3-19.父の想い(後編)
前話のあらすじ:父との最終訓練ということで一泊二日泊まり込みで、外出してキャンプをすることになりました。時間制限なしということで、安全策を選択したアキでしたが、ハヤトには慎重過ぎるように見えたようです。
今回の訓練は、こちらでの初めての外出であり、外泊でもあり、そして日本を含めて、外でテントで寝るというのは初めてのことなので、何をするのもとても目新しかった。
テントの中には寝袋も用意してあり、準備は万端、寝る前ということで編んでいた髪もゆるくして、のんびりモードだ。
「寝る前に少しだけ話をしようか」
そう父に誘われて、木陰に移動した。淹れてもらったコーヒーはブラックで、かなり苦かったけど、それはそれで美味しかったので、お礼を伝えた。
「――息子が生まれたら、こうして二人でキャンプをしたり、森を探索したりしようと思っていたんだ」
「男の子はそういうのは好きですからね」
「アキはどうだい?」
「もちろん、好きです。非日常だからかもしれないですけどね。普段の生活とは違うことだらけなので」
「そうだね。こうして自然の中にいると、普段鈍っている感覚が研ぎ澄まされていくのがわかるんだ」
確かに。町中にいたのでは気付かない様々な営みが感じられるのは、自然が豊かなればこそ、だ。
「いずれ、アキの起きている時間が伸びたら、見せたい夜景がある。精霊の光が飛び交い、満天の星空が地上に降りたかのような美しい光景なんだ」
「それは見てみたいですね」
蛍が乱舞する様子とかが近いのかな? いつか見てみたいものだね。
「理屈は色々と考えられてはいるんだが、あれを見るとね、ただ、ただ、世界は美しいと。心の中にあった言葉や悩みなんかも、なにもかも消えて、ただ、あるがままに、その光景を受け入れる、そんな体験なんだ」
そう告げる父さんの目は、とても澄んだ輝きに満ちていて、僕もぜひ観たいと思えるものだった。僕よりずっと大人なのに、少年のような輝きを失わないっていうのはこういうのを言うんだろうなぁ、と感じた。男ならそういう面はずっと持っていたいものだとも。
「息子が大きくなったら、酒の飲み方を教えようとか、いろいろやってみたい事があった。勿論、ミアもリアも可愛い子さ。ただ、女三人に男一人だと、やはり少し肩身が狭い」
そうですね、と告げる僕に、同意してくれたことが嬉しい、と本当に楽しそうだった。女性に囲まれて肩身の狭い思いをするというのは、ちょっと想像しにくいけど、女の子ばかりのチームに一人放り込まれた時の経験から推測すると、なかなか大変そうだ。
「女三人寄れば姦しいというのは、日本の諺だが、確かにその通り。話があちこちに飛んだり、戻ったり、複数の話題が同時並行してたりと、話を聞いていると頭がこんがらがってくるんだ」
訳がわからない、と身振り手振り、その混乱ぶりを伝えてくれる。うん、うん、それはわかる。
「で、聞いてないとなぜかすぐバレると」
「その通り。君も経験があるか」
「祖父母の家にいったりすると、そんな感じでした。僕はまだ子供だったので、いつまでも続く会話に飽きて、その場から逃げ出しましたけどね」
「ふむふむ」
男として同意してくれる味方がいてくれることは心強いようだ。父さんも満足そうに頷いた。
「まぁ、多数決で負けると、男の子がいたら私に同意してくれたかな、と思う事もあったのさ」
「実際は個人差の方が大きいとか聞きますが」
「そう、無い物ねだりの話、隣の芝生は青く見えるものだ」
別に父さんは、ミア姉やリア姉を愛していない訳じゃない。ただ、どうしても、ないモノねだりしたくなる時があると。
「それに、息子なら俺を超えろ、と思うが、娘に対してそうは思わないからなぁ」
「そうですね」
僕もかなり先の話だけど、娘が生まれたとしたら、息子のように、厳しく接しようとは思わないだろう。
「父親なら、男なら失敗してもいいから挑戦しろ、と思うものだ。もちろん、危険な場合は止めるが、多少の危険なら、挑戦し、失敗しても挫けない強さを求める」
