5-3.ペットは話さないからいい
前話のあらすじ:街エルフの国の館に残っているメンバーから伝文が届いたのでそれを読んで、お返事を書いたりしました。
「それで、俺に声がかかったと。それで何をすればいい?」
木陰に座って、ジョージさんの話を聞く事にした。トラ吉さんにも認識して貰う為にも同席して貰う。あ、勿論、お爺ちゃんも。お爺ちゃんも僕と同じく、こちらの普通なんて知らないからね。
ちなみにトラ吉さんは僕の膝の上に座って、マッサージを受けているところ。反応を確かめながら、撫でたり、揉んだりして、トラ吉さんもだいぶリラックスしてきた。
「身体強化って筋力だけじゃなく反射神経とか、持久力も上がるんでしたよね?」
「衝撃にも強くなり、素早く動いた負荷で骨折するようなことも避けられる」
確かにそうだよね。もし、二倍速で動けるようになったとしたら、運動エネルギーは速度の二乗だから四倍になってしまう。身体全体、骨格まで含めて全て同時に強化されなかったら、力一杯踏み込んだ瞬間、複雑骨折コース間違いなしだもん。
「トラ吉さんは、鍛えきったリア姉との追いかけっこのイメージが強い気がするので、身体強化ありの場合と、ない場合の相手の動きを経験して貰うことで、僕とやる場合の目安になればいいな、と考えました」
「なるほど。確かに久しぶりでは勘が鈍るかもしれないか。トラ吉、それでいいか?」
「にゃ」
仕方ない、といった感じだけど、トラ吉さんもやる気を見せてくれた。
「まずは、身体強化あり、だ」
五メートルほど離れたところに対峙して、僕の合図で、二人が動き始めた。と言っても、ジョージさんはゆっくり散歩でもするように歩いて近づくだけ。トラ吉さんもやはり緊張など欠片も見せず、のんびり歩いていく。
まだ距離があるなぁ、と思って見てたら、倒れこむように姿勢を変えたジョージさんが、一足で踏み込んで、トラ吉さんの横を走り抜ける。その時、手を伸ばして背中に触れようとしてたけど、トラ吉さんは僅かに身を沈めてそれを回避して、そのままジョージさんの背後に回り込んで、頭を蹴り飛ばそうとした。
「!!」
ジョージさんは背後を見ることもなく、身を捻って、蹴りを回避するのと同時に手を伸ばして、トラ吉さんを掴もうとする。
そんな伸ばされた手を、空中で身を翻して、側面から蹴飛ばして、トラ吉さんが距離を離したけど、ここまでのやり取りが一呼吸の間に起きた事。
「ほぉ」
「ニャ」
ニヤッと笑うジョージさんに対して、トラ吉さんも楽しそうに返事を返した。
「……これが身体強化された動きなんですね。というか、当たり前のように見えない方向からの攻撃を避けてたけど、それも身体強化?」
僕の呆れた言葉に、二人とも、僕に見せるために追いかけっこをしていた事を思い出して、意識を切り替えて戻ってきた。
「リア様から教わっていると聞いているが、初歩的な気配察知だ。身体強化によって感覚が鋭くなり、だいぶ精度が上がるんだ」
「なるほど。ちなみにそれができる人って一般的ですか?」
「街エルフで言うなら、実力差はあるにせよ、成人してれば、ある程度できるのが普通だな」
「人なら?」
「探索者なら、ある程度できる者もいる。一般人はまぁ、無縁な技術だろう」
うん、うん、そうだよね。……というか、街エルフはできるのが基本か。やっぱり長命種はレベルが高い。というか、ケイティさんもそうだけど、ジョージさんも色々と基準が街エルフ寄りだよね。一部の探索者が使えるくらい、使い手が少ない技術を初歩と言ってるんだから。
「トラ吉さん、聞いた? 僕は身体強化できないし、気配を察知するような真似もまだできないんだからね」
「ニャー」
そうは言うけどなぁ、と言った感じで少し困り顔。
「なら、今度は身体強化なしでやってみよう」
先程のように二人は離れた位置に立って、やはり距離を詰めていくけど、ジョージさんが動いたのは、さっきよりずっと近づいてからだった。
敢えて先程と同じ動きで、横をすり抜けようとするのを、トラ吉さんはギリギリまで引きつけてから避けて、そのままジョージさんの背後に回り込んで、頭を蹴り飛ばそうとした。
ジョージさんは敢えて、体勢を崩す事でそれを避けるけど追撃はなし。
やはり身体強化のあるなしは、動きにかなり違いがあるね。
「トラ吉、今の蹴りはアキには使うなよ。あれに反応するのは、気配察知できるようになった後だ。今のアキだと、事故に繋がりかねん」
「ニャウ」
トラ吉さんも、だいぶ勘を取り戻してきたのか、任せろと言った感じだ。
「もしもの場合に備えて、儂がフォローしよう。トラ吉さん、ちょっとアキの頭を蹴飛ばしてみてくれ。儂が寸前に障壁を展開して止めてみよう」
「……お爺ちゃん、その障壁って僕が触っても壊れない? 僕の動きも考慮して展開してくれないと、意味ない気がするんだけど」
魔法陣が壊れるように、障壁も壊れるなら、僕が接触しない位置関係で、トラ吉さんの動きを阻止しないと意味がない。単に間に展開するだけじゃ駄目だと思うんだよね。連樹の神様のところの石段と同様、かなり頑張って作った結界とかなら触れても壊れないようだけど、そんな強度のを瞬時に展開ってのは無理があると思うなぁ。
「ま、まぁそこは問題ないじゃろ。トラ吉さんも、先程ので加減は覚えたはずじゃ。そうじゃろう?」
「ニャ」
