2-8.新生活二日目②
居間では、女中人形で赤いネクタイのアイリーンさんが講義の用意をしてくれていた。布に覆われた絵画が二つと、色々な模型が入った小道具箱、それに定番のホワイトボードだ。
「ではアキ様。今日は竜族の残り二つ、地竜と海竜について説明しましょう。まずは地竜。四本の足で身体を支え長大な首と尻尾でバランスを取りながら歩く巨大な魔獣になります。身体は頑丈な鱗に覆われており、その防御力は攻城兵器の直撃でもびくともしないほどです」
そういって、片方の絵画から覆い布を取り外した。顔つきや鱗の違いはあるけど、全体としては恐竜の竜脚類にあたるアパトサウルスみたいな感じだ。背までの高さは三階建ての建物くらいあって、頭から尻尾までの長さは電車の車両一つ分か、それより少し大きいくらいはありそう。結構な迫力ある絵で、何頭も徒党を組んで歩いている様子が描かれているんだけど、うーん。
「天空竜の雲取様と違って、これ、もしかして観て描いたんじゃなく、話を聞いて想像で描いた感じですか?」
天空竜に比べると、絵としては確かに上手いんだけど、こう生々しさというか、どことなく違和感が残る。
「よくお分かりになりましたね。ご指摘の通りで、こちらは海外に渡った探索者が、現地の人から聞いた話を元に描いたものになります。我々の住む弧状列島には地竜はいないので、観て描くことはできません」
「あぁ、それで」
「それでも、大きさや全体のイメージはそうズレてはいないはずです。この地竜ですが、地脈上を歩いて大陸中を何年もかけて巡回しており、地竜の通り道付近は、立ち入ることができない領域となっています」
「天空竜の縄張りと違って、一回通り過ぎたら、次に来るのは何年か後と間は空いていそうですけど」
「それは確かに。ですが、家も畑も、目につくもので邪魔と思えば、瓦礫の雨を降らせたり、熱風の吐息で薙ぎ払ったりと容赦ないので、人が生活できる場所とはなりえないのです」
なるほど、せいぜい牧草地にするくらいしか手がなさそう。
「そして、こちらが海竜、形状は蛇や鰻に近いでしょうか。二対の鰭があり、地竜と同様、群れで行動し、海流に沿って海洋を数年かけて巡回しているようです」
もう一方の絵画も覆い布を取った。こちらは足の代わりの鰭や、背鰭、全体の細く長い体つきもとても緻密に描かれていて、荒れた海を我が物顔で泳ぐ姿は、正に怪獣といった感じだ。東洋の龍に形状は近い気がする。一緒に描かれている船と比較すると、全長自体は地竜と似たようなサイズのようだ。
「泳ぐのが速そうですね。こちらも船を襲ってきたり、沿岸の街を襲ってきたりするんでしょうか? というか、竜と結んだ和平協定の話ですけど、地竜や海竜も参加しているんでしょうか?」
「では、まず和平協定のお話をすると、あくまでも我々の住む弧状列島に限定された話となるため、参加しているのは弧状列島に住む天空竜だけになります。地竜はいませんし、海竜はあまり浅い海には近づかず、数年に一度群れで泳ぐ姿が観測される程度なので、まだ種族間での交渉という段階には至っていないのです」
「そうなんですか。でも、今のお話なら、海竜のほうはうまく棲み分けている感じでしょうか」
「確かに陸上と海という意味では棲み分けはできていると言えるでしょう。ただ、彼らもまた、目障りと感じた船や街があれば容赦なく破壊してくるので、我々の海での活動に多大な影響を与えてくる極めて厄介な魔獣です」
一体だけでも船なんて簡単に壊しそうなのに、群れで行動するというのだから、始末に負えない。
「海外渡航は、海竜の群れを避けながら行わなくてはならない、だから危険なのですね」
「海は天候が荒れるだけでも危険なのに、海竜達の泳ぎはとても速く、認識されたら逃げ切ることはほぼ不可能です。そのため、航海は大変危険と言わざるを得ません」
「空にも、陸にも、海にも竜がいるんですね」
