2-24.新生活五日目③
前話のあらすじ:こちらの国の在り方、交易(主に輸出品)についての話でした。
今日の魔力知覚訓練は、猫用のブラシを携えて、敷物も用意して準備万端だ。
岩の上を見ると、トラ吉さんが欠伸をしながらこちらを眺めていた。
「遅れてごめんね。ブラシで毛繕いをしたいんだけど、降りてきてくれるかな?」
「みゃー」
トラ吉さんはふわりと降りてきたので、敷物を広げて、座ってスタンバイOK。
膝の上には乗らず、隣に座ってくれた。やはり賢い。
「それじゃ、まずは毛並みを確認するからね。絡まったところがないか見ていくよ」
とりあえず、頭、首と触ってみて毛の流れと、絡まりがないか確認していく。
特に問題ないようだ。
「背中を触るよ」
背中も毛の流れに合わせてみていく。
「足先と尻尾も触るから、嫌なら教えてね」
大人しくしてくれているので、足先までみて、尻尾も注意しながら確認していった。
問題なし。ブラッシングの準備はOKだ。
「それじゃ、ブラッシングしていくよ。頭、首、背中の順番で」
毛並みに合わせてゆっくりとブラシをあてていく。毛並みの色艶も良く健康状態は問題ないようだ。
体が大きいから、ちょっと時間をかけて。
問題ないようなので、尻尾と足先も。
目を細めて、ノンビリしている感じだ。
「トラ吉さん、お腹はどうする? やっていいならお腹を向けてくれるかな?」
僕の提案に、一拍ほど間を置いて、ゴロリと身をくねらせて、お腹を向けてくれた。
表情からすると、お腹に触る事を許してやろう、とでも言った感じだ。
「じゃ、顎の下とお腹をやるからねー」
毛の流れに合わせて、ゆっくり、ゆっくり。特にお腹は強くなり過ぎないように気をつけて。
トラ吉さんがゴロゴロと喉を鳴らした。機嫌はいいようだ。
「はい、トラ吉さん、終わったよ」
全身を一通りブラッシングできて大満足。
大人しくしてくれていたし、やっぱり良い子だ。
「まさか、トラ吉が借りてきた猫のように大人しくしているなんて……」
「いつもは違うんですか?」
「リア様がブラシを持ち出すと、逃げ出しますね」
「そうなの?」
「にゃー」
トラ吉さんは、仕方ない事と言わんばかりになくと、前足をぴんと張って伸びをしてから、岩の上に戻って、丸くなった。
「トラ吉さん、またね」
僕の問い掛けに尻尾を振って答えると、目を閉じて寝てしまった。
とりあえず、ブラッシングがうまくいってよかった。
「さて、アキ様。訓練をしましょうか」
「あ、はい」
笑顔のケイティさんに気圧されて、僕は魔力感知訓練を始めた。心穏やかに、かなりいい感じに集中できたと思うんだけど、魔力っぽい何かは感じられなかった。
やはり、このままだと難しそうだ。
◇
今日の昼食は青椒肉絲にご飯、スープ、それに水餃子までついている。幸い、量は調整してくれているので丁度いい。ピーマン、牛肉、筍は全て同じ太さ、長さで切り揃えられていて、しゃきしゃきした歯応えが嬉しい。日本で外食で出されている場合と違い、味付けも控えめなのはありがたい。水餃子のつるんとしていて、もちっとした食感が美味だ。
「御馳走様でした。ピーマンの色が鮮やかでしたが、油通しをしたからでしょうか?」
旨味がぎゅっと閉じ込められている感じがして、単なる家庭料理のレベルとは思えない。
「その通りだ。昔、湯通しもしてみたが、やはり油通しに比べると味がぼやけていまいちだな」
「油を沢山使うから大変だけど、こればかりは父さんの意見に賛成ですね」
父さんも母さんも、なかなか凝り性なようだ。凄いなぁ。
「家庭料理の域を超えてる気がするけど、もしかしてリア姉もこの味が出せるの?」
「残念だけど、私が作っても、まぁ、普通ってところだよ」
ちょっと安心した。これでリア姉もこの域なら、僕もそれなりにできないと不味いところだったろうから。
烏龍茶を飲んで、ちょっと一息。
さて、昔、ミア姉と話をしていた頃のことで、こちらで試してみたいことがあったからそれを聞いてみよう。
「ミア姉と夢の中でお話ししたり、イメージを直接、受け渡ししてたんですが、魔力がある今、同じ事をやったら、魔力知覚の訓練にならないでしょうか?」
話すのでもなく、ジェスチャーで伝えるのでもなく、心を触れ合わせる、そうとしか言いようのない方法で、経験した事や記憶をそのまま相手にわたせるのは便利で面白い経験だった。ただ、感情までセットで渡されてしまうので、中学生くらいになった頃からは控えるようになった。
いくら親しい間柄と言ってもやはり恥ずかしいもので、ミア姉もまた、受け取った後、気まずそうな顔をしていた。
それから、感情をうまくコントロールして、話題に限って受け渡しできるように二人して特訓したのもいい思い出だ。
