨雲を短い間隔で刻々と観測できるようになったからこそ詳しく分析できるようになった現象とも言えるね。昔からあったけど、数時間おきに撮影とかだと、その恐ろしさはなかなか把握できない。日本はこの分野では断トツ世界トップで、狭い範囲なら二分半おきに十六ものバンドを利用して雨雲を観測する気象衛星を持っている。日本は世界有数の豪雪地帯、ということは豪雨発生地帯でもあるわけだ。
言葉に乗せて、日本のニュースとか報道番組でやっていたCG映像ベースで、特定の地点まで海から線状に連なる雨雲の様子、それと次々に雨雲が移動して同じ地点に大雨を降らせて消える、それがいつまでも続く様も説明しながら、動きのあるイメージを言葉に乗せてみた。
「便利ね。それとこれじゃ、こちらでは認識されてない、研究が進まない理由もわかるわ。これ、地上から空を眺めていたんじゃわからないわよね」
「まぁ、地上からだと見える範囲が狭いからね。なんかいつまでも大雨が続くなぁ、くらいにしかわからないと思う。しかも弧状列島全域なら毎年何回か観測できるだろうけど、狭い地域限定だと生涯に一度見るかどうか、なんてことにもなりそう」
だからこそ、延々と降りやまない豪雨なんて話は日記に残ったりしていても、それが何を意味するのか研究はされてこなかったんだ。
「竜族もこの現象については知らない個体のほうが多いんじゃないかね? たまたま飛んでいるときに目にすれば別だけど、そうそう見る話でもなし、飛んでる高度によっては連なっていることに気づかないこともありそうじゃないか」
ん。
「師匠の言う通り、空を飛べるからこの気象に出会うとも限りませんし、高度が低ければ連なりにも気が付かないかもしれません。あと連なっていてもだからどうした、って感じで、気に留めないかもしれません」
竜族はそのあたり、かなり大雑把だからなぁ。
「そして、野分(台風)でもないのに、河川が氾濫し、あまりの豪雨に山が崩れることすらある、だったわよね?」
『うん。河川が流せる水の量には限界があるからね。山に降った雨が集まり始めるとある程度のところで河川の流せる限界を超えて溢れちゃう。下手したら内水氾濫といって、排水路があるのに、流すペースが追い付かず、高台なのに洪水が起きるなんてことすらあるよ』
傾斜に沿って排水路が流せる量にも限界があるからね。日本でいえば、一時間に五十ミリというのが流せる目安でそれを超えると、詰まっているわけでもないのに、排水溝から雨水が溢れ出てしまって高台を水没させるなんてことすら起きる。アレは映像を見ていてもほんと驚きだった。
こればっかりは、実際に映像で見た時のイメージを言葉に乗せて伝えることにした。なかなか言葉だけだと伝わりにくいからね。便利、便利。
「高所なのに水が溢れるなんてのは、こうしてイメージを渡されないと俄かには信じがたいところがあるねぇ」
師匠のような長い年月を生きていた方でも、体験しているかといえばそうでもないからね。情報化社会万歳だ。
「で、誤魔化したでしょ」
ちらりと師匠を見ると、ふん、と鼻を鳴らしながらも種明かしをしてくれた。
「青空の綺麗さを称え、そして雲を消し飛ばす事象が有用だ、と誰もが見たことがないような遥か高空から地上を見下ろしたような風景、そして延々と連なる雲の帯、それを驚きと期待を込めた声とイメージで伝えてくれた、それは確かだがね。あまりに綺麗過ぎるソレを見て私はピンときたね。あぁ、これは慌てて皆の意識を上書きしようとしてるぞ、とね」
第二演習場にいなかったエリーが人から聞いた話だけで気付くのはどうかと思ったけど、なるほど、あの場にいた師匠が体験を語ったなら、気付いてもおかしくないか。
ふむ。
さして誤魔化すような話もないし、ここはそれなりに正直に話しておくか。