「男の子ですからね。うん、その気持ちわかります」
うん、うん、その通り。ちょっと厳しい状況があったとしても、それに立ち向かう強さを息子には持って欲しいものだ。
僕の男の子成分もまだまだたっぷり残っていたようで、父さんもだいぶ打ち解けてくれたようだ。
「アキ、込み入った話だが、あちらでの君の父親について、教えて貰えないだろうか」
父さんの問いに、ちょっと考えてみる。いつもいる人だから、どんな人かと問われると、ちょっと考えないといけない。
「――父ですか。そうですね。好き放題やらせてくれたけど、他人に嘘をついたり、約束を守らないと怒られて怖かった覚えがありますね。口数が少ないけど、僕に考えさせて、自分はこう思う、私はそれは悲しい、というように、自分の思いは伝えるけど、考えを押し付けるような事はなかったです」
今までにあった様々な出来事を思い出して、列挙してみる。こうして言葉にしてみると、随分、配慮してくれていたことがわかってきた。
「良い父だね」
「……はい」
僕はその後はも、父さん……ハヤトさんに聞かれるままに、日本にいる父母や姉さんのことを話し続けた。いつも身近にいるのが当たり前で、だからこそ、客観的に見ることのなかった人達。思い返してみると、好き勝手やらせて貰っていたけど、危ないと思えるタイミングではちゃんと止めていてくれたりして、とても大切にしてくれていたことが理解できた。
そうして、話してみて。
好きな人、ミア姉の為とはいえ、全てを捨ててこちらにきたことに、少しだけ胸が痛んだ。
何度でも同じ選択をするとしても。
この心の痛みを忘れてはいけない。……そう思えた。
その時、なぜか思い出したのは日本の母の寂しげな笑顔だった。
僕が冒険モノの話を読んで話していた時、ふと母が僕に向けた表情が、心に遺っていた。
未知への期待、好意、遠くを見ている旅人の目だ、と母が言って、泣き笑いの表情を浮かべていた事を思い出した。
◇
「アキ、あちらと繋ぐ門を作ろう」
父さんはそう告げた。
「そのつもりです」
「……いや、そうではなく。そうなんだが。あちらと繋ぐ次元門はできるだけ早く構築しなくてはならない。そう思うんだ」
父さんは口にした言葉が、薄っぺらいとでも言うように、内に秘めた思いを乗せるように、思いを告げた。
僕はなんと答えればいいか窮して、同意を示すためにとにかく頷いた。
「アキ、いや、マコト君、君は多くの人に愛され、見守られ、大切にされてきた。私も二人の娘を持つ親だ。だからこそ、あちらで、君に向けられた多くの人達の気持ちは理解しているつもりだ。だから、敢えて聞きたい。そんな環境にあって、君は未知を、こちらを求めたのは何故だ? 私にはミアへの恋慕の情だけとは思えない。教えて欲しい」
父さんは大切な家族と一緒にいれば幸せという人のようだ。人と人の繋がりを大切にする人。僕もそれは大切だと思う。
だけど。
…それでも。
僕は自分の気持ちを整理して、答えることにした。
「地球は、日本という国は普通に生きていれば、天災や事故を除けば、天寿を全うする人が大半というほど争いがなく、物と情報に溢れた国です。怪我や病気をすれば治療も受けられるし、誰もが学ぶ機会を与えられ、飢えや渇きとも無縁でした。何十万冊も蔵書のある図書館も無料で利用できて便利でした」
「こちらからすれば、夢物語のような国だね」
「そうですね。絶対評価なら間違いなく百年前の貴族並みの生活を万民が享受していると断言できます。世界中から様々な品を、食べ物を取り寄せ、二十四時間いつでも欲しいものを手に入れられるんですから、貴族並みというか、貴族よりもずっと豊かな生活です。星の裏側から、水を運んできて飲むのって贅沢と思いません?」
硬水だの、軟水だのと言って、世界中の清水を遠路はるばる運んでくるのは、なんとも贅沢だと思う。
「普通に聞いたら正気とは思えないね」
「ですよね。というか、地球でも何十年か前までは、そう考えるのが普通でした。いまではどこの水が美味しい、とか言い出してます」