慌てて、誤魔化してたけど、何とも不安になる二重セイフティだね。トラ吉さんの返事も、自分が注意するから翁のフォローは不要って感じに聞こえたし。何かあったらよろしくって感じは欠片もなかった。
「しばらく、追いかけっこは俺も参加しよう。トラ吉はまず俺に対する手加減を覚えるんだ。届きそうで届かない、そんなギリギリを演出できないと、やってても飽きるからな」
「ニャー」
仕方ない、それで妥協しようって感じのようだ。その後はまだ動き足りないのか、お爺ちゃんの誘いに乗って、低空飛行するお爺ちゃんとの追いかけっこまで始めてしまった。
当たりそうになると、お爺ちゃんがトラ吉さんの前に障壁を展開して、トラ吉さんは、その障壁を蹴り飛ばして、強度や角度を確認してる。仮初めの障壁は、トラ吉さんが踏んでも問題ないけど、爪で引っ掻くと割れるようだ。仮初の障壁自体は出現してから数秒程度で溶けるように消えていってる。ずっとあっても邪魔臭いだろうし、存在しないはずの物体を生み出すんだから、色々無理があるんだと思う。
「ニャ」
「ほう、障壁で邪魔をしても良いとな?」
何故か会話が成立してるようで、お爺ちゃんは接触回避以外にも、障壁を展開して走るのを邪魔し、トラ吉さんも接触防止の障壁以外は、邪魔と思えば爪で引っ掻いて壊し始めた。
「あー、なんかもう、当初の目的を忘れてるよね、きっと」
「同感だ。人は空を飛べないと思い出してもらう為にも、翁との追いかけっこは最後に回すようにしよう」
僕とジョージさんが呆れた目で眺めている先では、空を自在に飛び回るお爺ちゃんと、中空に仮初めの足場を構築して、空を走り回るトラ吉さんが、人外の熱い空中戦を繰り広げていた。
◇
訓練を終えて、パンケーキと紅茶のセットを頂いて、のんびりしたところで、ケイティさんが手紙を渡してきた。出発前に言われていたミア姉からの手紙は三通、その最後の一通だね。
自室で読もうと移動したら、今日はトラ吉さんがついてきた。
……まぁ、いいか。トラ吉さんなら手紙を読む事もないし。
<三十六>
他国と言っても、まだ成人していないあなたに許される滞在先は、隣国ロングヒルにある大使館領だけだ。滞在の手続きを終えて、大使との面会をしたが、流石、唯一の国外領を一任されるだけの人物と、あなたは感嘆した。
街エルフ故に、一見若々しい外見だが、それに騙されるのは、経験不足の外交官だけだろう。硬軟使い分けて、相手の顔を立てつつ、要求を通す手腕は、そうできるものではない。
彼のような後ろ盾を得て、あなたはこれからの活動がどれだけ助かるか考えて安堵した。
しかし、頼ってばかりでは歪な関係だ。互いに利を得られるよう上手く立ち回る必要もあるだろう。
あなたは、これからのことを考えて、気を引き締めた。
さて、初めて大使と会見してみてどうだったかな? 彼は歴代の大使の中でもかなりの遣り手だから、必要な時は頼るといいと思う。
大使という仕事上、思考を上手く隠してくるから、真意を読みにくいかもしれないけど、慣れれば大体予測できるから頑張って。
あと、彼は同じ結果になるなら、面白い方の手段を選ぶ癖があるから、少し気をつけた方がいいかもしれないね。
まぁ、若手らしい活気溢れる子だから、もし振り回されそうなら、父さんや母さんに頼るのも手だ。
勿論、マコトのことだから、手に負える間はマコトや、仲間だけで対応すべきだけどね。
無理になる前に、助けを呼ぶ。子供なんだから遠慮しないように。
追伸:予算の話になりそうなら、マサトに相談すること。ケイティでもいい。
追伸二:できるだけ、相手には大使館領のほうに来て貰うように。こちらからの外出は、余程のことがない限り許可は出ないからね。
追伸三:彼から子供扱いされてる間は大丈夫だけど、大人扱いし始めたら要注意だよ。彼は妙齢の女性を口説くのは男の義務と考えてるからね。いずれ、誰かに刺されたりしないか心配だよ。
追伸四:護衛のジョージはできる男だから、不安があれば頼りにする事。大使が何かしてきても、ジョージが傍に控えているなら安心だ。
……なんか、随分と怖い事が書いてある。そりゃ、僕の今の外見はミア姉と同じだから、まぁ、魅力的とは思うけど。
ジョウさんのあの感じからして、リア姉と同じ髪色、瞳の色の僕の見た目は、ある程度、抑止力になると思う。あと、二人きりで会うような状況は考えにくいから、会う時はケイティさん、ジョージさんには必ず同席して貰おう。それにお爺ちゃんとトラ吉さんもいるから、それならまず安心だ。
そこまで考えてから、ふと違和感を覚えて、もう一度、手紙を初めから読み返してみた。
ジョウさんの思考が読みにくいという記述を見て、リア姉のお陰で、感情を素直に表現してくれるから大丈夫だよ、と呟いたところで、気付いてしまった。
……ミア姉の言葉と現実の乖離。
僕が召喚される前に書いた手紙なのだから、それは当たり前のこと。
そう、当たり前とわかっていた事。
だけど。
いつもなら、召喚される前なら、次の日には、そこが違うよと話せたのに、今は、それができない。
……できない。
ぽつん、と手に涙がこぼれ落ちた。
連絡できないけど、あっちでミア姉は問題なく暮らしてる、心配するようなことはない、と自分に言い聞かせても意味がなかった。
ミア姉がいなくて寂しいと感じているのは僕自身なんだから。
僅か一ヶ月程度、僕の中で時が止まったミア姉。……だけどこれが半年、一年と続いたら……?