「はい。世界の支配者は竜族であり、人も鬼も竜のいる地域から距離を置き、見つからないように隠れ住んでいるのです。それが棲み分けの実情です」
我が物顔で動き回る竜達、それに対して人も鬼もあまりに脆弱、か。
あれ? でも、ちょっと気になるかな。
「ケイティさん、世界地図ってありませんか」
「世界地図、ですか? ない訳ではありませんが、どんな疑問を持たれたのでしょう?」
「竜の支配地域がどの程度なのかちょっと気になりまして。天空竜は山頂から一定範囲が縄張り、地竜は地脈上と言ってもあの巨体で巡回する以上、歩きにくい傾斜地や沼地は回避、海竜は海流に乗って周回なので、ちょっと範囲が絞りにくいですけど」
「つまり?」
「思ったより、だいぶ竜達の生息域って狭いんじゃないかな、と」
「――少々お待ちください。地図は国家機密相当なので、確認してみます」
「あ、そんなに正確なものでなくても、大雑把なものでいいんですよ」
僕への答えもそこそこに、すぐ戻りますので、と言いながら退室した。
ホワイトボードに手書きしてくれる程度でも良かったんだけどなぁ、とか思うけど、まぁ仕方ない。
お茶を飲みながら待つこと十分ほど。
ケイティさんが丸められた大きな紙を持ってきた。
「これが、我が国が把握している世界地図になります。あ、見るだけですよ。この後、すぐ返却するので」
広げられた両手一杯くらいの大きさの地図は、海は青、陸地は白、川は薄い水色で、高低差は等高線で表されている。海と陸地の比率は地球と大差がないけど、大陸がよりあちこちに散っている感じだ。描き方はメルカトル図法だね。
「海に出るのに命懸けという状況とのことでしたが、こんな立派な世界地図があるなんて凄いです」
「ですよね。私も誇りに思います。ただ、これは海を渡った探索者達が得た情報を元に描いた地図ではありません」
ちょっとケイティさんが勿体つける。でも、そうするくらいの価値はあると思う。
どうやって……やっぱり魔術かな?
「遠隔地を観る魔術とかで、作り上げたんでしょうか?」
「惜しいです。遠隔地を探るような魔術は鳥の視線を共有するといったもので、このような地図を作れるほどではありません」
「うーん、そうすると、魔導人形を高高度に飛ばして計測した、とか?」
「――そうでした、アキ様は『マコトくん』なのですから、そういった思考に辿り着くのも当然でしたね。実はこれは、我が国が誇る人工衛星から計測した地図なんです!」
なんだかガッカリしているけど、でも告げた内容は驚きだ。
「人工衛星!? えっと、空は竜が飛んでて危ないんですよね? もう、航空機は開発して運用してたりするんですか?」
まずは航空機、そして位置測定技術なんかを鍛えて、次にロケット技術、そういう進歩だと思うんだけど。
「航空機もない訳ではないんですが、光学、魔力的な意味で『見えない飛行機』相当でないと竜に墜とされるのでそちらは難航しているんです。でも、驚いていただけたようですね」
「それはもう。驚きました。まさかもう宇宙に手が届いているなんて。それで、地図が白い理由というのは何でしょうか?」
ケイティさんも僕の驚きぶりにご満悦といったところでとても嬉しそうだ。
「地形だけで、どんな国があるのか、そもそも国があるのかすらわからないため、この地図は白いのです。これは探索と交易に用いる地図のベースとなるもので、ここに判明している国や、安全な航路を追記して実際には使います」
それでも、あるとないでは大違いだ。マゼランやコロンブスが旅立った時に、真っ白でも全ての陸地が記された地図があったなら、話は大きく変わっていたに違いない。
「ちなみに、街エルフの国はどちらになるのでしょうか?」
「こちらです」
指し示されたのは、小さな島。弧状列島の名の通り、弧を描いた大小様々な島が連なり、そこからちょっと離れた場所に浮かぶ針の先ほどの小さな島だった。
そういえば、この世界地図、縮尺が書かれていない。
「この地図、どれくらいの縮尺なんでしょうか?」
