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第1話 契約

よろしくお願いします。

暗澹たる闇を抜けると、少女の魂は白い靄の中をゆっくりと揺蕩い、暖かな光に包まれはじめた。


ゆっくりと浮上するのを感じ、意識が覚醒を始める。


目覚めが近づいている…そう認識する間も無く、微睡んでいた魂が収束し、急上昇し、更なる加速をはじめる。



そうして…緩やかで神々しい光の渦は、その哀れな少女の魂を、抗う隙も与えず、現実に、叩き落とした。



襲い来る嘔吐感。激痛。目眩。


嗚咽と共に肺の空気が掻き出され、少女は悲鳴をあげる。


もはや吐くものも無い胃が痙攣する。


少女の助けを請うような、何もかも諦めたような視線の先…白衣の群れの向こう、見慣れた顔が、濡た頬を歪め…苦痛に喘ぐのが見えた。


「ごめんなさ…許し…」


それは、少女が物心ついたときから聞かされてきた、呪いの言葉。


「ごめんなさい、ごめんなさ…お母さんを許して、あなたを健康に産んであげられなかった。お母さんを許して…ごめんナサイごめんなさ…許して、お母さんせいで、あなたがこんな事に…お母さんが代わってあげられな…ゴメンなさい…ゴメンなさいごめんナサイ許してっっ…」


繰り返される贖罪、覆せない真実、呪いの言霊。それはいったい何に対する贖罪、何の為の涙、誰の為の許し。


『わたしは…お母さんの…消してしまいたい、失敗作。』


少女の意識は、再び遠のきはじめる。


徐々に息苦しさが治まり、白い服の群れが、母の顔が…霞みはじめる。


魂が、心が、暗澹たる闇に沈んでいく。

少女は願う、死が叶うならば安らかな死を。このまま目覚めぬことを。


あんなに…


あんなにも願ったのに…


息苦しさに喘いで、少女は再び目覚めた。どれ程の眠り? 1分? 1時間? それとも1週間? 1年?




辺りは静寂な闇。


『生きてる? わたしはまだ、生きてる? 』


心は死を渇望しても、身体は生きることを欲し、苦痛を乗り越え、さらなる苦痛を身体に呼び込む。



キセキ…と、誰かが言った。


繰り返し告げられる余命。3ヶ月、1年、3歳まで生きられれば…。


繰り返される期限、小学校の思い出を…せめて10歳の誕生日まで…。


細切れに引き延ばされる苦痛、懊悩、絶望。


少女の頬を、枯れ果てたと思っていた涙がこぼれ落ちた。





その時………


闇に静まり返った病室の死角、見えるはずの見えないその場所に…亡霊の様に浮かび上がった影。


【この者が、何も考えない人型であれば、意志のない抜け殻になれば……その哀しみを受け入れられるかもしれない。…何も、感じない、人型になりさえすれば】


少女に届かない声で独りごちた影が、闇の中に佇み、その疲れ果てた顔を見下ろした。


闇より生まれた影に与えられたそれは、弱り果てた魂を刈り取る、簡単でありながら、けして失敗を許されない任務だった。


遥か高みから睥睨し、奪うだけで良い簡単な事だ。


今ならばそれが出来る。少女は死を望んでいるのだから、なんの抵抗もなく、その魂を手に入れられる。


否の意を示させず、刈り取る事で諾として連れ去れば良い。その後その魂がどうなるかなど、任務を帯びただけの影の知るところではない。



そう、それは容易い任務。彼が言葉を発しなければ。見えないはずのその姿を、少女に見せさえしなければ。


「諾と応えるだけで良い、さすれば全てを捨て去れる」


何故声を掛けたのか? それは影にも分からなかった。この時の我はどうかしていたのだと、後になって思う事になる。闇であり影でしかない彼が『何か』を思うなどあり得ないのに何故…と。


