2-17.新生活三日目⑥
分岐点の三日目ラストです。
お茶を飲みつつ、ケイティさんを含めて四人の反応を伺ってみるけど、頭から否定してたり、逆にもう手遅れかもしれないと、悲観論に傾いているような雰囲気ではなくて良かった。何せ可能性ばかり論じていて、証拠を出せと言われてもどうしようもない話だから、どうしてもこの手の話題は、相手が多くの垣根を越えてイメージを膨らませることができる人でないと、まともな議論にならない。
「――確かに争ってる場合じゃなさそうだ。調べるなら早いほうがいいだろう。ところでアキは何か解決策はないのか?」
皆を代表して、父さんが判断を告げた。そう、まずは調べないと。……で、解決策、解決策か。
「そうですね、すぐ思いつく策は二つ。仲間を切り捨てず支え合うことと、国民全体が高い知性と知恵を持つことですね」
「どちらも、我々が普通に行っていることと思うが、具体的にはどういうことだろうか」
「例えば、重い難病にかかり、体の殆どの筋肉が動かなくなり、話すこともできず、僅かに動く筋肉を使って、機械の補助を受けて、とてもゆっくりではあるけど意思疎通できる人がいたとします。生活することを支えていくだけでも大変ですよね」
「そうだな」
「でも、今言った人、ホーキング博士というんですが、地球では比類なき偉大な理論物理学の研究者でした。そんな状態になってから五十年という期間、研究の最前線で人類を牽引し続けた偉人だったんです」
「そんな状態で五十年もか」
「彼に対して普通の天才程度では何人いても勝負にならず、七十億の人がいても、彼の叡智の代わりにはならなかったんです」
「つまり、そんな状態でも支えていたからこそ、その叡智をあちらの人々は得られたということか」
「はい。沢山生んで、戦争で選別する小鬼族とは対極的な生存戦略ですよね。僕はここを違えてはいけないと思います。小鬼の真似をしても彼らの世代交代ペースには追い付けないんですから」
「こちらでも、傷を負って退役した軍人が、後進の指導に当たっているが、そういったことだな」
「その通りです」
「それでもう一つは、国民全体が高い知性と知恵を持つ、だったか」
「はい。似たような話ですが、地球で三百年ほど前、現代化学の父とまで言われたラヴォアジエは、革命政府の方針で、前の王の元で働いていた役人だからというだけで逮捕され、弁護人が彼の偉大な功績を持ち出して弁論したんですが、『共和国に科学者は不要だ』と裁判長に言われて、裁判を行ったその日の内に断頭台の露と消えました。『彼の頭を斬るのは一瞬だが、彼と同じ頭脳を持つ者が現れるのには百年かかる』と同じ時代の天文学者にも嘆かれたほどの蛮行でした」
僕の話を聞いて、ここにいる皆が信じられない、という表情をしている。
「無知とは罪なのです。地球では最近だと、最先端の数学は極限の難度に達していて、新しい証明が出ても、それを検証できる人が五人しかいないというほどなんです。残りの七十億人を連れてきても証明の役には立ちません」
「つまり、優れた研究者は必要だが、その必要性を理解できる国民でなくてはならない、そう言いたいのか」
「はい。この場合、一部の、例えば、政治家だけが理解できる、では駄目です。理解できない国民が、そんなものはいらない、と大合唱したら、いくら正しくても、研究を推し進めることは難しいはずです」
「……そうだな。だから、我々は成人の基準を厳しく定めている」
父さんも思うところがあるようで、深く頷いた。
「街エルフのとても良いところですよね。一通り経験していて、一定以上の水準をクリアしている人が国民のほとんどを占めているんですから。ただ、その水準を保つために時間がかかり過ぎていて、そのままだと人族には流用できないのがネックです」
「難しい話ね」
母さんも、人族向けにどうすればいいか、という話は難問と理解してくれた。
