第69話 隠しイベント?4
久保田さんはどうやら俺をサボらせてはくれないらしい。
まあ彼女の思惑はともかく、俺たちは着々と校舎内の見回りをこなしていた。
ただ地道に周囲の非行に目を光らせながら歩いてるだけなので、校庭やその他の場所で準備に取り掛かっている委員たちと比べれば楽な役回りだと思う。
「あ、見て松三朗君、イルミネーション点いたよ!」
ちょうど校庭の見える二階廊下から見下ろして、久保田さんがはしゃいだ声を上げた。校舎内は電気が点いているから煌々と明るく、対照的に日が傾いた夕刻の校庭は光度を失っていく。
その中で電飾のカラフルな光はよく目立った。
同じように廊下から校庭を見て「ダンスもうすぐ始まるよ」と慌てて連れ立つ生徒たちや来場者の姿が視界の端を過ぎる。
久保田さんが羨ましそうに駆けて行く後ろ姿を見送っている。
「一回下りてみるか? 校庭も見回る範囲には入ってるし」
「ううん大丈夫。校舎の見回り続けようよ。気を遣わせてごめんね」
「いや、いいんならいいけど……」
気の利いた台詞も出て来ない俺はそれきり会話を途切れさせてしまう。
普段から気さくで明るい久保田さんは、今日だけは何となくいつもと違った。
どこか元気がない。
彼女の控えめな横顔は珍しく居心地の悪さを感じさせた。
夕暮れは地上の人類なんて我関せずと進んでいく。
「そういや武将カードはコンプリートできたのか?」
何か話を、と話題を探して思い付いたのがこれだった。
彼女は虚を突かれたように顔を上げる。
ある意味オタク談義も同然だから気が進まないのかもしれないが。
「よく覚えてたね。おかげさまでコンプリートはできたよ。バイト代のほとんどを費やした甲斐があったかな」
「集まったなら良かった。っつーかバイトなんてしてたんだな」
「うん。知り合いの喫茶店で。でももう辞めるんだけどね」
「辞めんの?」
「……うん」
少しだけ困ったような曖昧な笑み。
何か変な感じだとは思ったが、彼女には彼女なりの事情があるんだと思い、その話はそこで終わりにした。
その後の見回りも異常はなく、残るは屋上だけ。
普段ほとんど使わない階段を上って扉を開けた先には誰もいなかった。
ここは一応立ち入り禁止区域なもんで、もしかしたらカップルの一組二組こっそり入り込んでいるかと思っていたからちょっと肩すかし気分だ。
「ふう、こんな夕暮れの屋上を堪能できるのも、委員の役得~」
腕を突き出して筋を伸ばす久保田さんに同意して見上げる。
明るい星が薄暮の空にチカチカと輝いていた。
手摺りに近付き地上を見下ろすと、校庭の人影たちが音楽に合わせ気ままに動いていた。
「あーあ、ダンス始まっちゃったね」
「ホントに行かなくていいのか? 俺に遠慮しなくていいよ」
久保田さんは良いとも悪いとも答えなかった。
ただ俺の横で同じように校庭を見下ろしている。
答えがないならそれでいい。
別段無視されたとは思わなかった。
「あのね、松三朗君」
ややあって久保田さんのささやかな呼びかけが耳に届く。
校庭を見つめていたはずなのに思考はうろうろと全く別の所を彷徨っていた俺は、覚めた気分で横目だけを向けた。
因みに人間一日の半分はこのマインドワンダリングだかっつー状態にあるとかなんとか。
俺が耳を傾けたのを察したのか、彼女の方も横顔のまま言葉を続けた。
「実はね、私……――転校するの。学祭明けのテストが終わったら」
俺たちの間を駆け抜ける昼と夜の境の風が少し速さを増した気がした。
「は!? 転校!?」
「もう学校側には書類も提出してるけど、まだ友達にも誰にも言ってない」
「友達にもって、何で? テスト明けなんてすぐだろ」
久保田さんの次の言葉までは、懺悔の前のような逡巡があった。
