22-29.伏竜さんは石橋を叩いて渡る気質……だけど
<前回のあらすじ>
稲作において、稲の生長の制御は水の操作で行うんだよ、という話を紹介してみました。これ、思いついた人ってきっと天才ですよね。しかも、いつ、どのタイミングで水深をどう操作するのか、突発的な災害にはどう対処するのか、など先人の知恵の結晶と言って良いでしょう。あと、伏竜様、甘党さんとはカワイイ。(アキ視点)
話が稲作文化に関するところから逸れて、蜂蜜談義に流れてほっこりした気分になったけれど、本筋に話を戻そうという事になった。伏竜さんが甘党だったり、相手の様子を伺い見るような振舞いはどうも生来の物ではなさそう、というとこも伺い知れたりと、面白い流れだったのだけど仕方ない。
『それでは伏竜様、稲作文化の理解に合わせて……えっと、今回はこの辺りまでにしておきますか? 最初からあれこれ詰込み過ぎても記憶が零れ落ちるだけですから』
そう。
人はそれぞれ容量は違えど、器には限界があって、新しい事を見聞きしてもソレが多いと溢れてしまって、記憶に残らないんだよね。無理に詰め込むと重要度が高いモノは残るけど、低めなものからどんどん零れ落ちて行って意識の外に落ちてしまう。そして、伏竜さんの魔力から感じ取れたのは、稲作文化についてもう少し踏み込もうか、と僕が切り出した際の少し気後れするような反応だった。
ちょっと心がお疲れな感じ。
さっきの蜂蜜談義で少し気は紛れたけれど、自分に馴染みのない地の種族の文化の長期間かつ多層構造的な作業の連なりは、何事も単発で短期に終わる竜族文化からすると、かなり異質で、理解するのに労を要するモノだったようだ。
あー。
どうも竜族の感性からすると、邪魔な雑草を取り除くとか、食い荒らす害虫を殺すという部分は理解できるけど、育ちの良いであろう種だけ選別するとか、植えても育ちが悪ければ間引くとか、病んで治らないなら取り除いて焼却処分というのは、精神的な抵抗があるようだ。
ふむ。
『植物の場合、良いところで芽吹くかどうか、という時点で選別が行われてますからね。そうした条件を勝ち抜いた種だけが芽吹き、育ち、成木となっていくのです。育ちが悪ければ枯れたり、折れたり、病気になって腐ったりしますが、人が水田の稲に対して行う作業は、それらを自分達の手で代行しているだけ、と言っても良いでしょう』
暦も時計も必要なく、段階的に手順を踏んで予定をこなして最終的なゴールに至る、なんて作業、それも多くの仲間と共同しての作業なんて、個人で全てが完結してる竜族からすると、共感できる部分が薄く、表層的な理解をするのがやっと、といったとこか。
……ただ、ここで大雑把に把握しておけばいいか、としないで一旦、情報が入ってくるのを止めて考えたい、と思うところが伏竜さんの良いところだ。誰かと競ってる訳でもなく、春先までに理解すればよいスケジュール感からすれば、さほど急ぐべき時でもない。
それよりは、聞いた事を鵜呑みにせず、隅々まで深く思いを巡らせよう、と。
<そうしておこう。多くを聞いたが、少し考えを纏める時間が欲しい>
ん。
『では、稲作文化に絡む話として、虫害や病害に対処するための農薬、そして派生して薬と毒という概念軽く触れておきますね。今日の話に加えてそれらを意識しておいた方が、きっと意識が深まります』
おっと。
他の概念はともかく、毒という言葉には、かなり嫌悪感が漏れ出たね。これは要注意。
街エルフとの果て無き殺し合いにおいて、街エルフは幼竜を散々、罠や毒で殺害しまくってきた歴史がある。だから、幼い頃から毒や罠についてはかなりしっかり教えられ、備えてきてるんだ。
<穀物を育てる話に薬の話をするのはわかる。弱った稲を元気にするために薬を用いる、というのは自然な話だ。だがそこになぜ毒の話が入ってくるのだ?>
あぁ、なるほど。
『伏竜様、これは確認ですけど、竜族の文化において、毒というのは誰かが自分達を害するために使ってくるモノであり、毒を受けないよう注意すべきモノではあっても、自らが使うモノではないという位置付けという理解で合ってますか?』
<その通りだ。我々は道具は用いることはなく、魔獣のように毒針を持つ者もいない>