「二人が察してくれたように、僕は今回、ちょっとイメージ悪化にならないよう、皆が見た光景を新たに印象的な光景を見せることで緩和を狙ってみました。まさか、あのタイミングで竜の吐息をぶっ放すとは思ってなかったですからね。しかも小型召喚体なのに、あの範囲、あの射程です。かなり驚きました」
そう告げると、エリーが目を細めた。
「アキが懸念したのは、あの吐息の用途じゃないの?」
あー。
さすが、エリー。まぁ、気付くよねぇ、やっぱり。
「そりゃね。竜族相手にはあんなの目晦ましにもならない。なのにわざわざ福慈様はあの技を編み出した。どうしてか。そこで隠し芸だとは僕も思わないよ」
アレは対人族用に編み出した技だね、と伝えるとエリーも表情を曇らせた。
「もし福慈様が本体であの炎の吐息を使ったなら、それこそ国ごと滅ぼされることでしょうね」
「そうかもね。ただ、アレ、使えるかと言ったら使えないとは思うよ。竜族とて地の恵みなくして生きていけない。あんな広域を焼き滅ぼす技なんて使ったら、それこそ自分の縄張りがぜんぶ灰になっちゃう。彼らはそういう雑な破壊はしないよ。少なくとも今の弧状列島にいる竜族ならそういう使い方はしない」
大陸の雑な竜族なら使うかもしれないけれど、弧状列島は竜族の縄張りがひしめき合っていて定員オーバーな有様だ。そこにあんな広域焼却技なんて使ったら非難轟々だろう。
僕の言葉に、師匠も取り成すようにフォローをしてくれる。
「雨雲を呼ぶ、或いは晴天を齎すような集団術式なら鬼族が使えるからね。天候操作と考えれば、それほど奇異なことをした話じゃない。そういうことにしておくことだね」
嘘は言ってない、と師匠もしれっと落としどころを考えてくれた。まぁ、それくらいが妥当だろう。
「それで福慈様はアレをどう使われるつもりかしら」
「雨雲を消すための手直しをした上で、若竜達の小遣い稼ぎに技を教えてあげるってとこじゃない? 雨雲を消す吐息も、例えば上の雲に刺激を与えて雨を降らせたなら、下に雨が降り注ぐことで、下の雨雲も刺激を受けて雨を降らせることになるだろうから、雨雲が多層構造になってる場合とかは工夫しがいがあると思う」
他にも上空から降った雨が途中で蒸発、その際の気化熱で冷却が進み、それが激しい下降気流を起こして地表付近の湿気の多い空気を巻き込んで積乱雲が発達、結果として豪雨をもたらす、みたいな連鎖、連鎖、ってパターンもあって、気象現象は奥が深いんだよ、と語ると、なんか凄く不思議そうな目を向けられた。
ん?
「アキってそういうのほんと好きよね。あちらで「マコトくん」だったというのも納得だわ」
などと言われてしまった。むむむ。
「日本では天気予報士の女性の方も多くいたし、そこは男の子かどうかは関係薄いと思うけどね。学べる環境があるかどうかの差だよ」
なんて感じに、日本では激しい気象変化、豪雪、豪雨、暴風なんてことがあるから、天候への関心はとても高いんだ、と説明してあげた。気象観測衛星が数分おきに日本列島全域をスキャンして、雨雲の動きを刻々と伝えてくれたりしてね、と日本の気象観測網の凄さをあれこれ説明してあげたら、想像を絶する異世界っぷりね、と驚かれることにもなった。もちろん、有用性は理解してくれて、こちらでもソレが欲しいわね、とか言ってくれたのは嬉しかった。
いいね、ありがとうございます。やる気がチャージされました。
はい、そんなわけで、アキの誤魔化しはバレました。とはいえ、印象を上書きして緩和しようか、くらいの軽い話でしたので、エリーもさほど突っ込むことはなし。ちなみに実際に使われたとしたら、建物の中などにいれば大した被害は受けないでしょうけど、直接触れれば燃やされるし、高温化した空気を吸い込めば肺が焼かれて、地上にいながら呼吸困難になり窒息死といった感じになるでしょう。一般的な意味での戦略級術式と違い、対軍団規模、万を超える大軍を撃滅するのに使う技といったところでしょうか。まぁ、本来の用途で使われることがないのは幸いでした。
次回の更新は2025年3月2日(日)の21:10です。




