3-17.姉の想い
前話のあらすじ:ロングヒルに出発する前、母との最後の訓練と、色々と思うところを聞かせて貰ったお話でした。
リア姉との訓練も今回が最後。
森の中を注意深く進み、地面に残された痕跡、意地悪く設置された罠、息を潜めて潜んでいる小鬼達をなんとか間違えずに発見することができた。
リア姉から、まずまずだとも言われる。
次に捕まえっこの遊びをしてみる。訓練の初日は組手をやってみたんだけど、どうしても攻撃を躊躇してしまい、方針を変えることになったんだよね。
◇
実力差もあるから問題ないと言われても、目や喉といった急所を狙おうとすると、どうしても当たってしまった時のことを考えてしまい、手が止まってしまう。
魔法で簡単に治ります、とかいうならまだ吹っ切れたかもしれないけど、こちらの治癒魔術は応急手当の成功率を上げる程度のものだ。それでも凄いことなんだけど。
それにリア姉は可愛いし、お姉さんだし、見た目、華奢な感じだし。
……などと言ってたら苦笑されてしまった。
「アキ、身体強化の魔術があるのを忘れてないかい? こちらの世界は女でそこらの一般兵士より凶悪なのはゴロゴロいるんだ。か弱い乙女なんてのは、探す必要があるくらい稀な存在なんだよ」
まぁ、ここにいるけどね、と僕の肩を叩いてクスクス笑ってる。
むー、それは心外だ。
「でも、リア姉も今は身体強化魔術は使えないよね? それに男性も同じことができる訳で、ジョージさんみたいな人相手にどうにかできる気がしないよ」
手首を掴まれただけで、どうしようもなくなったくらいだったし。
「ジョージか。彼は護衛を生業とするくらいで、上から数えた方が早いという強い男だから、彼を基準とするのはどうかと思う。――と言ってもアキの周りに普通の人、そうだ、この前の祝賀会にいた技術者達。彼らなら、腕っ節は一般人レベルだ。あれくらいなら、何人来ようがどうとでもなりそうだろう?」
「いやいや、あの人達だって、僕より大きい人が多かったし、結構、力も強そうだったよ」
僕の反論に、リア姉は天を仰いで、それから手を組み、額に手を当てて、うーん、うーん、としばらく悩んでいた。
「あれだ、アキはまだ相手の力量を見切る目がないんだね。どうもアンバランスで、そのあたりを失念しちゃうけど、雛レベルだったんだよなぁ。それだと、確かにキツく感じるか」
「武器は使えるよ?」
流石に雛扱いはちょっとムッとした。
「相手が猛獣なのか、見掛け倒しなのかわからないんじゃ、怖くて戦わせられないよ。そうだな、アキは二本足で立つというのが想像以上に不安定だということを、まずは知るところから始めようか。それがわかるようになれば、体が大きいだけの相手を必要以上に怖がる事もなくなるよ」
そう言って、翌日からは組手じゃなく、捕まえっこ、つまり、相手を掴んだら勝ちという遊びをすることになった。といっても簡単に払われて離すようでは駄目、同時に掴んだら引き分け、打撃技は駄目だけど、押したり、足を払ったりはしてもいい、というなかなか荒っぽい内容だ。
髪の毛を引っ張るとか、引っ掻くなんてのも駄目だから、だいぶ精神的なハードルは低くなった。これならできるよ、と僕も答えたんだけど。
◇
そうして始めた捕まえっこ。
リア姉の動きは早くないんだけど何故か避けられなくて、僕が動くと空回りばかり。
おまけに手に意識を向けると、足元を掬われて派手に転んだりと散々。
リア姉のいう二本足の不安定さもよーくわかった。流石にあれだけ転がれば、嫌でもわかる。どちらの足に重心がかかっているのか、
上半身の姿勢によっても変わるし、手を伸ばせば、それだけ不安定になるし、手を上に払われたり、下に引き落とされたら、姿勢は簡単に崩れてしまった。
目は口ほどに物を言うとは、良く言ったもので、僕は次に手を伸ばすところに視線が向くから、行動がバレバレだと注意された。
なら、リア姉はというと、目を閉じていても、まるで問題なく動いて見せてくれた。
背後から手を伸ばしても、ギリギリで避けられて、ほんの数センチ伸ばせば指が届きそうな頭をそのまま狙ったら、すり抜けるように立ち位置を入れ替えられて、そのまま足元を払われて一回転して、背中から地面に落とされてしまった。