また、ぽつんと涙が溢れ落ちる。
……十年、二十年と続いたら?
どんどん悪い方に考えが連鎖してしまう。
……涙がどんどん溢れてきて、全然、我慢できない。
視界が涙で歪んでよく見えない。
そのまま、どこまでも意識が暗い沼に沈み込んでいく気がしたところで、突然、声が割り込んできた。
「にゃー」
手紙を持っていた手に重みを感じて、見てみると、手紙への視線を遮るように、トラ吉さんが座り込んで、話しかけてきた。
「にゃー」
ぼーっとしてるなら構えと、割り込んでくる猫っぽい態度だ。ふかふかの毛並みが心地よい。あと、トラ吉さんが邪魔して、手紙が全然見えない。
「にゃー」
ごろりと手の上に転がったトラ吉さんが、肉球で僕の腕を押して、マッサージを催促してきた。ほれほれと押し付けられる体の重さ、温かさがなんだか嬉しい。
「もう、仕方ないなぁ」
僕の言葉に、だってぼーっとして暇してたよね、って顔をして、僕が手紙を片付るのも、さも当然って態度だ。
「今日はお爺ちゃんと追いかけっこして、随分遊んでたもんね」
「ニャ」
トラ吉さんの毛並みに触れて、反応を確かめながら、マッサージをしてると、なんか無心になれるというか、余計な事を考えなくていいせいか、自然と押し潰されそうな気持ちも、涙も何処かに行ってしまってた。
リア姉が言ってた、ペットは話さないからいいんじゃないか、っていうのはこういう事なのかもしれないね。
癒されるなぁ……
知らないうちにストレスを溜めていたのかなぁ….…
ちょっとした切っ掛けで、自分でコントロールできないほど、悲しい感情が溢れ出てくるなんて、思わなかった。あっちに居た頃はもっと感情の抑えが効いた気がするんだけど。
「ニャウ」
「あぁ、ごめんね」
上の空で撫でるとは何事か、とトラ吉さんから注意されてしまった。失敗、失敗。おざなりな態度を、動物はすぐ見抜くからね。
今は、トラ吉さんに集中しよう。
……うん。もう少し肩の力を抜こう。短距離走のような心構えじゃ長距離は走れない。
「ありがとうね、トラ吉さん」
「ニャ」
僕の言葉も想定済みだったのか、トラ吉さんも、気にするなって感じに答えてくれた。
これでマッサージで、デレデレの顔じゃなければ、もっと感動した気もするけど。こういう緩さもいいものだ。
ほんと、ありがとうね、トラ吉さん。
<後書き>
評価ありがとうございます。低めの評価だったので、今後の執筆を頑張ろうと思います。
今回はトラ吉さんと追いかけっこ、それとミアからの三通目の手紙を読んだお話でした。温かい人達に囲まれて、切羽詰まった状況や危険がなくても、ほんのちょっとで悲しくなってしまう程、情緒不安定な自分のことをアキも意識しました。まぁアキは日本では普通の日本人男子高校生、いきなりタフさを見せつけたりするなんてことは無理なのでした。もちろん男の子のプライドがあるので、そうそう人前で泣いたりしはしませんけど。(本人はしっかり我慢できてるつもり)
次回の投稿予定は、一月三十日(水)二十一時五分です。
ちょっと外出先からの投稿になるので、遅れる可能性がありますがご了承ください。
<活動報告>
執筆に関わるような話、あるいは作品との関連性が薄い話は活動報告のほうに書いています。投稿時には必ず活動報告もセットで書いているので、興味がありましたら読んでみてください。