「我がお前を楽にしてあげよう、頷くだけで良い永遠の楽園に…?」


少女は真っ直ぐに彼の眼を見つめ返し、一瞬にして暴きはじめる。彼の心に巣食う、彼ですら気付かなかった全てを。


「…の?……ナニガ?…」

「何だ? おまえは何を言っている? 」


絶望しているのはこの年端もいかぬ少女のはずだった、全てに絶望して嘆いているのはこの子供のはず。


「何故だ? お前は、世の全てに絶望しているのだろう? 何故そんなことを言う? 」


「……約束……必ず…」


彼女の眼は、懇願してはいなかった。

その瞳に浮かぶのは『懇願』ではなく『決意』。


「契約は成された…お前の魂は、我のもの。そして……。」


彼の言葉に少女は安堵し、微笑みをうかべ。その眼を閉じた。




そして…瞬き程の時を経て

彼はその柔らかい腕を片手で捻り潰し、あらぬ方角へ捻り上げ「む…ぅがぷう?」喜びの奇声を発した。


どうしてこうなっている?

彼の身体は貼り付けられたわけでもないのに、自分の思うように動かせなくなっていた。


先ほどまで見下ろしてはずが、今は天を見上げたまま、手足が空を切っている。何かがおかしい。


左手に掴んでいた薄桃色の上腕部、何らかの生き物の形をしているソレが、少し力を込ただけで容易く折れ曲がり、悲鳴をあげた。


その様に、心が高揚する。抑えようとしても『ブギブキ』と悲鳴を発するそれに、自分のの意思では力を込めるのを止められない。


湧き上がる興奮。

『グギャグプっっ』耳障りなその音が、更なる興奮を増長させ鳴り響く。奇妙な音と感触に心が躍る、踊りまくる。彼の理性を置き去りにして‼︎


どうしてこうなった?


理性が己の愚かな愚行を止めようとするのに反し、興奮した自我が抑えきれない。


誰か‼︎ なんとかしてくれ‼︎


助けを求める丸投げなその思考に、さらなる羞恥を覚え身悶える。


限界だった。


何もかも放り出し、放棄したい衝動にかられる。少しづつ自分が保てなくなってくるのが分かる。


思考が女々しい逃げの一途に走り、混乱し錯乱し、理性と感情に引き裂かれる。


我は、我…ワレ、…なんだっけ? うっぅう…混乱こんらんコンラン混乱サクランさくらん。ワレ何をナヤンデいた、ん、だ?


??? よくわからない…けど、なんか哀しい。なんか…大事なコトがあったんだけど、おもいだしぇない

わで…あう? だいじなコト? ダイジ? う?うっっううっう



「う、うぅう、うぎゃー‼︎ ふっふ、ふぇえ〜っふえぇ〜」




彼はついに泣き出した、助けを求めて四肢をバタつかせ、手にしていたそれを投げ出す。


「どうしたの〜? コウ?」


ふわりっ甘いミルクと石鹸の香りが鼻をくすぐり、彼の体は軽々と彼女に抱き上げられた。ぎゅうっと抱きしめられ、ぽんぽんと背中をリズムよくあやされる。


気持ちよかった。全てが安全で守られていると感じられた。


「眠くなっちゃったのかな?」


彼女は投げ出されていた風船の人形を、おもちゃ箱に入れ、徐々に泣き止んで来た息子の瞼が閉じ始めるのを愛しげに見つめた。


息子が寝息をたてはじめ、四肢が満足そうに脱力すると、もう一度抱きしめてからベビーベッドに寝かしつけた。


彼に必要なのは、暖かい抱擁と安穏な眠り。


彼は何かの契約を結んだ、この母親となった少女と。それが何だったのか思い出すには、もう少し時間が必要だった。

お読み頂き、ありがとうございます。


この話は既に投稿した短編を、多少読み易くしたものです。次の話は、明日投稿予約しましたが、それ以降は気長にお付き合い下さい。

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