「あっつぅ……今、リア姉、こっちを見てなかったよね!?」
「大気の揺れとか、音、息遣いとか、踏み込む足から伝わる振動とか。情報は色々あるから、まぁ、このレベルはまだ入門編だよ」
差し出してくれた手を掴んで立ち上がったけど、目の前に立つリア姉は、今の僕と大差ない体格で、強そうな印象は感じられない。
「うーん、全然わかんない」
「普通と逆の意味で、アキの今置かれてる環境だと、力量がよくわからないかもしれないね。誰もが師範レベルで、比較しやすい並の人がいないから」
「並の人かぁ。新兵さんの訓練風景を見学させて貰うとかできないかな?」
「まぁ、機会があれば頼んでみるよ」
ただ、なんと言って申し込むかが問題だよなぁ、とリア姉はボヤいていた。確かにこれから行くロングヒルは他国だから、そんな国の新兵が見てみたいなどと言ったら、色々と誤解されそうだ。
まぁ、贅沢な悩みだよね。うん。
◇
捕まえっこも、僕の体力切れで終了し、ちょっとお話しようか、とリア姉が言い出したところで、庭木の上から、優雅に音もなく、トラ吉さんが降り立った。
「にゃ」
よぉ、とでも告げるように短く鳴くと、当たり前のように僕の隣に並んだ。
「リア姉、話はトラ吉さんが一緒でも大丈夫?」
「トラ吉もロングヒルに行くから一緒に話を聞いて貰おう」
リア姉に促されて、防竜林の一角に敷かれたシートに並んで座った。トラ吉さんはここが指定席とでも言うように、僕とリア姉の間に座り込む。
木陰に入ったおかげで、だいぶ涼しくなった。風がそよいでいて気持ちいい。
「捕まえっこの遊びがあちらでもできればいいんだけど――そうだ、トラ吉。あちらでアキと遊んでやってくれ。トラ吉に肉球で押されたらアキの負け、アキがカウンターでトラ吉を抱きしめられたら勝ち、だ」
「にゃう」
トラ吉さんは、まぁ仕方ないか、とでも言うように、ちょっと気の抜けた声を返した。
リア姉が背中を撫でるのにも、うむ、まぁまぁだ、と言った感じの表情を浮かべている。
「リア姉、本気で動いた猫は、人では捕まえられないよ」
「遊びだからそこは平気さ。捕まえられそうであと少し手が届かない、その加減が上手いからね、トラ吉は」
そう語るリア姉は、懐かしそうな顔をしていた。
「リア姉も遊んだの?」
「たくさん遊んで、遊ばれたよ。疲れて倒れたところを、近付いてきたトラ吉が前足の肉球で頬をぐりぐりと押しながら、挑発するように鳴くと、自然とまた力が湧いてきてね。もう一歩も動けないってとこまで、遊んだものさ」
「凄いね、トラ吉さん。猫科は長期戦は苦手なはずなのに」
「トラ吉との遊びは短期決戦の繰り返しだから。それにトラ吉の気が乗らない時は遊ばない。無理強いはしないようにね」
「わかった。猫だもんね」
「うにゃー」
トラ吉さんが不満げに鳴いた。
「トラ吉は角猫だから、猫とは少し違う。そう言いたいんだろ?」
「にゃう」
うむ、わかっているな、と言った感じだ。
「さて、アキ。他国に行くから、念の為、助言しておくよ」
「何?」
「もしかしたら、魔力属性や魔力強度絡みで心無いことを言われることがあるかもしれない」
少しリア姉の表情に硬さがある。昔、何かあったのか。……あったんだろうなぁ。
「リア姉、僕は魔力がないのが当たり前の世界で過ごしてきたから、多分、その辛さも、相手が込めた悪意もよくわからないと思う。魔力属性や強度関連で困らないように、色々して貰っているから、不満もないし」
僕の返事に、リア姉の表情が曇る。
「不満がないと言って貰えたのは良かった。だけど、今の環境は箱庭だ。いつかは出る日が来る」
それはそうだよね。部屋から出たくないでござる、ここだけで満足でござる、なんて子供が言い出したら、世の父母はパニックに陥ること間違いなしだ。
「それはいつかであって、今じゃないから。だから、そうなった時に考えることにするよ。ほら、お爺ちゃんの妖精界の話と同じで、色々面白そうなのは想像できるけど、だからこそ、敢えて話すのを止めて貰う。それと同じだよ」
