3-12.翁、全方位質問に苦戦する
前話のあらすじ:ロゼッタさんが、朝の支度手伝いを始めました。それと翁(妖精)がいろいろ聞いていた側から、聞かれる側に変わりました。
風呂から上がって、後は寝るだけというタイミングで、ロゼッタさんが足のマッサージをすると言い出した。ミア姉が僕に変わってから、運動量もだいぶ増えたので疲労が溜まっているはず、とのこと。
特に拒む理由もないので、お願いすることにした。
ベッドに足を投げ出すように座って、正面に用意した椅子に座ったロゼッタさんが、僕の足を爪先から踵、脹脛、膝裏と触って色々と確認している。
メイド服の可愛い女の子に、足を触れられるというのは、非日常的で不思議な光景だなぁ、などと眺めていた。
「やはり、少しお疲れのようデス。力を抜いてリラックスしてくだサイ。香りも足しまショウ」
ロゼッタさんは、持ち込んでいた箱から、筒状の道具を取り出して机の上に置くと、指を添えて「動作開始」と呟いた。
上部の筒は半透明だったようで、暖かい淡い色で発光し始めて、上部のスリットから霧状の気体が吹き出し始めた。
「これって、超音波式の芳香器ですか?」
「ハイ。火を使わないので安心できると、人気の商品デス」
「この香りはなんでしたっけ?」
なんだか落ち着くいい香りだ。
「ラベンダーでスネ。ミア様が好まれた香りの一つデス」
そっか。ミア姉と会っていた夢の中の部屋の欠点の一つが、香りがないことだった。いい匂いというイメージは共有できても、本当に嗅いだ時のように具体的な感覚までは持てない、そんな感じ。まぁ、夢なのだから仕方ないところだね。
ほんのりと温かい光とラベンダーの香り、静かな午後の部屋でメイド服の女の子に寝室でマッサージをして貰う。
……なんだか、状況だけ羅列するととってもゴージャスでリゾートな感じに思える。実際、とても贅沢な状況だけど。
ロゼッタさんは足の裏から、まずは指を一本ずつ、丁寧にしごいていく。足ツボマッサージのように力を込めてツボを押すのではなく、一定の範囲を指で押してほぐしていく感じだ。
指の付け根あたりを左右に広げるように押したり、土踏まずから踵のほうを押してみたりと、足の裏全体を丁寧に刺激してくれる。
なんとも心地よく、少しうとうとし始めたら、目を閉じていていいとのこと。
「私のマッサージは、リア様もお気に入りで昔はよく、やってやってとせがまれたものデス」
懐かしい昔の素敵な記憶を、ちょっとだけ伝えましょう、といった感じで、ロゼッタさんの声もとてもやさしい。
やって欲しいと強請る気持ちもわかるなぁ……
「今度こそ最後まで起きてるー、とか言うけど、やっぱり最後は寝てしまって、恥ずかしそうなリア様が可愛かったデスヨ」
踝から踵のあいだを押したり、足の甲の方を押したりとだんだん上の方の刺激に変わっていく。足首から膝裏までを手の平全体で包み込むようにして擦り上げ、最後に膝の裏をよく揉んでくれた。
血行が良くなってるせいかポカポカしてきて、なんとも心地いい。
「そのまま寝てもいいでスヨ」
確かにそれは素敵な選択だ。僕はその言葉に従うことにした。ここまでリラックスした状態から、また起きるのは面倒臭い。
ロゼッタさんの言葉を子守唄に僕はそのまま眠りについた。
◇
質問の攻守交代が起きてから、お爺ちゃんの元気がない。
どうしたのかな?