「どちらも重要だが即効性のある策ではないのが残念だね。他に何かないかい?」
リア姉の言う通り、どちらもすぐに実現するのは難しい。けれど、他に、かぁ。
「うーん、小鬼族がこちらの技術を模倣できるだけの力を持っているというのが厄介なんですよね。新しい技術を開発するのに労力が千必要だとして、それの内訳は九百九十九の失敗を見つけて、一つの成功に辿り着くといった具合に、なかなか成功には結びつかないものです」
「そうだな。実りのでない研究をそれでも続けるだけの忍耐力がなければ開発は実を結ばないものだ」
「ところが、成功事例があれば、おおよその向かうべき道筋はわかるので、後追いは十も労力を投入すれば追い付けるんです。実際、耐弾障壁の優位もさほど長くは続かなかったのでしょう?」
「……そうだ」
あぁ、やっぱり。戦線が拮抗しているということからして、技術的優位は長くは続かなかったとは思ったけどやっぱりそうか。
「小鬼族の勢力が十分に大きく、質で凌駕しようにもすぐに、その質に追い付いてくるとなると、状況はかなり厳しいと言わざるを得ません。それこそ、小鬼族のように、人や鬼も模倣して結果に結び付けられるような話でもあれば別で――」
そこまで話して、ちょっと閃いた。ちょうどいい話がある。しかも予算が少ないというミア姉の救出作戦もぐーんと予算を増やせるおまけ付きだ。
「どうしたんだ、アキ」
「いえ、そうです、人も鬼も模倣しましょう。手頃な情報源があるじゃないですか」
「手頃な情報源、それはもしかして、あちらのことか?」
「そう、地球の情報を手に入れて、それを元に新規技術を開発していきましょう。今、地球は技術革新が加速度的にペースアップしているからちょうどいいです。今後の十年は、過去の百年にも勝る躍進が見られるはずです。そのためにも地球と恒久的な世界間の門、次元門といったところでしょうか。それを確立することは人や鬼の未来を掴むことに繋がりますよ。ついでに次元門ができればミア姉もこちらに帰ってこれるし、万々歳じゃないですか」
「アキ? あちらの技術が凄いことはわかるけれど、流石にそこまでの変化はないと思うわ」
母さんの疑問もわからないでもない。けれど前提条件を知れば、僕の言ってる値が『最低でも』と注釈が付くレベルだと理解できるはず。
「地球でも、世界中が一つのネットワークで繋がって世界の裏側とでも隣にいるかのように情報交換できるようになったのはここ数十年といったところです。それにコンピュータが世界人口七十億人の人数より多く増えて、膨大な計算能力を研究に回せるようになったのもやはりここ何十年といったところですから、技術開発が本格化するのはこれからですよ。ほら、百人が連絡も取り合わずバラバラに開発するより、頻繁に会って情報交換しながら開発したほうが成果を出しやすいものでしょう?」
「それは、そうね」
「それが七十億人です。しかも同数以上のコンピュータもある。こちらで言えば、百四十億人相当のマンパワーを投入できる訳です。しかも、コンピュータは二十四時間休みなく稼働できますし、五年毎くらいで確か性能も倍増を繰り返しているので、今後の発展は間違いありません」
「性能が倍増? 僅か五年程度で?」
「コンピュータは、計算能力だけの機械なので、こちらのように魔導人形の身体性能が倍増を繰り返すという訳ではありません」
「それでも、計算だけでも信じられん性能強化だ」
父さんが渋い顔をしているけど、信じられないと拒絶している訳ではなくて良かった。
「ですが事実です。省電力化と高速化、小型化こそが地球のコンピュータ関連技術の真骨頂ですから。どうでしょう? こちらだけでは小鬼族との競争に勝てないかもしれませんが、地球と組めば逆に圧勝することも可能でしょう。小鬼側に理論すら存在しないほど技術格差が広がれば、もう簡単に模倣することはできません。そうなれば安心です」
「我田引水な気もするが、検討する価値のある提案と認めざるをえない、か」