「……だってね、言っちゃったら、もう私がいなくなる前提でみんなは過ごすのかなって。そしたら何か変にもやもやしちゃって、言い出せないうちにずるずる日にちも過ぎちゃった……」
温い中に秋の涼しさが混ざりはじめた風が、彼女の俯いたボブカットをさわりと揺らしている。
いつも友達の輪の中で笑ってるから、彼女のこんな風に気弱な部分には驚いた。
だから今日は朝からどことなく様子が違っていたのかもしれない。
「まさか実行委員やったのも……?」
「そうだよ。良い思い出になるかなって。今更だけど勝手に指名してごめんね。だけど一緒にやってくれてありがとう」
「それはいいんだが、大事な友達なら言わないと駄目だろ。それともそんなに大事じゃないのか?」
「大事だよ!」
「だったら」
「でも、転校すぐそこなのに? 何で今言うのって喧嘩別れとかなったら逆にキツイし」
「それで逃げるみたいに転校してハイさよならって方が、自分も相手もしんどいと思う。久保田さんは確実に後悔するだろ」
どんな小さな後悔もない人間なんていない。
皆何かしらの負の経験も重ねた人生の上を歩いてる。
勿論俺も。
彼女はしばらく黙り込んで、ぽつりと言った。
「ダンスしようよ。松三朗君」
こんな時にダンス、とは思わなかった。
全然そんな気のない顔付きだったから。
「踊りたかった相手は? 探さなくていいのか?」
「本当はね、さっき訊いたら、踊らないって」
「あ、そうなんだ……」
訊くんじゃなかった。
誰だそいつは。
久保田さんの誘いを断るなんて勿体ないやつだな。
「ダンスなんていいから抜けて友達んとこに行った方がいい。で、転校のことを言う。な?」
「あははダンスなんてって言い方ー。やっぱり踊らないんだ?」
「踊らない。んなことより最後の学校イベントなんだろ。仲良い友達と過ごせって」
「松三朗君……」
「けどもしも、もしも正直に話して友達からそっぽ向かれたら、そん時は俺を友達リストにでも入れてくれ。クラスの連絡用のじゃないやつな。俺はまめじゃねえけど、転校しても連絡するよ」
気休めにもならない俺の図々しい言葉に呆れたのか、久保田さんはようやく硬い表情を弛めた。
「わかった。駄目だったらそうする。じゃあお言葉に甘えて行ってくるね、ありがとう」
屋上の夕闇に佇む久保田さんの笑顔はまだどこか完全じゃなかった。でも階段の方へと爪先を向ける彼女はもう躊躇わずに真実を告げるだろう。
友情を失わないために。
……正直、俺なんかの言葉で奮起してもらえたのは奇跡だな。
「あ、松三朗君!」
と、振り返った久保田さんが言い忘れでもあったのか駆け戻ってきた。
「どうした?」
「えっとあの……耳貸して?」
「耳?」
その場で普通に言えばいいと訝りつつも、頼みに従って横を向いた。
気配が近くなる。
「――もしね、二年生になっても彼女できてなかったら、私と付き合っちゃおっか」
「え……」
俺は一瞬言われた意味がわからなかった。
彼女って誰に? 久保田さんに?
いやいや違うだろ、百合か!
じゃあ誰に……。
一拍置いて仰天する。
「――はっ!? 俺!?」
「うん。そうなったら遠恋でもしよ?」
「な、え!?」
二の句を継げない俺の顔を満足そうに眺めたクラスメイト――久保田真琴。
「一応、予約ねっ」
彼女は素早く俺の頬に口付けた。
「――!?」
今度は棒立ちで呆けたままの俺は、ゆっくりと手を頬に持っていく。
二年になっても互いにフリーだったら?
んなもん、久保田さんの方が向こうで彼氏できるだろ。
そんな久保田さんは、笑みを含んだままそれ以上は何も言わず踵を返して駆けていった。
「冗談、だよな? だってこれまでんな素振りはこれっぽっちも……」
俺はそう片付けようとしながらも、不意打ちの頬ちゅーにしばらく胸の動悸が治まらなかった。