「それはなんとも贅沢だ」
父さんも呆れたように、でも、理解はできると同意してくれた。
「はい。ただ、そんな国でも、社会は閉塞感があって息苦しく、将来への希望が持てないと答える人が多い国でもありました」
学校で勉強していても、TVを観ていても、ネットで情報を漁っていても、希望は随分と目減りしていた。
「それは何故だい?」
絶対的な指標でみるなら、間違いなく豊かなはず。なのに希望がない。父さんにはなかなか理解しにくい状況のようだ。
「先々まで見通せるせいで、今が繁栄のピークであり、この後は国の借金は増え、街は老人だらけで活気がなくなり、暗い時代が続くと確信しているからです」
「年を重ねた国民が増えると活力が減るというのは我々、街エルフにはピンとこない話だが、まぁイメージはできるよ」
人の国との交流はあるからね、と補足してくれる。良かった。ここで共感して貰えないと続きを話しても仕方ない。
「つまり、安定しているというのは、裏を返せば変わらない、予想通りの未来しかないということか」
父さんが僕の言いたいことを総括してくれた。その通り。
「本当はそこまで決まってる訳じゃないんですけど、だいたいは予想通りの範囲で、あるいはそれより悪くなるとわかってるので。それだと息苦しく感じる人もいる訳です」
僕は日本で生活していた時のことを思い出した。
「もう冒険とか探索なんて話は現実味を失ったんです。惑星全域を人工衛星が探索し、ネットワークが世界を覆いました。もう、わかりやすい未知はなくなったんです。大陸間を小さなボートで一人で渡るような真似も、GPS、えっと複数の人工衛星からの通信で、惑星上のどの位置にいるか把握し、先々の天気予報を入手し、問題があれば、救助して貰えるとなったら、冒険感は薄いでしょう?」
話を聞いた時、なんとも無理に難度を上げるような真似だと感じたものだった。もう最先端の謎に挑むには一般人にはハードルが高過ぎて、そしてもう世界の隅々まで理解が進んだせいで、困難があっても、それは日常の延長線上でしかない、そう理解できてしまった。
「なんとも至れり尽くせりだね。それで、マコト君も息苦しさを感じていたのかい?」
「死ぬまで道筋が見えている地球より、知らないことだらけのこちらのほうが面白い、楽しそうと、そう思ってました。贅沢な悩みですよね」
理性では贅沢過ぎる話だと理解できている。でも感情的にはそれを納得できない。
「今は贅沢かもしれないが、我々は、街エルフは人ごとではないな。魔導人形が発達し、現代魔術によって、危険性は大幅に減少してきた。あと何百年かしたら、ニホンと同様、天災や事故以外で死ぬことはないような世の中にはなっていてもおかしくない」
父さんは、明日は我が身とかなり真剣に受け止めてくれたようだ。……長命種にとって、何か問題があれば、それは後の世代のことではなく、自分達の世代の話なのだから、それは彼らにとって当たり前の感性なのかもしれない。
「皆さんに良くして貰ってるおかげで、こちらでも危険は感じませんけどね」
「そうだね。アキには、そういった些細な事に心煩わせることなく、一番重要なことに打ち込んで欲しい。これは娘を思う父としてではなく、息子を思う父としての言葉だ。そう受け止めてくれ」
父さんは、そう言って僕の手を握った。僕も、ちょっと思うところはあったけど、その手を握り返した。
僕が思いを受け止めて、その上で応えたのを受けて、父さんは静かな笑みを浮かべてくれた。
愛されているのだ、とそう確信できる笑みだった。
ブックマークありがとうございます。執筆意欲がチャージされました。
ハヤトも思うところが色々あったようで、アキの内面に少し踏み込みました。胸の内を話せたことで、互いの距離も縮まったようです。初めは翁にも参加して貰おうかと思ったんですが、書いてみると入る余地がなく、二人だけの小さな旅となりました。
次回の投稿は、十月十四日(日)二十一時五分です。