父さんも額に皺を寄せながらも、しぶしぶ頷いてくれた。
「少なくとも天災対策に比べれば、優先度はだいぶ上がると思うんです。条件が揃えば人口爆発は確実なんですから」
「それがせいぜい数百年で起きるのか」
「もう起きているかもしれませんし、これから起きるのかもしれません。でも起きないとは言えません。という訳で、今言った話を参考に、予算と人員の確保、よろしくお願いします」
精一杯の笑顔を込めて頭を下げた。僕ができるのはせいぜい大まかな方針案の叩き台を出す程度。具体的な策に落とすのは大変と思うけど、僕はお願いすることしかできないし。
「……一つ聞いてもいいかい?」
「何でしょう?」
「先ほどの話はいつから考えていた?」
「いつからというか、先ほど話しながら閃いたのでお話したんですけど」
「前から考えていた訳ではないのか」
どうも僕の返事は意外だったらしい。
「はい。必要なピースは揃っていたので、組み立てるだけならさほど手間はかかりませんよ。それに具体的な話はぜんぶ丸投げしてますからね」
言うは易く行うは難しって奴だ。
「確かに。どう話を通したらいいか考えると頭が痛い。だが、検討する価値のある意見だったのだ。少し、やるべきことが見えたせいで、気が重いところもあるが、娘を助けると思えば、それも心地良い重さだ」
父さんの言葉に、母さんとリア姉も同意してくれた。
「そう言って貰えると助かります」
方針さえ決まってしまえば、街エルフ達の技術力や活動範囲からしても、かなり期待できると思う。少なくとも僕が魔術を使えるようになるまで、基礎研究だけ続けるなんて状況よりは、ミア姉救出には効果があるはずだ。良かった。
「ところで、アキ」
「はい?」
「多様なメンバーを集めて救出計画を推進する件だが、アキは参加で確定だ。そのつもりでいるように」
すっかりお任せした気になっていた僕の思考を察したのか、父さんが釘を刺してきた。
「僕は本を読むのが好きなだけの普通の子供で、働いた事もありませんよ?」
参加できるというか首を突っ込むのは嬉しい話だけど、そんな専門家集団に僕が混ざると、他の人のやる気が失せるかもしれない。
「そんなアキでも、こちらの誰よりもあちらに詳しい専門家だ」
「あれ? ミア姉が本で色々紹介していたんですよね? 僕はかなり忘れてますし、僕より詳しい人もいそうですけど」
読んで頭に叩き込んでミア姉に伝えはしたけど、どんどん新しい分野に踏み込んでいってたから、大まかにしか覚えていないことも多い。
「アキ、こちらとあちらでは前提があまりに違い過ぎる。同じ情報を聞いても、我々には到底、実感を持って捉えられない話が多かった。いや、未だに消化できた情報は一部に過ぎないと言っていい。だから、あちらの常識を当たり前に理解し、その知識を活用できるアキは、間違いなく、こちらの誰よりも、あちらの専門家だ。まして、今回の計画は、対象があちらだ。アキが参加しないなど、そもそもあり得ないことだ」
なるほど。灰色を指して黒っぽいと思う人と白っぽいと思う人の差か。
「でも、最初はそのつもりはなかったんでしょう?」
特にやって貰うことはない、と言う話からして、ミア姉さんを助ける計画が始動したとしても僕は頭数には入ってなかったのは間違いない。
「そうだ。二十歳にも満たない幼子が、大人相手に、手元に資料も用意せず、その場で考えて討論するなどと、普通は考えたりしない。異世界に一人きた幼子を保護しよう、勇気には誠意を持って応えよう、その程度だった」
「あー、まぁ、ミア姉と毎日何時間か、資料なしで濃密な会話をやり合い続けましたからね。ミア姉と会っていた夢の中の部屋には資料は持ち込めなかったですし。まあ、慣れです、慣れ」
大雑把でもいいから概要を覚えて、ただ覚えるだけじゃなくなぜそうなのかも考えておいて、それで毎日、ミア姉との会話に挑んだ。あやふやな部分や答えられない部分は、起きたら忘れないようにメモして、翌晩までには答えを用意して。