「地図の縮尺はお伝えできませんが、小さいように見えますが街エルフの国は、大人の足でも一周するのに十日間程度はかかる広さがあるんですよ。それだけ世界は広大なんです」
「……もしかして、この世界地図、街エルフの国が描けるようにこのサイズにしてます?」
「地図なのに、自分達の国がなかったら困りますよね」
何を当たり前のことを、とケイティさんは不思議そうな顔をした。
改めて地図を見てみる。弧状列島全部合わせても、多分、イギリスか日本くらいの大きさしかない。だから、街エルフの国は大きいとしても沖縄本島くらいの大きさだと思う。なのに宇宙に手を届かせている。……凄いことだ。
「国土は狭くても、街エルフの国は大国なんですね」
「人類連合にとって必要不可欠、要の国であることは間違いありません。それに海外との交易も我々がほぼ独占しており、鬼族もやってはいますが、細々としたものです。ちなみに人類連合の支配地域はこのあたり、鬼族連邦の支配地域はこのあたりです」
ケイティさんは弧状列島の西側半分が人類連合で、鬼族連邦が東側であることを示した。
国土の広さが国力と一致するとは限らないけど、広さはほぼ互角といった感じに見える。
「あれ? 小鬼達の国はどちらにあるんでしょうか?」
小鬼達はかなりの勢力を誇っているはずだったけど。
「人も鬼も国は東西で別れていますが、都市国家の周辺地域は、人にも鬼にも属していないグレーゾーンにあり、そこに小鬼達の国はあります」
「弧状列島だけの拡大した地図も見てみたいですね」
もう少し、詳しく見てみたい。
「それはこちらに。ちなみに、人類連合の所属国も極一部の人々を除いて、世界地図など見たこともないことは覚えておいてください。それが『普通』です。弧状列島の全体図も同様で、鬼族の支配地域については大雑把な地形しか知られていません」
手に持つ丸められた地図が弧状列島付近の拡大地図のようだ。気になる。
「もしかして、人工衛星は街エルフの独占状態ですか?」
「その通りです。観測している限りでは、我々以外に宇宙空間に人工物体を投入し、運用している国家は存在しません」
それはとてつもない技術格差じゃないだろうか。竜のせいで行動範囲が大きく制限される世界なんだから。
「ちなみに、これですが、現在、民間に流通している弧状列島の地図になります」
広げられた弧状列島の地図は、小さな国同士の位置関係を示すことが最優先といった感じの手書き感溢れるもので、縮尺も海や河川の位置とかもかなり大雑把で省略されている感じだ。そして鬼族の支配域は描かれているけど、合っているのは大きさくらいで、連邦を構成するであろう鬼族の支配単位がどれくらいかも不明なようだ。
「我々が人工衛星を持つことは秘密です。仄めかしてもいけません。鬼族もそうですが、天空竜に知られることもいけません」
「――圧倒的に優位だから、というだけではなさそうですね」
「はい。ふざけた話ですが、天空竜の膨大な魔力をもってすれば、認識しさえすれば、人工衛星に、空間跳躍で接近して破壊することも不可能ではないのです。打ち上げるのにも維持するのにも大変な手間がかかっているので、それは避けなくてはなりません」
国の規模から考えても壊されたら、確かに泣きそうだ。
「わかりました。僕が誰かに話すような機会はない気もしますが、注意します。ところで、この地図なんですけど、天空竜、地竜、海竜の活動範囲を色分けすることは可能でしょうか?ちょうど色も白くて塗りやすいので、塗ってみてくれませんか?」
話がだいぶズレたので、本来の目的である地図上への着色をお願いしてみた。
「我々も、この通り、地形以外は知りませんので、それは――」
「ある程度の高さがある山には天空竜がいると仮定して、地脈も地竜が歩けるような場所ならいると仮定して、海竜のほうはこれまでの遭遇地点から推測すればいいと思います。今欲しいのは現時点での竜族の正確な支配地域ではなく、竜が支配しているであろう地域ですから」
