2-9.新生活二日目③
昨日より少し日差しが強いので、今日は麦わら帽子を被ってから外へ。
青々とした芝生は、きっとごろごろしたら気持ちいいと思う。
「お待たせ。では行こうか」
リア姉が来たので、三人揃って敷地の中を歩いていく。視界が通りにくい防竜林なんだけど、ケイティさんは目的地がわかっているみたいで、迷うことなく先導してくれる。
「トラ吉は今は狩りの最中ではないので、魔力を抑えていません。ですから、こうして見つけるのは容易です」
それほど簡単に見つけられるということは、トラ吉さんはこの敷地内では、居場所を敢えて示すことで威圧できる強い立場にあるということだろう。弱い動物だったら、より強い動物に見つかったりしないように、潜んで活動するだろうから。
「トラ吉さんって強いんですね。そういえば鼠狩りをしているんでしたね」
「トラ吉にとって鼠狩りは趣味というか娯楽なんだよ。それより大きい動物や魔獣は、敷地に近付けないからね」
頻繁に追い払うとかして、近付かないように躾けているのかも。猿を犬で追い払うみたいに。
「アキ様、いました。あそこです」
背を伸ばしても届かないくらい大きな岩があって、トラ吉さんは、その上でのんびり寝そべってこちらを見ていた。暖かな日差しがちょうどそこを照らしていて、心地良さそうだ。
「トラ吉、ちょっと来てくれ。こうして並べば、私とアキがよくわかるだろう」
リア姉が呼びかけると、トラ吉さんは大きく欠伸をした後、ふわりと音もなく飛び降りてこちらにゆっくり近づいてきた。リア姉を見て、それから僕を見て。なんだか胡散臭そうというか、納得してないって顔をしてる。
それでも、近付いてきてくれたので、僕は屈んで、トラ吉さんの鼻先に指を近づけてみた。
「よろしく。アキだよ」
そっと話しかけて、指をそのままの位置にして、トラ吉さんの動きを待つと、それから少しして指先に鼻をちょんとつけて挨拶してくれた。これで昨日より少し仲良しになれたと思う。
「これからアキはしばらくここにいるから、見守ってやってくれ。私の妹なんだ」
リア姉の言葉に、尻尾を軽く振って返事をすると、ふわっと飛び上がって岩の上に戻って寝そべった。今日はあそこがお昼寝ポイントなんだろう。
「大丈夫そうですね。リア姉ありがとう」
「アキは角猫に慣れているのか? ここまでスムーズにいくのは珍しいんだが」
「とりあえず、家猫と同じように、動作はゆっくり、猫の目線で、静かに話すって定番を心掛けてみたんですけど、上手く行って良かったです」
「角猫と家猫を一緒にするのはどうかと思うが、そうか。お茶の時間に会う父のハヤトなんか酷いモノで、ずかずか近づいて、身振り手振りが大きくて、大きな声で話して、しかもトラ吉の気分に関係なく構おうとするもんだから、最初から引っ掛かれて大変だったんだ」
「あー、それは猫が嫌うかも」
「これでトラ吉の混乱も少しはマシになっただろう。それじゃ、後は訓練を頑張れ」
「はい。リア姉も研究、頑張って」
手を振って、リア姉が館に戻っていった。さて、僕も頑張ろう。
そういえば、ちょっと気になってたんだけど、空気に潮の香りを感じるんだよね。
「ケイティさん、ここ、もしかして海が近いですか?」
「はい。敷地を出て五分も歩けば海岸に出られますよ」
「それはいいですね。見通しが悪いので、どこかこのあたりを見渡せるところはないでしょうか? すみません、ちょっと気になって」
防竜林のせいもあって、敷地もある程度までしか先は見えなくて、敷地の外はどうなっているんだろうか、とか色々考えてしまった。
「見渡せる場所ですか。では、展望台に行ってみましょうか。そこなら防竜林より高い位置なので遠くまで見渡せます」
ケイティさんが指し示したのは、僕が住んでいる館の屋根の上にある小さなスペースだった。一応、手摺りがついていて四人くらいまでなら入れるくらいの広さがある。
「よろしくお願いします。あそこは何に使っているんですか?」
「今はベリルが天体観測に使っている程度です」
「いいですね。僕もいつか観てみたいです」
あそこからなら、満天の星空が見えそう。
僕たちは館の中の階段を通って、屋上まで登って行った。
金属製の扉を開けると、小さなスペースがあって、周囲をぐるりと眺めることができる。
防竜林が続いた先には畑があって、そこからはずっと先まで海が広がっていた。なかなかの眺めだ。空が広い。海の反対側はなだらかな山の斜面が続いていてこちらは、ずっと山の上までずっと木々が続いている。見渡す限り、建物とかはほとんど見当たらなくて、この館も森の中に埋もれている感じだ。
「ここは街から結構離れているようですね。こんなに森が深いとは予想外でした」
見取り図にあった敷地の外のほうには、もう少し人の生活している感じが見えるのかな、とか思ってたし、お風呂とかトイレの設備の整い具合からして、街が近い印象を持っていた。
「山の尾根を越えると街が見えるくらいで、実はそれほど離れてはいないんですよ」
「なるほど」
まぁ、ある程度、街が近くないと食材を仕入れたりするだけでも大変だろう。とりあえず、周囲の環境が少しわかって安心した。
「やっぱり広い空を見ると気分がいいです」