なるほど。
確かに道具なしで毒を扱う、というのは無茶振りだ。
『薬、というか薬草の類については利用する文化はありますよね? お腹の調子が悪い時に特定の草を食べると良いとか』
<確かに症状に応じて食べる草はある>
まぁ、猫だって腸内の調子を整えるのに猫草を食べたりするからね。そのまま食べて薬効成分がありそうなのは草くらいってのもある。
『地の種族の文化は、毒と薬を探り、その原理を解き明かす戦いでもありました。毒というのは取り込むと心身に不調を齎すモノ。そして薬とは不調な時に取り込むとそれ以上の悪化を食い止めたり、回復を促してくれるモノ。ですが、実は毒と薬は同じモノであって、それを人が自分達の都合で言い換えているに過ぎません』
例えば痛覚を鈍化させ、或いは感じさせなくする薬物がある。これは適量を使えばそうした効果が得られるものの、少なければその効果が得られず、適量を超えると、心身を害する毒となる。日本では世界初の全身麻酔手術を行った華岡青洲という人がいて、乳癌の摘出手術に成功したりもしたけど、麻酔という性質上、生きた人で試すしかなく、その過程で母を亡くし、妻は失明してしまった。
現代でも、麻酔は専門医が行うとても繊細な分野で、患者の体重や体質、行う手術の内容に応じて用いる麻酔の量や種類を適切に調整する必要があるくらいだ。
処方される薬も、大人用の薬をそのまま子供に与えると大変なことになってしまう事がある。ある人に処方された薬を他の人に渡して服用させるというのも、問題となることがある。相手の年齢は体重、或いは性別によって効果が違ってくる事があるからだ。
そもそも、薬物を服用すれば必ず作用と副作用が出るのは避けられない。作用とは望んだ反応であって、副作用とはそれ以外の反応だ。薬を服用するのは、心身にとって作用の方が副作用よりも大きいからだ。
その究極とも言えるのが癌治療薬の類だろう。アレこそ劇物、癌細胞「も」殺す毒薬だ。それを適切な量で見極めて慎重に処方することで、できるだけ癌細胞を多く殺し、なおかつ副作用も必要な作用が出る中で、できるだけ軽くしようと苦慮しているんだ。
体内で増殖してしまった腫瘍を切開して取り除く、といった医療行為は竜族の文化にも存在しているようだ。それと、麻酔はないものの、神経をブロックすることで痛覚を無効化するという部分麻酔相当の技は持っているというから驚いた。
<我々は道具を用いないが、身体を切り裂く際、暴れられては治療もできん。だから神経の流れの一部を一時的に止める技が育まれた>
凄いね。
結局、痛みを感じるのは脳だから、脳まで神経節を通じて信号が届かなければいい。触れた意識からすると、とても狭い範囲に術式を打ち込んで神経節の流れを鈍くするといった処置のようだ。信号が流れる量が激減すれば、それは痛覚の鈍化と同じ意味になるし、信号が途絶すれば無痛化ということになる。
とはいえ、竜族文化には部分麻酔はあっても、全身麻酔はなし。他にも投薬によって体の反応に介入する手法は持ってない。
だから外科手術で何とかできる医療は、創造術式で損傷部位を仮初ではあるけれど治すような現代医学を超える治療を行うことができるけど、内科的な治療、長期的に体質を改善していくとか、病気未満と言える未病の状態を治す、といったことはできない感じだ。
『稲を害する虫は米粒のように小さい場合もあり、それをいちいち潰していくのは無理です。なので、地の種族はそれらの虫を殺せる程度の薄い毒、農薬を散布して駆除します。そうしないと実りが大きく減ってしまいますからね。農薬の毒性は、それを散布した米を生涯食べ続けたとしても健康に影響が出ない分量の更に十分の一、という少ない量に抑えています』
ここで、大型幻影に、農薬を使う場合と使わない場合の収穫量の差を、グラフの誤魔化しをせず、正しい縦横比で表示すると、伏竜さんも驚いてくれた。
無理もない。
収穫量が二、三倍も違ってくるのだから。農薬万歳。人類の科学の勝利だ。
<害虫は倒したいが、自分達が食べて健康を害しては意味がない。だからこそ人にとって毒とならない調整をしているのか>
『はい』
<それは私が食した米粉パンでも同じかね?>
