バハムート。
空気も読まずにシュヴァルトの放った爆裂魔法は、既に限界の訪れていた俺の拘束魔法を、意図せずして破壊することになってしまった。
白状しよう。ハッキリ言って今まで俺はこいつの存在を忘れてた。
「恥を晒さねえように優しく妨害してやったのに、何で分からねえんだか」
多分俺の存在に気づく事無く文句を垂れ流してるんだろうけど、やっぱり予想していた通りかなり性格は世間ずれして捻くれてしまってる。
生まれた時から優位に立ってるあの坊っちゃんと同じ感じ。
他人から秀でてるのは分かるんだけど、こうも分かりやすく良い性格してやがると嫌われる一方ですよ、お兄さん。
「ギャルグルガアアアアアアアア!!!」
バハムートが怒りの雄叫びをあげる。
見た感じ口とかから黒い霧が出てるし、今の耳を塞ぎたくなるような声を聞けば分かるけど、やっぱり拘束していた事にかなり憤怒してる様子だ。
目の前の異形の生物が何者か分かってないんだろう、シュヴァルトは依然として余裕そうな態度だ。
「うっせえ、気持ち悪い声出すんじゃねえよ」
バハムートにまで悪態をつくと、体を登って顔の前に手のひらを翳す。
「殺すぞ」
手のひらから広がった濃い青色の魔法陣から高質量の水で出来たレーザーを出して、バハムートの顔をえぐり取ろうとする。
「おいっ! そんな逃げ場のない場所で攻撃したら――」
水魔法は大きく口を開いたそいつの口の中に吸い込まれ、代わりにシュヴァルトに向けて同じ水魔法が放出される。
「なッ!」
悶絶した瞬間。
バゴオオオオオン!!!
シュヴァルトの後ろにあった周りより少し大きな木に直撃すると、そのまま倒れる。
「さっきも同じことした気がするんだけどなぁ」
跳ね返された水魔法の軌道を鏡魔法でズラし、同時にその場からシュヴァルトを重力魔法で半強制的に落下させる。
真下に走りより体を受け止めた俺は、その既視感につぶやく。
「お前、あの時一番前にいた無能か。いたんだったらいると言えよ」
なんか言ってるけど、俺の視線がバハムートに集中しちゃってる今、シュヴァルト君の言葉は耳に入ってこないよ、ごめん。
そいつの背後に幾つか小さい魔法陣が出現する。
少しその様子を見ていると、バハムートの拳がこちらへ向かって進む。
それを避けるようにして横に走り抜けると、俺を追ったその拳は地面を抉りながらこちらに迫ってくる。
ガツン!
鈍い音を出して拳は加護魔法によって眼前で止まる。
鞘に納めていた剣を抜くと同時。
地面に突き刺さったまま静止している拳を足場に一気に間合いを詰めると、抜刀しながらバハムートの右目に一閃。
「グルギャア!」
少し呻き声を上げると、翼で地面を叩き空へ飛び上がる。
「あっぶないあぶない」
「おい! 聞いてんのかこの無能が!」
「え? ごめん全然耳に入って来なかった」
バハムートが空に飛び上がった反動で池の水は干上がり、亀裂の走った地面は翼の起こす風のせいで浮かび上がってきた。
空中に浮いてるその足場を降りながらシュヴァルトの話を聞こうとするけど、やっぱり風の音が邪魔で全然聞こえてこない。
「俺を降ろせって言ってんだ、グズが!」
「ごめーん! 何て言ってるの?」
「俺の顔に泥を塗る暇があれば、貴様みたいなのは泥で遊んでればいい!」
「風の音とか色々うるさくて全然聞こえない! 戦闘のあとでね」
地面に辿り着くと、さっき展開されていた魔法陣から飛んできた何本もの立派な剣がこちらに剣先を向けて近づいてきてる。
ひとまずシュヴァルトのことは忘れるとしよう。
まずは一本目を剣で叩き落とすと、二本目と三本目を一回転しながら落とし、四本目と五本目と六本目を弾き飛ばした。
少し間が空いて七本目から全ての剣が一斉に飛んで来る。
「炎 天」
剣先から放たれた強力な炎光線が、バハムート諸共剣たちを焼き払った。
剣を地面に突き刺すと、それを基軸に回転しながら足で最後の二三本を蹴り落とすと、再び剣先を標的に向ける。
展開した巨大な茶色い魔法陣が回転をやめた刹那。
ドゴゴゴゴゴオオオオ!