よく十年間も続いたものだと思う。やっぱりミア姉の聞き方が上手だったんだろう。
「私はすぐに全面降伏する羽目に陥るから、戦略的撤退をしていた口でね。本心から君を尊敬するよ」
父さんがしみじみと告げた。母さんとリア姉を見ると一緒に頷いている。まぁ手強いのは間違いないからなぁ、ミア姉って。でも理詰めで追い詰める感じでもないし、一緒に考えてる、意見を交わしているって感じがして、話をしてて心地いいんだよね。僕と話をしている時と違うんだろうか。
「君がミアに好意を持ち続けてくれて、本当に嬉しく思う。ちなみに、どこに惹かれたんだい?」
「言わないと駄目ですか?」
ニヤニヤとした笑みを向けられるとなんとも居心地が悪い。
「私はアキの希望通りに行けば、義父となる身だ。聞く権利はあると思うがどうだろう?」
「う……わかりました、お義父さん」
義父となれば、ちゃんと答えないのは失礼だ。いずれ、と夢見ていたのは確かだけど、思った以上に早い対峙だ。でも、これだけ和やかな雰囲気で聞いてくれているのだから、感謝するべきだろう。
それで、ミア姉のどこ、か。
「そうですね……ミア姉は何をするにもソツなくこなす感じですけど、時折、とってもカワイイ時があって、その落差がいいんですよね。ちょっと拗ねてみたり、ヤキモチを焼いたり、スイーツに目がなかったり、勘違いしたのを誤魔化そうとしたり、見栄っ張りなんだけど、努力してそれを克服して仄めかす程度に自慢してみたり、こう、思わずギュッと抱きしめたくなるような感じなんですけど、わかります?」
今までにあったことを思い出しながら話していたせいか、思わず顔がニヤけてしまう。うん、やっぱりミア姉はかわいい。
「……そ、そうか。アキが、私達の知らないミアを色々知っていることがわかったよ。そうか、カワイイ、か」
「あなた達が並ぶ姿が見たいわね」
母さんがにっこり微笑んで、いないはずのミア姉が隣にいるかのように視線を動かした。
「い、いやー、それはまだ早いと思うんですよ、お義母さん」
「アキの中では、もうミア姉と所帯を持って、2人の門出を祝ってください、って感じか?気が早いな」
リア姉が意地悪な顔をして、僕を指で突っつく。
「あ、その、あ、で、でも、あー」
ミア姉のかわいいところを思い出したり、ミア姉の両親に挨拶に行くことを考えたせいで、顔が火照って仕方ない。何か言おうとしても、考えがうまくまとまらず、言葉にならない声がでるばかりだ。
「リア、遊ぶのはそれくらいにしておきなさい」
「アキ様、こちらでちょっと顔を拭いて、水をお飲みください」
冷んやりした濡れタオルに顔を埋めて、目を閉じたら少しだけ気分が落ち着いてきた。あー、もう顔が熱くてふらふらする。
水を飲んでもう少しだけ落ち着いてきた。
「アキ様、そろそろ入浴された方が良い時間帯です」
見せられた懐中時計を見ると、もう結構な時間だ。お風呂は少し急がないと寝るのに間に合わない。
「のぼせたりしないように注意するんだぞ」
「はい」
「ケイティも注意してあげて」
「お任せください」
ケイティさんに連れられて、居間を後にした。3人の前から離れることができて良かった。
◇
結局、お風呂に入って気分を落ち着かせているうちに、夕方になってしまった。いろいろあったから書いておこうとメモ帳を開いたけど、ペンを持とうとするだけでも瞼が重くなってきて不味い。もう限界だ。慌ててベットに潜り込んで布団を被ると、考え事をする時間もなく、眠りについてしまった。
大きくアキの立ち位置が変わった三日目もやっと終わりました。
まだまだ知らないことだらけで、生活が変わる訳でもなし。
でも、待っていたても状況は変わらない……気がする。
そんな訳で、アキの地味な奮闘は続きます。
次回の投稿は、五月三十日(水)二十一時五分です。