お。
薄いとは言っても毒と聞けば、やはり不安に思うようだ。んー、そこまで神経質に捉えてはなさそうだけど。
「そうですね。ケイティさん、提供してる米粉パンの原料の場合、使っている農薬量に違いってありますか?」
「はい。街エルフのように長命となると、人族の生涯であれば影響がない濃度の農薬も害になる可能性を考慮しなくてはなりません。その為、手間はかなりかかりますが、大きな虫は熱線術式で倒し、小さな虫の場合は、その虫のいる部分にだけ妖精人形が農薬を吹き付けるといった形で、農薬の使用量を大きく減らしています」
なるほど。
風を起こすこともなく自由に稲の間と飛び回って、稲の状況を表から、裏からしっかり目視して害虫を発見次第、持参したスポイトのように小さな噴霧器を使って農薬をピンポイントに吹きかける、と。
子守人形が活躍してるとは聞いていたけど、農業においても妖精人形は大活躍してるんだね。ロングヒルでの水田の光景と、共和国でのソレはまた結構違ってそうだ。
「それはかなり手間をかけてますね。鬼族、小鬼族で違いはありますか?」
「鬼族は長命ですが体格もとても大きいので我々ほど農薬の使用量の極小化はしてないようです。小鬼族もまた体は小さいものの、寿命も短いことから、人族程度の使用量としているとのことです」
<農薬とは毒物の別名と捉えれば良いのか?>
んー。
『今では農業の生産性を高める薬剤全て、といった概念になってるので病気の予防薬や治療薬も含まれます。稲の病気の場合、治療できる薬がない場合も多く、その場合は病んだ稲を水田から取り除いて焼却処分するしかありません』
他の健康な稲まで病に侵されないよう、隔離して処分する、というのは農業においてよくあること、と伝えた。
稲以外の作物の場合だと、種を蒔いてある程度育ったところで間引くのも定番、とも話した。育ちの良いものだけ残して間引かないと、撒いた種を全部育てるだけの土地なんてないのだから、必要な措置である。
農業とは、自然であればあり得ない密度で健康で育ちの良い作物ばかりを育てる、と言う自然では起こり得ない現象を、人の手によって為すモノと言えるだろう。
<まさに世界を望むがままに作り替えていく、地の種族ならではの営みだな>
ん。
『そうですね。自然のままというのが、沢山の賽子を振って、出目のままに任せるのだとしたら、人は六の出目以外は取り除いて振り直して、全てを六の目に揃えるような手間をかけているって感じです。振り直しを延々と続ける分が手間ですね』
ころころっと賽子を振る丁半博打のイメージを言葉に乗せて送ったら、おや、新しい娯楽か、と興味を示してくれた。
<ソレはリバーシとは違う、地の種族の娯楽だろうか?>
『そうですね。先の結果が読めない、ランダムに結果の出る、人類が生み出した偉大なる発明品です。賽子は妖精さん達にも大好評なんですよ』
そこで話を振ると、お爺ちゃんもその通りと太鼓判を押してくれた。
『うむ。こちらに比べて魔力がとても濃い妖精界では、意のままに結果が出てしまうが故に、確率を用いたような娯楽や研究も進んでおらなんだ。リバーシのような娯楽しかなく、力量差があると弱い方は面白くなくてのぉ。それをアキが妖精界でも用いることができる賽子の作り方を閃いてくれたんじゃ。おかげで女王陛下も大喜び。今では国民の多くに普及している娯楽となっておる』
えっへん、と自慢げに話してくれたのと、街のあちこちで賽子を振って遊んでる妖精さん達のイメージを言葉に乗せて伝えてくれたおかげで、伏竜さんも僕もその光景を思い描くことができた。
うん、うん。
楽しそうで何より。それに伝わってきた感じではだいぶ健全に遊んでるようでそれもいい感じ。
<シンプルな形状の賽子二つを、草で編んで作った壺の中に入れてよく振ってから、伏せて置き、出た目を予想するのか。ほぉ>
お。
なんか、興味津々って感じだ。
ん-。
「師匠、すみません、ちょっと竜サイズの賽子と壺を創って伏竜さんに御見せしたいんですがいいですか?」
そう問うと、師匠はなんか凄く嫌そうな顔をしながらも、渋々、声を拾う魔導具を取り、保存方法も含めて皆とよく相談することを条件に了承してくれた。