ずっと先まで、水平線や地平線が見えるような風景のほうがやっぱり安心できる。ゆっくりと青空に流れる雲を見ているだけでものんびりして気分になれるから好きだ。生まれ育った環境のせいかもしれないけれど。
「そういうものですか。珍しいですね」
僕の言葉が意外だったのか、ケイティさんが驚いている。
「こちらでは普通、木々に囲まれて、ある程度、落ち着ける環境が好まれるものなのです」
広いより狭いほうが好きとはまたモノ好きな。あ、でもここでは僕のほうが例外なのか。
「狭いと気が滅入りませんか?」
「森に囲まれていないと、いつ襲われるか不安になるものなのです」
「あぁ……なるほど」
空が広いということは、竜とかに見つかる可能性が高いことを意味する訳で、それは確かに心配かも。
こちらは人より強い魔獣がうろつく異世界なんだ、と少しだけ理解できた気がした。
◇
今日の昼食は焼いたばかりのピザ! 生地はボリューム感のあるパン生地タイプで、具材はシーフードメインで海老、貝柱、烏賊と盛沢山。溶けたチーズの香りがまた最高! 野菜はオニオン、ピーマンあたりかな。チーズの甘さのおかげか、ピーマンの苦みもさほど気にならず食べられる。飲み物はなんと、オレンジスカッシュ。レモンが浮いててコップも洒落たデザインで、炭酸の泡がよく見える。
あー、やっぱりピザには炭酸飲料が合う。
「美味しいです、こちらでピザと炭酸飲料をセットで食べられるとは予想外でした」
「気に入って貰えて良かった。こっちでもピザは人気なんだ。あと、炭酸はアキが熱く語ったおかげだったりする」
「あー、まぁ、ほら、小さい子供はしゃわしゅわな炭酸飲料は大好きなものですから」
「そう、それだ。オレンジジュースをそのままより、炭酸入りが大人気なんだ」
「わかります、その気持ち」
ピザを頬張り、オレンジスカッシュを飲んで口をさっぱり、という無限ループは最高だと思う。ついつい食べ過ぎてしまった。
「そういえば、午前中の講義で聞いたんですけど、凄いですね、宇宙まで進出しているなんて」
「ん、あぁ、人工衛星の話か。確かに便利になったかな。天気予報が出せるようになった。あれは便利だ」
「洗濯物を干したりしていると、天気予報は気になりますよね」
「普段ならそんなところだが、台風の時期ともなれば、その予報はかなり重要だ。河川の氾濫がやはり怖い」
「こちらでは堤防は作ったりしていないんですか?」
「もちろん、街は堤防で守っているんだが、田畑や水田のほうはなかなか手が回らない。だから、農作業の担当者が被災しないように警報を出すんだよ」
「それは重要ですよね」
「私は、アキが言い出した地図への色付けのほうが楽しみだね。竜の奴らは魔力豊かな地域を独占していると思っていただけに、そこが広いとか狭いなんて発想はなかった」
「魔力が豊富な場所は、例えば農作物も良く育つとか?」
「農作物? そうだな、やはり魔力が乏しい土地の野菜とかは食べても魔力の回復が悪いし、差はあると思う。ただ、作物の収穫に重要なのは日当たりとか、水の豊富さ、土壌が先じゃないかな」
「魔力が豊富な土でないと育たない作物というのはありますね。薬用大根などがそれで、収穫すると何年か休めないといけないほど畑の魔力を根こそぎ奪ってしまうそうです」
んー、リア姉とケイティさんの口ぶりからしても、あって当たり前の魔力は、魔力必須な作物でもなければさほど気にしてないっぽい。
「あの、魔力が豊富だと何がいいんでしょうか? こう、疲労、肩凝りに効くみたいな何か効能とかあるんでしょうか?」
「アキにかかれば、魔力豊かな地も、温泉のようなものか」
リア姉の目がなんとも微笑ましいものを見た、とでも言いたげだ。
「アキ様、こちらでは魔術が生活の基盤であり、魔術は魔力を必要とします。つまり豊かな生活、日用品の生産から、医療といったありとあらゆる分野で沢山の魔力を必要としています。あちらでいうところの電力のようなものです」
なるほど。つまり天然の発電所を全て竜族に占有されている、って感じか。
「電力と同じというと、例えば太陽光とか、月明りとかを浴びると魔力が増えたりしますか?」
「地脈と違い、僅かずつではありますが、魔力は増えていきますね。実際、光を浴びせることで魔力を貯める魔導具もあります」
「とてもエコっぽいですね」
電力と同じではないにせよ、結構似たところはありそうだ。
「地図への着色は、午後のお茶の時間にはある程度できそうだから、皆で見てみよう。父母もくるからちょうどいい」
「ケイティさん、服装とか変えたほうがいいんでしょうか?」
「いえ、今日は午後もその服装のままで構いません。アキ様が銃に興味を示されていたので、今日は銃と耐弾障壁に関する実演を観ることにしました」
「銃! それは僕も撃てたりするんでしょうか?」
おー、日本ではモデルガンしか触れなかったから興味はある。
「やっぱりそういうのは好きか、アキ。ただ、撃つのは資格を取るまではお預けだ。まぁ観るだけでも面白いと思うぞ」
「資格制なら仕方ないですね。でも観れるだけでも楽しみです」
撃てないのは残念だけど、間近で射撃を観れるだけでもいい。やっぱり発砲音は煩いのかな。そもそもどんな銃が出てくるんだろう? 機械式時計の精密さから考えると、結構、現代に近い銃が出てくる気もするけど。
次話の投稿は五月五日(金)です。GW最終日までは毎日投稿します。