ただ、それから、心を接触させる交流が当たり前になってたせいで、それが普通の会話と違うということを失念していた。
「うーん、あれか。私は駄目だ。ケイティはどう?」
「私もせいぜい並と言ったところで、第一人者であるミア様とは比較できるものではありません」
「母さんは?」
「私達くらいの年代になると、ちょっと難しいわね。やはり、活力に満ちた心でないと。この中ではケイティが一番期待できるかしら」
「リア姉は? とっても活発だと思うけど」
「心を触れ合わせるのは、相手の魔力を感じ取ることが目的だろう? そうなると、アキと同じ完全無色透明な魔力の私は、一番不適格なんだ。まずまともに認識できる人がほぼいない。そして、最大の問題は、自分と異なる魔力を知覚したいのに、アキと私は魔力性質が全く同じで、認識できたとしても自分の魔力としか思えないだろう。だから、私では駄目なんだ」
「父さんはどうですか?」
「済まない。私は心を触れ合わせる魔術、いわゆる心話が大の苦手でね。力になれそうにない」
物理な話でないせいか、本当に苦手そうだ。
誰にも得手、不得手はあるから仕方ない。
「アキ様は、私と触れ合わせることに不安はありませんか? 心話は何よりも相性が重要で、無理そうだと少しでも感じたら、ほぼ成功しない魔術なのです」
「そうですね……もし、僕が誠のままなら、きっと恥ずかしがったでしょうけど、今はどんな感じか興味の方がありますね。あ、これって不味いかもしれません。僕の中の男成分が減っているのかも」
「アキ、体に違和感があったりするのか?自分の体ではない、本当は自分は男なんだ、と内から湧き上がるような強い衝動のようなもの、違う器に入れられてしまったような体に対する拒絶意識や嫌悪感といったものだ」
リア姉がそれまでと変わって、真剣な表情で問い質してきた。
「いえ、そういった感覚は特にはありません。ただ、ないのが不思議だな、とは思ってました」
「そうか。ならいい。魂と体が合っているのは幸いだ。アキが元の体に戻れば、男っぽさは自然と出てくるから心配はいらない。今は無理はしないことだ。あるがままに受け入れる、今はそれくらいの姿勢の方がいい」
「はい。それで、話を戻しますが、ケイティさんはどうですか?僕はケイティさんが相手だと嬉しいですけど」
「……わかりました。力不足ではありますが、試みてみましょう。ただ、アキ様」
「何でしょうか?」
「先程のような言葉は、よほど親しい間柄の方か、大切な方でなければ言ってはいけませんよ」
ケイティさんの言葉に父さんが頷いた。
「確かに、そうだな。特に男相手に言うなら、まず先に我々には相談しなさい」
「えっと、なんだか大事みたいな?」
「アキ、先程の言葉は、意中の相手に捧げる言葉なのよ。私はそれだけあなたの事が大切で、親密になりたいのです、と」
「え? そうなんですか?」
「心を触れ合わせるためには、相手との間に心理的な壁があってはうまくいきません。二人がそれだけ親密になりたいのだ、という意思表示なんですよ」
「えっ、えー、そんな、僕にはミア姉がいる訳で、そんな不実なことを――」
浮気性は駄目だ。
「アキ様、別に恋仲だけではありませんよ。師弟の間であったり、親兄弟であっても成り立つ話ですので、安心してください」
「ケイティさんからみて僕は、どんな感じでしょうか」
「答えてしまっても良いのでしょうか、アキ様」
ケイティさんが、ちょっと小悪魔な感じの表情を浮かべている。思わず『はい』と答えたくなってしまうところだけど、ここはぐっと我慢だ。
「やっぱりいいです。どう答えて貰っても、うまく受け止められる自信がありません。今はケイティさんが、心話の行使を引き受けてくれた、それで十分ですから」
「賢明な判断と思います」
うーん、なかなか良いアイデアだと思ったけれど、実は難しい話だったのか。
でも、何にせよ、ケイティさんが引き受けてくれてよかった。
ケイティさんなら安心だ。
「あ、心話って、トラ吉さんともできるんでしょうか?」
「親しくなれば可能もしれない。ただ、トラ吉が心話魔術を使うとも思えないから、アキが使えるようにならないと無理だね」
「リア姉は試したことはないの?」
「そこまでしたい、と思ったことはなかったなぁ。だいたい、ペットは話さないからいいんだ。話をせずとも心を通じ合う感じのほうが素敵だと思わないかい?」
「んー、それはそうかも」
ペットが話す愚痴に延々と付き合うとかなったりしたら、気が滅入りそうだ。
「いずれにせよ、先は長いですね」
「その通り。だが、進まなくてはゴールには辿り着けない。遠くを見据えながらも、着実に一歩ずつ進むのが、結局は近道だよ」
リア姉の呟いた言葉は、経験によるものなのか、心に響く重みがあった。
次回の投稿は、六月二十四日(日)二十一時五分です。