「それが狭いと思われるのですね?」
「はい。ほら、天空竜の雲取様がこのあたりには飛んでこない、という話をされたでしょう?ということは、天空竜達の行動半径は結構狭いと思うんですよ。山頂に巣を構えるという話からして、竜同士って縄張り争いもあったりして、人のように仲間に命を預けて一致団結みたいなことはしないのでしょう?」
「それはそうですが、それと行動半径にどういった関係があるのでしょうか?」
「天空竜は巣に必ず戻るので、巣を中心にした円状の地域が縄張りですよね。そして、利害関係が衝突する天空竜同士はあまり仲良くないので、どこで他の天空竜と遭遇しても、戦えるだけの余力を常に残しておく縛りがある。一回戦ったらへとへとなんてことでは困るので、せめて二回くらいは戦える余力を残すとした場合、天空竜は本来の飛行可能な距離よりずっとずっと狭い範囲しか縄張りにできないはずです」
「確かに。言われた通りかと」
「それに天空竜は頑丈な身体で重そうですから、鳥と違ってきっと膨大な魔力で強引に飛んでいると思うんです。となると魔力切れにならない意味でも、遠出はできないだろうな、と。まぁ、そんなことを考えました。雌竜は子育ての時に大型の獣を狩って、巣に持ち帰るんですよね?」
「はい。爪で掴んで飛んでいる様子が目撃されています」
「それはやっぱり自分だけで飛ぶ時よりもずっと負担になるはずで、空気抵抗も大きそうで、ぶら下げて飛ぶのは大変でしょうから、雌竜が子育てを行う際の縄張りは平時より狭くなるんじゃないでしょうか。それに森が豊かでないと大型の獣もそうそう狩れないでしょうから、雌竜が好みそうな巣の位置はもう少し限定できるかな、とか」
「ちょっとお待ちください、アキ様。ちょっと話の範囲を限定しましょう。竜の生態も興味深いですがそれはまたの機会に。今は地形から推測できる竜族の活動範囲を色分けする。そこまでとしましょう」
「そうですね。というか、そういう地図はまだ作ってないんですか?」
「やっと世界の白地図を作ったばかりですので、そこまでは。ですが、今のお話であれば、さほど時間をかけずに描けるかと」
ケイティさんが、指揮杖を取り出して、空中に何か描いた。先端が描いた光の跡からすると魔術なのかな。
それから、さほど時間をおかず、女中人形の三人が部屋に入ってきた。
「家政婦長、何か御用でしょウカ?」
3人を代表して、赤ネクタイのアイリーンさんが質問してくる。
「あなた達三名に最優先の作業を命じます。こちらの世界白地図に天空竜、地竜、海竜の活動域を色分けして描いてください。資料室の利用を許可します。他にも必要なものがあれば、各自の判断で利用して構いません。午後のお茶の時間までには描くように」
そういって、更に先ほど話したような描くための前提となる条件などを補足した。
「研究員の方にも助力を依頼して構いませンカ?」
青のネクタイのベリルさんがそんなことを言い出した。なんだか大事になってきた気がする。
「許可します。三人の作業配分を含めて任せます。完成せずとも構いません。できた分までで良いので、時間になったら地図を見せてください」
「わかりまシタ。さっそく作業に取り掛かりマス」
緑ネクタイのシャンタールさんがそう告げると、三人は世界白地図を受け取って足早に部屋を出て行った。
ちょっとしたお願い程度のつもりだったんだけどなぁ。
「アキ様、講義の時間が予定より長引いてしまいましたので、今はここまでとして、魔力感知訓練を始めましょう。私はリア様を呼んできます」
「リア姉も一緒ですか?」
「同じ魔力で混乱しただろうから二人揃って顔合わせをしておこう、とのことです」
それは確かに重要だ。昨日、戸惑ってる感じがしたのも、そのせいかな。なにせ見た目はミア姉、魔力はリア姉、それでいて振る舞いは二人のどちらとも違うのだから。
次話の投稿は五月四日(木)で、今後は投稿時間を二十一時に変更します。
GW最終日までは毎日投稿します。