「お爺ちゃん、どうしたの? なんか元気がないけど」
「アキ、お主の言ったことが骨身に沁みたぞ。興味のない分野を延々と聞かれることが、これほど大変とは思わなんだ」
研究者として、興味のある分野ばかり食い散らかしていれば、そんな感想も出てくるかも。
「それでも、普段触れない分野なら、ある意味、新鮮でしょう? それに分野が違っても案外、似通った部分は見つけられるし」
知らなければ、調べる。聞く。そうして生まれた新たな疑問、気付きは案外、馬鹿にならない。好きな分野ばかり見ていると、思考がどうしても偏ってしまう。ミア姉にも良く言われたことだ。
「確かに、妖精界でも、見向きもしなかった話を聞いて回って、頭でも打ったのかと心配されたわい」
「大変なだけだった?」
「いや。確かに初めは冷やかしじゃろうとあしらわれたが、儂が本当に聞いて理解を深めたいのだとわかると、ちゃんと教えてくれたぞ。わからないなりに理解しようと頑張れば、話のレベルも合わせてくれたからの」
「物質界研究にもいい影響がありそうだね」
「うむ。以前の儂は木を見て森を見ず、じゃった。少し顔を上げれば広大な森が広がっておったのに、気付かなんだ」
「良かったね」
「うむ。いずれはアキの故郷についても知りたいところじゃが、足下も覚束ないのに、空を見上げては躓いてしまうからのぉ」
「空?」
「儂は物質界を森に例えた。じゃが、ケイティに言われたのじゃよ。アキのいたあちら側は、空に浮かぶ星々の世界のようなものじゃと。瞬く星々は遠くにあるから小さく見えるだけで、実際には太陽のように熱く燃える恒星だと聞いて、そのスケールのあまりの大きさに、意識が飛ぶほどじゃった」
「うんうん、あっちでも、宇宙の話は大人気でね――」
「アキ! 待て、待ってくれ! それ以上語るのはあまりに酷い。お願いじゃから、儂から聞くまでは話さんようにしてくれ。知りたいことが多過ぎて、これ以上増えたら、頭が沸騰してしまいそうじゃ」
「あー、うん。じゃ、暫くは後回しってことで。僕も妖精界のことは色々聞きたいけど我慢するね。それこそ訓練に身が入らなくなっちゃうから」
「そうじゃのぉ。こんな嬉しい悲鳴をあげることになるとは、本当に夢のようじゃ」
お爺ちゃんは幸せ一杯の気持ちを表情だけじゃなく、全身で表現してくれて、見てるだけで僕も幸せな気分になってきた。
「この分だと、いずれ、妖精界でも物質界趣味が流行するかもしれないね。地球でのジャポニズムみたいに」
「それはどんなもんじゃ?」
「絵画とか装飾品のデザインとか衣装といった文化的なものがね、それまでなかったもので、しかも自分たちのものとは別の方向性で洗練されていたこともあって、芸術家とか職人さん達が衝撃を受けたんだよね。それで当時の日本文化を持て囃す流行が生まれてね。それをジャポニズムと呼んだんだ。あ、物質界趣味というと枠が大き過ぎるかな。街エルフ趣味って感じになるかも」
「そんなものか」
「街エルフと言えば航行技術、帆船だよね。水平線の向こうを超えて航海するとか、妖精さんにはない文化じゃない?」
「確かに川や泉あたりは手を出しとるが、海を越えていこうなどとは考えたこともなかった。それに儂らの場合、浮島に行く方が先じゃったからな」
「浮島というと、山みたいに大きな塊が空を自然に飛んでるの?」
「そうじゃ。あの雄大な景色はぜひアキにも見てもらいたいのぉ。ずっと眺めていても飽きず、日が暮れてしまうほどじゃ」
「それは素敵だね」
◇
「っと、話が横道に逸れちゃったね。それでお爺ちゃんも、こちらの館とか部屋とか家具とか、変わってるなぁ、とか思わなかった?」
「それは儂も思ったが、それが流行とまでなるとは、ちと想像がつかん」
「芸術家はね、いつでも目新しいことが大好きなんだよ。伝統の真似だけしていても、同じことができる人なら他に沢山いるから。他の誰でもない、自分だけの作品が作りたくて仕方がないんだよ」
「……そうか。だからあんなにしっかり見てこいといっておったのか」
「その方、芸術家?」
「うむ。彫刻を得意としておる奴じゃが、絵画、版画、建築、地理学、物理学、魔術など、やたらとあちこちの分野に手を出しとる変人じゃよ」
「それで見てこいって、お爺ちゃん、絵は描けるの?」
「描けるが、描く時間が惜しいから、思考連結で記憶を渡したんじゃよ」
「おー、なんか凄そう」
「ところが奴は、観察眼がなっとらん、構造の理解が足りない、材質の見分けができてない、全体像がわからない、妙なところばかり注目し過ぎと、それはもう不満タラタラでな」
「素人に専門家と同じ視点は無理だと思うなぁ」
「そうなんじゃよ。せめて絵を持ち帰る事ができれば、話は早いんじゃが」
「興味に対して、得られる情報は質、量共に足りてない、と。ところで、さっき言ってた思考連結って、便利に使われているの?」
「いや。余程のことがない限りは使わんよ。何せ一緒に感情も付いてくるし、何より副作用が酷い」
「……どんな副作用?」
「例えるなら酷い二日酔いじゃな。それに記憶の混濁が原因じゃから、薬も魔術も効果がない」
しかめっ面をしたお爺ちゃんが、頭に手を当てて、頭が酷い状態を表現して見せた。そこまで酷いんじゃ、そうそう利用する訳にはいかないか。
「残念、話すより共有すれば早いかと思ったけど、なかなか上手くいかないものだね」
「そういうことじゃ。さて、儂もベリルと話をしてくるとしよう。次は暗号技術じゃったか。面倒臭いがこれもお勤めじゃ」
「頑張ってね」
暗号かぁ。錠と鍵と考えれば、魔術的な奴も色々あるんだろうな。うーん、聞きたい、聞きたい、でも我慢、我慢。
……お爺ちゃんのこと、言えなくなってきたね。ちょっと意識を切り替えて、訓練に集中しよう。
ロゼッタさんのスキンシップ作戦その2と、翁(妖精)が全方位から聞かれることの大変さを経験したお話でした。
次回の投稿は、九月十九日(水)二十一時五分です。