それはそれで興味はあるけど、妖精界すら情報を止めているのだから、こちらの世界の事だって、優先度を決めて、必要以上の情報は遮断しないと、僕がパンクしちゃう。
「……そうだね」
リア姉がなんか色々言いたい事があるのに、全部飲み込んで、なんとか同意の言葉を呟いた。ちょっと、この話の流れは駄目だ。
今考えても仕方ない事なんだから。そんなのは後、後。
「だから、僕が怒るとしたら、悲しむとしたら、それはリア姉を指して言われた時だと思う。リア姉はそれで辛かったり、悲しかったりしたんだよね?」
ミア姉やリア姉のことで酷いことを言われたら、絶対そのままにしないからと、手をパチーンと叩いてみせた。
ぼくも男の子だからね。譲れない事の一つや二つはあるってものだ。
僕の言葉に、きょとんとしたリア姉は、僕の伝えたかった気持ちを理解したようで、次の瞬間、にへら~と表情を崩した。火照った頬に手を当てて、体をクネクネさせて悶えてる。
「あー、もう可愛いなぁ。やっぱりお姉ちゃんとあと五十年くらい一緒に暮らそう」
「気持ちは嬉しいけど、今はミア姉が最優先だから!」
僕の手を取って、それはもう嬉しそうに振り始めたり。トラ吉さんが目をまん丸にして、ひょいと距離をとって、リア姉のハイな様子を凝視してる。
「わかってるさ。ちょっと我儘を言いたかっただけ。――もし、何かあったら私に、お姉ちゃんに言うこと。理不尽なら、私のほうで大概は何とかできるから」
なんか、色々吹っ切ったのか、ぶっ飛んだことを言い始めた。
「それはどうして、どうやって?」
引き篭もりで有名な街エルフが、人脈を駆使するというのは、ちょっと結びつかないし、遠く離れた地なのに、リア姉が直接何か出来るとも思えない。
「あー、ちょっと昔、荒れてた時期があって、同期の男達を全員、のした事があるんだよね。そのせいか、未だに私が『お願い』すると、色々と気を使ってくれるのさ」
うわー、まさかの昔はヤンチャしてました宣言。というか少しは聞いていたけど、まさか全員とは……
それに、軽い口調で言ってるけど、街エルフが、長命種が、将来に遺恨を残すようなヘマをするとも思えない。
詳しく聞くのは止めておこう。僕のストレスを増やさないためにも。
「私のアキにちょっかいをかけるようなアホがいるとしたら、私より下の世代だろうからね。上役の方を締め上げれば、下を窒息させるのは簡単だよ」
ぎゅっと首を絞めるジェスチャーをしてるけど、それは鶏を締める時の仕草だから!
「後で拗れたりしないようにね」
「当然。人生の長い街エルフは、その辺りは得意だから、安心していいよ」
全然安心できないけど、気にしても多分、仕方ないこと。いつか教えて貰おう。僕がリア姉の人生を、今までの歩みを受け止められるだけの余裕ができたら。
でも、ちょっとだけ聞いておこう。ミア姉のことでもあるから。
「ミア姉は、頼もしかった?」
そんな妹をミア姉が放っておく筈がない。だからこれは確認。リア姉にとってのミア姉はどんな人なのか。
「――そうだね。ミア姉は私にとって頼りになって、愚痴を聞いてくれて、自分のことのように怒って、泣いて、笑って、悲しんでくれる人だ。大切な人、私の、私だけの姉さんだよ。あ、ごめん、私とマコトの、アキだけの姉さんだね」
「うん」
やっぱり思った通りだった。聞いて良かった。
「そうだ。確か今の大使はジョウだったね。良し、ロングヒルに行く時に、彼宛の手紙を渡しておこう。私からの手紙で、渡されたらすぐ読むようにと言付かっていると伝えればいいよ」
「それって、伝言より手紙がいいの?」
「書面の方が効果的な事もあるんだよ」
リア姉が悪そうな表情でニンマリと答えた。
「わかった。手紙を渡して、すぐ読んでとお願いするね」
ちらりとトラ吉さんを見たけど、いつもの事といった感じで、何故か器用に溜息をついていた。
ブックマークありがとうございます。執筆意欲がチャージされました。
今回は予想以上に難産でした。トラ吉さんが間に入ってくれたおかげで話がうまく動いてくれてホッとしました。次回は家族の最後、父、ハヤトとのお話です。
次回の投稿は、十月七日(日)二十一時五分です。