空中に浮かんでいる岩が一点に集まり始め、大きな球体になると徐々に人の形を成し始める。
これは形成魔法って言って、粘土質の土を使って鋼鉄よりも硬い土の巨人を作り出す魔法なんだけど、そいつが創造主の言うことを聞かないもんだからこの魔法は地雷扱いされてる。
巨人の形へと成った土の塊は、歪な顔をこちらへ向けると、目を赤く光らせた。
これが創造主に対する態度だ。
当然敵対してる。
「グオオオオオオン!」
図太い雄叫びをあげた巨人は、俺目掛けて拳を振り下ろす。
それを合図とするように、地面を深く踏み込んでバハムートの背後まで移動する。
見えなくても攻撃してくる恐ろしいこいつの尻尾は弾き返して、背中を駆け上がりながら剣を通す。
うなじのところまで剣を通すと、柄に手を当てると魔力を流し込む。
次の瞬間。
赤い閃光を放ちながら爆発を起こし、バハムートの背中を穿つ。
すかさず少しよろけた標的のうなじを何度も切り刻む。
これにはさすがに応えたみたいで、大きな顔をグルリと回してこちらを睨むと、口を大きく開く。
その口の中へ周りの空気や、木々までもが吸い込まれる。うなじがすごい勢いで修復されて言ってるからエネルギーに変換してるんだと思う。
うなじを一秒にも満たない時間で元に戻すと、残りのエネルギーを口に集め、そのエネルギーの集合体は青い光を発し始める。
その光が放たれる寸前。
後ろから大きな衝撃を受けたバハムートは、顔を歪めて地面に向かって青い炎を放つに終わった。
空中を浮遊魔法で足場にすると、そこから瞬間移動して顔に斬撃を加える。
続けて腹に潜り込むと、横に切りながら走ると同時に爆裂魔法で腹を何度か爆発させる。
地面に降りると、足元を最強クラスの氷魔法で凍りつけた。
剣先を天へ掲げると、バハムートの真上に大きな魔法陣が出来上がり、永続的に地上の約百五十倍の重力をかけ続ける。
後はシュヴァルトをどっかにやって止めを刺すだけなんだけど。
というか最初はめちゃくちゃうるさかったのに、さっきから死んだみたいに黙りこくってるし……ってもしかして死んでたりする?
シュヴァルトを抱えていたはずの左手に目をやると、そこには誰もいない。
「おーい、シュヴァルト君?」
周りを見渡すが、見えない気がする。勝手に逃げちゃってくれたのかな。
キョロキョロしてる俺を潰しにかかって来た土の巨人を剣先でつつきただの土に戻すと、いよいよ本格的に最上級の身体強化魔法を全身にかけて、とっとと済ます事にする。
「誰かさん、残念だったな俺が相手で」
剣を左手に持ちかえると、コンマ一秒にも満たない時間でバハムートの頭上へと移動すると、剣先を地面に向けて柄を両手でつかむ。
鋭い剣先を下にすることで空気抵抗の少なくなった俺の体は、おおよそ千メートルは見積もって高く飛び上がったものの、思いの外凄い速度で落下する。
それに加えて自分に対して今バハムートにかかっている重力魔法と同じ強さの重力魔法をかけていた。
思ってた以上に重いね、これ。
バハムートも動こうと藻掻いてるけど、腕が少し上がる程度で、ソレ以上は動けていないみたい。
空気との摩擦で炎を帯びた俺の体は、そのものが大きな火球と化していた。
「なんせ俺は、神だからね」
このままバハムートを切りくだせばすぐにコイツは死滅するだろうな。
そう考えながら剣先がバハムートの体に触れる刹那、標的の足元にシュヴァルトがいるのが見える。
ヤバイヤバイヤバイ!! 俺至上最大級のヤバさだって!!!
もうあと一秒以内に火を纏った俺の体はバハムートに直撃するだろう。
あと一秒以内に浮遊魔法を使って勢いを殺すか? ……いや、無理だ。
ならバハムートに掛かってる重力魔法を一度解いて、シュヴァルトの脱出に賭ける? ……危険過ぎる。
どうにか俺の体の向きを変えて着地する場所を変える? ……きっと衝撃波で諸共地面に沈んじまう。
俺に為す術はない。
永久英雄は魔獣を殺そうとして、天才魔法使いも諸共殺してしまいましたってなるのか?
「くそッ! 止まれ止まれ止まれ止まれ止まれえぇぇぇぇぇ!!」
叫びも虚しく。
ガッキィィィィィィィン!!!
今までに無い鋭い音と共に俺の体から勢いが失われ、やがて止まる。
その音は遠く彼方の地平線にまで轟くと、やがて余韻もろとも消えて静寂が流れる。高く巻き上がった砂煙で視界がほぼ切断されている。
だけど、分かる。
これほどまでに手応えのない違和感に。
真にバハムートを討ち倒したなら、呻き声の一つも上げずに静かに逝くってことはないだろうし、何より俺の落下は何かに阻まれたかのように急速に停止した。
それに一切の血も上がってないし、音も変だった気がする。
しかし砂煙が晴れると、その違和感の正体にたどり着く。
「面倒なことしやがって」
辛うじて天に掲げられたバハムートの右手には、巨大な剣が握られていた。