良し、良し。
◇
それから、ケイティさんに長杖を出して貰って、いつものように創造術式を発動、人の手なら両手で持つくらいの大きな賽子を二つ創り、さらに草を編んで作った壺もドラム缶サイズに拡大して創ってみた。
そして、大きなコマ札もどうせならとばんばん山のようにコピーして、と。
『丁半博打というのは、賽子の出目が偶数か、奇数か当てて遊ぶ娯楽です。当たればコマ札は倍になり、外れれば親に没収されます』
物体移動で賽子を壺に入れてガラガラと振って、中が見えないように伏せる。あ、下に敷くマットはスタッフさんに運んで貰ったリバーシ用の盤で代用した。なので、降ろす時は気持ちそっと置く感じで。
そうして、出目を当てさせてみると、うん、うん、予想通り、竜眼でも全然読めてない。
<なるほど。当たる確率は半々、それにアキが創造した品は壺を通してまで魔力を視るのも無理だ>
『はい。壺の中が見えてしまったら娯楽になりませんからね。あぁ、それとコマ札は、んー、蜂蜜たっぷりパンケーキ一食分をコマ札十枚と交換としましょう。元手がないと遊びにならないので、はい、どうぞ、最初の九枚です』
<一枚足りないが>
いや、そんなマジな目で睨まないで。
『賭場を開く親は手間をかけて場を運営してるので手数料、寺銭が発生します。なので一食の権利を渡すと、コマ札は十枚ではなく、寺銭の一枚を引いた九枚。それほど高い手数料ではないですよね。当たれば倍戻ってきますよ』
ほら、コマ札は当たればじゃんじゃんお渡ししますから、と山を示すと、伏竜さんの目が本気になった。
『それじゃ、そうですね、父さん、トウセイさん、師匠、ちょっと参加してくれます?』
話を振ると、仕方ないって感じで、三人はスタッフ席からこちらの方にやってきてくれた。依代の君も参加したがったけど、スタッフ席に控えていたヴィオさん、ダニエルさんに止められて泣く泣く断念。
『では、ケイティさん、三人のコマ札の交換レートは伏竜様のパンケーキ換算ってことで宜しくお願いします。ではちょっと遊んでみましょう』
そう言って、皆の前にコマ札を九枚ずつ配ると、あー、うん、当然だけど、お爺ちゃんも含めて、ちょっとまて、って感じに睨まれることになった。うん、伏竜様だと、大人数パーティ規模をペロリだもんね。
でもまぁ、賭けは相応に懐が痛いレベルの額を賭けないと盛り上がらないって言うし。
……そんな感じで、残りの時間は、丁半博打を皆で遊ぶことになった。
結果?
うん、参加者が多いのと、根っからの勝負師な師匠が口八丁手八丁で、上手く皆を煽って、コマ札が乏しくなれば、新たに権利を差し出して再び九枚を手に取って、と随分熱く遊ぶことができた。
伏竜様は面白いようにドツボに嵌ってくれて、アップダウンを繰り返し、喜び、狼狽え、冷静さを装い、そして絶望に打ちひしがれて、と百面相を見せてくれた。最後は燃え尽きた灰のようになってたから、負けた分は使い道もなく宙に浮いてた僕の給料から補填してあげて、何とか持ち直して貰った。
ふぅ。
当面、竜族は賭場は禁止ってことで伏竜さんにも同意して貰った。私物という概念が殆どなく、貨幣経済にも触れてこなかった彼らは、やっぱ免疫が無さ過ぎだった。聡いと言ってもそれが博徒のようになれるかと言えば、話は別。まぁ、良い経験になったね。
いいね、ありがとうございます。執筆意欲がチャージされました。
薬と毒の話、発酵と腐敗の話も絡めようかと思いましたけど、話が複雑になる割に語ることは同じなので、シンプルに薬と毒だけにしました。アキの創造術式、便利ですね。竜サイズの道具だろうとその場でぽんぽん創ることができて、完全無色透明の魔力属性もあって、隠せば竜眼でも視るのは無理。
これはもう、賽子振って遊ぶしかないね、ってことで丁半博打をさせてみました。
あと、アキは寺銭として最初から一割引いてますが、なかなかエグいことしてます。あと、丁半博打は丁半出る確率は半々なので、丁、半の賭ける額が同額になるように場を調整して、揃ったら「丁半駒揃いました、勝負」とやるので、そうそう胴元が大負けするってことはありません。
次回の投稿は、七月七日(日)二十一時十分です。